第81話 離さない

 あれが最後かもしれないと危惧していたのだ。

 ヴァンとたくさん話をしたい。

 

 リアの笑顔をみて、彼は穏やかに微笑む。


「オレはジークハルト・ギールッツとして生きていくことになる。だからその呼びかたでいいが、パウル、と昔のようにたまには呼んでくれないかな」

「……え?」


 リアは瞬いて、彼を仰ぐ。

 ジークハルトはリアの背に手を回し、壊れ物を抱くように、胸の中に包み込んだ。

 

 リアは一つの予感に、とくん、と心臓が跳ねた。


「ここに戻るまでに少しずつ……今は全て。思い出したんだ。君と過ごした日々を。君は、オレを想っていてくれていた……」


 リアは呆然と目の前のひとを見つめた。

 熱く、慈しみ深い綺麗な眼差し。切々と深く輝く瞳。


「……パウル……?」


 リアは震える声を喉から押し出した。

 ジークハルトは哀しげに瞳を伏せる。


「オレは、記憶を取り戻しても、双子の兄の記憶を植え付けられた。だから君の知っているパウルとは違って歪だ──」

「歪なんかじゃ……!」

 

 彼はリアを強く抱き寄せる。


「子供の頃も、君のことを想っていた。君が作ってくれた花の冠を、イザークとどちらが手に入れるかで、真剣に勝負した」


 彼はリアの頬に掌を添えた。


「リアの明るい笑顔も、利発なところも、怒った可愛い顔も、思いやりのある心も全部好きだった。君は、昔オレが思ったとおりに、成長したよ。美しく、優しく凛と」


 彼は愛おしむように、リアに触れる。


「子供のころ、君に結婚してほしいと言ったね」


 リアは頷く。


「そのときオレは、君を守りたいと強く思った。他の誰にも君を取られたくなかった。イザークと帰ろうとするのに気が急き、送っていき求婚した」


 彼の瞳には愛情が溢れていた。


「好きだ、リア。今までもこれからも、ずっと。君のことが好きだ」


 リアは涙で目の前がぼやけた。

 あたたたかなものが胸の内にこみあげる。

 嗚咽を零して、彼にしがみついた。


「好き。あなたが好き……」


 ジークハルトは精悍な頬を傾け、リアの唇に己のそれでそっと触れた。

 優しい口づけは徐々に情熱的なものに変わる。

 眩暈を覚えながら、そのキスを受けた。

 

 長い口づけを解き、二人は傍で見つめ合った。


「……父には悪いが、父が君の母親と結ばれなくてよかった。でなければ、オレ達は出会えなかったから」

「ええ……」 

 

 リアは俯いた。


「……私……ずっと、あなたに謝りたくて……。あなたの前の世で、わたしはあなたを傷つけ…………あなた以外のひとと……」


 リアには、その生の記憶はない。

 けれど事実を知り、ずっと彼に罪悪感と申し訳なさを抱いていた。

 彼はリアの涙を長い指先で拭う。


「リアは何も悪くないよ。謝ることはない。君はオレの前の生については知らない。知らなくていいんだ。話さないほうがよかったと後悔している。全部オレが悪い」


 リアはかぶりを振る。


「私……」

「全てはオレの責任だ。君を傷つけ、信じず、理解してあげられなかった。オレの度量のなさが原因だ。すまなかった。君に辛い思いをさせた……。許してほしい」

 

 彼はリアを逞しい胸にかき抱く。

 

 ──本当はずっと怖かった。婚約破棄されるのが。

 

 彼に対しても、自身の気持ちに対しても素直になれず、無意識にずっと、感情を心の奥にしまいこんできた。

 

 リアはジークハルトの腕の中で子供のように泣きじゃくった。

 彼はずっとリアを抱きしめてくれていた。


「あなたを愛してる……」


 くるおしいほど、彼が好きだ。


「君を愛している。オレは君をもう決して離さない」

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