第7話

「卒業生の皆さん、ご卒業おめでとう、先生は皆を誇りに思うよ。どうか、この先も元気で、頑張れみんな!いつでも学校に遊びに来てください!」




 先生が私たちに熱い涙を浮かべて、最後の挨拶を教室でする。今日は卒業式だった。思い出を語り、涙を浮かべる人もいれば、最後だからとはしゃぎ、楽しそうに笑っている人もいた。志望校合格の勝ち組も、浪人の負け組もみんな今日が高校生活最後の日なのだ。




 私はどちらでもない。でも、それでもいい。私は今に負けないと決めたのだ。これからの未来に突き進む。強く進むと決めたのだ。




「では、さよなら!」




 先生が涙をぬぐいながら、別れを告げても、皆は教室に残っていた。卒業を味わう皆を、私は遠くから眺めていた。そして、私は皆と話すことなんてないと、教室を去ろうと静かに扉へ向かう。




「智花またね」


「うん!頑張ろうね!」


「うん!」




 智花に別れを告げて、教室を出る。二度と、制服で踏むことのない階段をひたすら駆け下りて、下駄箱で靴を触る。




「富田、ちょっといいか」


「え?」




 靴を取り出していると、突然、声を掛けてきた人がいた。同じクラスの佐々木圭太ささきけいた君だった。いきなりの声掛けに、驚いて私は数秒固まる。こんな私に何の用だろうか。疑問が頭を回っていた。何か忘れ物でもしていただろうか。




「突然話しかけてごめん、今日だけでもいいから……一緒に帰ってくれない?」




 固まる私を見て、彼は謝る。私は持って帰るものは全て確認したし……と考えていると、彼は、私に一緒に帰りたいとお願いをしてきた。考えたこともない圭太君の言葉に私は驚く。




「……いいけど、仲間とつるまなくて大丈夫?あと帰る方向、違くない?」


「うん、もう友達は大丈夫だから。あ、家まで送っていくから」




 圭太君とはそこまで仲が良いわけではない。ただ、三年間同じクラスではあった。一年生の時は、テストの学年順位の上位を競っていたから、それで勉強の事とかは話したりしていた。しかし、そんなにつるんだことはないのだ。卒業式後は打ち上げだとか、皆楽しんで過ごすというのに、彼は私に声を掛けてきた。まぁ、帰るくらい全然良いんだけれど。私は驚きと同時に、少し嬉しい気持ちもあった。




「ありがとう、じゃあ……帰ろっか。歩いて三十分くらいかかるけれど、本当に大丈夫なの?」


「大丈夫」




 学校から家までは徒歩で歩けるけれど、まぁまぁな距離なのだ。そんな距離を反対方向なのに来てくれるなんて……。なんでだろうと私は思考を巡らせていた。




「とりあえず、校門でようぜ」


「う、うん」




 私は戸惑いながらも、彼の横に並んで歩く。私よりもずっと高い身長が隣で土を踏んでいる。あまり、男の人と並ぶことなんてないから、ちょっと恥ずかしく、戸惑う。


 校門を出ても、私がもこもこでぐるぐるの羊のようなマフラーに口を隠し黙ったまま歩いているので、彼は静かに口を開いた。




「ねぇ、なんで受験しなかったの、大学」




 彼は私にストレートな質問をしてきた。誰も踏み込んで話してこなかった質問をしてきたのだ。私はクラスの誰にも、ハッキリと受験しない理由を言ってはいなかったけれど、智花にだけなんとなくほのめかしてはいたと思う。私の誕生日に想いを伝えて貰うまでは、お互いの本心は心から伝え合えていなかったけれど。でも、学校では、周りの人が、気が付くくらいに自分の事は言ってこなかったから、クラスの皆はあまり私の事情を知らないままだ。あいつ就職するらしいぜ、くらいに不思議に思っているだろう。でも、どうして彼がそんなことを聞いてくるのだろうか。噂の好きな誰かに聞いて来いと頼まれたのだろうか。私がどう言おうか考え、まだ沈黙していると、彼は口を開く。




「富田……頭いいのに。一年生の時からすごいなぁって思ってた。なのに……大学受験しないって聞いてさ……どうしてなのかって……心配してた」


「そんな風に思っていたの?」


「うん」


「ありがとう」




 てっきり、馬鹿にするんだと思っていた。就職なんて逃げているだとか、負け組だとか言ってくるのだと身構えていた。しかし、そんなこととは反対に、私が考えたこともなかった温かい言葉があった。




