SIGN  ―死神の転生―

柊 季楽

第1章 転生

プロローグ 最後の茶会

『ああ、殺さないでくれ、お願いだ。家族が――』

『殺してやる、何としても、何をしてでも殺してやる』

『どうして、どうして死んじゃったの。どうして――』

『死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない』

『もう嫌だ、もういっそ殺してくれ殺してくれ殺してくれ』


 いくつもの魂の記憶が頭の中で駆け巡る。これが死神の本質であり、欠点であり最大の副作用でもあった。俺は吐きそうになりながらもそれらの声から耳を遠ざけていく。


(何も考えるな)


 そう、この地獄のような気分への対処法はこれくらいしかない。ひたすら心を無にし、無にし、無にし――。


「おーい、きーこーえーてーまーすーかー?」


 耳にやっと現実味のある声が飛び込んでくる。俺は目を開いた。どうやら俺は、耐えることができたようだ。


「フラッシュバックというやつですか?」

 微風のような声で、少女が囁く。

「ああ、そうだ。」

「ついにおかしくなりそうですね。でも本当に良かった。あなたを信じて良かったです。」


「なんで上から目線なんだ、お前。」

「三百年の付き合いになりますから、心の距離だって実際縮まったでしょう?」

 まあ、確かに、と俺は思う。

 最初に比べたら、俺も彼女も成長した。その副産物として、彼女はゆっくりと馴れ馴れしくなってきた。 


「やっと終わりですね」

「ああ」

 俺は答えるのがやっとだった。彼女の言い方には、多少の感慨深さを感じた。


「契約通り、私とあなたは次の世界で人間に転生させます」

 契約書を指でなぞる彼女は、どこか儚げだった。

「今更後悔してるなんて言うなよ」

 俺の目まで狂っていなければ、彼女は図星のようだった。


「ええわかっています。いえ…そうだ、追加で契約をしましょう。それで全て解決します。」

 俺は本気か、と思った。契約をするということは、俺にまだ何かをさせる気があると言うことだ。そんな気力など当に残っていないことは、こいつもわかっているはずなのに。


「裏切るのか。」

 俺は最悪の可能性を口にした。しかし、彼女の契約に頷いたのは俺だ。今更どうこう言う権利はない。してやられたかもしれない、と思った。

「い、いいえ!そんなことあるわけないでしょう!?」

 何故か彼女は慌てて否定してくれた。俺はひとまず安心した。


「なんだ。なら話は聞いてやろう」

「あなたこそ、女神に対して偉そうですがね」

 少女は小さく愚痴を言った。違いねえ、と思った。


「今から行う契約は単なる口約束に過ぎないので、特別な拘束力はありません。」


 何かの詩の冒頭を朗読するような口調で、言い始めた。


「ですが、破ればあなたにかつてない災いがあなたに降りかかるでしょう。」


 なんだそりゃ。突拍子のない続きに、俺は思わず彼女の淹れてくれた紅茶を吹きそうになった。


「ワタシが、他でもない私が怒るからです」

「そりゃ大変だ。」


 俺は半分冗談、半分本気で言った。


「で、その契約内容は何なんだ?」

「死神ネロ、あなたは転生した後も、私を訪ねることを誓いなさい。」

 なんだか、早口で、さらに命令口調で彼女――女神アンは言った。

「は?」

 俺は想定外の言葉に、思わず間の抜けた声が出た。


「お前、それはいくらなんでも厳しいんじゃないか?転生先は全くわからない。名前も、出身も、見た目だってわからないのに。」

「そこをどうにかするんですよ。私とあなたで。」

 めちゃくちゃなことを言っている、と思った。アンの言っていることは荒唐無稽で到底無理に思えた。しかし彼女が必死だったので、俺は一笑いにすることができなかった。


「それにこういう場合、俺たちは決して会わない運命になっているんじゃないのか?」

 運命と云うものが存在するのは、神になってから知った。

「我々は神ですよ。運命の一つや二つ、跳ね除けられなくてどうするんですか。」

 アンは謎の自信に溢れていた。なんだか懐かしい。そう言えば、前に彼女と契約した時も、こんな感じだったような気がする。


「ああ、わかった。もう知らん。」

「あなたならそう言ってくれると思っていました!」

 俺が苦し紛れに放った言葉を、彼女は肯定と受け取ったようだ。実際、それは間違っていなかった。


「これで心置きなく転生できますね!」

 このとき彼女は満面の笑みで俺に笑いかけた。ちょっと生意気で、間違いなく、今までで1番幸せそうだった。


 俺はアンの裏をかいてやろうと思った。具体的に言うと、強引に笑って見せた。少し、いやかなりぎこちなかったと思う。それでも効果は絶大だったようで、彼女は顔を洲桃のように赤く染めた。

「あなたは――」

 

 そこで、俺の記憶は途切れている。転生が始まった、まぎれもない証拠だった。

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