第64話 感謝される伯爵夫人と隣国の事情

 廊下には重い沈黙が落ちた。当たり前だ。

 他国から来た伯爵夫人が、第一王子の横面を引っ叩いたのだから。

 しかも、王子は宙を舞い、勢いよく床に激突している。


(同時に彼の氷魔法は消え去ったけれど、だからといって私の行動が不問に処されるわけではない)

 

 考えていると、お付きの人々が私に詰め寄ってきた。

 

(やばいわ。不敬罪で捕まるかも!? シャールとカノンだけでも庇わないと……)


 しかし、その予想は大きく外れる。

 彼らは、私の前に並び、そろって頭を下げたのだ。


「メルキュール伯爵夫人! ああああありがとうございますーーーー! 我々全員、命拾いしましたーーーー!」

(ええっ、お礼を言われた!?)


 事態が飲み込めず固まる私に向かって、彼らは好き放題に喋る。


「いやあ、殿下の魔法で毎回氷漬けの人間が出るものだから、私どもも対応に苦慮しておりまして。殿下が正気に戻られたら魔法を解いてくださるので、中の人間も復活するのですが……それまでずっと氷漬けでして」


 一人が喋ると他の一人も追従した。


「今まで、殿下が荒れると誰も手が付けられなかったんです。各地から強い魔法使いを呼び寄せたのですが、殿下の魔力量や魔法技術が凄まじく、対抗できる者がおりませんでした。なのに……! 夫人はいともたやすく解決してしまわれたのです! 腕力で!」

 

 正確には魔力を手に纏わせているので腕力というわけでもないが、面倒なので黙っておく。

 その間に、床に倒れたフレーシュが、なんとか自分を取り戻して立ち上がった。


「ああ、師匠! 僕を止められるのは、やっぱりあなただけだ! だから……結婚……」


 しかし、彼がそこまで言いかけたところで、廊下の反対側から兵士たちが慌ただしく駆け寄ってきた。


「殿下、大変です! また、城下で魔法使いを騙った犯行が……」

「ええ~……」


 フレーシュは、嫌そうに彼らに応じる。仕事の話みたいだ。

 

「もう、なんでこのタイミング? せっかくプロポーズの最中なのに」


 ブツブツ言いつつも、きちんと部下に対応している……いや、きちんと対応する姿を私に見せようとしている。

 チラチラと、褒めてとばかりにこちらに視線を送ってくるのは、前世の彼と同じ動きだ。

 

「どうしたの?」


 視線に応じると、フレーシュがまた嬉しそうに頭を突き出してくる。


(何かある度に、これをやらされるんじゃないわよね?)


 事情を知らない兵士の皆さんが困惑している。

 王子がいつまでも頭を突き出しているので、私は仕方なく彼の望みを叶えた。ザワザワと彼らに間に動揺が広がる。

 

「仕事に戻らなくていいの?」

「ああ、うん……戻らなきゃね。でも、ちょっと厄介な案件で……時間が掛かりそうで、行きたくないというか」

 

 歯切れの悪い王子に代わり、お付きの人の一人が教えてくれた。別に機密にするような内容ではないらしい。

 

「近頃、街で魔法使いを騙った悪質な犯行が頻繁に起こっていて、調査を始めたところなんです。今、この国では魔法使いへの風当たりが強くなっていますから、メルキュール夫人も城の外へは出ないでくださいね」

「忠告をありがとう」

「メルキュール家の皆さんには、王都をご案内したい気持ちもありました。ですが今は分が悪いのです」

 

 少し前、この国の大聖堂の司教が変わり、それを機に魔法使いへの弾圧が始まったらしい。

 テット王国と同じで、ここでも「魔力持ち」はよく思われておらず、魔法使いはひっそりと生きている。「魔法使いがメルキュール家だけ」という我が国のように、末期の状態ではないけれど、今のままでは遠からずそうなるかもしれない。

 

 一部の過激なモーター教徒を中心に、勝手に魔法使いの行動範囲に制限を課したり、店への入店を禁止したり、罵声や暴力を浴びせたりといった嫌がらせが起こった。

 モーター教側は彼らを止めず、信者の暴走を黙認している。

 王宮も表立ってモーター教に逆らえず、強く抗議できないみたいだ。


「昨日まで、魔法使いたちも弾圧に抵抗していたのです。このままでは生活できないと、各地でバラバラに暮らしていた国内の魔法使いが王都に集まって、平和的な訴えなどをしていました。しかし……」


 魔法使いたちの中に突如刃物を振り回し、関係のない通行人を切りつけた者が出たという。

 そのせいで、今まで魔法使いに同情的だった街の人たちも、一気に魔法使いを嫌悪する空気になったそうだ。


「で、急遽殿下が出動されて、その場にいた全ての魔法使いを捕らえました。もちろん、暴れている者も。それでですね、調べたところ……暴れた魔法使いには、魔力が全くなかったのです」

「は? どういうこと? まさか……」


 私の言葉に、今度はフレーシュが頷いた。

 

「魔法使いの中にゴリゴリのモーター教徒が混じっていたんだよ。巧妙に魔法使いの仲間のふりをしてね。魔力があっても魔法を使えない者もいる。しかも、魔法使いが集まるという噂を聞いて急遽王都に集まったメンバーだから、それぞれの素性なんて知らない。つまり、誰が紛れ込んでもわからない」


 一人がそんな行動に出たものだから、今では魔法使い全員が悪者のように扱われている。

 フレーシュは捕まえた魔法使いを一時的に城に保護したが、それから味を占めたのか、城下で事件を起こす怪しい「自称魔法使い」が急増したのだとか。


 また、王宮内でも魔法使いを庇うフレーシュと、モーター教を支持する王弟との間で意見が割れているらしい。ちなみに、国王は中立。


(自分のことばかりだったあの子が、他の魔法使いのために動くなんて……成長したわね)


 氷魔法の暴走はともかく、フレーシュはきちんと王子の役目を果たし、部下にも慕われている。

 私は母のような気持ちで弟子の変化を喜んだ。

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