神に惹かれる者

第一話〈下界〉祭りと祝福の町 ルーベル

 ある日の蒸し暑い昼間のことである。俺は八百屋の前に立って、中の様子をうかがっていた。

 今日は年に一度の収穫祭の日だ。だから、店長のオヤジも、手伝いも朝から出払っている。唯一邪魔なことと云えば、店番が子供なことぐらいだった。


 幼い子供は、不快なことをよく根に持つ。それに、自信満々に店番を任せられているのに、それを俺が失敗に終わらせるのも可哀想だと、頭の片隅にある良心が告げていた。


「にいちゃん、どうしたの?そんな辛気臭い顔しとらんで、ほら、そこのリンゴとかどうよ?今日は祭りやさかい、安くしとくで!」


 俺は苦笑いした。商売上手な子供だ。


「いや、ごめんな。今日はものを買いに来たんじゃないんだ」

 

 どれだけ情が沸いても、俺はこうしなければ生きられない。右手を前の果物に伸ばそうとしたとき、近くから奇怪な音が聞こえて、俺も彼もそちらを向いた。


「ねえにいちゃん、今の音ってさあ、魔法のお披露目かなあ!?」


 確かに魔法の音にも聞こえなくはなかった。大道芸に魔術師でも呼んだのだろうか?


「さあ、お披露目なら夜にやると思うけどね。何か事故が起きてないといいけど」

「見にいってみない?」

「いいよ」


 その子が音に気をそらしている間、俺は三つ果実を盗んだ。慣れたものだ、あまり罪悪感も感じないようになった。これも問題だ。


 広場に町の広場に出た時、もうすでにそこには人だかりができていた。


「やあ、ロビン。店番はどうしたんだい?」


 肉屋のおっさんが店番の子供に話しかける。


「いや、ちょっとだけ出てきたんだよ。店は閉めてあるから。」


 あはは、と苦笑いしながら、ロビンは頬を掻く。


「それで、彼は?」

「ああ、このお兄ちゃんね、うちによってくれたんだけど、さっきこっちで魔法みたいな音がしたから、一緒に行こうって話になってね」


 おっさんをこちらを見て微笑む。


「そうだったのか。いや、私たちもそうだよ。大魔導士様がいらっしゃると聞いて、一目お目にかかりたいと思ったのさ」


 大魔導士、ねえ。そんな偉そうなやつがこんな辺鄙へんぴなところに来るのだろうか。俺は訝しみの視線を広場の中央に向けた。


「おやおや、なにかお騒がせしてしまったようですね」


 黒いローブを着た老紳士が、太いバリトンで言う。同じくローブを着た人を連れているが、やはり何か胡散臭い。まあ、〈下〉で信用できる人間を探せと言う方が難しいのだが。


「本番は日が落ちてからにしようと思っているんですが、せっかく皆様方がいらっしゃったのですし、なにかお披露目しましょう」


 すると、老紳士は自分の被っているハットを脱いで、その中に手を入れる。


「では!」


 その掛け声と共に、帽子の中から鳥の形をした水の精霊が現れる。


「おお!!」


 肉屋のおっさんは、目を輝かせて老紳士を誉める。


「ヒュルルルル!」


 妖精は、帽子から飛び出ると、魔法陣が現れ、そこからいくつもの水泡を作り出す。


 今度は広場にいた全員が声を上げた。


「おお、これはすごい。」

「ママ、すごい!あれが魔法?とっても綺麗!」


 老紳士が出したのは、おそらく中級召喚魔法の使い魔で、使い魔が使ったのは水の妖精の固有魔法だろう。確かに夜中だとあまり目立たない種類ではあるが、立派な大道芸向きの魔法である。


 立派というのは、魔法であり、それはつまり元々の魔法をしているということだ。


「本当に何者だ?」


 ここまでのことができるなら、尚更〈下〉にいる理由がわからない。俺は困惑した。


「お楽しみ頂けたでしょうか?また夜にこれとは違う魔法を披露するので、是非見に来てくださいね」


「はい!」


 その場にいるほとんどの人が子供のように元気よく答える。どうやら老紳士の客寄せは上手くいったようだ。


「そこの少年、コチラへどうぞ」


 観客がある程度減ったところで、不意に老紳士が手をこ招く。不思議と自分が呼ばれている気がして、俺は帰る足をとめて、振り向いてしまった。


「あなたよ、泥棒さん」


 心臓が止まった気がした。振り返るとそこにはローブから頭を出した老紳士の付き添いが微笑んでいた。ゾッとするほど恐ろしくて、俺はその場からすぐにでも立ち去りたくなった。


