第30話 伯爵夫人の可愛い部屋
バルは豹変したメルキュール伯爵夫人に対して興味と共に不信感を抱いていた。
自分が留守の間に、なぜか夫人がシャールと仲良くなっている。
周囲から冷酷だと恐れられる伯爵が特定の女性に親切に接するなんて、演技だとしても異例のことだ。
利害関係がない、彼が全く興味がなさそうな弱々しい女性なら尚更。
夫人がまだ男爵家にいた頃、バルは将来伯爵夫人となる女性について入念に調べた。
男爵家で疎まれる魔力持ちの令嬢は、大人しくて部屋から出ない、病弱で臆病な自分を持たない人物だった。
だから忙しいシャールを煩わせず、ちょうどいいと思い推薦したのだ。
それが、このような事態に発展しようとは。
双子の弟であるフエが夫人を全面的に支持するのも気になる。
少し前までシャールと同じく夫人に無関心だったくせに。
バルにとって、今の夫人は自分たちの家を壊す恐れのある異物に思えた。
学舎でともに過ごした者同士は絆が生まれやすい。褒められたことではなかったが過酷な環境下を生き抜くためには仲間が必要だった。
特にバルたちの代はメルキュール伯爵家が荒れたので、愛人の子供である自分とフエは複雑な立場に立たされていた。
前伯爵の実子、次期伯爵候補のシャール。
二人が反目し合ったとき、日頃から虐げられていたバルたちは迷わずシャールに付いた。
日和見主義で野心家のグルダンとはわけが違う。
フエ曰く、夫人はメルキュール家の使用人をほとんど入れ替え、学舎の決まりを変えようと動き出したらしい。
(よそ者なのに、大胆だよね)
重厚な扉を押して部屋を出る夫人の腕を強引に引いて止める。
「バル、報告を聞こう。ラムの腕を放してやれ」
シャールがまた夫人を庇うような発言をした。
彼のなけなしの親切心は、ささやかすぎて全く夫人に通じていない。
メルキュール伯爵と言えば並の貴族からも恐れられる存在なのに、彼女は普通にあしらっているし。
「夫人もメルキュール家の一員なんだから、一緒に話を聞くべきでは?」
「ラムは忙しい。私が仕事を依頼したのだ」
「仕事って?」
社交もまともにできない彼女に仕事なんて頼んで大丈夫なのだろうか。
事実、バルは夫人が寝て着飾って部屋で一人本を読んだり、お茶を飲んだりしている姿しか見たことがなかった。
「翻や……げふんっ。とにかく、多忙なラムを煩わせるな」
夫人に目をやると、困った顔で掴まれた腕を見つめている。
「あの、そろそろ放してもらえないかしら?」
「魔法を見せてくれたらね」
「ここであなたを投げるわけには行かないわ」
「他の魔法でもいいよ。フエに聞いたけど、奥様は面白い魔法を使えるんでしょ? 今使ってみたいものはない?」
なんでもいいから早く解放されたがっている夫人の様子を見るに、もう一押しだ。自分の目で彼女の魔法を確認しないと納得できない。
身勝手なのは百も承知だが、メルキュール家を守るためだ。
「それなら……幻影魔法で、この書斎の雰囲気を少し変えてみようかしら。ちょっと重苦しくて暗いと思っていたの」
余所から来た人間なら、伯爵家の光景を見てそう感じるのも不自然ではなかった。
優秀な魔法使いを排出するメルキュール家には、年代物の不気味な置物や家具が多い。
全体的に黒い部屋、気味の悪い彫り物が入った家具、禍々しいカーテンや絨毯。
ここを訪れる者に嘗められないための配慮だと前伯爵は言っていたが……外部の人間からすると、ただただ気味が悪いのだろう。
「シャール様、構わないですか?」
バルがシャールに許可を求めると、彼は「ラムがいいなら」と頷いた。
「それじゃあ、手を放してくれるかしら?」
「駄目だよ。奥様が逃げないとは限らないから」
「……魔法に巻き込んじゃうかも」
「模様替えだから、害のない魔法だよね?」
「安全ではあるけれど」
迷いつつも、夫人は魔法を放つべく掴まれていない手を上に掲げた。
「シャイニング可愛い部屋!」
(何、今のかけ声?)
魔法を使う者は彼女に限らず決められた技名を叫ぶ場合が多い。
その方がイメージが固まり魔法を具現化しやすいのだ。
(聞いたことのない魔法名)
しかし、夫人の魔法は確実に放たれたようで、部家の中に淡い光が広がっていき、壁やら家具やらを優しく包み込んだ。
どこか神々しく見える魔法に、バルの目は釘付けになる。
やがて白い光が収束し、現れたのは……
桃色と白を基調とした可愛らしすぎる部屋だった。
「なんだ、これ」
不気味な置物は子供が好むような可愛い……いや、ちょっと不細工なぬいぐるみになり、カーテンは花柄のレースに、絨毯は雲のようにもこもこした物体に姿形を変えていた。
棚も赤と白の水玉模様で、おどろおどろしく薄暗いシャンデリアは、まんまるとした太陽や月や星の姿になって明るく輝く。
(絶妙にちぐはぐで趣味が悪い)
苺柄の執務机を前に、シャールも開いた口が塞がらない様子だった。
しかし、夫人本人はやりきった表情を浮かべる。
「うふふ、つまらぬ部屋を模様替えしてしまったわ。素敵になってよかった」
よくない、断じてよくない!
メルキュール家当主の書斎が悪趣味で、間違った可愛らしさが全開な部屋に大変身。
こんなの、絶対外部の客には見せられない。
うろたえていると、夫人が「あら……」と言って、バルの腕を見た。
「やっぱり巻き込んじゃったわね。あなたが手を放してくれないから」
言われて自分の手を確認すると……
「ひいっ!?」
バルの手は肘の辺りまで淡い桃色に染まっており、小ぶりな檸檬色のリボンが大量に描かれていた。近くに置かれたクッションカバーと同じ柄だ。
「と、取ってください……無茶なお願いをした俺が悪かったので」
バルは割と必死に夫人に訴えた。
冷酷無慈悲な魔法のエリートであるメルキュール家の者が、こんな手で仕事に出たら嘗められるどころでは済まない。
しかし、夫人はコテンと首を傾げ、悲惨な柄に染まったバルの手を見つめる。
「とても可愛いのに。人体に害はないけれど、これを取るには専用の薬を飲まなきゃいけないの。シャール、薬の調合用に厨房を使えるかしら?」
「……屋敷の外に……実験場があるから、そちらを使え……材料も……自由に選んで構わない……」
メルキュール伯爵は放心状態だった。
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