第114話 伯爵夫人、思い出しかける
目覚めたら自分の真横でシャールが眠っていた。
私の睡眠中に、椅子からベッドまで移動したらしい。
(自分の部屋まで戻ったほうがよく眠れると思うんだけど。ここからだと近いのに)
棚に置かれている時計や窓から差し込む光を見て、今がもう朝なのだと認識する。
「まったく、すぐ私の隣に入り込んでくるんだから。ちょっと、シャール」
彼が移動する気配は毎回掴めない。
魔獣退治に慣れているシャールは独特の、気配を感じさせない歩き方をすることが多いのだ。
隣で眠る彼を起こそうと揺さぶりながら、私は昨日までの具合の悪さが嘘のように治っているのに気がついた。
(あら、今朝は調子がいい感じ。魔法も使えそうね。弟子たちへの対策のためにトラップでも作ろうかしら。そろそろあの子たちも喧嘩に飽きて動き出す頃でしょう)
肌寒い空気の中、今日の予定を頭に思い浮かべていると、ようやくシャールが目を覚ました。
「おはよう、シャール。私のベッドは、よほど寝心地がよかったようね」
ほんの少し言葉に不満を織り交ぜてみるが、シャールはいつも通りどこ吹く風だった。
ちくっとした嫌味は全く通じない。
「ああ、お前のベッドは最高に寝心地がいいな。いつになくよく眠れた」
「…………」
「毎日ここで眠りたいくらいだ」
この流れで話すと、本当にそうなってしまいそうだ。
「自分の部屋があるんだから、そっちで寝るのをオススメするわ。あなた、ただでさえ過労気味なんだから、夜くらいゆっくり休まないと」
「ふむ、なるほど。つまり、ラム。お前は私にゆっくり休んでもらいたいと?」
「そ、そうよ」
シャールが真面目な顔で何やら思案し始める。
でも、こういう場合はまず、碌な答えが出てこないことを私はこれまでの彼の言動から学習していた。
「お前は私を熟睡させたい。私はお前と一緒なら熟睡できる。それなら二人の寝室を統合すればいい。本来、夫婦とは共同で使う寝室があるものなのだろう?」
「シャール、あなた、『名案だ!』という顔で、またとんでもないことを言い出したわね」
「とんでもなくはない、これは双子が持っていた一般的な本に書かれてあったから、常識として正しい知識だ。五百年前はどうだったか知らんが、テット王国の最新の夫婦の形らしい」
何もわからない子供に物事を教える顔つきのシャール。彼は本気だ。
最近、私を世間知らず扱いしてくるシャールの常識も、かなり危ういのではと気づき始めた。
その線で行くと、双子もシャールより少しましな程度だ。
そして、こと結婚や夫婦関連の知識に関して、このメルキュール家にまともな意見を話せる者など一人もいない……!
(閉鎖された学舎育ちかつ、偏った世間で揉まれながら育つと、こうなってしまうのね。私も他人のことをとやかく言えないけど)
夫婦の事情に詳しいかと言えば、私も微妙である。
前世の最初の家族は狭い家に住んでいたから、全員一緒に雑魚寝していた。
両親から気味悪がられていたため、私だけ夜は別の小さな部屋で寝ていたけれど。
さらに師匠はずっと独身だったし、多感なお年頃だった私に、「長命のエルフィン族は恋愛に興味がなく、一生のうち一度でも結婚すれば奇跡ですね」などと教えてくれた。そんなだから、絶滅危惧種族になるのだ。
そして私もまた弟子たち以外の異性と関わる機会が少なかった。
その弟子たちも誰一人、外で恋人を作ってきたりはしていない。
つまり、私は年齢を重ねていても、夫婦については、ふわふわした世間話を信じているだけで、本当のところなど何一つ知らないのだ。
(まずいわ。正解がわからないから、どう反論すればいいか名案が浮かばない)
シャールはすっかり、夫婦の寝室なるものを用意する気でいるようだ。
そんな場所ができたら、ただでさえ暴走気味な私の心臓がさらにうるさくなってしまう。
なので、話を逸らすことにした。
「今日は弟子たちへの対策で、庭にトラップを仕掛けるわ」
「体は問題ないのか?」
「ええ、どういうわけか調子がいいの。夢見は悪かったんだけど……」
「夢? 特にうなされてはいなかったが」
横で寝ながらも、シャールは私の状態を見ていたくれたようだった。
「そうなの……。実は夢の中で記憶の片鱗が見えたというか、何か思い出せそうな感じだったのだけれど、その断片的な光景が上手く言えないけど嫌な感じだったのよ」
「断片的な光景? どのような記憶だったんだ?」
「人々が危機に陥っているような、ものすごく汚れた魔力が大気中に満ち溢れているような」
「汚れた?」
シャールが不思議そうな顔で思案している。
「ラム、魔力には、清潔や不潔などの概念があるのか?」
「あ、言い方がよくなかったわね。『汚れた魔力』っていうのは、通常の魔力に不具合が生じて別の性質の物質に変化してしまった状態を指していたの」
「魔力の性質は変化するのか?」
「そうね、普通はあなたたちが普段使うように、そのまま用いることが多いわ。魔法として放ったり、体内に循環させて体を強くしたりするという類いね。ただ……」
紅い瞳が続きを催促するようにこちらに向けられる。
「五百年前には、わざと魔力を悪い方向へ変質させて使う方法が流行っ……あら、私……また記憶を思い出しかけてる?」
どういう理屈でそんなものが「流行った」のだろう。
五百年前といえど、普通では魔力を敢えて変質させるなんてあり得ない……忌避されるべき行為だ。
本来の性質をねじ曲げられた魔力は、そのぶん無理が発生し、穴埋めに代償を必要とする。つまり、普通に使用するだけでは歪みが生じる。
魔法使いたちはそういった邪道な用法を推奨しない。するわけがない。危険だからだ。
「ごめんなさい、シャール。話の続きだったわね」
「具合がまだ悪いなら無理しなくていい」
「いいえ、平気よ。魔力はね、性質をわざと変化させることによって威力を増幅したり、予定にない効果を付与できたりするの。もちろん、それにはとても難しい知識や技術が必要で、偶然の産物という類いも多いわ」
「それと汚れた魔力とはなんだ?」
「詳しくはまだ思い出せない。ただ、当時の代償は「変質した魔力を使用したぶんだけ、汚れた魔力を放出する」という種類だったのかも……? そういうのはよくあるから」
なんにせよ、はっきりしたことはわからない。私は話を切り上げた。
「そうか」
シャールもそれ以上は聞いてこなかった。
「トラップを仕掛けるなら、私も手伝おう。魔力は俺が出す」
「あら、助かるわ。とはいえ、トラップに魔力はそこまで必要ないわよ。作り方にコツがあるの」
「難易度が高いというわけか」
「とりあえず、実験室へ行きましょう」
私はシャールを誘い、庭の一角に建つ実験室へ移動する。
こぢんまりした二階建ての小屋には、今や豊富な実験材料が揃っている。
「まずは、基本となる素材を決めます」
「トラップは薬や道具のようなものなのか」
「何も用いないでもできるけど、素材があったほうが作るのが簡単なのよ。うーん、このネバネバ粘土なんて素敵ねえ」
「……」
そんな、不信感満載の目で、私を見ないで欲しい。
しっかり頑丈なトラップだから。
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