第98話 その頃の総本山では


 テット王国からずっと東に進んだ一角に、モーター教の総本山が置かれる街、クールがある。

 クールはブリュネル公国の一部ではあるが、モーター教上層部はブリュネル公王より発言力が強い。

 ここでの一番の権力者はモーター教の「教皇」なのだと、各地で囁かれていた。


 しかし、実際には教皇は人前に全く姿を現さないので、人々にはいるのかいないのかわからない謎の存在として認知されている。

 実際にモーター教を統括しているのは、枢機卿の一人だ。


 それでも、確実に、モーター教皇は存在している。 

 今、一人の青年が、クール大聖堂の最上階の窓からぼんやり外を眺めていた。

 空は高く、涼しい風が頬を撫でる。

 はたはたと、身に纏った真っ白なローブがはためいた。


「来る日も来る日も同じ、何も変わらない。そろそろ、嫌になってきました」


 退化していく街並みや人々の倫理観、失われていく魔法。

 くだらない世界になったものだ。


「……まあ、私には関係ないですね。どうでもいい」


 あの日から、青年にとって世界はずっと静止して色あせたまま。

 色白の細い手を天に伸ばしても、求める理想には届かない。

 苦い記憶によって、もう何年も心に黒く空虚な穴が空いて、じくじくと醜く膿んだ血を流し続けている。


「逢いたい」


 その思いだけで、今まで生きてきた。ずっと待ち続けていた。

 でなければ、きっとあの場で自分も……。


 空を眺めていると、バタバタと階下から誰かが上ってくる気配がした。

 ここまで来られる人間は限られているから、彼か彼か彼だろうと目星を付ける。

 やがて、荒い息と共に、一人の中年男性が姿を現した。


「やはり、ここにいらっしゃったんですね! まったく、どうして一所に留まっていてくれないのです! 毎回移動が大変で……ひっ!」


 なぜ、自分がそこまでしてやらなければいけないのだと感じながら、相手を見ていると、あからさまに脅えられてしまった。

 考えていた内容が顔に出ていたらしい。

 昔から、自分は人付き合いが下手なのだ。


「リュムル枢機卿、そんなに慌ててどうしました?」


 枢機卿クラスが駆けずり回ってまで自分に何かを訴えてくることは少ない。

 よほどの事態が起きたのだろうか。

 さして興味はないが、続きを促すようにリュムルを見つめる。


「そ、それが、聖人が二人も行方不明になったのです! 少し前から連絡が取れなくなったらしく……」

「逃げたのでは?」

「ありえません! あれほどの好待遇を受けながら逃げるなんて! それに、モーター教にとって裏切りは大罪ですよ! 聖人には互いの居場所を探知する魔法を仕掛けており、裏切った場合は必ず上位の聖人が制裁に向かいます……そんな危険を冒してまで、モーター教に背く理由がないのです」

「なるほど。で……私にどうしろと?」

「今回行方不明になった、二人の聖人を探していただきたいのです。あなた様も、聖人就任の儀式の際に彼らに探知魔法をかけられたはず」

「まあ、そういう決まり? らしいですから」


 聖人はころころ入れ替わるので、正直誰が誰だか覚えていない。

 だから、青年は聖人を一位から十位の数字で記憶している。


「いなくなったのは誰ですか?」

「二位と十位です! 二人とも、他国へ出向いたまま消息を絶ってしまい……」

「わかりました」


 告げると、青年は探知魔法に集中する。しかし……。


「……なるほど、探知魔法が綺麗に消されていますね。レーヴル王国へ入るまでは探知できましたが、そこから痕跡が消えています」

「どういう意味です? そのような事例は聞いたことがありません」

「魔法を上書きされたのでしょう。高度な魔法を扱える人物が、この時代にいたのは意外ですね。あの魔法を綺麗さっぱり消せる者なんて。昔でもなかなかいませんでしたよ。私が知る中でも数人くらいしか……」


 言いながら、青年の頭は言いようのない違和感を捉えていた。


「まさか……」


 自然と顔がこわばってしまう。


「どうかされたのですか? 何か気になることでもおありで?」


 顔を上げた青年を見て、リュムルは不思議そうに首を傾げた。


「少し調べたいことができました。この件は私が請け負いましょう」

「あなた様が御自ら!? いいえ、探索だけで十分です。どうか、勝手に出歩くなんて真似は……ああっ!!」


 リュムルが言い終わる前に、青年は最上階の窓から飛び降りる。

 ハタハタとひらめくローブはやがて、魔法で生み出された空間に消え、あとには豆粒のように小さな街や森だけが広がっていた。


「やはり、あの御方はただの人ではない」


 残されたリュムルは唇を震わせ、乾いたため息を吐く。

 リュムルは枢機卿の中で一番の新参者で、青年がいつからクール大聖堂にいたのか、実はよく知らない。

 だが、少なくともリュムルが子供の頃にはここにいた。

 今とまったく変わらない姿で。

 リュムルにはそんな彼が神々しく、そして時には恐ろしく見えた。今のように。


「ああ、どこへ行ってしまわれたのだ、教皇様は」


 しばらくの間、その場でおろおろしていたリュムルだが、やがて上ってきた階段を駆け下り、先輩の枢機卿に事態を報告しに向かった。



 ※


 転移魔法を使った青年は、ブリュネル公国からレーヴル王国へ移動していた。

 大聖堂の屋根に乗り、フードをはためかせて埃っぽい街を見下ろす。


「当時の面影もありませんね」


 クール大聖堂に引き籠もっていたうちに、他国もずいぶん様子が変わってしまった。

 何もかもが移ろい消えていく。自分だけを遺して。


 正面にそびえ立つレーヴル城を見据え、切なげに目を細めた青年はポツリと呟いた。


「事件を引き起こしたのが、あなただったらいいのに。ずっとずっとずうっと、待っていたんですよ。無力で無気力なこの私が」


 あのとき、本当は自分も一緒について行きたかった。

 でも、力不足で一人だけ取り残されてしまった。

 何もできない無力さを嘆きながら、苦しみながら。それでも、今の今まで生きながらえてきた。

 これが正解なのかもわからない。

 ただ、逢いたかったのだ。


「先生……」


 消え入りそうな声で、青年は愛おしい相手に呼びかけ目を閉じた。




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