第11話 伯爵夫人は捕獲される

「ところで、カノン。学舎の訓練はどうしたんだ」


 今さら思い出したように、シャールが息子に向けて口を開く。

 すると、カノンはしまったとでも言うように、ばつの悪そうな顔になった。

 やはり父親が苦手らしく、体をこわばらせ、固い声で話している。


(……たぶん、さぼって来たのね)


 単調な訓練より、空間魔法と幻覚魔法で遊びたい気持ちはわかる。私が学舎の生徒だとしても、そう感じるだろう。

 

「それで、次期伯爵が務まると思っているのか」


 もっともらしく説教師始めるシャールに対し、私はカノンを庇いながら反論した。


「あら、務まるわよ。逆に、あんな訓練を毎日積まなきゃなれない伯爵なんて、たかがしれるわね? 一日さぼったくらいじゃ、何も変わらない。カノン、気にしないで。一緒に行って、教師に説明してあげる」

「ラム、お前はカノンではなく、私と一緒に来い。まだ話したいことがある」

「私のほうにはないわ」


 言い合いを続けるうちに、カノンが「僕は大丈夫ですから」と言って、一人学舎に戻ってしまった。シャールよりもカノンを優先したかったのに……

 勝ち誇った笑みを浮かべる隣の男が憎い。


「で? 息子を追い返してまでする重要な話って何?」

「お前はどこで、あれらの魔法を覚えたのだ?」

「……もしかして、覗いていたの?」

「庭を通りかかったら、楽しそうな声が聞こえたのでな。あんなカノンを見たのは初めてだ」


「そりゃあ、学舎とやらでプレッシャーを与えられ、つまらない訓練ばかりやらされれば、笑顔もなくなるというものでしょう」

「訓練は、メルキュール伯爵家に集まった者としての義務だ。かつて、私も行っていた……が、先ほどの魔法はいいな。ふざけた魔法だが、同時に複数の魔法を安定して展開する必要がある」

「辛気くさい顔で、ひたすら魔力を調整させるより、楽しくていい授業でしょ?」

「その楽しい魔法を、お前はどこで覚えてきた?」


 話が振り出しに戻ってしまったので、私はカノンにしたのと同じように「独学」だと答えた。しかし案の定、シャールはカノンほど素直に話を信じない。


「体が弱く、実家で碌な扱いを受けていない弱小男爵家の令嬢が……いつ、誰から、それほどの魔法を学んだのだろうなぁ?」

「うふふ、あまり覚えていないわ。お父様の商売の関係で、魔法に関する本が紛れ込んでいたのかもね? それより、あなた、男爵家の内情まで把握しているの?」

「妻になる女のことだからな。とはいえ、今までさほど興味がなかったが」


「正直すぎ、やっぱり最低ね! 離婚です」

「なんとでも言うがいい、離婚はしない。いくら吠えたところで、お前が私の妻だという事実は覆らないから諦めろ。ところで、今日はかなり体調がよさそうに見える。このまま、散歩に付き合え」


 こんな最低伯爵と一緒に散歩するなんて絶対にごめんなので、仮病を使ってでも回避しようと決意した。

 

「……うっ! 持病の癪が……!」


 腹を抱えてふらつくという、迫真の演技を見せる私を前に、シャールはニヤニヤしながら告げる。

 

「それは大変だ。私が部屋まで運んでやろう、光栄に思え」

「違ーう! そうじゃない!」

「思ったより元気そうだな。なに、遠慮するな」


 もはや、言い訳は完全に封じられた。

 逃げようと回れ右したところを捕獲され、庭師に生暖かい視線を送られながら、シャールに横抱きにされつつ庭を移動する。


(シャールめ。平和主義の私に感謝なさい)


 伝説級の魔法使いではあるが、私は余計なもめ事が嫌いだ。

 ここでシャールに向けて最大級の攻撃魔法を放てば、後々厄介な事件に発展することは目に見えている。

 今世では静かな生活を夢見ているので、そういう展開は望まない事態だった。


 物珍しさから妻に興味を抱いたシャールも、しばらく時間が経てば飽きるだろう。

 タイミングを逃さず、離婚を切り出せばいい。

 ふっふっふっと妄想に励んでいると、上からシャールの声が降ってきた。

 視線を上げると、物憂げな赤い瞳が私を見下ろしている。


「この私が直々に運んでやっているというのに考えごととは」

「体調が悪い妻にそんなことを言うなんて。離婚です」

「やれやれ。お前は、二言目には『離婚』だと騒ぐ……ほら、ついたぞ」


 シャールが顎で示した先には、彼の部屋があった。

 器用に腕で扉を開け、妻を抱えたまま、シャールはさっさと中に入っていく。


「へっ?」


 てっきり、私の部屋へ戻ると思ったが、どうしてこんなことになっているのだろう?

 部屋の中央に置かれた、深紅のカバーがかかった巨大な寝台に近づくと、シャールは傲岸不遜な態度から想像できないような丁寧な仕草で、そっとその上に私を下ろした。


「あ、ありが……」

 

 うっかりお礼を言いそうな妻に向け、シャールは再びニヤリと人の悪い笑みを浮かべると、そのまま私を押し倒して上に覆い被さってきた。


「なっ……なっ!? なななな……!?」


 突然訪れたこの状況に驚きすぎて、言葉が出てこない。頭は真っ白だ。吐息がかかるほど近くで、シャールが囁く。

 

「先ほどまでの威勢のよさはどうした?」

「ね、眠いなら、お一人でどうぞ。おやすみなさいませ」

「妻を前にあっさり眠れるほど、私は朴念仁じゃない、俺は意外にお前を気に入っているんだ」

 

 するりと髪を撫でた彼の手が頬に添えられる。

 緩く熱を帯びた双眸には、うろたえる自分の顔が映り込んでいた。しかし……

 伝説級の魔法使いアウローラは生涯を独身で過ごしたため、男性への免疫が皆無。

 私はそのまま、白目を剥いて気絶してしまったのだった。

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