第113話 伯爵夫人と五百年前の夢
「だから、誰かを見たときにドキドキして頭の中が混乱したりした経験ってない?」
自分の身に起こった出来事をなるべく正確に彼に伝えてみる。
私に問われたシャールは、少し考えたあとで私を眺めつつ、やや慎重に口を開いた。
「私に尋ねるということは……お前は、同様の事態に陥った経験があるということか? 誰かを見て顔を赤くしたり、緊張したり、ドキドキしたと!?」
「ええ」
正直に答えると、シャールは険しい顔つきになり、あからさまに不機嫌なオーラを纏い始める。
「誰だ、お前をそんな風に変化させた相手は」
彼が何に対して怒っているのかよくわからない。
「相手って、誰も何も……シャール、あなたよ」
「…………!?」
ありのままを告げると、シャールが驚愕したような表情を浮かべて動かなくなった。
目を見開いたまま、椅子の上で微動だにしない。
「シャール? 平気? もしもーし?」
「…………」
「困ったわ。どうすればいいかしら」
椅子の上で静止する整った顔を見つめた私は、少しだけ上体を起こして彼の額を指でつんつんとつついてみる。
だが、反応はない。
「うーん、動かないわね」
仕方がないので、私はそのまま再び眠りの体勢に入って目をつむる。
おかしいのは今だけで、しばらくすればシャールも元に戻るだろう。
(フエやバルは、どうしてあんなことを言ったのかしらねえ。シャールが「面白い反応をする」だなんて……固まっちゃったじゃないの)
でもあの双子なら、こんな珍しいシャールを見たら喜ぶのかもしれない。
一見従順に思える双子だが実際はそうでもなく、割といろいろ悪戯をやらかしている。
シャールに対しては主従という感覚の他に、幼なじみや兄弟といった感覚もあるみたいに見えた。学舎でずっと一緒に過ごしてきたからだろうか。
(なんにせよ、今は眠ろうかしらね。起きたらきっと動けるようになるはず)
具合が悪いのは悪いが、今回の体調の変化はいつもと異なる雰囲気がする。
上手くは言えないが、ただ具合が悪いと言うよりは、何か体に変化が起きているような不思議な感じがするのだ。
頭が痛くなったり、逆にスッキリクリアになったり……。
(私、この感覚を知っているような気がするのよね。何かを、思い出せそうなんだけど……)
どうして転生者の中で、私だけが記憶をなくしているのだろう。
なぜ、エペやグラシアルは前世の記憶が全部あるのだろう。
(違いは、何?)
魔法には使用者の気持ちが色濃く反映される。特に闇魔法などはそれが顕著だ。
エペは私に前世の死因を教えてくれなかった。
彼が私に、前世の記憶を残したくないと考えたのなら、それが魔法に反映されてしまったのだと思われる。
(でも、どうして?)
エペだけではなく、グラシアルまでもが口を噤む私の死因。
弟子たちは一体、何を隠しているのだろう。
思考しているうちに、私の意識はいつものように眠りへ誘われていった。
※
ぼんやりと意識が明け方の空のような薄闇の中に浮上する。
ああ、これは自分の夢なのだと、私は頭のどこかでそれを理解した。
(私、この景色……知ってる)
悲しくて切なくて、胸を締め付けられるように苦しくて。
でもそんなことを考えている余裕もないくらい必死だったあの頃、目の前にあった……汚れた魔力の残滓を多分に含んだ空の色。
(頭、痛い。夢の中なのに)
痛みのせいで、赤い光が目の前でチカチカ点滅する。
その点滅の向こうに、なにか……過去に覚えのある景色が見えた。
はっきりとではない、点滅の合間のふとした瞬間、ちらちらと心に差し込むような鮮烈な光景が蘇った。
暴走する魔力に翻弄される人々に降りかかる代償。止まらない魔力の暴走は次々に町を破壊していく。
(駄目、止めなきゃ……!)
しかし、人々は反応しない、自分の声が届かない。
皆を守らなければと思うのに、体が動かない。
ひときわ大きな魔力が爆発したあとで、それらの光景が一瞬にして消え去った。
また、薄闇の中の風景に戻る。
ひやりと血が凍るような感覚と、バクバクと激しく脈打つ心臓。
どうしてか、今見た景色が五百年前、実際にあったことなのだと理解できた。
なぜ、今思い出したのだろう。二人の弟子に出会ったからだろうか。
(でも、まだわからない。あの景色がなんなのか。私の最期と関係があるのか)
見えたのは、断片的な光景だけ。
どうしてそんな事態が起こったのか、そのあとどうなったのか……まったく思い出せない。
「寒い……」
まるで全身が凍えるような感覚に晒され、夢の中の私は小さくしゃがみ込んだ。
いつの間にか頭の痛みは引いていて、常日頃感じるような体の苦しさもない。
だが、胸の底から不安が押し寄せてくる。
たった一人でいる自分が、心許なくてたまらない。
(こんなとき、弟子たちなら迷わないのでしょうね)
あの子たちは、ブレない芯の強さを持っている。
私自身も同じだと思っていたが、こうして一人不安に晒されると案外堪えた。
薄闇の景色がだんだんと白んでくる。もうすぐ目が覚めるのだろう。
結局、詳しい記憶は思い出せないままだった。
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