第3話 決めたこと

「つまりここの場合は余弦定理を使用し――」


 東澤先生が長い物差しを黒板に軽く打ち付けながら授業をしている。


 みんなの足を引っ張らないように全教科完璧に勉強しておいてよかった。

 この部分も完璧にわかる。


 辺りを見渡すが、女子は割と集中して授業を受けているが、男子がほとんど寝ている。


 真もしっかり爆睡していた。

 もちろん熱血教師の東澤先生は絶対に見逃さないわけで――。


 バチンッ


「起きろ!」

 ……っと。このように寝ている生徒に怒号を放つ。


 僕は早めに問題を解いてしまったので今は今までの授業のノートを写している。


 それにしてもこの雅ヶ丘さんのノート、すごく綺麗だ。 

 しっかり細かい部分をチェックし、間違いやすいところにマーカーをしている。


 付箋で単元ごとに印もつけられていて、とてもスムーズに模写できた。


 ふと、隣を見ると何やら怪訝な表情で黒板を凝視している。


 どうしたのだろう。


 休み時間の時の凛とした雰囲気はなかった。


 もしかして問題に手こずっているのかな?


 そっと彼女の方を一瞥する。


 予備のノートで問題を解く彼女。

 そのノートを見るが、そこには問題は書いてあっても、答えは書かれていなかった。


 しかし何度も途中式の跡が見える。

 僕は雅ヶ丘さんにそっとアドバイスを出すことにした。


 余計なお世話だと思われるかもしれないが、自分がわかってるのに教えないなんて無責任なことはしたくない。


 ノートのお礼もあるし。


「あのー雅ヶ丘さん。そこは第二余弦定理を使うんだよ。それに公式に当てはめてる数字がずれてるから、根底から直さなきゃできないと思うよ?」


「……つまりこういうことです?」

「そう。それで計算すれば答えが出るよ」


 言われた通りに問題を解くと、彼女の顔はパアッと輝いた。


「すごい……。私がどれだけ考えても解けなかった問題が一瞬で……」


 よかった。役に立てたみたいだ。


「じゃ、じゃあここもわかりますか?」

「そこは――」



 この様に授業の間、僕は彼女に質問攻めにあった。




 授業終了五分前。


「そろそろ時間だな……よし、じゃあこの問題解ける奴はいるか? いたら褒めてやる」


 生徒を完全に煽っている。


 物差しを肩に打ち付けながら、口角を上げている。



 この程度の問題なら一分もかからないと思うけど……。


 何か落とし穴があるのかな?


 一応問題を解いて、他に何か罠がないか探し始める。


 先生が悠々と歩いて、生徒の回答を見渡す。


「お、流石の上野かみののも手を焼いているみたいだな」


 上野さんか……。少し大人しめの性格だけど確か全国模試で十位以内に入っただとか。

 そんなすごい人がまだ解けていないなら、やはり罠があるのだろう。


 東澤先生が後ろの僕の席まで来た。


「心も流石に……え⁉」


 あの先生からは到底想像できない女々しい声が、クラス中に響いた。


 先生は顔を赤らめ、一息ついて持ち直した。


「心の解答……正解だ。完璧に合ってる」


「本当ですか?」


「ああ。どうしてわかった?」


「普通に計算しただけですけど……」


 先生は『一体何者なんだ……』と呟いて、教壇に戻っていった。


 なんか、すごい罪悪感を感じる。


「もしかして北川君、あの問題を解いたのですか?」


「ええ。運よく解くことができました」



「やっぱりすごいですね。今度勉強を私に教えてくれませんか?」


「もちろんいいですよ」


 困っている人を助けられるなら、それを断る理由はない。


「ちなみに編入試験は点数開示しました?」


「はい。満点でした」


「もしかして全教科満点ですか⁉」


「はい。相性が良かったみたいです」


 目を皿のように丸くした雅ヶ丘は僕を羨望の眼差しで見つめた。


 頭がいいと思われているみたいだけど、決してそう言うわけではない。


 ただ、必死に勉強を一カ月の間していただけ。


 勉強は努力すればするほど結果が出る。


 前世のようにどれだけ努力しても結果が着いてこない冒険者に比べれば、比較するまでもなく容易。


 頭がいいというよりは、ただ単に勉強ができるという小さな枠に入るだけ。


 それを取り柄というのなら、僕の知識が役に立つのなら、それを共有しない手はない。


「雅ヶ丘さんは五教科のうちどれが一番苦手なんですか?」


「………………」

 あれ、黙りこくってしまった。


 マズいことを聞いてしまったか?


「あ、あのー。答えたくなければ別に……」


「……ぶ」


「ごめん。ちょっと聞き取れなかったので」


「全部! 全部ですよ、ぜ・ん・ぶ!」


「ちょっと急にどうしたんですか?」


「幻滅したでしょう? こんなに秀才ですオーラ醸し出しといて学年最下位だなんて」


「学年最下位……⁉」


「ちょっと声が大きいです! このことはこのクラスの中では知られてないんです」

「……す、すいません」


 勉強が苦手なんだ。

 誰にでも得意不得意は存在する。


 それに彼女は秀才と思ってしまっていた自分もいる。


 勝手に自分の幻想を抱いてしまっていた。


「ならこうしましょう。次のテストで学年の中堅辺りまで行けるように僕が勉強を教えます。もし行かなかったら何でも言うことを聞きます。なのでもしその目標を達成できたら自分は人より頭脳が劣ってるなんて思わないでください」


「……それ、本気で言ってるんですか? どうしてそこまで」


「困ってる人は放っておけない性格なので」


 それに僕が少しヒントを与えただけで普通の問題は難なく解けていた。


 時間はかかるだろうが、きっとその目標は不可能ではない。


 僕はこの世界で、今度は自分が他人を救おうと決めたのだった。

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