"可能性"の勇者のモノローグ
波の音が聞こえる。水が砂浜から引き込まれて、浅瀬のいろいろなものを巻き込み、沖に優しく打ち上げる。
「ん...もう朝?」
心地いい潮風がカーテンを揺らし、一筋の光が窓から差し込まれる。実際のところは、朝と言っても早朝だ。こんな時間に起きているのは、海に出る漁師か、働き者の親鳥ぐらいだろう。
「少し寒くなってきたかしら。洗濯物が乾いていないと大変ね」
私はベッドから降りると、シーツを畳んでスリッパを履く。髪を一つに纏めて後ろで括る。俗にいうポニーテールというものだ。
「さて、準備をしなくちゃ」
準備というのは、色々あるが、すべて別に決められた仕事ではない。私が自分で習慣的にやっていることだ。
「おはようローザ」
「おはようございます、エレナ。今日もお早いですね」
「ええ、今日は『読み聞かせの日』だから、早く支度をしないといけないの」
ローザというのは、うちで雇っている使用人の一人だ。使用人と言っても、ローザは私が生まれる前からここに仕えているから、敬語は嫌だと私が言って、『お嬢様』とは言わないでもらっている。
「もうそんな日でしたか、そうでしたら、私がいくつか仕事を請け負いましょうか?」
「んー、そうね、お言葉に甘えましょうか」
「最近お気分が優れないようでしたから、その方がよろしいかと。無理はなさらないで下さいね」
私はいつもならこういうローザの提案は断っているのだが、今日はそこまで強情にはなれなかった。何しろあの手紙が来てから一週間と二日。その答えを出さなければいけないのは三日後。気も重くなるというものだ。
「勇者って本当に面倒な仕事よね」
ローザがいなくなったのを確認してから、私は独り言を呟く。そりゃあ、私だって小さい頃は勇者に憧れたこともある。でも、それ幼き頃の思い出であって、それに対する熱意が過ぎ去ってしまってから再発したとて、嬉しいとも思わない。
「でも、そんなにわがまま言ってられないのよね」
私は今15歳、今年で16になる。国にもよるが、少なくともこの国では16は大人にあたる。
「おはよう、エレナお姉ちゃん。」
立ち止まって考え事をしていると、いつの間にか目の前に小さな少女が立っていた。
「おはようニーナ」
「だいじょうぶ?何か悪いことあったの?」
「大丈夫だよ。朝ごはんだけ運んでから、いつも通りみんなを起こそうか」
ニーナはいつも早起きな子だ。素直で健気で、よく私の仕事を手伝ってくれる。
「うん!いつもの、ね!」
ニーナは笑顔を咲かせる。この笑顔は無垢で、いつもこの笑顔に癒されている。
私たちは孤児院の廊下を進む。うちは病院と病院を経営している。ニーナも両親がいない。本人はもう慣れたと言うが、そのことを思うと胸が締め付けられる。
「そういえば、今日は読み聞かせの日だよね?」
「そうよ。楽しみにしててね!」
「みんな楽しみにしてるよ。カイが昨日、明日エレナお姉ちゃんが何読んでくれるんだろうって、予想大会してたし!」
でも、私が一番楽しみにしてるけどね!と、ニーナは欠かさず付け加える。嬉しいことに、最近始めた『読み聞かせ』は常に好評だ。
「エレナお姉ちゃんの読み聞かせはとくべつなの!なんだか、お話の中に入ったみたいな気分になるの!」
「ありがとう。そんなに言ってくれたら、お姉ちゃんも頑張れるよ」
「でね。その大会でね、やっぱり一位は勇者と魔王のお話だったよ」
息が詰まる。あの話は、私も小さいころ好きだった話だ。
遠い昔、まだ勇者も少なく、魔王も弱かった時代の話だと、母に聞いた。
"光"の勇者が、魔王を仲間と共に倒す話だ。
遥か昔、ある四人の子どもに神様のお告げが届きましたーーその物語はそんなことから始まる。
「ああ、あのお話ね。ニーナも好きなの?」
「うん。大好き!」