「だから、その、心配、してた……その、言いたくなかったら……」




 彼は申し訳なさそうに、言葉を選ぶ。そんな彼を見て、私はストレートに話すことにした。




「お金がないの」


「え?」


「うちはお金がないからさ。父子家庭なの、いろいろあるの。高校生になってから、家の現状に気が付いたの」


「ごめん、言いづらい事……」


「いいよ、大丈夫。本当は行きたかったんだよ。でもね、もういいの。働く道も新しくて楽しいかもしれないしそれはそれで楽しみだから」




 彼は言いづらいことをごめんと申し訳なさそうに謝る。気を使わせてしまってこちらこそごめんね。私が謝りたいよ。私は心のなかで彼に伝える。そして、自分の事をこんな風に聞かれたのは初めてかもしれない。皆、私の事なんて興味ないと思っていた。だから、嬉しい気持ちもあった。




「でも、本当は行きたかったんだろ?奨学金とかあったじゃん……」


「働いたほうが家庭は楽になるからね」


「そっか……」




 彼は話を続けてくれるが、こんな重い話で本当にごめんと、私は心の中で圭太君に何度も謝る。卒業をして、新しい希望に向けて歩く気持ちになりたいと思うのに、重く暗いお話で本当にごめんなさい。




「でも、諦めんなよ」


「え?」


「まだ終わりじゃねーぞ。大人になって働いて、お金貯めてからだって行けるから」


「そう……かな」


「そうだよ、二年生になってから、暗い顔ばっかしてる富田見てたよ。心配してた」


「えっ……ありがと……」


「もう人生終わりみたいな顔すんなよ。勉強が大好きな富田知ってるから、応援してる」


「え、あ、ありがと」




 彼の言葉で私はそんなにも絶望した顔をしてしまっていたのかと、恥ずかしくなる。一年生の時は勉強について、二人で語り合っていたけれど、二年生になってからは、ぱたりと無くなった。私が本気で勉強をしなくなったからだ。だから、彼は心配してくれていたのだろうか。そう考えて、顔をほのかに赤くしていると、彼はスマートホンをポケットから取り出し見せる。




「富田、連絡先教えて」


「あ、うん。いいよ。スマホの画面出せばいい?」


「うん、これで登録して。俺のスマホの画面のコードかざしてよ」




 彼が画面を出すと、私はそれを読み取った。圭太君が好きそうな、分厚い本のアイコンが出てきた。休み時間に圭太君が読んでいそうな本のアイコンを私は友達に追加する。




「何かあったら連絡しろよ、相談とか……乗るからさ……」


「ありがと」




 私は初めて、圭太君が私の事を気にかけていてくれたことを知った。受験をしない私は除け者で、勝手に皆の輪の中から外れてしまっているのだと思ってしまっていた。本当の事を言うのも恥ずかしくって、馬鹿にされるのが怖くて、周りから逃げてしまっていた。勉強が嫌いになってしまったなんて、嘘もついた。




「あのさ、俺は富田の夢、諦めていないから」




 そして、だいぶ歩いたところで、突然、圭太君は変なことを言い始めた。一体どういうことだろうか。




「夢?私の?」


「そうだよ、あるでしょ?一年生の時教えてくれたじゃん」


「うん、言ったかも。カウンセラー……もう、夢じゃないけど……今の夢はバリバリ仕事できる女性になること」


「そうか?本当にもう夢じゃないのか?沢山の人を助けるために、多くの知識を学びたいって言ってたよね?一年生の時の富田の言っていた、皆が前に進めるように生きる手助けをしたいって言葉に俺は感動したんだよ」




「だから、俺は諦めないから」




 彼は一体、私に何を言っているのだろうか。私の夢を諦めないって……。勝手に何を言っているんだろうか。彼の言葉は、不思議な魔法がかかったように、温かく、私の冷えていた心を柔らかく包んでいた。そして、気が付けば、もう私たちは富田家の目の前に着いていた。




「あ、もう家……ここだから……」


「ここなんだ。じゃあ……またな」


「頑張ってね、大学」


「ありがとう」




 センター試験を勝ち抜き、春から大学生の圭太君は、さよならと手を振って去っていく。長い脚で歩く彼は、すぐに小さくなっていった。しかし、遠くなる彼の大きな背中を見ると、何故だか安心できる気持ちになった。そして、私の目には今日初めての、温かい涙が溜まっていた。




「ありがとう、圭太君」




 小さくなりながら離れていく、彼の力強い背中が、私の心を蘇らせてくれていた。

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