閑話:ショートケーキ
アレから酔い潰れた?チーフを家まで送って。
その後は俺も最寄り駅まで戻ってきた。
でも――今日はまだ飲み足りないなんて思ってしまったのだ。
変な所で係長に酔いを醒まされたからかもしれない。
チーフにアレを渡せた達成感もあるな。
そして達成感と共に……俺の頭の中にはもう一つ何かがあった。
嬉しさと驚きが混じったチーフの表情。
それを見てから――どこか俺は、ゆっくりと昔を思い出したくなったんだ。
☆
駅前。
丁度良く酒が飲める場所があったので入る。
バーとカフェを融合させたようなオシャレな店。
当然初めてだ。何時もなら抵抗があるが――程よく酒が入った今、自分でも驚くぐらいすんなり席に付いていた。
「……お待たせしました、珈琲酒です」
「ああどうも。こういうのってどう作るんですか?」
「基本は果実酒と一緒ですよ。焼酎とコーヒー豆に氷砂糖があればご家庭でも作れます」
「へえ。そんな感じなんですね」
「ふふっウチのはちょっと手が込んでますが。それではごゆっくり」
出されたそのグラスを受け取って、グイッと口にする。
珈琲と酒。相容れないモノだと思っていたが案外美味しい。
だがいつも飲んでいる苦味とは少し違うせいか、何かが頭に引っ掛かった。
「……」
そしてそれは、ある記憶を引っ張り出す。
《――「こんな苦いの何が美味しいんだよ……」――》
《――「はは、僕らにはまだ早いって」――》
《――「兄さんも飲めないの?」――》
《――「うん。まだまだ子供だからね僕は」――》
《――「そ、そっかぁ……」――》
まだまだ、左腕を使っていた幼少の頃。
自販機……小遣いで買った缶の珈琲は、兄さんですら飲めないものと知った。
だから――そこから俺は飲む様になった。
兄さんですら飲めないモノを、飲めるようになる為に。
貴重な百円がどれだけ溶けて行った事か。
「ほんと、子供だったな……」
兄さんの事は尊敬していたが、生意気にも対抗心を持つ相手でもあった。
結局美味しいと感じたのは大人になってからだし。
我ながら本当に下らない。
《――「に、錦!珈琲、しかもブラックで飲んでるの!?」――》
《――「う、うん!おいしいよ!」――》
《――「はは。錦には構わないな」――》
《――「へへ」――》
……でも。
兄さんはその時確かに嬉しそうだったんだ。
普段の表情とは違った――驚きと喜びの表情。
それが俺は好きだった。
そしてもっと見たいと思った。
ただ兄さんにそんな顔をさせるのは容易な事じゃない。
だから俺は、『貯金』を始めたんだっけ。
☆
「……」
グラスを傾けながら、過去の記憶を思い出していく。
その時の小遣いは1000円。
親から『下』に見られるまでは貰えていた。
《――「……錦、僕に最近何か隠してないかい?」――》
《――「え!? そんな事ないよ!」――》
《――「なら良いんだけど……」――》
……そしてその小さなお金を、俺はこっそり貯めていった。
目標金額は3000円。
兄さんにバレない様。もちろん舞にも。
本来から適当な物へ使っていたお金が、使わない事で日々を重ねる毎に増えていく。
不思議な感覚だった。
そして悪くなかった、なんせいつも軽い財布がずっしりと重いんだから。
《――「す、すごいなこれ……」――》
案外使わない生活が続けば物欲も収まるもので、すぐに財布の中には五百円玉が6枚できた。
お年玉なんて貰えなかった為、そんな大金は持っているだけで不安になったっけ。
「……懐かしいな」
そして両親が家に居ない日に……いよいよ計画を決行。
大事に、落とさない様に。いつもは蹴っていた道端の石ころすらも避けながら。
当時の俺はゆっくりと――『ケーキ屋』に入ったんだ。
☆
「このお酒、もっと濃いのありますか?」
「ふふっありますよ。少々お待ちください」
「すいません、どうも」
そう注文した後、グラス底に残った珈琲酒を飲み干した。
ほんのりと喉が熱くなって……また俺は記憶を遡っていく。
《――「にしきおにー様、それなーに?」――》
《――「秘密!絶対開けたらダメだからな!」――》