その笑顔で言われると、手紙のことが嫌でも思い出せてしまう。
「で、結局何を読むの?」
「えーと、ヒミツ!」
苦笑いして、私はその場をごまかす。このまま会話を続けられる気がしなかった。
○
「――"光"の勇者が魔王を倒すと、そこに一筋の光が差してきました。なんだろうと勇者が空を見上げると、それまでどんよりしていた雲が、少しずつ晴れてきていました。そして、光の差したところに、少しずつ草木が芽生え始めました。それはそれは綺麗な景色で、勇者たちは立ち止まって、長い間、それを眺めていました」
おしまい、と私は絵本を閉じる。挿絵の入った本は高価なのだが、文字を覚えている途中の子もいるので、これは読み聞かせには必須である。
「へー!すごい、もう終わりかぁ」
「でもすごくおもしろかった!ね、そうでしょ?みんな」
「うん」
孤児院の中央の庭、〈休息の間〉にて、私は子どもたちに囲まれている。この建物は古い神殿を作り変えたもので、ほとんどがもとの形で残っている。
「ほーん。上手いじゃん」
「ありがとう…ってあなた、どこから来たのよ!」
いつの間にか、子どもたちに紛れて一人の少年が椅子に座っていた。寝癖がついたままの深い赤髪に、白い病人用の服はあまり似合っていなかった。
「良い話を聞かせてもらったよ。いや、大変お上手だ。途中で普通に泣けてきた」
「そんなこと誰も聞いてないわよ。そもそもあなたは安静にしてなきゃダメでしょう」
実際のところ、この少年の傷はすでに完治していた。しかし、表面上に傷はなくとも、体の不調があることはよくある。要するに、万が一のため、彼には休んでいてもらう必要があった。
「いいや、体を休めてばかりいても健康に良くない。少しでも運動して体を慣らしていかないと。病院からここまでの散歩はちょうどいい運動量だよ」
確かに、彼の言うことは正しかった。私が言い返せずにいると、また別の声が部屋に響く。
「エレナ!お客さんよー」
ローザの声だ。変だな、こんな時間に誰だろう。
「はーい、みんなちょっと待っててね。あなたは、とにかく自分の病室に戻ること!」
「「はーい」」
○
「・・・」
玄関前で私を待っていたのは、教会の人間だった。私にあんな手紙を渡した張本人、私の悩みの根源だ。
「おはようございます。"可能性"の勇者様」
「その名前で呼ばないで、アデルさん」
白いローブで目元以外を隠したその人は、アデルと名乗っていた。
「私はどうしても勇者をしなければならないの?」
「…エレナ様、我が国で勇者を選ぶ基準は、二つあります。一つは一国の頂点に位置する武の才を持つこと。もう一つは、民の尊敬と期待に応えうる器をもっていることです。」
「・・・」
「そしてあなたは、そのどちらもを兼ね備えた逸材です。勇者に相応しい」
何千回何万回と聞いた話だ。華々しい褒め言葉にも思えるが、これには続きがある。
「神々のお告げに逆らっているのはあなたたちではなくて?他の候補者はあなたたちに殺されたのでしょう」
そう、勇者は最初、候補者が神によって選定され、選ばれてからの行動で最終的に決められると言う。この国は、その候補者を残忍な方法で絞り込むことで、勇者を自分たちの好きなように決めていた。
「方法などどうでも良いのです。問題はあなただ。勇者の責務から逃れられる人はいません。逃げようとする人もいません。なぜ!あなたはこの名誉ある責務から逃れようとするのですか」
「それは何度も言っているでしょう?私は普通に生きたい。この街で生き、この街に骨を埋めたい。だから、あなたたちの言う仕事は、最低限しか行いません。」
嫌なら他の勇者を当たりなさい、と、こんな会話を私たちは繰り返していた。
「"可能性"の名を頂いておきながら、なんてことを…いえ、今日はこれくらいにしておきましょう。手紙の返事、楽しみにしておきますよ」
