第29話 伯爵夫人は挑発される
必要な本を手に、夫の気が変わらないうちに隠し部屋を出る。
シャールが壁をいじると、また本棚が動き出して隠し通路を塞いだ。
(たしかに、あのコレクションは他人に見せられないわよね)
シャールを見ると、いつもの冷淡な伯爵の顔に戻っていた。
格好を付けているが、正体はただのアウローラマニア。
これからは生暖かい目で見てしまいそうだ。
「この本は薄いし、ちゃちゃっと翻訳しちゃうわ」
「無理は言わない。急がないからな」
「大丈夫よ」
書斎なので、机も椅子も揃っている。
「寝るまでには完了するわ」
話していると、書斎の扉がノックされ、フエの声がした。
「シャール様~、外に出ていたバルが帰ってきました。そのご報告と、グルダン捕獲についてお話ししたいのですが」
グルダンは捕獲されたみたいだ。
回収でなく捕獲という点が気になるけれど。
シャールは一瞬私に視線を移したが、「入れ」と簡潔に告げた。
(今までなら、「お前は出て行け」と言われそうな気がしたけれど、考えを変えたのかしら?)
そうこうしているうちに、フエたちが入ってきた。
バルという人物に会うのは、初めてだ。
「ただいま戻りました、シャール様」
現れたのは、フエと同じ顔にフエと同じ背丈の男性。赤と茶の斑髪のみが、フエと異なる。
それでいて、雰囲気は控えめなフエより、大胆さを孕んでいる。
(兄弟かしら?)
何事もなかったかのような態度を示すシャールは、バルのほうを向いて偉そうに言った。
「よくやった」
そして、気遣うように私のほうを振り向く。
「ラム、この男はフエの双子の兄でバルという。主に外での仕事のとりまとめ役だ」
バルは、にっこり微笑んで口を開く。
「はじめまして、奥様。と言っても、僕のほうは、あなたを知っているけどね。婚約時、男爵家に調査に入ったのは僕だし」
なんだろう……ちょっと、引っかかる言い方だ。
「シャール様、グルダンは、廊下に転がしてまーす。メルキュールの敷地内に魔獣を呼び込もうとしていたから。拘束魔法をかけたら、あっさり気絶しちゃった」
「ふん、くだらない真似を。ラムに説教されたばかりだというのに、逆恨みしたか……」
「ラム……? もしかして、奥様が……グルダンに説教したの?」
バルの目が興味深げに輝き、視線がシャールから私に向く。
「へぇー、灯りをともすことしかできない奥様が、グルダンに立ち向かったんだ?」
挑発のつもりだろうか。
好戦的な眼差しを受け、私は彼に良い感情を持たれていないのだと悟った。
しかし、口を開く前にシャールがバルをたしなめる。
「グルダンの教育は行き過ぎだった。ラムはそれを正しただけだ」
どういう風の吹き回しなのか、シャールは私に味方してくれることが多くなった。
「ねえ奥様、グルダンを倒した技を、僕も見てみたいなあ」
フエと同じ色の瞳が妖しく輝く。
私はため息を吐きながらバルに返事した。その手には乗らない。
「なんで私があなたに見せるためだけに、わざわざ投げ技を披露しなきゃいけないの? もう部屋に戻るから、シャールに報告があるなら済ませるといいわ」
書斎はシャールと双子が報告の場にしそうなので、アウローラの本の訳は部屋で書くことにする。
だが、バルは引き下がらなかった。
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