第九話〈ライトピア展望台〉変わった魔法
「見なさい。これはサイン、あなたたちのいう魔法陣の最も基本的な形よ」
フィリジアは地面に五芒星を描くと、こちらを向き直して言った。
「ただ、これだけでは魔法は使えないわ。属性の設定から、魔法の性能、呪文の短略化に至るまで、あらゆる条件を追加しなければならないからよ」
「呪文の短略化?それってできることなの?」
エレナは驚いたような声を上げる。
「どういう意味だ?」
「いや、私は魔法使いと戦う時は、詠唱中を狙えって教えられたから」
「昔なら、そうだったかもしれない。でも、我々も進化した、つまりはそういうことよ」
フィリジアは鼻を鳴らす。
確かに、明確な隙である詠唱時間を短縮できれば、実質的な欠点は消える。
もちろん他にも弱点はあるし、いかなる時でも神は平等だ。そもそもの戦力には差が出ないはず、だ。
「何よ、喜びなさい。自分たちの利点でもある訳なのよ」
それでも、エレナの表情は変わらなかった。
「確かにそうでしょうけど、私は今から魔法を学ぶのよ?魔王軍の魔法使いに勝てるとはとても思えないわ」
「当たり前でしょ」
エレナの悲観的な意見に、フィリジアはニヤつきながら同意する。
「あなたのような新米の中の新米に魔王軍が劣るもんですか。勘違いしちゃいけないわ、あなたはあくまで剣士よ」
「あくまで剣士?」
「そう、あなたは生粋の剣士。勇者、人類の希望が、魔法を使い出したなんて知れたら、人々はどう思うのでしょうね?」
フィリジアもなかなか意地の悪いことを言う。しかし、エレナはその言葉を乗り越えなければならない。彼女がこの戦いを勝ち抜くために、守りたいものを守り抜くために。
「それは、今考えても仕方のないこと。私は勝つためならなんでもするわ。それがアン様、いえ私の信条よ」
「そう、理由はなんでもいいけど、覚悟ができているなら結構。このサインを触りなさい」
エレナは黙って膝をつき、左手を前に出す。その手が五芒星に触れた時、青い光が輝いた。
さらに驚いたのは、その五芒星が変形したことだ。サインはまさに星空のように光を散りばめた。
その星は数え切れないほどの数があり、それぞれがあらゆる光を放っていた。見ていて心の温まるような色もあれば、吸い込まれるような不気味な色もあった。
しかし、それらが光ったのも束の間。数多の光は消えていき、消えていき——そして最後の一つだけが残った。
「ふーん、
フィリジアは面白く無さそうな顔をして言った。
「どういう魔法なの?」
「さあ?実例が少ないからあんまりわかっていないけど、一般的にプレイ、つまり祈祷は、神に力を貸してもらう魔法、とされているわ」
フィリジアは自分でやってみせた。両手を合わせて祈ると、彼女の周りの植物が光り始め、数秒後、彼女を包み込むアーチができた。
「私には信仰心なんてないけれど、種族的に神に愛されているから、これくらいのことはできるかしら。ほかにもちょっとした身体強化ができる場合もあるわ」
「場合がある?どういうこと?魔法の効果は変わらないんじゃないの?」
エレナは首を傾げる。彼女が思うことはわかる。俺も初めて聞いた魔法だ。
「そう、それがこの魔法が『よくわからない』と評価される理由なの。この魔法は使う人によって、さらには使う場面によって、効果が変わるとされているの」
「ええ!?そんな魔法があるの?」
俺は、そのいたずらな魔法の考案者は、おそらくアンだろうと思った。対策の仕様がない、ある意味運の絡んだ魔法だ。自分にとっても敵にとっても厄介な、彼女の好きそうな魔法だ。
「あなたを貶める訳じゃないけど、私は嫌いな魔法よ。運命に従うということは、神に従うのと同じだもの」
