第二話〈酒屋の曲がり角〉町の逃亡者と帰還者
ダンとユーリには、その日の晩、ちょうど祭りの最中に、逃げさせることにした。
「では、契約成立ということで、宜しいかな?」
「はい、改めてよろしくお願いします」
思えば俺が頭を下げるのは、ずいぶん久しぶりな気がする。
「彼らには、上での生活を満喫して欲しいものだな」
「まったくですね」
<上>は、俺たちが居候する<エラルド>と云う国の首都だ。<上>と<下>を区別する
「それでアルゴスさん、これからはどこへ行くのですか?」
「ああ、そうだったな。次に行くのはカパールだ。あの港町カパールだよ」
俺はどこのことかわからなかったが、フィリジアは呆れた顔で事細かく説明してくれた。
○
正直言って本当に助かった。俺だけで育てるのは、さすがに負担が大きすぎる。
「俺も随分と人間らしくなったな」
死神の役目を降りて、せっかくアンが作ってくれた新しい人生。
どうも俺は生きるのが下手らしく、いまだ神様が言っていた「幸せ」を手に入れられている気はしない。
約束の海辺の近くにて、俺はそんなことを考えていた。
ガサゴソ、僅かだが、足音がする。
どうせ紹介状を見た者たちだ。単なる嫉妬か、拉致する目的かはわからないが、関わって得することなど一つもない。
つけられているのはわかっていた。だからあえて
地面から空へ軽くジャンプする、すると海へ真っ逆さま。水面距離50メートルはあるという話だが、この速度では距離などまともに把握できない。
それでも――
「…十五、十、五、一メートル―――今だ!」
水面ギリギリで浮遊魔法を発動させ、落下スピードを低減してから海に飛び込む。
「さっっむ!!」
「何やってるのかしら」
「水遊びじゃろ。私も若い頃は好きだったぞ」
「いつの話ですか、それ」
アルゴスとフィリジアが約束通り待っていた。
「お待たせしました。二人とも」
「いいえ、別に良いけれど」
「どうして崖から飛び降りる必要があったのだ?」
フィリジアは訝しげに、アルゴスは純粋な興味を目に映して、俺に聞いてくる。
「いえ、誰かに追われている気がしたので、あの高さから飛び降りれば死んだと思われるかと」
「ほお、考えたものじゃな」
アルゴスは賞賛して手を叩く。
「それで先生、この小舟でこの海を渡るつもりですか?」
「なあに、これは湖じゃよ。ちと大きいだけのな」
俺も知らないことだ。
「海か湖かどうかは、人の身である我々にとって関係ありません」
「わかっておる。だから直線距離を選んだのじゃ」
アルゴスは苦虫を噛んだような顔をしながら、フィリジアの不満に答えていた。
「えっと、どう言うことですか?」
「どちらにしても、バカみたいに遠いってことよ」
「うむ」
どうやら、目的地は相当遠いらしい。夜舟に三人では、さすがに危ないような気がする。
「風魔法を使っても、夜が明けるまでにつけるかどうか——」
「ああ!わかっておるよ。私がカパールに転移魔法陣を描いておかなかったのが悪いんじゃろ。だから、その目をやめてくれ」
アルゴスは悲痛な声を上げた。
「あの、俺が船を運転しましょうか」
「あなたが?」
「やってくれるのか?」
俺が提案すると、フィリジアは余計嫌そうな顔をしたが、アルゴスは喜んでくれた。
「浮遊魔法を使えば、ある程度のものはかなり速く運べますので」
「ほお、確かにそうじゃな」
アルゴスは確かに検討しようとしていた。自分の罪を誤魔化したかっただけかもしれないが。
「それって、安定性はどうなの?そもそも運送業に浮遊魔法が使われないのは、そのある程度があまりに軽く、安定性という面でリスクが伴いすぎるからよ」
「うっ、確かにそれはそうですが、ひと三人と船くらいなら」
痛い点を突かれた。確かにその通りだ。俺の魔力量では、キツイかもしれない。
「・・・わかったわ。魔力は私が貸してあげましょう。その代わり運転には全神経を注ぎなさい」
「いいんですか、ありがとうございます」
フィリジアの意外な提案によって、俺の案は可決された。
○
夏場とはいえ夜は寒い。しかも船の異常な移動速度によって、それが特に際立っていた。
「方角は北西。推定距離は5キロ」