「…俺になにか用でしょうか?」

「ええ、あなた魔法使いの素質があるわ」


 思っていたのと違う回答に、俺は当惑する。


「急にそんなこと言われましても…」


 俺は焦りながら、後ずさりする。


「その左手の魔方陣、浮遊魔法でしょ。どこで習ったの?」


 老紳士の付き添い――おそらくエルフの少女が俺の左手の甲を触りながら、俺に囁く。物を盗むときは、もし誰かに見つかっても逃げ切れるように、予め魔方陣を描くのだが、今回はそれが仇となったようだ。


「残念ながら、あなたたちに教える義理はありませんね」


 俺は冷や汗をかきながらもう一歩後ずさる。


「少年よ、夢はないのか?こんな所で過ごしていれば、君は腐っていってしまう」


 老紳士はこちらに優しい瞳を向ける。聖人の目だ。この目で何人の人を救ってきたのだろうか。


「確かにあなたについていけば、俺は救われるのかもしれません。でも、それはできない。俺には家族がいるので」


 路地裏で俺を待っているであろう二人のことを思い浮かべる。


「そう、二人の弟がいるのね。両親もいない。先生、彼は善人です。助けるべきでしょう」

「ちょ、ちょっと、なんで知って――」


 エルフの少女は、こちらをどこまでも見透かすように覗き込む。どうやら、彼女はただのエルフではなさそうだ。


「うむ。その兄弟はこちらで保護しよう。だから、君も私達と共に来なさい。」


 老紳士は、懐から巻物を取り出して俺に見えるように開く。


「それは、まさか〈紹介状〉ですか?」

「ああ、これで信用してくれたかな?私はアルゴス、魔法使いの素質のあるものを集めているんだ。この子はフィリジアだ」


 〈下〉の人間が〈上〉に行くためには、〈上〉の住民の誰かの紹介状がいる。かといって誰でも書けるものではなく、物好きな貴族が亜人種族を外から手に入れるために存在する制度だが、稀に優秀な人材は〈上〉に引き抜かれることもあった。


「少し考えさせてください。話が急すぎるので…そうですね、今夜返事はさせていただきます。あなたたちは今晩もこちらで大道芸をされるのでしょう?」


「ああ、ではまた。良い返事を期待しているよ」


 ありがたい誘いだ。二つ返事で答えてもよかったが、今までこんな聖人にあったことはなかった。それは別に俺たちが運がひどく悪かったわけではなく、それが普通だった。

 しかし、弟たちはそのことを知らない。いや、それ以前に子供だから、俺が説明したところで簡単には納得できないだろう。


「まずは盗みが犯罪だってことを教えないとな」


 俺は上機嫌になった。これはチャンスだ。〈下〉での生活は一見自由そうに見えて、そうではなかった。食事を十分にとることすら難しく、町から一歩先に出れば、魔物だらけで危険だから、子供だけでは到底生きられない。

 すべてが自由に見えて、それぞれの自由がいがみ合って互いの自由の範囲を実質的に決めていた。しかも、その理論では、強い者が得をする。


 俺は、法律で守られたところへ行きたかった。



    〇


「あれは、中々達観した少年であったな」

「ええ、それはもう、気味が悪いほどでした」


 広場の噴水の横で、エルフの少女は肩を抱いて身震いする。

 

「表面上は慌てふためいているように見えて、魂の揺らぎはほとんどなかった。常に冷静で、怪物が化けているのではと思ったほどでした。」


 エルフとしての血筋が濃いエルフには、あらゆる魂の揺らぎを見る力が備わっていた。


(あの広場で、観客人のほとんどは先生の魔法に魅了されていた。その中で彼は一人だけ浮いていた。何か考え事をしていたのか、それとも――)


