第118話 伯爵夫人、通報される

「むっ……!? 体から、異臭が……」


 魔法の効果に気づいた聖職者がにわかに慌て始める。


「ア、アヴァール、なんとかせい! 余の周りがドリアン臭いではないか……!」

「陛下っ! し、しかし」


 アヴァールと呼ばれた聖職者は自らもパニックに陥っており、国王を助けるどころではなかった。


(そういえば、アヴァールって名前、どこかで見たような。あ、シャールの書斎の本に書いてあったんだわ)


 あの本によると、アヴァールはテット王国の司教ということだ。

 つまり、彼は今、この国で一番位の高い聖職者。


「司教補佐もあんなのだし、司教もこれとはねえ。もっとマシな人材はいなかったのかしら……いないのでしょうねえ」


 魔法使いを弾圧し続けてきた、手強いモーター教だけれど、年月を経るにつれて綻びが出てきたのかもしれない。

 現に目の前にいる司教は、全身キンキラだし、お金の臭いしかしない類いの人間に見えた。


「それじゃあ、メルキュール家は今後、王家とモーター教からの依頼は受け付けないということで。あ、うちの家に何かしようとしても無駄よ? 敷地全体に結界を張ってあるし、トラップだらけだから」


 弟子対策で用意した結界やトラップだが、魔法を使えない国王や司教は、メルキュール家に足を踏み入れることすらできないに違いない。


「シャール、帰りましょう」


 私はドリアンの香りに眉を顰めるシャールの袖を引っ張り、転移魔法で我が家に戻った。

 国王や司教の魔法は、ずっと解かないでおくつもりだ。


 代々この国では、国王や司教には、その人となりを表すあだ名がつけられるという。

 後世の歴史書に、国王はドリアン王、司教はドリアン司教と記される日が来るかもしれない。


 王宮の謁見室から、メルキュール家の庭に、転移した私たちを、フエとバルが出迎える。


「シャール様、奥様、お帰りなさいませ。それで、国王はなんと?」

「どーせ、また余計な仕事を増やしてきたんでしょ? あの人の発言って、いつも同じなんだよね」


 シャールは少し考えてから双子に応える。


「仕事はなくなった」

「へっ?」

「どういう意味!?」


 双子がそれぞれ、疑問の声を上げる。


「正確には、王家とモーター教からの依頼は、今後引き受けないことになった」

「つまり、こじれたんですね」

「とうとう断ったんだ。おめでとう、シャール様」


 膨大な量の無茶な依頼が消えたのは、フエやバルにとっても喜ばしいことなので、二人とも率直に喜んでいる。


「他の貴族の仕事はとりあえず引き受けるつもりだが、今回の一件で風当たりがさらに強まるようであれば……」


 そこからは私が話を引き継ぐ。


「皆で国外に、お引っ越ししましょう」


 私の発言を受けた双子が揃って目を丸くする。


「はぁ、国外に?」

「引っ越し……しちゃって、いいの? というか、できちゃうの?」

「もちろんよ。転移魔法を使えば一瞬だし、屋敷と学舎も持って行きましょう。心配しないで、引っ越しは経験があるから」

「……そうですか」

「たしかに、転移すればこっちのもんだよね」


 二人はそれ以上、私に質問してこなかった。



 ※



 王城を出てセルヴォー大聖堂に戻った司教アヴァールは大混乱に陥っていた。


「臭いが、取れん!」


 あれから王宮の客室や風呂を借り、体の臭いを落としにかかったが、ドリアン臭は一向に収まらない。


「くそぅ、このままでは部下たちに示しがつかない。明日からどのように生活すればいいんだ……んっ、そういえば?」


 アヴァールはふと、以前いなくなった部下の存在を思い出した。

 ある日を境にやたら臭くなり、一旦臭いは消えたものの、しばらくして不祥事を起こし、さらに臭くなって帰ってきた元司教補佐のセピュー。

 毛むくじゃらで異臭を放つ物体が大聖堂に送られてきたときは、さすがのアヴァールもしばし言葉を失った。


(庇いきれず、臭いにも耐えきれず、厄介払いもかねて総本山へ追いやったが。もしや……)


 最初にセピューが臭くなったのは、メルキュール家を訪問したあと。

 次に臭く毛むくじゃらになって戻ってきたのは、メルキュール伯爵夫人の誘拐騒ぎのあとだ。


(まさかとは思うが)


 今まで何の害もないと気にも留めていなかった、平民出身で気弱な女。だが……。


(全て伯爵夫人のせいだったのか?)


 謁見室で見た伯爵夫人は、堂々と国王やアヴァールに噛みつき、あまつさえ異臭を発生させる恐ろしい魔法を使って見せた。

 そして、文句を言うだけ言って、その場から一瞬にして消え失せたのである。


 セピューの件が彼女の仕業であったとしても、なんら不思議ではない。

 王城のパーティーで、気に入らない相手のカツラを飛ばしたという噂まである。


「あやつめ。すっかり油断していたが、メルキュール伯爵以上に恐ろしい魔法使いだったのか」


 これは、早急に手を打たなければならない。


「急ぎ総本山に連絡しなければ。聖騎士たちの力をもってして、あの恐ろしい魔力持ちを必ず排除してくれる!」


 アヴァールは意欲に燃え、ドリアン臭の一件を知らせるべく、モーター教総本山に使者を送った。

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