その場所に、港町カパールがある。そこは<上>で唯一国門を通らずに行ける町だという。
アンが<上>にいるとは限らない。それでも善人である神は生活水準の高い<上>に住んでいる確率は高いだろう。
「でも、これは困るなあ」
岩礁が想定していた範囲よりもかなり広い。無理をすれば通れなくもないが、死神になっていたときは岩礁にぶつかって沈没し、死んだ船乗りを幾度となく見てきた。
「少し危ないが、仕方ないか」
水中であっても魔物はいる。それに地上で戦うのに比べて明らかに危険だから、できるだけ岸側を進みたかったのだが。
「どうしたの?」
「いえ、岩礁が思っていたより広かったので、沖に出ようかと」
「最初からそうしなさいよ、私は一刻も早く町に着きたいの」
俺は腕に流される怒涛の魔力をそのまま推力に変えて、夜の湖へと漕ぎ出でた。
〇
出発して1時間も経たないうちに、それらは祭りに来た。
「ねえおじちゃん。このお祭りってどうしてするの?」
小さな子供が年老いた男に尋ねる。
「この地の主様をお迎えするためじゃよ」
「あるじ…さま?」
「儂らはこの地に生かされており、食べ物もいただいておる。しかし、それは主様に許されていることなんじゃ」
年老いた男は、子供を肩車して、光が灯る、その祭りの目抜き通りを見せる。
「うん。ここのたべもの、おいしい!」
年老いた男は、頷くと
「ここでは海の幸も、山の幸もようとれる。だから海の主様と山の主様がいるんじゃ。この祭りはそのお二方を称える、感謝祭なんじゃ」
年老いた男は、二つの美しく長い角がついた鹿と、雄々しく口を開ける鮫が描かれた旗を指さす。
「そうなんだ。ところで、いい加減芝居はよしませんか?爺」
「ふん、これが最も一般人に見える方法なんじゃ。それに今日はお前も楽しみに来たのではなかったか?」
鼻を鳴らしながら、年老いた男は子供に話しかける。
「それにしても、なかなかいい絵ではないか?」
「そうでしょうか?私はあそこまで尖った目をしていません。歯ももっと手入れしています」
子供は、興味がないという風に、目抜き通りの脇にある灯りの数を数え始めた。
「儂は気に入ったぞ?一つ貰えないだろうか?」
若いころの儂にそっくりだ、と上機嫌で年老いた男は言う。
嫌な予感がする、と子供はため息をつく。
「私の記憶では、あれはダンという少年が発明した〈スミ〉なるもので描かれており、あの旗で使い切りだそうです。なんでもクラークというクラーケンの子供の煙袋から作っているそうですよ」
「なんと!?その少年は今どこに?」
「<上>ですね。…私もあんなところまではいきませんよ?」
「<上>かあ…。じゃあ、その設計図は?作り方ぐらい残してあるじゃろ?」
ああ、それならっと子供は海を指してニヤリと笑う。
「少し前に、その兄がレシピ本を持って街を出ました。カパールへ向かっているみたいですよ」
目を輝かせてその年老いた男は頼む。
「それを貰えるように頼めないかのう?」
「力ずくででしたら今すぐにでも」
すると、年老いた男もため息をつく。
「ダメじゃ、だからお前は民に恐怖のイメージしか持たれないのだぞ?」
うっ、と子供は意表を突かれたようによろめく。
「わかりました。ではどうしますか?」
「うーんそうじゃな、何とか交換条件に…ああそうじゃ、これを渡してくれないかのう?カパールに行って何をするのか知らんが、旅には役立つだろうからな」
「こんなものを!?爺、人間の身には余るものですよ?」
「いいんじゃいいんじゃ。では必ず持ってくるのだぞ?」
はあ、ともう一度子供はため息をつく。
「わかりました」
「ああ、楽しみだわい。」
年老いた男は、人笑いした後、目抜き通りの中へ入っていった。
「さて、彼は今どこに?」
脳内で海との感覚を共有し、彼を探し出す。
「おっと、これは。…面白い」
子供は月の光が照らす海を眺めて静かに笑った。
「しばらくは見物させてもらおうか?」
ただのガキだと思っていたが、案外掘り出し物かもしれない。
そして海の王者は、変身術を解きながらゆっくりと、しかし誰の目にもとまらぬ速さで、転移魔法を使った。
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