第105話 伯爵夫人の過去
「あのとき、エペが言っていた通り……私の前世の名は、アウローラ・イブルスス。五百年前に生きた、今では伝説と呼ばれている魔法使いよ。黙っていてごめんなさい、言い出しづらくて……夢を壊しちゃった?」
今にも机に突っ伏しそうな表情のシャールは、それでも無言を貫き、話の続きを促す。
「あなたと初めて出会った頃のラムは今の私ではなく、五百年前の記憶が戻っていない状態だった。思い出したきっかけは、侍女に突き飛ばされて、壁に頭を打ち付けたこと……そうして私は、アウローラだった記憶を取り戻したの」
私は淡々と、自分の身に起きた出来事を伝えた。
「では、何故今までそれを黙っていた?」
「あのときの私がそれを話したとして、誰も信じないでしょう? 頭がおかしいと笑われるのがオチだった」
その通りだと思ったのか、シャールはそれ以上言及してこない。
「しばらく経って、五百年前の記憶の話をしたとき、あなたにアウローラだった事実を伝えようか迷ったの。でも、言えなかった。だって……部屋中に私の姿絵が張り巡らされていて、他にもアウローラグッズやら、表には出回っていない写本やらがコレクションされていて、なんというか……本人だと言い出しにくかったの」
執務室に奇妙な沈黙が落ちた。
私から目を逸らせているシャールは気まずそうで若干頬が赤い。
こんな彼を見るのは初めてだった。
このまま黙っていても話は先へ進まないため、気を取り直した私は再び口を開く。
「もうわかっていると思うけど、エペとフレーシュはアウローラの前世の弟子。どういう理由か知らないけど、私と一緒に転生してきた……というか、私を転生させた張本人たちなの。詳しく事情を聞こうとしたんだけど、二人にはぐらかされてしまったわ」
私はそこで、自分の記憶の後半が曖昧なことも含め、改めてシャールに説明した。
「おそらくだけれど、私の記憶が曖昧なのと、体が弱すぎるのは転生時の不具合じゃないかしら」
「体力については徐々に改善してきているから、イボワール男爵家にいた頃の生活が原因だろう」
こんなときでも、シャールの指摘は的確だ。
「だが、私はアウローラの弟子とやり合ったのか……通りで手強いはずだ」
シャールは何を考えているのかわからない瞳で、まじまじと私を見つめる。
彼なりに思うところがあるのだろう。
「それにしても、ずっと憧れていたアウローラが私の妻で……こんなに近くにいたなんて、にわかには信じがたいな。魔法知識や髪色、弟子の様子からして、本人で間違いないのだろうが」
感慨深そうな声を出すシャールの態度が、いつもよりぎこちない。
「……散々、情けない姿を見せてしまった」
「アウローラコレクションのことなら、少し恥ずかしいけど気にしていないわよ。魔法書の写本を集めてくれたのはありがたいし、褒めてくれたのも嬉しいし、情けない姿を晒しているのだって、お互い様だしね」
私なんて、何度シャールの前で倒れて運ばれたことか。変な寝言だって聞かれているかもしれない。
「伝説の魔法使いと言っても、見ての通り、私は普通の人間なの。五百年前に生きた、力のある魔法使いの一人に過ぎないわ。今世で私の名前だけが残されているのは謎だけれど……前世で暮らしていた国がこの辺りにあったからかもね」
過去に思いを馳せるように、私は窓の外に視線を向ける。
今日の空はすがすがしい青色。いい天気だ。
「ラム……」
名前を呼ばれ、私は再びシャールの方を向く。彼はいつもの澄ました表情で私に言った。
「アウローラであろうがなかろうが、現世のお前が私の妻である事実に変わりはない。ここで好きなように暮らせ」
私はまじまじとシャールの赤い瞳を見つめる。僅かに心が動いた。
「寛大なことを言ってくれるのね……でも……」
「そもそも、私が気に入っていたのは『ラム』であるお前だ。アウローラという肩書きが増えたところで今更離婚する気はない」
シャールは言い切った。その頑なさに今は救われる。
(どうしてかしらね)
自分でも自分がよくわからないまま、私は彼の話を受け入れた。
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