なるほど、フィリジアは筋金入りの神嫌いなようだ。何か原因があるのだろうが、それはともかく、俺は悪くないんじゃないかと思った。戦略になり得るなら、喜ばしいことだ。
「そうかしら、私は好きよ。神に従うのは当たり前のこと、その運命が嫌なら、運命を変えてもらえるように願えば良いのよ」
「私の話、聞いていたのかしら。これは神の気まぐれを体現している魔法と言っても良い、こんな魔法を配っている時点で、一人一人の人生なんて、まともに考えられているわけが無いでしょう」
話がヒートアップしてきた。まあ、片や神の巫女とも言える勇者、片や無神論者なら、そうもなるだろう。このために俺がいるのだが。
「まあまあ、フィリジア、プレイで出る魔法は本当に不確定なのか?なにか条件や規則性はないのか?」
「ない・・・と言いたいところだけど、わからないとしか言いようがないわね。魔法使いの疎まれる社会になってからは、こちら側にあった魔導書はもうほとんど残っていないし、そんな世の中でこんな魔法を研究するような暇人もいないから。」
昔はあったのかもしれない、か。ただ、それはあり得ないだろう。さっきも言った通り、これはおそらくアンの考えた魔法だ。なら、ほんの最近できた魔法だろうからな。
さて、情報の無い魔法、一体これをどう捉えるかだが——。
「私は、この魔法に賭けるよ。できることは全てして、この魔法を知る。それが、きっと私の運命だから」
エレナは決心したように拳を握り締めて言った。フィリジアは呆れたように空を仰いだが、もう怒ってはいなかった。
「もう勝手にしなさい。ただ、これだけは覚えておいて、さっきも言ったけれどあなたはあくまで剣士。魔法使いの戦い方をしても負けるだけだから」
そう、魔法はあくまで切り札だ。勇者に与えられた力は強大だが、それだけ警戒もされやすい。これは、普通の剣士の戦い方が通じない相手に遭ったとき、決定的に不利な状況を打破するために使うのだ。
「ありがとう、優しいのね」
そうエレナは言って、山を降りていった。
「それで、あなたはどうするのかしら?」
レガート山林の中腹、そのちょっとした展望台に集まっていた理由はもう、解決した。何かほかにやり残したことでもあるのだろうか。
「ん?」
「適正魔法は調べないのかって聞いているのよ」
「ああ!そういえばそうだったな」
俺の能力には、あまり期待していない。単純な一般人であるわけだし、転生者であるからと言って、特別な力なんてありはしない。生まれ変わるとしても、人並みの幸せを望む気はなかったからだ。あの地獄を抜け出せるだけで、俺にとってはそれはもう天国に行くよりも幸福だった。
「――なんか、拍子抜けかしら。私は、あんな可愛い子供よりも、あなたに期待してるんだけど」
フィリジアの目は真剣で、俺の肩を掴む手は少しだけ震えていた。
「…なあ、フィリジア、君は今何歳だ?」
「女に聞くな、と言ってやりたい気もするけれど、実は、まだ十八よ」
年寄りとでも思ったかしら、とフィリジアは力なく笑う。
「そっか、そうだよな、死にたくなんてないよな」
俺は、その震えた手をそっと包むと、その片割れの樹の幹でできた椅子に座り直した。
「…年上に、なんて偉そうなのかしら」
「大丈夫さ。君には、まだ長い人生があるだろう」
「どうかしら、私には、もうとっくに命の砂時計は落ちかけている気がするの」
こんな弱気なフィリジアは初めて見た。彼女はその場にへたり込んで、顔は青ざめていた。
「神なんて信じないんじゃないのかい?」
「神は嫌いよ。でも、存在はするわ。認めたくはないけど」
フィリジアは声を絞り出すようにして言った。彼女は神に怯えているのだ。認めたくない、認められないから、無神論者を演じていたが、それでも逃げられないことは知っていた。
「それでも、君は死なない」
