第86話 家族の時間
今朝のシャールの様子が変だ。
ちらちらと何度も視線が合うのに、そのたびにあからさまに逸らされてしまう。
とても気になり落ち着かないので、私――ラムは、やけに不自然なそぶりを見せるシャールに事情を尋ねた。
「ねえ、シャール。あなた、どうかしたの? 悩み事?」
だが、件のシャールは「なんでもない」と首を横に振るばかりで何も話してはくれない。
挙げ句の果てに「体調が悪いのだから、今日は寝ていろ」と、私を強制的にベッドの住人にしてしまった。
頑なな態度を前に、私は小さく「むぅ……」と唸る。絶対に今日のシャールは変だ。
(やたらと観察されている気がするのよね。教えてもらえないけど)
だが、このままでは、いくら問いただしても徒労に終わりそうだ。
(思った内容を隠しもせず、堂々と口から出すのがシャールなのに。珍しいこともあるものだわ)
困りながらベッドからの脱出を試みていると、コンコンと扉がノックされ、カノンが顔を見せた。
彼は私たち夫婦の部屋の近くに、別室を与えられている。
髪も服装も整えられ、いかにもな貴族の息子という装いのカノン。
しかし、彼はこれらの身支度を一人でやってのけている。
学舎では、そういった行動も全部一人でこなす訓練を受けるらしいのだ。
卒業した今では、次期伯爵として侍従も付いているのだが、「他人に触れられるのは落ち着かない」という理由で、カノンは一人で着替えを済ませることが多い。
「おはよう、カノン」
「おはようございます、母上。また体調を崩されたと聞いたのですが、ベッドから出ても大丈夫なのですか?」
「ええ、もう平気よ。心配をかけたわね」
安心させようと鷹揚に微笑むが、カノンは私の言葉を端から信じていない様子。
そして、私が勝手にベッドから逃げだそうとしている事態にも気づいているみたいだ。
シャールと揃って、いそいそと私を布団の中に戻し始めた。
カノンに母親としての威厳を示したいが、今の状況ではそれも難しい。
(くうっ、この虚弱体質さえなければ……!)
私は不摂生だったラムの病弱な体を恨んだ。
まともな食事を与えられていなかったのは、当時のラムにはどうにもできないことだったが、食べ物があるときでも「どうせ私なんて……」とうじうじして、食事に手を出さない日もあった。
せっかく食事が摂れるチャンスを、どうして何度も無駄にしてきたのか……!
当時の自分の脳天に拳をお見舞いしたい。
「どうかあまり無理をしないでくださいね。あ、それから、先ほど部屋の前で王子の使者と居合わせました。母上を朝食の席に呼び出そうとしていたみたいですが、断っておきましたよ。病み上がりですから、部屋での食事にしましょうね」
「そ、そうね……」
カノンの笑顔から、一瞬威圧的なオーラが垣間見えた気がしたが……?
優しい彼がそんな態度を取るはずがない。きっと気のせいだろうと思い、私はカノンを手招きした。
「あなたの言うとおり、今日は家族揃って部屋での食事にしましょう」
「はい。母上の体が回復したら、また僕に魔法を教えてくださいね。さっさと屋敷へ帰りましょう」
「ええ、早く元気にならなくちゃね」
予想以上に滞在が延びてしまい、カノンはホームシックになってしまったのかもしれない。
我が子のためにも、ここは早めにメルキュール家へ帰った方がよさそうだ。
「そうね。聖人の事件も片付いたし、弾圧された魔法使いも無事に保護できたみたい。あとはフレーシュと話をつけて帰路につくだけ」
前世の弟子の成長した姿も見られたことだし、レーヴル国へ来てよかった。
フレーシュならきっといい王子、そして王になるだろう……その気になりさえすれば。
「帰る前に、家族でこの国を観光したいわねえ。前は聖人騒動のせいでゆっくりできなかったし」
提案すると、シャールが渋い顔をした。
「お前はまだ本調子じゃないだろう。レーヴルの観光は体調が完全回復してからだ」
「そうですよ、母上。今は我慢してください。転移魔法でいつでも来られるのですから」
シャールに便乗して、カノンまでお説教モードになる。
両親に対し、どこか遠慮がちだった義理の息子の面影は、確実になくなりつつあった。
(……この父子、だんだん似てきたわね)
それも、厄介な部分ばかり。
ベッドの中から恨めしげな視線を送る私に気づいているだろうに、カノンは爽やかにそれを躱して料理を運んできた使用人に指示を出す。
「はい、母上。料理が来ましたよ。あーんしてください」
有無を言わせぬ笑顔でスープを掬った匙を近づけてくるカノン。若干圧を感じるものの、無邪気な笑顔は可愛らしい。自慢の息子だ。
だから絆されて、大人しく食事を開始してしまう。シャールまでもが、私がきちんと食べているか確認してくる。
「ラムは食が細いからな。少量でも栄養価の高い食事を摂らせなければ」
「手っ取り早いのは、学舎で食べていた『携帯用非常食』ですが、あのように不味いものを母上に食べさせるわけにはいきません」
「それには同意見だ。あれはパサパサの生ゴミと肥料を固めたような食べ物だからな……以前、ラムが作った手作りクッキー並みの不味さだ」
腑に落ちない一言を聞き、私は食事を一旦止めてシャールを睨んだ。
「ちょっと、何が生ゴミと肥料ですって?」
屋敷に馴染んできた頃、私は屋敷の厨房を借りて菓子作りをしたことがあった。
頑張っている皆に差し入れを届けようと思ったのだ。
そうして手作りのクッキーを皆に振る舞おうと試みた。
それはそれは、実に伯爵夫人らしい行動……だったはずなのに。
何故か全員に激しく受け取りを拒否された上に、シャールから厨房への出入り禁止を言い渡されてしまった。納得がいかない。
「大体シャール、あなた、一口もクッキーを食べてくれなかったじゃない」
「食べなくてもわかる。あれは肥料だと」
「失礼ね。愛情を込めて栄養たっぷりのクッキーにしたのよ?」
「ゲテモノたっぷりの間違いだろう。コックから、お前が手作り野菜パウダーとニガヒカリキノコ、ヒョウケツベリーにセンニチニンジン、干したトゲトゲウオを入れたという証言は得ているんだ」
「全部健康食品よ!」
「菓子にそんなものはいらん! 大体、市場に出回っているのは乾燥粉末なのに、どうしてお前は野菜以外、全部現物のままクッキーにぶち込んだ!?」
「その方が効果があるのよ。魔法薬学でも基礎中の基礎よ? 本当は生が一番だけれど」
言い合いをしている私たちを眺めつつ、カノンは小さくため息を漏らす。
「母上、食事中ですよ?」
「そ、そうだったわね、ごめんなさい。シャールが失礼なことを言うものだから」
言い合いのおかげで、少しだけ元気が出た気がする。
この分だとベッドから脱出できる日も近そうだ。
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