第三話〈湖上〉神殺しを目論む者

 出発してから2時間ほど、唐突にそれは現れた。

 海に薄い影が浮かび上がり、だんだんとその数は増えていった。

 まずいな、これはただのデカい魚じゃない。

 おそらくは、このあたりの捕食者だ。しかも、複数で、俺をターゲットしている。


「どうした、少年。酔ってきたか?」

「逃げ切れる…か?いや無理だな」

「ん?」


 すぐさま魔法でスピードを上げる。長い時間維持できるわけではないが、普通に漕ぐより10倍は速くなるはずだ。


「湖畔鮫です。しかも群れだ。逃げるので、捕まってください」


 しかし、その影はしっかりと後をついてくる。


「くそっ、速い」


 冗談じゃない。まだ2キロはあるはずだ。このペースじゃ、絶対に間に合わない。


「仕方ない、捨てるか」


 岩礁に入れば、体の大きい奴らは追ってこれない。歩くことになるので、時間はかかるが、その方が安全だろう。

 ボートを岩礁に寄せて、降りようとしたその時――――魚の一つが水面を飛び出した。


「っは?ちょ、やば」


 数秒のうちにその魚――鮫は俺の左腕を食いちぎり、また群れへ戻っていった。 


「くっ、がああああ」


 痛え。気を失いそうなほどの痛みが走り、血が止まらない。

 必死に岩に右手を伸ばし、水の浅いところまで逃げる。


「っ止血しないと」

「待って、今ヒールを使うから。」

「ダメです。今船を止めたら」


『やっと止まってくれたねえ』


 沈むように響くその声は、明らかに水の中から聞こえてきた。

 俺たちは、少なくとも俺は怯えていた。静かな水面に細波さざなみが立ってから、そこに直径2メートルほどの魔法陣が浮き上がった。


『この姿では話しずらいから、少し待ってくれ』


 大きな影が水面に見えた。これがおそらくこの声の主で、鮫たちの親玉なのだろう。


「これはなんだ。どうなっておる」

『どうなっているか聞きたいのはこちらなんだけどね。勝手に人の縄張りに入ってきて、どう云うつもりなんだい?』


 そう言いながらも、声に怒りは感じられない。こちらを面白っているのだ。


「そんなのわかるわけないじゃない。侵入されたくないなら、結界でも貼っておけばどう?」


 フィリジアは、落ち着いたまま言い放った。しかし、その威圧はあまり意味を持たない。あまりにも子供らし過ぎた。


「可愛らしいエルフじゃあないか。少年の女かい?」

「そんなことより何の用だ。何が目的で俺たちを狙った」

「なんだい、君の子じゃあないのかい。つまらないな」


 こちらの意志はどうでもいいらしい。その異形は俺の言葉を自分の都合の良い形で勝手に受け取る。


 そして魔法陣が輝く。準備ができたようだ。ゆっくりとソレは浮いてきた。そこには鮫だったものが、何の冗談か、人の形に変わっていた。


「は?魔物が変身術だと!ありえん!」

「へえ、そちらのジジイも、少しはものを知っているようだね」


 一瞬の間のあと、俺たちの前にいたのは立派な人間だった。どこからどう見ても、あの変身の瞬間を見なければ、誰だってわからないだろう。


 さも自分が人間かのように、そいつは船に腰掛けると、歯を見せて笑って見せた。


「なんだか、困っているみたいだね?少年」

 

 俺はまだ信じられずにいた。水の中でしか生きられなかった魔物が平然と船に上がり、人の言葉を話している。こんなことは前代未聞だ


「あんたが俺の腕を食ったのか」


 久しぶりに怖い、という感情が沸いた。人間以外が魔法を使うところなんて初めて見たし、流暢な言葉もしっかりと人間のものだ。


「いいや、君のやせ細った腕なんか喰わないよ。同胞が食べてしまった。あいつは見境がなくてね。すまない」


 謝っているようには見えないが、初めて、その怪物はまともに受け答えをした。まっすぐな視線を向けて——これは探られているな。


「うん、恐怖だ。君は僕を恐れている。信じられないという顔をしている。でも君は異質だ。反応は普通なのに、目がおかしい」


 随分と口が多い怪物だ。知能も高い。もしくは学習しているのか。だとしたら若いのか?いつからこんなのが世界に…。

 そう考えたからだろうか。

 普通の人間らしく、悲鳴をあげるなり命乞いをするなりすればよかったのに。

 俺は咄嗟に言葉にしてしまった。


「あんた、いつからその力を手に入れた?」


 すると、そいつはピタッと動きを止めた。


「いつ?手に入れた?面白いことを聞くじゃないか?」


 怪物の俺に向ける目が変わった。でも、これは知っている。この瞳に映った感情はだ。


「とにかく、君は知っているんだな」


 何か抵抗するより早く、足元に激痛が走った。

 足が千切れたのだ。


「答えろ。神はどこにいる」

 

「知らない。知っていても教えない」


 俺にだって意地がある。あの女神を売ることは絶対にしない。

 でも、なぜこいつは彼女を憎んでいるのだろうか。


「ふざけるな、なぜお前はあれの味方をする!」


 言いながら怪物は俺の四肢を捥いでいく。

 気絶しそうな痛みだ。


「彼女は俺の恩人だからだ」


 怪物は心底驚いたようだった。


「あんな外道な神が?やめておけ、奴はお前のことなどどうとも思っていないさ」


  俺の左足のあとは右足、右足の次は残った右腕へと斬撃が走る。剣を使っているわけでもないのに体が豆腐みたいに切れて血が飛び散っていく。


「え、あ―――いだっああああ!」 


 そしてそいつは四肢すべてを捥ぎ終わると、俺を海に投げ捨てた。痛い痛い痛い苦しい、なんで俺が、このままじゃ死ぬ。アイツにせっかくもらった命なのに、やっと計画が始まったばかりなのに、どうしてこんな――。


「死にたくない」


 そこで、俺の意識は途絶えた。


  ○


「殺すな?はい、わかってますよ」


 この少年も、あの外道に騙された子供なのだ。そういう哀れなやつはよくいる。

 その子供は少年の鞄に手を伸ばし、例のレシピ集を取り出した。

 そして、そのまま手を耳に当てて言う。


「さすがに、ちょっと死にかけだな」


 子供はため息をはきながら、治癒魔法を少年にかける。


「アレもですよね。ちゃんと覚えてますから」


 少年の首にそれを掛けて、他の二人へ笑いかける。


「この子、ちゃんとした病院で見てもらってね。死んではいないよ」

「あなた、彼に何をしたの?」

「何もしてないよ。魔法で治しただけ」

「治癒魔法までも使えるのか?」


 そのあと、子供は手を下ろし、鮫に向かって合図をした。すると鮫は散って行った。


「体は直したけど、なにもないといいね。少年」


 子供は期待の声を漏らす。あの目は明らかにほかの人間とは違った。それだけは確かだ。


「エサとしては申し分ない」


 ても面白いものが釣れるだろう。子供は海水が入ったジョッキを掲げて、一人で祭りの続きをした。






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