第42話 眠れない

「──いい。やめろ」


 彼はリアの頬を掌で包み、止めた。


「する必要はない。体調はすぐに良くなると言っただろう?」


 彼の瞳は艶を帯び光っていた。


「君にそんなことをされれば、抑えきれない」


 彼はリアの唇を親指でなぞった。身に甘い痺れが走る。

 彼は苦しげに囁いた。


「唇を合わせるだけですまなくなる」

「でも本には……」

「オレは治療とは思えないのだ。ただのキスとしか。きっとオレは君を──」

「ジークハルト様……」


 彼の双眸は甘く濡れていた。


「君に口づけられれば、オレは──。……オレに何をされても君はいいのか?」


 吐息の触れる距離で彼は尋ねる。

 彼の眼差しはまるで肉食獣のそれだ。リアは本能的に危険を感じたが、放っておけない。


「……いたします」


 赤くなって彼の固い胸板に手を置いて答えれば、彼も目尻を染め、リアの両肩に手をかけた。


「だから駄目だ……」


 彼の呼吸は早く浅くなっている。


「そんなことをせずとも、すぐ治る。もうよくなってきている」

「呼吸が整っておりません」

「これは……」

 

 リアが顔を近づければ、ジークハルトはリアの肩に置いている手を緩めた。

 その手を彼はリアの後頭部に回し、撫で、髪に指を埋めるが、はっとしたように動きを止める。


「本当に駄目だ……!」


 リアは一旦、後ろに身を引いた。


「……ジークハルト様が、私と唇を合わせるのを嫌がってらっしゃるようですわ」


 ジークハルトはリアを睨んだ。


「それは君だ。オレがさっきキスをしようとしたら、避けたではないか」

「それとこれとは全く別です」

「口づける行為に変わりはない。オレは今キスをしたら……」


 彼は小さな声で呟き、恥じるように目を伏せる。


「──とにかく、もうこんなことをしようとしないでくれるか。オレの体調を気にかけることはない。それに良くなった」


 確かに彼の顔色は先程よりもよくなっているようにみえた。花火はいつの間にか終わっている。


「……降りよう」

「はい」


 リアは身を起こしたジークハルトと階段を降りた。

 彼の足取りはちゃんとしていて、リアは安心する。

 体調を快復するためのもので、キスではないとリアは思ったが、彼はキスだと言った。

 結局唇は合わせなかったが、彼とそうすることに対し、リアは抵抗を感じなかった。


(前世で今日のようなことなかった……)




 大広間でジークハルトと別れ、リアは公爵と共に帰ることになった。


「……お父様、庭園で私、耳飾りを落としてしまったようで。探してまいります」

「従僕に頼めばいい」

「どこに落としたか大体わかっておりますの。人に説明するより、行ったほうが早いですわ。すぐ戻ります。申し訳ありませんが馬車でお待ちいただけないでしょうか」


 公爵は嘆息して頷いた。


 リアは大広間を素早く横切る。

 すると視界の端に、イザークの妹メラニーとジークハルトが会話しているのが見えた。彼女はジークハルトの袖にさりげなく触れている。

 

 胸がずきりと軋む。

 あの二人が今後婚約すると知っているというのに。

 リアは二人からも、自分のよくわからない感情からも目を逸らせると、庭園に向かった。

 


 先程魔物と別れたあたりに行くと、可愛い竜がリアがくるのを待っていた。


(よかった、いたわ……)


 もしかすると夢だったのではと危ぶんでいたのだ。 

 リアは大好きな魔物を見て、心が癒された。


「ヴァン、遅くなってごめんなさい。一緒に帰りましょう」

「うん」


 ヴァンの身体はさらに小さくなった。

 他の人にはみえないので、不自然に思われないようにヴァンを抱えて移動し、父の待つ馬車の中へと入る。

 

 リアはヴァンを膝の上において、遠ざかる皇宮を窓から眺めた。


(色々なことがあった一日だったわ)


 きっと今夜は眠れない。

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