第87話 二番弟子の反抗と第三者の出現

 フレーシュは苛立ちを隠しながら自室内を歩き回っていた。じっとしていると、うっかり氷の魔法を垂れ流してしまいそうなので。

 それもこれも、フレーシュの唯一無二の師匠であるラムの夫、メルキュール伯爵のせいである。


(腹立たしい……凍らせてしまいたい)


 ラムもラムで、どういうわけかメルキュール伯爵や義理の息子のもとを離れようとしない。

 あれだけ虐げられていたくせに、やはり今世でもアウローラは重度のお人好しなのだ。


(お人好しのせいで、前世で命を落としたのに……もう勘弁してよ)


 彼女の自由を奪いたくはないが、閉じ込めたい思いに駆られたのは一度や二度ではない。


(頭のおかしい兄弟子のあいつなら、絶対実行するだろうな)


 メルキュール一家は一度自国へ帰りたいなどとぬかしている。

 たしかに、そろそろ帰さなければならない時期だが、フレーシュは敬愛するラムと離れたくなかった。

 だから、事件の事後処理にかこつけて、うだうだと決定を引き延ばしてしまっている。

 それも、もう限界だろう。


「師匠、どうして。なんで一緒にいてくれないの? 僕よりあんな不甲斐ない男を選ぶの?」

 

 メイドたちの、「全身金銀の虎柄服から着替えてください~!」という声を無視し、フレーシュは歩き続ける。

 そうして部屋を出て、廊下を進み、「服を、服をっ!」と、すがりついてくる侍従も無視し、ラムたちの滞在する部屋の前まで来た。

 

 部下の話では、ここ数日で彼女の体調も回復したということだ。

 体調を理由に、「メルキュール伯爵夫人の息子」が、ラムとの面会を妨害してきたが、さすがにもう話ができる状態だろう。

 

 ノックをすると求めていた人物――ラムが顔を出す。

 元気そうにしている彼女に会えて頬が緩んだ。

 後ろで侍従とメイドが「どうか服をお着替えください!」と騒いでいるが、全く気にならないくらい、ラムに会えて嬉しい。

 

 こうして毎日彼女を見ることができれば、どんなにか幸せだろうか。

 それを当たり前のように享受している、ラムと同室の男の存在が尚更許せない。


(メルキュール伯爵も、その息子もこの室内に居るようだね)


 ラムの、アウローラの家族はフレーシュたちだ。メルキュール家なんかじゃない。


「師匠、元気になってよかった」


 声をかけると、ラムは申し訳なさそうに微笑んだ。

 

「びっくりさせてごめんなさいね。すっかり回復したし、そろそろおいとまさせてもらうわ。それにしても格好いい服ね」


 フレーシュのセンスを理解してくれるのは、前世も今世も彼女だけだ。

 メルキュール伯爵と彼の息子は、目を見開いてフレーシュの服を凝視している。美的感覚の欠落した者たちめ。


「そのことなんだけどね、師匠。僕はやはり、あなたを帰したくない。どうかレーヴル王国に留まって欲しいんだ」

「今の私はメルキュール伯爵夫人なの。ずっとは家を空けられないわ」

「あなたの家は、僕のいるここだ!」


 思わず声を荒らげ、ハッと我に返る。

 こんな醜態を見せたいわけではないのに。


「どうしてなの師匠? 僕があなたをこの時代に呼んだのに、探し続けていたのに。師匠と前世のように一緒に過ごせることを夢見ていたのに」


 その場に膝をついてしまいそうなフレーシュをラムが支える。


「フレーシュはもう大丈夫でしょう? 私がいなくても立派に王子をやっているじゃない。前世とは違う。あなたを慕う人は私以外にもたくさんいるわ、もっと周りを見て。でも、私をこの時代に呼んだって、あなたまさか……あの魔法を……」

「僕には師匠が必要なんだ! どうか、いなくならないで! 二度とあんな思いはしたくない……!」

 

 親に縋る子供のように、フレーシュは青ざめた顔のラムを抱きしめた。しかし……


「妻に触るな」


 冷たい声が響き、強引に彼女から引き剥がされる。声の主はもちろん、ラムの夫を名乗るメルキュール伯爵だ。

 彼女が何者であるかも理解しない、国に飼い殺されている弱小魔法使い。


「師匠のことを何も知らないくせに、政略だけの婚姻に縋って夫面して……彼女はお前なんかに渡さない。力ずくで奪い返す!」


 フレーシュの言葉に呼応するように部屋の壁がパキパキと凍り付いていく。

 そうだ、メルキュール家の者がいなくなれば、ラムも諦めが付くだろう。

 ラムに反撃されたとしても、持久戦に持ち込めば、今の虚弱な彼女の体ではフレーシュに勝てない。

 メルキュール伯爵が素早く火魔法で対応しているが、並の魔法使いではフレーシュの相手になるのに力不足だ。じきに魔法もろとも凍り付くだろう。


「フレーシュ、やめなさい!」

「嫌だよ。師匠のお願いでも聞けない」

 

 メルキュール伯爵の息子も微弱な火魔法を放ち、ラムも氷を無に還す魔法を出そうとし、一触即発というところで――

 不意に、第三者の魔法の気配がした。

 

 メルキュール家の親子でも、ラムでも、フレーシュでも、虫かごの中の聖人でもない、濃くて暗い魔力。

 でも、フレーシュはこの気配を知っている。

 白昼堂々。フレーシュがいる前で遠慮なく行動を起こす、豪胆で横柄な気配。

 

(どうして、あいつがここに!?)


 疑問に感じた瞬間、濃厚な魔力から放たれる闇魔法が部屋中に膨れ上がった。


「しまっ……!」


 部屋を覆った黒い闇は液体のように波打ち、フレーシュたちを容赦なく飲み込む。

 そして、闇が引いたあと……


「師匠!?」


 ラムの姿だけが忽然と部屋から消えていた。

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