《――「……気になるよぉ~」――》
両手で持つ白い箱。
ひとまず冷蔵庫に持っていって、付いて来る舞には誤魔化して。
稽古が終わるまで兄さんを待って。
俺は――
《――「……じゃーん!すごいだろ?」――》
《――「な、何だいそれは……?」――》
《――「兄さんの為に買ったんだ!」――》
使用人さんが作ってくれたご飯を食べてから。
その後……俺は、兄さんにソレを持っていき見せた。
白い箱。中には小さなホールのショートケーキ。
俺と舞と兄さんの三人だからという理由で、『三号』サイズにした小さなもの。
イチゴとクリームがたっぷりのった……子供が好きそうなケーキだった。
《――「すごいでしょ!」――》
《――「すごいすごーい!マイこんなの初めてたべる!」――》
花月家であったせいか。
俺達はクリスマスケーキとか誕生日ケーキとか、そういうのを与えられた事が無かったんだ。
でも彼が甘いものが好きなのは知っていたし、たまに通学中ケーキ屋さんを眺めていたのも知っていた。
きっと、あの時の様に嬉しさと驚きが混じった顔をしてくれる。
そう確信していた。
でも――その表情は、俺の予想と違ったモノで。
《――「にしき……何かぼくに隠していると思ったら、こんな……っ」――》
《――「に、兄さん?」――》
目の前には笑うでもなく驚きでもなく。
初めて見る……泣いている彼が居たのだ。
《――「……っ、ありがとう、ニシキ……すごく嬉しい、嬉しいよ……」――》
《――「うん……オレ、も、嬉しい……」――》
ぐちゃぐちゃに涙を流す兄の姿。
泣くことなんて悲しい時だけだと思っていた。
先生に怒られた時とか。
道端で転んだ時とか。
辛い事があって、痛い事があって――そんな時に流れるモノだと。
でも今は違った。
彼は――嬉しくて泣いたんだ。
それを理解した途端……俺も、『嬉しすぎて』泣いた。
心の底からお金を貯めていて良かったと思った。
『憧れ』が、ここまで喜んでくれた事に。
弟である自分が。
兄である彼と――ようやく『兄弟』一緒に涙を流せた。
《――「わーー!!」――》
《――「っ、はは……なんで舞まで泣くんだよ……っ」……》
その後は、舞も何故か号泣して。
何事かと見に来た使用人さんがその場を収めたが。
結局、肝心のケーキの味は……涙のせいで分からなかったんだよな――
「――こちら、お待たせしました。先程の珈琲酒よりも苦味とアルコール濃度が強くなっております」
「どうも。いただきます」
そんな思い出に浸っていると店員の声が聞こえた。
ふんわりと香るアルコールの匂いと、焙煎された強い豆の香り。
それに包まれながら――俺はその珈琲酒を口にした。
「っ!」
口の中、一瞬広がるほのかな甘みと押し寄せる苦味。
まるでそれは『今』に俺を戻すかの様で。
「……うん、苦いな」
グラスを眺める。
アレから俺は兄さんの泣いた顔なんて見ていない。大人になった今、きっと彼を驚かす事なんて出来ない。
当時の『三千円』には――幾ら金を積み上げても辿り着かない。
ああでも……そうだ。
俺が弟子を二人持ってるなんて言ったら驚くかもな。
こんな自分でも――慕ってくれる人が出来たんだって。
「……お、お口に合いませんでしたか?」
「――!いいや、凄く良いですよ。ありがとうございます」
ついついボーッとしてしまった。
急いで出してくれた定員と、店に礼を言う。
あの時、初めて珈琲を飲んだようなソレが。
この強い苦みが……過去を思い出させてくれたんだから。
「それは良かった。ちなみにお勧めのおつまみがありまして。如何でしょう」
「……『ショートケーキ』とか?」
「?ふふ、チョコレートですよ。意外とそういうのがお好みですか」
「……はは、そんな感じかもしれない」
「それじゃ!ストロベリーチョコにしましょう」
「お、良いですね――」
――あの頃と違い夜は長い。
戻ってこない過去を肴に、またグラスを傾ける。
ふと見れば。
どうしてか、それに写る顔が昔の自分に見えた気がした。
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