第19話 妹と雅ヶ丘さんはなでなでが好き

 僕はクラスメイトの下着を見て気絶した。

 それは自分でもわかっている。

 そんな変態な男と勉強なんかしたくないよね……。


 意識がだんだんと覚醒していく中、一人でそんなことを思ってしまっていた。

 思っていたのに……。


 後頭部に柔らかい感触が走る。

 なんだろう、枕か? いや、感触が全然違う。

 それに少しぬくもりを感じる。


 仰向けで寝ているのか、重い瞼を上げると視界の隅に天井が見えた。

 ん? 視界の隅に天井……?

 じゃあこの目の前にある横に突出したのは……。


「あ、起きたんですか?」


 上から雅ヶ丘さんが僕を覗いてきた。

 それですべてを悟った。

 僕は今膝枕というものを体験している。

 そしてあの視界を塞いでいる横に突出するものは、雅ヶ丘さんの胸部だ。


「……僕、なんで雅ヶ丘さんに膝枕されてるのかな?」


「先ほどまでは楓が膝枕をしていましたのよ?」


「そ、そうなんだ……それより今、楓って」


「ええ。話していたら仲良くなって」


「それはよかった。けどなんでさっきはその……し、下着だったの?」


「それは成り行きと言いますか……」


 雅ヶ丘さんは顔を若干赤く染め、なぜか唇をぷるぷると震わせていた。


「言いたくないならいいよ。僕も脱衣所に女性がいるのにノックもしないで入ったことも悪いし」

「北川君は怒っていないのですか……?」


 僕が怒っている? 一体どういうことだ? 


 僕が怒る要素なんて自分でも見当たらない。


「なんでそう思うの?」

「せっかく勉強を教えてくれていたのに、こんなことに貴重な時間を割いてしまって……」


 なんだそう言うことか。

 雅ヶ丘さんって怖いところもあるけど、少し臆病な一面もあってなぜか恐怖心を抱いてしまっていても放っておけなくなってしまう。


 最近は怖い部分も見なくなってきたし。

 最近怖いのは雅ヶ丘さんより僕の妹だ。

 一体彼女は誰のせいであんな風になってしまったのだろう。


「そう言えば楓はどこ?」


「コンビニに猛スピードで向かっていきましたよ?」


「コンビニに……? それはまたどうして」


「楓も楓なりに少し反省している部分もあるみたいです。私がしっかり先ほどの誤解も解いておきましたし。まあ、私の勉強の成績が芳しくないことはバレてしまいましたけど」


「そうなんだ。楓が……」


「私は北川君の妹にあまり隠し事はしたくないですし」


 そう言って僕の頭を優しく撫でる。

 普段とは真逆の立場。

 いつもなら僕が雅ヶ丘さんを撫でるのに、今回は違う。


 彼女の綺麗な骨組みの柔らかい手が、冷たく感じる。

 ただ撫でられてもらっているだけなのにすごい心が落ち着く。


 雅ヶ丘さんがなんであんなに、なでなでをせがんでくるのか少しわかった気がする。


「北川君、私はあなたに感謝しています。こんな私に世話を焼いてくれることに」


「こんな私じゃないよ。雅ヶ丘さんはすごく素敵だと思う」


「――う、そ、そうですか。でもそれはあなたも同じですよ」


「僕が……?」


「私は優しくて頼りがいのある北川君を素敵だなって思っています。……ねえ、北川君」


「は、はい」


「心君って呼んでもいいですか?」


「も、もちろん」


「ありがとうございます!」


 なんでこんなに嬉しそうなんだろう。

 彼女はそこまでコミュニケーション能力は高くないと思っていた。だけど今の一連な流れ、確実にコミュニケーション能力が不足している人にはできない。


 もしかして彼女は一人ぼっちが好きなのか?  それとも今のはまぐれなのか。

 このたった数分の時間で、すごく距離が縮まった気がした。

 こんな情けない僕を素敵と言ってくれる人がいるんだ。

 人の役に立つことができると、こんな嬉しい言葉をもらえるんだ。


 それは決して言った本人はそこまで思っていないと思うが、言われた本人はずっと心に残るだろう。


 ガチャリッ

 下の方からドアが開く音がした。

 楓が帰ってきたのだろう。


 今日の事はすべて水に流そう。

 倒れた僕を心配してわざわざコンビニまでこの暑い中行ってくれたんだから、逆に礼を言うべきだ。


 トコトコと軽い足取りで階段を上ってくる音が聞こえる。

 普段の荒い登り方じゃなくて、まだ寝ているかもしれない僕を気遣っての慎重な登り方。

 それだけでも十分、反省していることがわかる。


 妹ながら、自分とは大違いと思ってしまった。

 楓はドアをノックし、ドア越しに雅ヶ丘さんに尋ねた。


「あ、あの……琴葉さん。兄さん起きてる?」

「ええ。起きてるわよ」


 部屋の扉を開けてひょこっと顔一つ覗かせてきた。


「あの、兄さん。……ごめんなさい」


「大丈夫、気にしてないよ」


 楓に近づいて、優しく頭を撫でてあげた。


「そ、そっか。ありがとう」


「でも、テストが終わるまではもう邪魔しちゃだめだよ?」


「わかった。じゃあテストが終わったら琴葉さんと兄さんとお出かけしたい!」


「え⁉ ぼ、僕はいいけど……」


 後ろにいる雅ヶ丘さんを見ると、彼女はとても嬉しそうに

「はい! 是非行きましょう!」

 そう言った。


「やったーっ! じゃあ兄さんも琴葉さんも頑張ってね」


「うん。楓も勉強しておくんだぞ?」


「はーい」


 すると妹は部屋の扉を閉め、自室に帰っていった。


「今日はあと少ししかないけど、勉強する?」


「はい。テストでいい点を取って、すっきりした状態でみんなと遊びたいので!」


「そっか。じゃあ勉強するよ」


 それから一週間、僕がどれだけ朝早く学校へ向かっても、どれだけ遅く帰宅しようと、楓は不機嫌にならなかった。

 その代わり毎日なでなでを要求されるようになったが……。


 そして僕たちは、とうとうテスト前日を迎えた。

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