「どこから、そんな自信が来るのかしら。あなただって、この戦争で死ぬかもしれないのよ」
彼女は、恐怖のどん底に見えた。人に打ち明けても、楽にならない。それは、つまりすべてを諦めかけていることを指す。
この世の終わりのような顔をしているフィリジアを見て、俺は少し笑ってしまった。そりゃ、死に慣れていないから、当たり前なんだが。
「神が嫌いなら、運命の一つや二つ跳ね除けられなくてどうするんだ?」
「…それができないから苦労してるんでしょうが」
そういいながらも、彼女は反論してくれた。顔も、心なしか笑っている気もする。
「できるさ、俺が保証する」
「その言葉、嘘だったら怒るわよ」
フィリジアは俺の手を握りしめて、弱弱しく立ち上がった。まだ俺を信じられたわけじゃないだろう。それでも、こういうとき、都合の良いことを信じてみたくなるものである。
「フロート。」
「えっ?」
俺は浮遊魔法の呪文を唱え、二人で上空に浮き上がる。
「俺がなんでここを相談するところに決めたか、わかるか?」
「え?なんでって言われても、誰にも話を聞かれないから、とか?」
フィリジアは首を傾げながら俺に聞き返した。
「固いなあ、頭が固いよ。ほら、ここの景色綺麗だろ?」
「景色を見るために、魔法を使ったの?」
彼女は目を丸くして、それから、辺りを見渡した。
「なんの役にも立たないけど、案外悪くもないだろう?」
「ええ、心地良いわ。でも、どうしてこんなこと——」
「この絶景を見てたら、自分の悩みなんて小さいものに思えてこないか?」
彼女に必要なものは、決してあきらめない心。運命はあくまでぼんやりとした枠組みだ。神だって、無理やり捻じ曲げることはできない。
「死ぬかもしれないのが小さな悩みですって?」
「そうだ、この世界に生まれたものは、生きる権利もあれば、死ぬ義務もある」
遅いか早いか、なんて言葉で片付けるつもりはない。しかし、あすの危険に怯えていれば、後悔しない生き方なんて、できやしない。
「・・・そうね、そうかもしれないわ。なら、この震えはどうすればいいの?私はあなたのように、達観できない。何かに、私は縋りたいの。何か確実なものに」
そんなものはないってことはわかってるんだけどね。と彼女はつぶやく。
「なら、これを持って。戦争が始まったら、俺のところに来るといい。君は戦わなくていい」
俺はあの鮫に貰った贈り物をフィリジアの首にかける。この手のもの
は転生前にも見たことがある。あれは、特別な召喚魔法の刻まれた首飾りだ。彼女なら、適合するだろう。
「ちょっと、私はそんなつもりで言ったわけじゃ――」
「大丈夫だ。フィリジアに俺の実力を知ってもらう、いい機会でもあるしな」
寄り添うのが無理なら、周りを意識させるのも大事だ。俺が余裕を示せば、彼女も影響されることもある。
「あなたねえ。本当に随分な余裕ね。空元気にしても、限度があるわよ」
フィリジアは呆れた顔をして、空を仰いだ。
「安心するといい。大船に乗ったつもりでな」
俺が笑顔で言うと、彼女は困ったような、でも確実に嬉しそうな顔をした。そして、決心したように口を開いた。
「実力も知らない船に乗るのは危なすぎる賭けね。正直言ってまだ怖い…でもありがとう。…私の人生を賭した賭け、あなたに委ねることにするわ」
そして、フィリジアは笑った。俺への感謝を込めてか、自分の恐怖を抑えるためかはわからない。ただ、俺は、その懸命に生きようとする一人の少女が、とても立派だと思った。
神が嫌いならこの言葉をよく覚えておきなさい。
『運命の一つや二つ跳ね除けられなくてどうするのか』」
「それが
SIGN ―死神の転生― 柊 季楽 @Kirly
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