第58話 伯爵は伯爵夫人に申し出る

 部屋に帰った私は、あろうことかシャールに看病されていた。

 自室に入った途端に目眩に襲われ倒れてしまったのである。

 その場にいたシャールは素早く私を寝台へ運び、一旦フエに連絡して令嬢の件を任せたあと、戻ってきて甲斐甲斐しく世話を焼き始めた。


「シャール、もう大丈夫。寝れば治るわ。本当にこの体が弱すぎて嫌になっちゃう。あの程度の魔法で反動が来るなんて」

「今度からは勝手に移動せず、戻って私に連絡しろ。二人なら魔法の威力も二等分できるし、今日のように倒れずに済むかもしれない。お前は私では戦力として心許ないと思っているだろうが、アウローラの本などで突貫だが魔法を覚えた。以前よりは役に立つはずだ」

「……ありがとう。あなた、変わったわね」


 話しかけると、シャールはキョトンとした顔になった。

 

「よくわからん」

「前よりも優しくなったわ」


 告げると彼は瞠目し……恥ずかしさからか、プイッと顔を逸らせてしまった。

 珍しく赤く染まった表情を、もう少し見たかったのに残念だ。

 学舎で育ったせいか、シャールは他人から愛されることや他人を愛することを知らなかった。

 でも、彼はわからないなりに努力して、立派なメルキュール家の当主になろうと動いている。その志を私は否定したりしない。

 そもそも、こういった人間の扱いは慣れている。元弟子たちも、それぞれ複雑な生い立ちを抱えていたので。

 ためらいがちに、妻の額に手を置いたシャールが僅かに顔をしかめる。


「熱が上がっているな。お前の体調を治す魔法はないのか?」

「残念ながら、この症状は魔法では治せない。怪我の傷口は時間を戻して治せるけれど、病気の治癒は細かな調整が難しいし、時間を戻してもやがて再発する可能性が高いの。一つを強制的に治しても、そのせいで別のところが悪化したりもする」

 

 生き物の体というのは厄介で、魔法と相性が悪いのだ。

 かつては、それ専門の魔法使いがいたりしたけれど、彼らも無理に魔法で完治させるより、症状の緩和や体質改善を重視していた。主な治療法は魔法で作った薬だ。

 ちなみに、怪我も酷くなければ魔法での強制治癒より自然治癒がいい。

 子供たちの怪我は私だから治せたけれど、傷を消せない魔法使いも多くいた。


「ままならないものだな」

「そうね、魔法は便利だけれど完璧ではないの。病気の治療の多くは魔法で手を加えた薬を用いるわ。私の虚弱さは生まれついての体質だから、地道に強化していく方法が一番ね」


 静かな部屋の中、シャールは神妙な顔でベッドの縁に腰掛ける。

 

「あなたも覚えておくといいわ。他人の病気を治癒するような魔法は、よほどの生命の危機でもなければ使わない方が賢明よ。使用する場合も、完璧に近い状態に戻せる可能性は限りなく低い」

「お前ほどの魔法使いが言うのなら、事実そうなのだろう。ならば、お前も覚えておくべきだ。一人で問題を解決する前に、夫を利用することをな」

「利用って……」

「幸い、お前には、そこそこ魔力が高く、ある程度の魔法を扱える夫がいる。半分でも仕事をこちらに割り振れば、魔法を使う度に寝込む必要もない」


 私は目をしばたたかせた。あらら、それって……

 

(もしかして、妻を気遣っているの?)


 夫から思いやりのある言葉を聞いて不思議な気分になる。

 最近は何かと私を庇う言動を見せるシャール。

 今の彼を見て、本当に心配してくれているのだろうと確信できた。


(いい奴ね)


 人は変われる。

 当初は離婚しようと息巻いた私だが、敢えてそれを急ぐ必要はないと思い直した。

 跡取りにはカノンがいるし、伯爵夫人と言っても義務はない。

 現在メルキュール家で受け持っている仕事は全て、私がやりたくてやっているものだ。


(そう考えると、今は居心地が悪くないのよね)


 フエやバルとも仲良くできているし、子供たちも皆可愛い。

 それに……テット王国ではもう、魔法はこの場所にしか残っていない。

 

 モーター教の広がりを見るに、他国でも魔法使いは少ないだろう。

 今さらながらに、同類のいない寂しさを感じてしまった。

 