「まあよい、本質が善人なら問題ないだろう。君、彼の適正は何属性だと思うかい?」

「それはまだわからないのではないですか?浮遊魔法を使っていましたが、あれが適正であるとは思えません」

「予想の話だよ。君も、たまにはふざけたことを言ってくれ」


 二人は話しながら、夜の開演に向けて準備を続けた。


  

     〇


「おかえり、兄貴。」

「おかえり!どうだった!?」

 森と廃屋地帯のちょうど境目、そのあたりに俺たち兄弟は溜まっていた。


「ただいま。」

 そう言いながら、果実を二つずつ投げる。

「俺が失敗したこと、あるか?」

「ないけど、今日はロビンくんが店番をしてるって聞いたからね。さすがに兄さんも良心が傷んだかなと思って」

 知っているなら言ってくれ、いつもの俺ならそう言ったかもしれないが、今はすこぶる機嫌がよかった。幸運を引き当てた気持ちを、初めて知った。


「でも、次はやめといたほうがいいんじゃない?」

 生意気にも次男――ユーリが横から言う。こいつは頭はいいが、基本的に否定的な意見しか言わない。いつでも臆病なやつだ。しかし、今回は俺もそれが正しいと思った。

「ああ、もうそろそろ、移動するべきだろうな」


「えー、やっと魚屋のおばさんと仲良くなったとこだったのに。」

 やる気なさげにブーイングをするのは三男――ダンだ。こいつはユーリと対照的に、言動の前提にリスクと云うものが存在しない。その場その場の感情で動いてるようなやつだ。加工や合成などの生産系魔法が得意だから、よく突拍子のないものを作る。


「今回は、何をするつもりだったんだ?」

 訊かないといじけ出すから、仕方なく訊いてやる。

「固すぎて食べられないような魚の部位を使って、魔法を纏わせられる武器を作れないかなって。ほら、金属は魔法を受け付けないからさ」


 ん?おかしいな。中々いい考え方だ。魔法は〈世界〉から、神から生を受けたものにしか発動しない。それに金属は魔法を発しないどころか、無効果してしまう。それ故、俺も魔法を使う時は金属製のものは最低限にするし、さっきの魔法陣みたいに事前準備をしなければいけない。


「お前らどうした。今日はやけに冴えてるじゃないか。」

「へへ、そうかな」

「…と、とにかく、次はどこへ?アテはあるの?」


 なんだこいつら、女々しいな。


「ああ、それなんだが――」


 二人を指差す。


「ユーリは今いくつだ?」

「十四。」

「ダンは?」

「十三だね。」


 予想通りだ。深く息を吸う。


「どうだ?〈学校〉に行く気はないか?」

 一瞬二人とも目を見開くが、すぐに嫌悪するような顔に変わる。

「あんな金に汚れたところに誰がいくか。」

「どこに行ったって金が好きな奴はいるだろ。」

「でも…」

 なだすかすのは得意じゃないが、正直これ以上の案はない。


「実は、ある人からお前らの学校への推薦状を書いてくれると云う話が来た。」

 いいか、とつなげる。

「ユーリはその生半可な剣を上達させろ。工夫ができなきゃ上級者には通用しない。…ダンは〈上〉で知識を学んで来い。一般開放されてる図書館がある。」


 それだけ聞いても、二人はまだ悩んだままだ。まあ俺だってよほどのことがなければあんな陰気臭いところは行きたくない。気持ちはわかるが――

「いい話じゃないか?」

「確かにそうだけど、兄さんはどうなるの?」

 ここで俺が正しい道を示さなかったら、二人は間違いなく死んでしまう。これまでおびただしい数の死と失敗を見てきたからわかる。


「俺だって当てはある。今までと同じように生きながらえて見せるさ」

 

 笑顔を作り、二人を落ち着かせる。兄として、嘘と作り笑顔は必須スキルだ。

 そんなことを考えながら、クシャクシャに二人の頭を撫でる。


「お前らは俺の自慢の弟だ。」

 途端に、二人の目に大粒の涙が浮かぶ。

「泣くな泣くな」

 笑いながら、もっと激しく頭を掻きまわした。







 


 



 


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