ある程度癇癪を起こすと、何かを思い出したようにアデルは帰っていく。
いつものことだが、気味が悪い。
「だから教会は嫌いなのよ」
教会、とくにアデルが所属する教会は、この国で最も大きく、権力のある組織だ。
しかし、教会はその力を人々のために使わない。どころか、大いなる召喚とやらに、躍起になって資源を使っている。
「湖畔鮫が出たぞ」
こんなときも、教会の人間は動こうとしない。その知らせに町はざわ撒いていた。
「どのあたりで出たの」
湖畔鮫は最近出没する機会が増えていた。そしていつもそれを処理していたのは私だ。だから、皆んなは私を見ると安心する。
「エレナか、ど真ん中だよ。ガラ岩の近くらしい。沖に出過ぎて、他の連中が近づけねえんだ」
「そう、ありがとう」
「いけるのか?」
「大丈夫よ。無事に返して見せるわ」
笑顔で答えると、みんなは安心したように息を吐く。
ーーー
港まで着くのに時間はかからなかった。
「これには感謝してますよ、新しい神様」
私が勇者として選ばれたのは、ちょうどひと月ほど前。夢の中で神のお告げが語られた。その中で語られた『勇者の加護』の効果は、凄まじいものだった。
それを体感したのは、剣の修練をしていたとき、体がいつもよりも数倍動きやすく、まるで曲芸のように愛剣を振り回すことができた。
『なによこれ。気持ち悪いほど剣が軽い』
少しの間は慣れなかったが、慣れてからはとても気分が良かった。全能感のようなもので満ちていて、一日中剣を振っていられた。
それから他の能力に驚く毎日が始まったのは言うまでもない。
そんな私の楽しい毎日を断ち切ったのは、あの手紙だ。
『エレナ・アクアハート様、この度はとても重要な件で、手紙を出させていただいています。貴方様もご存じでしょうが、あなたは、この国の新しい勇者に選ばれました。これはとても重大なことです。あなたには勇者の責務を全うする義務があります。
また、これも急なことですが、最近魔王軍の動きが活発になっています。カパールが最初に襲撃される可能性が高いため、こちらから軍兵を送ります。あなたが指揮する者ですから、自由に鍛えてもらって構いません。また、襲撃後は王都に来てもらいますので、身辺整理の方、よろしくお願いします』
私はこの手紙が来て以来、町の守り手となって、あらゆる敵を倒してきた。
「最近ほんと多いわね、湖畔鮫も」
こうやって駆り出されるのも、ひと月でもう五回目だ。
「おお、エレナか。来てくれたのか!」
「ええ、早く出して、助けに行きましょう」
中型の漁船がに次々と人が乗り込み、船特有のエンジン音が唸りを上げる。
「よし、お前ら、サドのヤツらを助けに行くぞおおお!!」
「「おおおお!!」
熱い漁師たちが銛を片手に大声を上げる。
「威勢のいいのは良いことね」
この街の、他人を思う気持ちが私は好きだ。
――――
「でも、どうするんすかね、あの子。銛も持ってないし」
「なんだお前、新入りか?」
「あ、ハイ」
「そんなら、よく見ておくと良い。アレは神業ってヤツだ。震えるぞ」
へぇーと、新入りを名乗った少年は少女の方を見る。
―――――
この狩りを行う上で、私は工夫を凝らしてきた。
当たり前だが、本来剣は、海の中では全く役に立たない。
海の怪物はその身に装甲のように硬い鱗を身に纏っているし、そもそも水中ではバランスが取れないから、戦えたものではない。
そして私は、ある方法に辿り着いた。
他の生き物にはない、湖畔鮫の特徴、それは跳躍力だ。人を殺すこと、もしくはドラゴンと対抗するためだと言われている。
私は船の先端に立って、目を閉じる。
耳を澄まして、波の音をじっと聞く。
ザワッ!
「来るわよ!顔を出さないで」
すると、漁師たちは一切にしゃがみ込む。
ジュバッ!!!
