第2話 伯爵夫人は伯爵に会う
しばらく歩き続け、屋敷の入口にさしかかると、若い執事の一人が声をかけてきた。
ヘラヘラと笑う彼もまた、私を見下している。
「困りますよ奥様、一人で勝手に出歩かれては。私どもの仕事を増やさないでいただけますか」
要するに、世話を焼くのが面倒だから、部屋にすっ込んでいろということらしい。
しかし、今の私は言われっぱなしの気弱な奥様ではないので、彼の要求を受け入れるつもりはなかった。
わざとらしくコテンと首を傾げ、執事に問いかける。
「あら、どうして? なぜ、屋敷の女主人が出歩くのに、執事の許可が必要なのかしら?」
思わぬ反撃に遭った執事は目を丸くするけれど、嘗めている相手に従う気はないようだ。
「いいから、いつものように引きこもっていてください。我々は忙しいのです。これ以上ごねるのなら、旦那様に言いつけますよ」
「好きにすれば?」
一向に言うことを聞かない私に対し、執事はにわかに苛立ち始める。
「メルキュール家から離縁されてもよろしいのですか? ご実家への援助も打ち切られますよ!?」
「構わないわよ~?」
そもそも、ラム・メルキュールは実家にいい思い出がない。
伯爵家と同様に、実家の男爵家でも何かと虐げられていたからだ。
彼女の卑屈で気弱な性格は、嫁ぐ前にできあがっていた。
体の弱い長女のラムは実家で不良債権扱いされており、華やかな妹たちと比べて期待もされない地味な娘だった。誰に似たのか、髪の色も他の姉妹のような鮮やかな亜麻色ではなく、一人だけ変わった浅緑色。
そのせいで、嫁ぎ先を見つけるにも苦労する有様で……
僅かに体に流れる魔力をダシに、両親はラムを伯爵家の後妻としてメルキュール家へ売り飛ばした。
たまたま、伯爵家へ嫁ぐ条件が「魔力の有無」で、今どき魔力を持って生まれる娘は珍しかったからだ。
大した魔法を使えるわけでもなかったが、ラムは伯爵と結婚し、両親は継続的な資金援助を取り付けた。
(実家でも両親や妹たちに虐められてばかりだったし、特に思い入れはないのよね)
姉なのに、ラムの着るものは、妹たちのお下がりばかりだ。
伯爵家に嫁いで、あの家を出られたのは、ある意味ラッキーだったかもしれない。
魔法には「火」、「水」、「木」、「雷」、「風」、「土」、「光」、「闇」という八つの属性があり、魔力を持つ者は、そのうちどれか一つの属性を扱うのが得意だった。
他の属性も使えるけれど、得意属性の半分ほどの威力しか出せない。
(体が弱かったのは、魔力の扱いがわからず、循環が下手だったからね。今の私なら、どうとでもなるわ)
ラムが使える魔法は「光魔法」だ。しかし、才能はなく、僅かばかりの灯りをともすことしかできなかった。
前妻だった女性が複数の「火魔法」を使えたので、「後妻の魔法は一つだけ。その上、しょぼい」と、伯爵家では軽視されている。
(光魔法は便利なのにね?)
前世の私もまた、光魔法の使い手だった。
光魔法の使い方は、灯りをともすだけにあらず。もっと、ずっと、応用が利く。
(高出力の光で、辺り一帯を焼き尽くすとかね)
それに魔力を上手く循環させると、「力を強くする」、「体を丈夫にする」などの恩恵も得られるのだ。侍女のラクリマを吹っ飛ばしたのも、その力である。
というわけで、今の私に怖いものなどない。
「『離縁したければどうぞ』と、旦那様に伝えるといいわ」
実家がどうなろうと、知ったことではない。
そもそも、両親が無能で新しい事業に手を出しては失敗しているのが原因だ。
そのくせ、毎日の生活は贅沢三昧。今の状況は、なるべくしてなったものだった。
「奥様のくせに生意気な! 部屋に戻りますよ!」
執事は乱暴に私の腕を掴んで動き出す。
役に立たない伯爵夫人に対してとはいえ、普通では考えられない行動だ。
強く掴まれた腕が痛い。
(振り払っていいかしら、いいわよね……?)
ぐっと腕に力を込めて踏ん張ってみる。
「しつこいわね。戻らないと言っているでしょう?」
「いい加減にしてください! 役立たずの分際……うあぁぁぁ――――っ!?」
「えっ……!?」
ブンッと腕を振り払ったら、勢いよく執事が吹っ飛んでいった。
彼は侍女の時と同様、そのままドーンと壁に激突して床に崩れ落ちる。
「あら……また、つまらぬものをしばいてしまったわ」
邪魔な執事を放置して先へ進もうと思ったところで、屋敷の入口の扉が開いた。
現れた人物を見て、執事が「助けが来た」とばかりに顔を輝かせる。
「だ、旦那様っ!」
私も入口に視線を移した。
長身で冷たい美貌を持った紳士が、高級な上着を侍従に手渡している。
サラサラと流れる背中まで伸びたまっすぐな白銀色の髪に、宝石のように美しい緋色の瞳。
シャール・メルキュール――
五つ違いのラムの夫で、現メルキュール伯爵。
彼はメルキュール家歴代最強と謳われる、「雷魔法」の使い手で、国内の魔法に関する仕事の全てを任されている冷酷で残忍な男だった。
多忙なためか、シャールは滅多に屋敷に帰って来ないし、たまに現れてもラムのことは気に留めず、さっさと仕事部屋へ向かってしまう。
ラムを娶ったのも、きっと「周囲がうるさいから、毒にも薬にもならない男爵家の不良債権を金で買った」というような理由だ。
両親は金さえもらえれば文句は言わないし、ラムは気弱で引きこもりがちな、手のかからない妻だったので。
(それはそれは、都合がよかったでしょうね)
シャールに冷たい視線を向けつつ、その場を立ち去ろうと動くが、後ろから執事が私の悪行を彼に告げ口した。暴力的だとかなんとかわめいている。
(なんとも躾のなっていない執事だこと。多忙な伯爵に向かって、無害な伯爵夫人の告げ口だなんて)
シャールはチラリと私に視線を移す。
「……いたのか」
私は形式的に「おかえりなさいませ」と挨拶した。
いつものラムならシャールに脅えて視線をそらせ、声をどもらせていたところだけれど、今はこんな小僧なんて怖くもなんともない。
確かにシャールは力の強い魔法使いだけれど、妻に興味の欠片もないので、つまらない嫌がらせはしない。ある意味屋敷の中では一番安全な人物だ。
「面倒ごとは起こすな」
彼は私に向かって淡々と注意し、それを見た執事がニヤニヤと笑う。嫌な感じだ。
「お言葉ですが、そちらの執事が乱暴に腕を掴んだので振り払っただけです。小さなことで、いちいち屋敷の主人に文句を垂れる方がどうかと思いますけどね」
今のところ、屋敷の人事権はシャールが握っているが、忙しさを理由に使用人を放任しているので、彼らはやりたい放題だった。
先ほどの甘ったれた行動も、その一環だろうが、執事はそれを当たり前だと考えている。
「屋敷の管理は伯爵夫人の仕事だろう。使用人の躾も……」
さっさとこの場を去りたいのか、シャールは私に責任を押しつけてきた。
最低だけれど、こちらにとってはありがたい。
「あら、屋敷のことを私に任せてくださるの? それなら頑張るわ」
言質を取った私はにんまりと口の端をつり上げる。
(やったわ! 正式に屋敷の管理権を手に入れたわ!)
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