第八話〈小魚の雲亭〉無神論者と秘密主義者

「ダメだ」


 静かなレストランの中に、大きな声が響いた。その声は店中に木霊し、他の客もこちらを見る。誰の文句もなく沈黙が続くのは、その声を発した人物が、ただならぬ威圧感を放っているからである。


「どうして、なのかを聴いてもよろしいでしょうか?」

「神託だ」


 一蹴、反論を許さないその返答に、エレナは案の定口を結ぶ。

 食事はおろか、時間すら止まったような感覚を覚える——。



  ♦︎♢


 エレナに招待され、俺たちはある料理屋に来ていた。例の適正魔法の件だろう。


「いやあ、なんと素敵なところだろうか。そうは思わないかい?フィリジア」

「はい。ステンドグラスはこの街の特産品ですし、やはり王都のものより見応えがあります」


 アルゴスさんが店の内装を褒めると、意外にもフィリジアも同意する。確かに凝ったデザインで、料理屋と言うより画廊のような雰囲気だ。


「今日はここに招待してくれてありがとうございます、エレナ嬢」

「いえいえ、この街に住んでいるものとして、一度は寄って頂きたかったんです。」


 エレナは食事の席に着いてからも、少しの間笑みを絶やさなかった。切り替えるタイミングを失ったのだろうか、俺は助け舟を出すことにした。


「エレナ、今日は単に食事をするために、俺たちを誘ったのか?」

「いえ、いや違うわ。アルゴス様、私はあなたに相談をして頂きたく、この場にお呼びしました」

「ほう、なるほど、そういうことでしたか」


 アルゴスさんは全てわかっていたように、両手を顎につけて、先を促す。


「私、勇者なんです」

「そうでしたか」

「それで、私、昨日あった事件で魔王軍の一人にあったんです」

「へえ?」


 アルゴスさんはここで初めて、笑みを崩した。


「・・・私は、そこで完璧に負けました」

「・・・・・・」

「そこで気づいたんです。このままではこの国を、この街を守れない」


 エレナの目は真剣だった。昨日から変わっていない。俺との相談が、彼女に成長を与えたのだ。


「私は、彼に聞きました。魔法は、下では禁忌などではなく、常識だと。人も魔物も関係なく、魔法を使うのだと」

「しかし、それはあくまで下での考えだ。勇者であると宣言した君は、どのように考えるのかな?」


 アルゴスさんは、端的、かつ的確な返答を欲している。だが、成長した彼女なら大丈夫だろう。


「私は、本物の強さは、偽りを取り去った者にのみもたらされると考えます。・・・私は、この戦に勝つために、この街を守るために、魔法を学びたいです」


 その場に束の間の静寂が訪れる。俺は、心の中で拍手をしていた。彼女は良くやった。できる限りのことをしただろう。


「そうか、よく言った」

「では!」

「だが、ダメだ」

「えっ」


 その場に、今度は長い静寂が訪れた。俺もエレナも予想していなかった返答で、驚きと同時に、疑問が浮かんだ。なら、なぜさっきの質問をしたのか。いずれ断るなら、聞く必要はあったのか。


「どうして、なのかを聴いてもよろしいでしょうか?」

「神託だからだ」


 笑みを浮かべたまま、アルゴスは即答する。反論を許さないその一声に、俺もエレナも二の句が告げなかった。




「下らないわね」


 意外にも沈黙を破ったのは、フィリジアだった。


「先生も先生、あなたたちもあなたたちよ。こんな茶番に付き合っているほど、私は暇ではないのだけど」


 フィリジアは一人、憤慨しているようだった。料理を食べながら、俺たちを非難する。俺とエレナも呆然としていたが、アルゴスさんだけは苦笑いしていた。


「すまないね、私は熱狂的な信教家ではないのだが、ちょっとした秘密主義者なんだ」

「どちらも同じですよ。学ぶ意欲のある者には然るべき良識が与えられるべきでしょう」


 フィリジアの言葉は、強く、正しかった。しかし不思議なのは、エルフである彼女が神託に逆らおうとすることだ。普通、彼女らの種族は人を罵倒することはあっても、神に逆らうことはまずあり得ない。


「神などという不可視のものに怯えて、目の前にいる学徒の心意をないがしろにするのは、馬鹿らしいとは思いませんか?」

「そうは言っても、ねえ」


 フィリジアからの反論を受けてもなお、アルゴスさんは苦笑いを浮かべたままだった。

 だが、かの大魔導師は名案を思いついたように、人差し指を立てる仕草をした。


「ああ、それなら、君はフィリジアに魔法を教わると良い」

「ええ?それなら良いんですか?」

「ああ、もちろん!」


 どういうことか、弟子の彼女に教わるのなら、同じではないのか。俺たちがパニック状態のまま、アルゴスさんはサムズアップする。


「彼女は訳あって無神論者なんだ。面白い授業が聞けるんじゃないかな」

「良いんですか?」

「それは、私ではなく彼女に聞きたまえ」


 フィリジアは、言いたいことは言い終わったと言わんばかりに、料理を爆食いしていた。すでに食べ終わった皿が溜まり始めている。


「そもそも、開戦までの時間はないのでしょう?かなり厳しいものになるでしょうが、それでもあなたはやれますか?」


「はい!!」


 エレナの目には、涙が浮かんでいた。









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