鮫が海面を飛び出して、大きな水飛沫が上がる。
私は、冷静に剣を鞘から取り出す。
鮫と目が合う。その赤い瞳には、明確な殺意が見えた。
鮫との距離が近づいてくる。まだ、あと少し。
「今!」
一閃。
そう、海で戦えないのなら、外に引きづり出せば良い。
ブシュッ
あっけないように感じるほど、音は小さかった。
鮫の腹から頭にかけて切り傷が入り、血飛沫が飛び散る。そして約5メートルもある巨体が、船の上に乗り上げた。
「わああ、なんじゃコレ」
「見てわからねえのか、湖畔鮫だよ湖畔鮫。ここは正確には海じゃねえから、コハンザメって言ってんだ」
確かにそれは知らなかったが、聞いているのはそこじゃない。
「カミワザってヤツかぁ」
「ホント魔法みてえだなぁ」
新入りと若い漁師の感嘆の声が聞こえた。
「見惚れてないで、まだ来るわよ」
気を引き締めなければ、殺される。これは決して見せ物でなければ、人を魅了する"魔法"でもない。
しかし、いつまで経っても次の鮫は飛ばなかった。
「へ、へえ、こいつしか居なかったってコトか?」
「そんなわけねえだろ、湖畔鮫は群れでしか動かねえ。ハグレならともかく、一頭だけなんてありえねえ」
同感だ。私が今まで狩ってきたときも、一頭で終わることなど一度もなかった。
ただ・・・
「あと、ガラ岩まではどれくらい?」
「え、いや、そんなにねえはずだ。だってもう結構進んだ、ろ?」
急に問いかけられて驚く漁師は、辺りを見回してながら、首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや、見えるはずのガラ岩が、見えねえんだ。みんな、俺たちはまっすぐ進んできたよな?」
その問いかけで気づいた漁師たちは、次々と周りを見る。
「ああ、おかしい。だって太陽が」
「てか、そもそもここどこだ?あの陸はカパールなのか?」
「ひい、気味が悪いぜ」
漁師たちの心を表すかのように、海に霧が立ち始めた。
まずい。明らかにまずい。書類で呼んだ禁忌魔法と、現象が一致する。
そのとき、歌が聞こえてきた。
最初の一節から、私の知っている話だと分かった。
「今、一番聴きたくない歌ね」
『最も新しい神は、人族を見放した。』
「なんだこの歌。どこから」
漁師たちは、怖気付きながらも、その声に見惚れていた。
『戦争で初めて勇者が死に』
『賢者の石が奪われた夜に。』
その歌は、呼応するように幾つもの声が重なって聞こえた。
『他の勇者は激昂し』
『あるいはその国を見捨て』
『『逃げた』』
時間が経つにつれ、その声は大きく、とても響くようになった。
そして、海に魔法陣が現れた。
「でけえ、デカすぎる」
「ああ、俺初めて魔法を見たぜ」
「すげぇ。怖えけどマジですげぇ」
見惚れている場合ではないのはわかっていた。わかっていたが――
「すごく綺麗」
私はその魔法に魅入られていた。
「あはは、喜んでくれて嬉しいよ」
清らかで高い少年の声が耳に響いた。
海から一際大きな湖畔鮫が飛び出し、その魔法陣を潜ると、それはとても信じられないなことが起こった。
「人になった?コレは魔法なの?」
私は本気で驚いていた。怪物を人に変える魔法など聞いたことがない。
「魔法じゃないよ。単なる形態変化だ。我々が祝福されたとき、手に入れた能力の一つだ」
宙に浮いたまま、その魔物は言う。
「魔物に祝福だって?なんの冗談だ?」
私も耳を疑った。祝福は人が受けるもの、それを魔物が受けることなど、ありえない。いや、あってはならないことだ。
「そうだね、僕たちも最初は目を疑ったよ。神が僕たちに優しかったことなど一度もなかったからね。でも、この力を使わないのは余りにももったいない、そうだろ?」
そして、そいつの左手に魔法陣が浮かび、そいつが手を握ると、後ろで苦しそうな声が上がった。
振り返ると、漁師の一人が首に手を当てて呻いていた。
「その人を放しなさい!」
私は剣を構えて言った。
「やあ、勇者の君、残酷なことだね。君が与えられた祝福よりも、僕たちに与えられた祝福の方が強いなんて」
仲間の一人の命を奪った鉄の剣を見ても、その鮫は不敵に笑う。やはり、他の鮫とは格が違うのか。
「大丈夫、とって食ったりはしないさ。ホントは、こんな奇襲みたいな形じゃなくても良かったんだけどね」
あっけらかんとして、気ままに話す姿は、人と言われても疑わない。私は、頭の中を巡るこの魔物についての考察で、最も最悪なものが