(メルキュール家の皆が魔法使いで良かったかも)


 彼らの常識を覆し、私は屋敷の改革に着手した。

 それでも、シャールを含めた全員が最終的に意見を受け入れてくれた。

 それはとても幸運なこと。

 

(一度手を着けた状況を途中で投げ出すのも駄目よね)


 もう少しだけ、私はメルキュール家での暮らしを継続しようと思った。


 ※


 あれから数日――

 司教補佐こと使者のセピューは一連の事件を公にされたあと、無事セルヴォー大聖堂へと帰された。とはいえ、堂々と出歩くことはできず監禁中の身だ。

 令嬢たちも、それぞれの家で同じような道を辿っている。

 

 メルキュール家により、人身売買が大々的に世間に知らされたとあって、セピューの立場はない。

 子供たちの尋問によって、やったことを全部ゲロってしまった。

 

(なんだ、あのえげつないガキ共は! 一体、どういう教育をしたら、ああなる!?)

 

 証拠が出揃いすぎて、また事態が大きくなりすぎて、上司である司教や王都の住人、国王までもが事件を知ることとなった。

 彼らはなんとか事態を収拾しようと動いたが、それも難航中。

 

 火消しに躍起になっていたところへ、突如隣国の王族が突撃訪問してきたからだ。

 城にいればいいものを、大聖堂にまで押しかけてくるなんて。

 

(しかも、なぜかクリミネの町での事件を全部把握しているときた。なんでだ!? たまたま居合わせた? そんなはずがないだろう。一部の者しか知らない犯罪者の街だぞ!?)

 

 誘拐や人身売買の話は違法な内容なので、言い訳も通じず、事件のもみ消しは失敗に終わった。

 

(隣国め、一体何を企んでおる。今のところ特に関係が悪くはないが……)


 隣国の王族の心情など、セピューにはさっぱりわからないのだった。

 一度面会したきり、隣国の王族には会っていない。今は城に戻ったようだ。

 現在セピューは大聖堂のとある部屋に監禁中だが、たまに司教が様子を見にやってくる。

 

「セピューよ、そなた……相変わらず臭いな」

「ははーっ! 申し訳ございません!」


 司教に頭の上がらないセピューは、ただただ平伏する。


「今回の件、さすがの私でも庇い立てできぬ。我が国の陛下にも無理だ」

「そ、そんな……私は悪くない、全てはメルキュール家のせいです!」


 瞬間、セピューの全身の毛がぞわりと伸びた。

 

(先日、剃ったばかりだというのに)


 一体、どういうタイミングで生えてくるのか……

 セピューにはまだ、この魔法の性質がわからなかった。

 しかも、司教は続けて非情な言葉を継げる。


「そなたは、今回の事件の責任を取る形で総本山に戻れ。しばし、騒動から離れるとよい。その珍妙な魔法も解読してもらえるやもしれぬ」


 沙汰を聞いたセピューは青くなって震えた。

 

「嫌です! 総本山送りだけは、どうか、どうか、お考え直しを! こんな状態で送られてしまえば、私は聖人たちの実験台にされ、ただでは済みません!」


 しかし、司教はセピューの言うことを聞き流す。

 

「反論しても無駄だ。もう総本山に連絡した。臭いのを大聖堂に置いておきたくないしのう」

「全ては、メルキュール伯爵夫人のせいなのです! 極悪な魔女を野放しにしては駄目です! 必ずや、モーター教の脅威となります!」

「夫人には会ったことがあるが、正直言ってそのような魔法使いには見えなんだぞ。臆病な子ウサギのような女だ」

「特大の猫を被っているのです! あの女は世紀の大悪女だ!」


 司教は哀れみの目で部下を見た。

 

「やはりセピュー、そなたには総本山での休養が必要だ。大人しく沙汰に従うが良い」

「い、嫌だ、やめてください! 総本山送りだけは!! うわぁああああーーーー!」


 司教によって監禁部屋の扉が再び閉ざされる。

 セピューの泣き叫ぶ声は、いつまでも大聖堂の廊下に響いていた。


「はて、メルキュール家にそのような魔法を使える者はおらぬが……一体どうなっているのだ?」


 大聖堂を歩く司教アヴァールは、一人首を傾げるのであった。

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