第7話 伯爵夫人は離婚がしたい

 寝間着姿の私は、ただただ困惑していた。

 夜中に伯爵――シャールが部屋まで押しかけてきたからだ。

 こんな時間に一体なんの用だというのだろう。


(もう眠いんですけど。しかも、伯爵となんの話をしたらいいの。数ヶ月間、ずっと放置されていたから、会話のネタすらないわ)


 私はもちろん、シャールについて何も知らなかった。

 ラムが、夫に興味を持っていなかったので。


 彼女はシャールに対し、「怖い」という印象以外抱いていない。

 かといって、何もしないわけにはいかない。とりあえず、妻として形式的に挨拶をしてみる。


「こ、こんばんは。こんな時間に何かご用でしょうか……?」

「ラム、今日はお前に話をしに来た」

「特に話題があるとは、思えませんけど?」


 なんとなく、シャールがどうして部屋まできたのか予想はついた。

 魔法学舎で周りを驚かせてしまった件が原因だろう。

 フエが彼に報告したに違いない。


「ラム、お前は『灯りをともす』以外の魔法も使えたそうだな。初耳だ」

「体調がよくなったからですかねー」


 フエのときと同じ理由で適当に誤魔化す。

 正直言って、私もシャールに興味がない。

 形だけの結婚のあと、妻が冷遇されようが、軟禁されようが放置していた人間だからだ。

 

「おい、学舎でやった魔法を見せろ」

「いきなり、なんですか? どうして、あなたに魔法を見せないといけないの? 命令される覚えはありません」


 断られるのは予想外だったらしく、シャールは不思議そうな表情を浮かべる。

 

「お前は、私の妻だろう?」

「ええ、そうですね。結婚したら用済みの、形だけの妻ですね。既に、あなたの目的は達成されたので、いてもいなくても構わない存在でしょ?」

「……実家の男爵家への援助は継続している」

「今すぐ打ち切っていただいて構いません。あの人たちが路頭に迷おうと、私は、ぜーんぜん困りませんもの」


 うふふと笑って答えると、シャールはニヤリと口の端をつり上げた。


(どうしてかしら? 嫌われる内容しか告げていないのに……何故この人は、いい笑顔を浮かべているのかしら?)


 不審に思いつつ、相手の出方を窺う。


「夫として、お前自身の生活の面倒も見てやっているだろう」

「軟禁生活に残飯ご飯の囚人生活のことですか? それとも、メイドたちによる『風呂』と称した、寒い季節の強制水行訓練のことです? 睡眠を妨害されて、毎晩侍女に『旦那様の愛人に私を紹介しろ』と騒がれることです? こちらが防御を取れないからと嘗められ、執事から悪戯で軽い攻撃魔法を飛ばされ怪我させられるサバイバルな日常のことです?」

「それは……」

「もしかして、侍女からのビンタの件ですか? そうですか。あれらの生活は、旦那様が与えてくださったものでしたねぇ?」


 ここぞとばかりに、溜まった不満をベラベラとしゃべり立ててやる。

 そして、最後ににっこり笑って言葉を続けた。


「こんな、文句ばかり垂れる妻は嫌でしょう? なので、どうぞ離婚してください。私はどこでもやっていけますので」

 

 前世の伝説級の魔法使いは庶民出身なので、平民生活も苦にならない。

 むしろ、自由に動けるのはありがたかった。

 どや! とばかりにシャールのほうを見ると、彼は急に笑いだす。

 今までに見たことのないほど晴れやかな表情だ。

 

(なんで? ここは困惑するか、ショックを受けるか、怒りだす場面じゃないの?)


 だというのに、夫が笑う意味がわからない。


「噂によらず、いい性格をしているじゃないか。気に入った」

「こっちは離婚して欲しいと言ったんですけど? 聞こえていますかー?」

「遠慮するな、私には最初から離婚する気などない。お前に会って、さらに決意が固まった」

「どうして!?」


 こんな展開は望んでいない。


(普通、ここまで妻に暴言を吐かれたら、追い出したくなるでしょう?)


 もともとシャールはラムを爪の先ほども愛していないはずだ。

 離婚してくれないと困る!

 

「当てが外れて残念だったな、ラム? さっきも告げたように、私はお前を気に入ったんだ」

「私のほうは、あなたに興味ないですけど……」


 思わず素で返すと、相手はますます嬉しそうな顔になった。


(嫌だわ、喜ばせるつもりなんてないのに)


 もともと、「冷酷」なシャールによい印象はなかったけれど、その上に「変人」というマイナス要素が追加された。


「ラム、私はお前を誤解していたようだ。貴族令嬢など皆同じで、実力も自分の意見もなく流されるままの、夫に媚びを売るつまらん人間だと思っていた。まさか、メルキュール家歴代最強と謳われる私に正面切って喧嘩を吹っかけるやつがいようとは」

「失礼すぎない? 世の貴族令嬢全員に謝ったほうがいいわよ。それに、私は喧嘩を売っているわけではなく、事実を伝えただけです」


 文句を言えど、シャールは気に留めず、自分の話したいことだけを口にする。

 

「ラム、お前は予想よりかなり面白い女だった」

「あなたは、予想に輪をかけて嫌な奴だわ。もう眠いから帰ってくれる?」

「何故だ。ここは私の屋敷で、私がどこにいても自由なはずだ」

「それ以前に……ここは私の部屋で、プライベートな空間なの!」

「夫がいてもおかしくはない」


 今さら、どの口がそんなことをぬかすのか。

 ジトッと相手を睨んでも、ますます喜ばせてしまうだけというのが歯がゆい。

 

「お前は離婚したいと喚くが、貴族の離婚がそう簡単に成立するわけがない。特にメルキュール家の当主は特殊な身の上だから、婚姻や離婚には国王の許可が要る。離婚は諦めろ。それに、私はともかく、カノンは母親を恋しがるかもしれないだろう?」

「……!」


 彼の言葉を聞いて、私は急速に冷静になっていく。

 たしかに、今のラムには子供がいるのだ。

 血が繋がっていないとはいえ、まったく母子らしからぬとはいえ、勝手に家を出て行けば、息子のカノンがショックを受けるかもしれない。

 

「……今日のところは諦めるわ。でも、あなたと離婚したいという意志を、撤回するつもりはありませんから!」


 言うと同時に、怒濤の勢いでシャールを部屋の外に押し出した私は、バタンと扉を閉め鍵をかけた。


(よしよし、これで邪魔者を追い出したわ)

 

 外からはシャールの笑い声が聞こえてくるけれど、閉め出せたので良しとする。

 

「はあ、疲れた。さっさと寝ましょう」


 当初の予定通り、私はベッドに潜り込み、三秒後に意識を飛ばした。

 扉の外でシャールが「あのカノンが、母親を恋しがるようなタマかよ」と、笑いながら呟く声も聞かずに。

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