「賢者・・・なの?」
「おお、神殿録を読んだことがあるのかい。それは関心だ。少しだけ君のこと、見直したよ」
まさか、だと思った。もしそうだとしたら、私では敵わない。そもそも神殿録にも、賢者と人間が戦った記録など残っていない。いや、ないのだから。
「おおっと、僕は賢者様ではないよ。この辺りの主というヤツさ。オーレンと呼んでくれ」
その言葉を聞いて、私はさらに戦慄した。賢者でもないのに、この言語能力と思考能力があるなど、完全には人間の上位存在ではないか。
「でも、賢者様は見たことがないほど美しかったなぁ」
オーレンは、恍惚とした顔でものを言う。
魔族の中に賢者が生まれている。それはつまり、神が人族を見放したことと同義である。
「だから、勇者は嫌なのよ」
私は独りでに呟いた。人族は勝てない運命にある。それは、神アンを信仰している自分が一番わかっていた。
しかし、自分が勇者に選ばれたとき、心のどこかでどうにかなると思っていた。
「ここまで見せつけられると、認めざるを得ないわね」
私では、こいつに勝てない。
「え、エレナ、助けてくれ」
「エレナ、あいつを倒してくれるんだろ?」
「早くやってくれよ」
後ろから、自分を急かす声が聞こえる。彼らには、この圧倒的な実力差がわからないのだろう。
私は剣を落として、その場に膝をつく。
「おや、降参してくれるのかい?まだ戦ってすらいないのに?」
目の前の怪物が何を言っているか、聞こえていなかった。絶望と後悔の念が頭の中をめぐっていた。
「アン様、私はどこで間違ったのですか。あのお言葉は嘘だったのですか」
耳鳴りがしていた。幼き日、私がまだ勇者に憧れていたころの記憶を反芻して、目に涙が溢れてきた。
『エレナ、あなたは勇者になるでしょう。その時、私が神であるかはわかりませんが、とにかく、人を助けなさい。勇者は民を救い、勇気を与えるのが仕事です。危険な仕事ですが、大丈夫、想像してください。私は常にあなたのそばにいます――』
夢の中で聞いたその言葉は、私の心に深く刻まれた。私がアン様の信徒となった理由であり、いつもこれが、私の心のよりどころであった。しかし、それは今呆気なく崩れそうになっていた。
「いや、違う」
私は、アン様に何を求めていたのか。勇者の力か。絶対の守護を約束してほしかったのか。
「どれも違う」
私は、あの夢の中、あの神秘的な鈴の声を聞いた時から、あの人に惹かれていた。
あの人に報いたい。
あの声をまた聴きたい。
あの人に認められたい。
「ふふ、何を諦めてるのよ」
「なんだい、君、情緒がおかしいんじゃないのかい?」
「ごめんなさいね。こっちの話よ」
そう、すべて、私の話、私の独り言、だから理解できるはずがない。
それなら――
「さあ、戦いましょうか。本当にあなたが私より、神に愛されているかどうか、確かめましょう」
独り言があの人に届くまで、私は諦めない。
「私は"可能性"の勇者、エレナ・アクアハートよ!」
〇
――最も新しき神は、人族を見放した。戦争で初めて勇者が死に、賢者の石が奪われた夜に。他の勇者たちは激昂し、あるいはその国を見捨て、逃げた。
ある時神は、彼ら勇者に助言をもたらした。
「遠からず、あなたたち人族の時代は終わりを告げます。魔物が人の言葉を話し、彼らの中に賢者が生まれます。その未来を退けたければ、鉄の剣を掲げなさい。」
神殿録 第一〇八章 第三節「堕神について」より
――神、我々の最大の敵であり、人族の味方である。我々は気づき始めていた。同じ世界の創生物であっても、我々に神の愛情は、祝福はないのだと。どうして神が人族ばかり贔屓するのか、それについても、私は考えることを放棄していた。
賢者の石を手に入れても、その不思議な石の力は解明されなかった。私の前代、前々代から不可能と云われたことをやり遂げてもなお、私の渇望は満たされなかった。
それは、何の前触れもなく訪れた。
「魔物たちよ、魔族たちよ。忌み嫌われ、妨げられし者たちよ。あなたたちの度重なる努力、奮闘のことは知っています。待ちわびていたでしょう、じきにあなたたちの時代が来ます。あなたたちの中に賢者が生まれ、あらゆる種族が進化するでしょう。私は、あなたたちを祝福します」
その日、私は魔王になって初めて泣いた。
魔王手記 第三十二冊目 八十九頁「神の微笑み」より
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