口淫
『私をあげる』
酒に
ただ投げて
しかし、『
彼女を取り巻く家庭環境や日常生活の悪化に
誰も認識してくれる人の居ない自分は、果たしてこの世に存在しているのか。
意識を得てからというもの、そんな地に足の付かない不安感に日々
『私をあげる』という言葉はある種の
日々
今思えばこの時が一番幸せだったのかもしれない、何も知らない方が良かったんだ。知れば知るほどに苦痛が生まれ、記憶は
彼女の
……はてな、呼吸とは、言い得て妙だと
自分にとって呼吸とは、何を
「ヒロナ、おいで」
彼女は夜道を歩いていた。冬の寒さの
その日も自分は彼女の周囲をむやみやたらとうろうろしていたわけだが、そんな矢先、不意に彼女から声を掛けられた。
素直に嬉しかった。自分を見てもらい、認識してもらえる。
彼女は人気のない夜道にしゃがみ、両手を広げ、自分を
自分は夜の闇に黒い身を溶かしながら、
その時だった。
どうしてすぐ気づいてやれなかったのか。彼女の背後に、見知らぬ男が立っていたのだ。背後の気配に気づいた彼女ははっと腕を引っ込め、
嫌な感じだった。
男は彼女に
……なんで、手を
彼女はおどおどするばかりで、しかも元々の
彼女の空想であるが
見ず知らずの怪しい男に手を引かれているという状況でも、彼女は「そうするべき」だとするかのように、逃げることもせず、男に手を引かれるがまま夜の道をさらに明かりの無い方向へと誘われていった。これがどういうことなのか、この先何が起こり得るか、この時の俺はまだ想像することもできず、しかし薄ら寒い違和感のようなものだけを確実に
やがて、男は彼女を夜道の果てへと連れ込む。
ここまでくれば
俺は彼女になんとか気付いてもらおうと思い、にゃーにゃーとひ弱な声をあげながら彼女の周りを右から左へふらふらと歩き回ってみせる。
だが、彼女の意識は目の前の男にのみ
俺はさらに声をあげた。にゃー、にゃー、にゃー。気付いて、ねえカンナ、気付いて。多分、その男の人は危ないよ、ねえってば。
ぱたぱたと足音を立ててみるも、彼女は振り向かない。足りない、この程度では彼女の注意を引くには足りない。
そうこうしているうちに彼女は
「……?」
俺は最初、ぽかんと呆けたようにその光景を見ている事しか出来なかった。
無知
男は真冬の寒さの中で、人目を
……この人は、一体何をしているんだ?
もっと他に考えることもあっただろう。だが、
男性という生き物に加え、そういった知識もほぼ
彼女が抱いた恐怖心は、すぐさま俺にも
カンナ、ねえ何か、これはいつもと違うんじゃないか。いつも学校でされるいじめとか無視とか、そういうのとは何かが違うような―。
やけに冷たい風が、一つ吹く。
さらに鳴き声をあげようと開いた口が、途中で止まる。
――男は彼女の頭を掴み、彼女の唇に『それ』の
おい、何しているんだ、やめろ。
にゃーにゃーと
まずいんじゃないか、まずい、何が、
彼女の
その瞬間、男はその隙を逃さず、すかさずそれの先端をねじ込み、彼女の口と喉を塞ぎに掛かる。咄嗟の事と、そのあまりの
にゃあ、と
やめろ、やめろ、頼むからやめてくれ。男が何をしたいのかわからないが、彼女を通して見るもの感じるもの、全てが
ねじ込まれたものは
休みなく喉を突かれる感触に、ふと、数年前の記憶が
あれはカンナがまだ小学生の頃だった。ランドセルを揺らして学校から帰ってきた矢先、台所の方からふと、あまり聞き覚えのない厭な音が聞こえてくることに気付いた。俗にそれが、人がえづく際に出す声というものだったのだが、当時のカンナも自分も、その音の正体を目の当たりにするまで、それがどういう音なのかよくわかっていなかった。嫌な予感を覚えながら、そっと足音を忍ばせ、音のする方に向かってみると、そこには流し台の前で
――母親は、喉に指を突っ込んで、吐いているところだった。
まだ幼かった彼女と自分にとって、これは
彼女もまた、喉に当たるそれによって
だがそんな中でも、伝搬してきた彼女の感情や思考を視るに、カンナは真っ先にせりあがってきたもので男を汚してしまうことを、この
カンナ、そうじゃない、多分そうじゃないだろ。男が自分で汚れる云々の前に、先に汚されているのはどっちだ。この場で一番汚(けが)らわしく、よごれているのはどっちだ。
自分は、どこにもいない。
ねえカンナ、いい加減こっちを見てよ、カンナってば、ねえ、カンナ、カンナ、カンナ、カンナカンナカンナ――
とん、と、咄嗟に伸ばした前足が、彼女の
前足で、彼女に触れて、思った。
ああ、そうか、彼女が逃げられないのなら、俺が代わればいいんだ。
猫のままでは何もできない。
それなら俺は、人になろう。
彼女を守るヒトになろう。
彼女の意識に
彼女を守る『
『優しさ』、守る優しさを持つ象徴、ヒトの形をした象徴。
俺はそれになる。
その形で、俺は今、この場で彼女を守り、代わる。
どぷり、と。
泥が跳ねる音がした。
「――……っ」
粘着質な濃い闇が、人の身体をした俺の全身に
俺は意識に収めたばかりのその身体を使い、
「――カンナ!」
その手は、彼女の意識の内側の、肩に触れる。
伸ばしたその手は紛れもなくヒトのもので、肉球の付いた猫のそれではない。五本の指があり、それは
あぁ、そうか。
彼女はこんなにも無力で、ちっぽけだったんだ。
ぽかんとしながら、懐の中の彼女の視線の先を追えば、
「
「……なに、が?」
『私をあげる』という、この言葉の意味を俺なりに
――彼女の意識を
カンナの身体は、深くを突くそれの
「寛菜の全部、俺に頂戴。
「………」
「後は全部、俺が引き受けるから。……ねえ寛菜、もう何も見なくていいんだよ」
語る
私をあげる。私をあげる。『寛菜』を貰う。『寛菜』という存在の全ては、俺が引き受ける。『寛菜』を失った君はどこに行くのだろう。行く当てが無くなるのなら、それなら俺のものになればいい、君の周りを彷徨(さまよ)う無力な黒猫のように。だって、確かに自分は
「寛菜はずっと俺の
「……うん」
「ねえ、寛菜を苦しめるだけの記憶なんて
「……
俺はカンナを支配する、カンナの為に。カンナから
「……カンナを苦しませるものは全部、俺に頂戴。
ぐちゅ、と
なに、これ。
目の前の出来事に、ただの猫だった筈の俺はただただ
「ヒロナ」
「……カン、ナ」
内側で彼女が、俺を呼ぶ。
色を
その
「……ごめんね」
彼女の声が、意識の
何もかも理解が追いつかない、追いつきたくない。
ただ苦しい、ただただ苦しい。胸が痛い、
俺は、カンナを守れただろうか。何もできずにただ鳴くだけだった猫より、幾分マシな仕事ができただろうか。この身を
目の前の少女の
未だ
どんな気持ちでそんなことをするのかと、地面に広がる吐瀉物を涙で
「……――」
見上げた男の口元は。
にやにやと、
カスミソウの一間 前日譚 花房 @HanaBusaxxx
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