第88話 追跡魔法と転移魔法
シャールは信じられない思いで目の前の光景を眺めていた。
(なんだ、今、何が起こった?)
王子でも城の者でもない、何者かの手によって、闇魔法が使われたというのはわかる。
しかし、それ以外は全く未知の出来事だ。
(痕跡も残さない鮮やかな魔法でラムを飲み込んだ手腕は、ただ者の仕業ではない。聖人……は、ここまでの実力がない。第二位でさえあの程度だしな。だとすれば、誰がなんのために……?)
ラムが買った恨みなど、たかだが知れているはずだ。
(メルキュール伯爵である私への脅しか?)
それにしては、同じ空間にいたシャールに何の反応も示さなかった。
普通なら伝言を言い置いたりするものだろう。
カノンもラムがいた場所を見つめ、顔をこわばらせている。
あれだけの魔法の実力があるラムが、一瞬にして誰かの闇魔法に飲み込まれ、姿を消してしまったことが信じられないのだ。
シャールは同じく硬直している王子に視線を移した。
フレーシュも固い表情を浮かべているが、見る限りカノンのそれとは違う。
(相手が何者か知っている風な反応だな)
学舎での訓練のたまもので、シャールはそういう事柄に鋭い。ラムを攫った相手と王子は面識があるはずだ。
「おい、今のはなんだ?」
シャールはフレーシュに問いかける。しかし、王子の返答は素っ気ないものだった。
「部外者の君には関係ない。これは僕らの問題だ、彼女は僕が取り返す」
取り返すということは、やはりラムは何者かに攫われたという意味だろうか。
ならば、こちらも妻を追うまでだ。
(この王子は、メルキュール家に協力する気なんてない。全部自分で解決する気だろうな)
最初からこちらをなめてかかっている相手が、シャールたちの手を借りる道理がない。
説得しても無駄なように思われた。時間が惜しい。
「父上、母上を追いましょう」
カノンが切羽詰まった顔で、シャールに母の救出を訴えかける。
「言われずともそのつもりだ、ラムは取り返す。だがカノン、一度メルキュール家へ帰るぞ」
「何故ですか! 今すぐ助けに行かなければ!」
予想通り、カノンは眉をつり上げて反抗する。
シャールは息子に近づき、彼の耳元で小さく囁いた。
「今の私は追跡魔法を使える……ラムに印をつけておいたから追える状態だ。屋敷の庭に、ラムの誘拐先への転移魔法を描いておく。私は先に転移するから、お前は双子たちを連れて私を追って来い。転移魔法はもう覚えたな?」
「はい。母上から、大雑把な方の転移魔法を習いました。父上の絵が描かれているなら、さらに簡単に転移ができると思います」
「ラムを攫った奴が個人なのか組織なのかもわからん。なるべく早く追ってこい」
「はい!」
シャールはブツブツと何かを唱え魔法に集中し始める王子を傍目に、使用人に「帰る」と告げてメルキュール家に転移した。
そうして、屋敷の庭の地面に転移の魔法を描き、双子を呼びに向かったカノンを残して再び転移する。
(座標はラムにつけた印……慣れないから多少位置がずれるかもしれないが、近くには転移できるはずだ。私の転移先を地面に描いた絵に刻めば、カノンたちも同じ場所へ来られる)
追跡魔法には遠隔から相手を探知するものと、予めターゲットに印をつけておくものの二種類がある。つい最近、シャールがラムに習ったのは後者の方法だった。
遠隔魔法はまだ難しいと、覚えるのを後回しにされてしまったせいだ。
ともかく、そのときに練習としてラムに印をつけていたのを消さずに残していた。
なんとなく消したくなかったという思いがあったが、今になって、そのままにしておいてよかったと心底安堵している。
(正直意味不明な事態になっているが。王子のあの様子からして、過去のラムに関係のある事柄なのか?)
五百年前に自分は存在しなかった。
当時のことはわからず、ラムと王子の様子を見ていると無性にむしゃくしゃする。
憎たらしい王子の言うとおり、シャールはラムの過去を何も知らないのだ。
「体調がまた悪化していないといいが……」
何故ラムだけが忽然といなくなったのかはわからない。
しかし、ラムを救出しない選択肢はシャールの中になかった。
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