第41話 もし、知らずにいたら

「……え?」

「花火より、君のほうが美しい」


 視線が熱く交わり、リアはどきりとする。


(彼の……セルリアンブルーの瞳のほうが美しいわ)

 

 花火を受け、煌めいている。ジークハルトはベンチの背に手をかけ、頬を傾けた。

 端正な顔が近づいてきて、リアはじりっと後ろに下がる。

 ジークハルトは間近で動きを止めた。

 双眸がくっと屈折する。


「オレと口づけるのは嫌か」


 リアは婚約破棄が脳裏を過るので、彼とキスなんてできない。


(この場面も……覚えていないわ。記憶にないのは忘れているだけ? もし前世でもあったのだとすれば、私はそのときどうしたの?)


 彼は嘲るように唇を歪めて笑う。


「それほど、嫌か」


 そう言ってジークハルトはリアから手を離した。


「ならいい。無理強いする気はない」 

 

 彼は正面に向き直る。

 リアは落ち着かないまま、花火に視線を戻した。


(ジークハルト様を嫌なわけじゃないわ……)


 もし前世の婚約破棄のことを知らずにいたら……。

 そうだったとしたら、自分はどんな行動をとっただろうか。

 

 リアが一人悩んでいると、隣に座るジークハルトのほうから呻き声がした。


「…………」


 花火の音でよくわからないが、確かに聞こえた。

 そろそろと彼のほうを見る。すると彼は俯いていた。


「……ジークハルト様……どうなさったのですか」

「……なんでもない」



 彼はそう言うが、こめかみに汗が滴り、呼吸がしづらそうだ。

 リアはベンチからおり、彼の背に手を置いた。


「ジークハルト様、体調が……」

 

 きっと良くないのだ。しかし、彼は笑んでみせる。


「オレのことを、嫌いなのに、心配はするのか?」

「心配します。それに、あなたを嫌いではありません」

 

 婚約破棄されるとしても。嫌いにはなれない。

 パウルが大人になったら、きっと今の彼のような姿になっていただろう。ジークハルトが苦しんでいると、パウルが亡くなったことを思い、怖くなる。

 

 リアは具合の悪い彼をベンチに横たえさせた。


「すぐに医師を呼んでまいりますわ」


 階下にローレンツが控えているから、彼に頼むか、もしいなければ自ら宮廷医師を連れてこよう。


 するとジークハルトがリアの手首を掴んで、離れようとするのを止めた。


「行くな」

「ジークハルト様」

「ここにいろ。どこにも行くんじゃない」


 懇願するような声だ。


「ですがお加減が……」


 彼はもう片方の手で目元を覆った。


「平気だ。たまにこうなる。ただの頭痛だ、すぐ良くなる。たぶん魔力によるものだ」

 

 彼の魔力は『明』寄りだから、『暗』寄りよりはマシなはずだが、それでも、『星』魔力は、他の術者より身に負担がかかる。

 心配だし、すぐに医師を呼びに行きたいが、彼はリアの手を掴んだままだ。

 リアはその場に屈んだ。


「いつもは、どれくらいで良くなるのですか? 本当に大丈夫なのですか」


 彼は自分の顔に置いた手を動かす。


「……大丈夫じゃないと言えば、本に書かれていたことを君はするのか? しないだろう」

「それは……」


 彼はふっと笑う。


「いい、それで。君はオレを嫌っているのだから」

「違います。嫌っていません」

「ならなぜ、オレを避ける?」

「……避けてなどおりませんわ」

「オレには、君はオレを避けているようにしかみえないが」

「そんなことは……」


 ただ覚悟をもっている。彼と別れると。

 話している間にも、彼の顔色は良くなるどころか悪くなっていた。


「ジークハルト様……」


 リアはこくんと息を呑む。

 彼を放ってはおけない。


「ジークハルト様は、私と唇を合わせることに抵抗はないのですか」

「あるわけがないだろう」

 

 リアは自らを落ち着かせ、彼の胸に手を置いた。

 近づいて、彼の唇に唇を重ねようとすると、彼は目を見開いた。

 

 これは体調回復の為で、キスではない。

 リアはそう自分に言い聞かせる。

 

 しかし、初めて唇を合わせることに、どうしても動揺する。

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