閑話:ショートケーキ



アレから酔い潰れた?チーフを家まで送って。

その後は俺も最寄り駅まで戻ってきた。


でも――今日はまだ飲み足りないなんて思ってしまったのだ。

変な所で係長に酔いを醒まされたからかもしれない。

チーフにアレを渡せた達成感もあるな。


そして達成感と共に……俺の頭の中にはもう一つ何かがあった。

嬉しさと驚きが混じったチーフの表情。

それを見てから――どこか俺は、ゆっくりと昔を思い出したくなったんだ。





駅前。

丁度良く酒が飲める場所があったので入る。


バーとカフェを融合させたようなオシャレな店。

当然初めてだ。何時もなら抵抗があるが――程よく酒が入った今、自分でも驚くぐらいすんなり席に付いていた。



「……お待たせしました、珈琲酒です」


「ああどうも。こういうのってどう作るんですか?」


「基本は果実酒と一緒ですよ。焼酎とコーヒー豆に氷砂糖があればご家庭でも作れます」


「へえ。そんな感じなんですね」


「ふふっウチのはちょっと手が込んでますが。それではごゆっくり」



出されたそのグラスを受け取って、グイッと口にする。

珈琲と酒。相容れないモノだと思っていたが案外美味しい。


だがいつも飲んでいる苦味とは少し違うせいか、何かが頭に引っ掛かった。



「……」



そしてそれは、ある記憶を引っ張り出す。



《――「こんな苦いの何が美味しいんだよ……」――》


《――「はは、僕らにはまだ早いって」――》


《――「兄さんも飲めないの?」――》


《――「うん。まだまだ子供だからね僕は」――》


《――「そ、そっかぁ……」――》



まだまだ、左腕を使っていた幼少の頃。

自販機……小遣いで買った缶の珈琲は、兄さんですら飲めないものと知った。


だから――そこから俺は飲む様になった。

兄さんですら飲めないモノを、飲めるようになる為に。

貴重な百円がどれだけ溶けて行った事か。



「ほんと、子供だったな……」



兄さんの事は尊敬していたが、生意気にも対抗心を持つ相手でもあった。

結局美味しいと感じたのは大人になってからだし。


我ながら本当に下らない。



《――「に、錦!珈琲、しかもブラックで飲んでるの!?」――》


《――「う、うん!おいしいよ!」――》


《――「はは。錦には構わないな」――》


《――「へへ」――》



……でも。

兄さんはその時確かに嬉しそうだったんだ。

普段の表情とは違った――驚きと喜びの表情。


それが俺は好きだった。

そしてもっと見たいと思った。

ただ兄さんにそんな顔をさせるのは容易な事じゃない。



だから俺は、『貯金』を始めたんだっけ。





「……」



グラスを傾けながら、過去の記憶を思い出していく。


その時の小遣いは1000円。  

親から『下』に見られるまでは貰えていた。



《――「……錦、僕に最近何か隠してないかい?」――》


《――「え!? そんな事ないよ!」――》


《――「なら良いんだけど……」――》



……そしてその小さなお金を、俺はこっそり貯めていった。

目標金額は3000円。                   

兄さんにバレない様。もちろん舞にも。


本来から適当な物へ使っていたお金が、使わない事で日々を重ねる毎に増えていく。

不思議な感覚だった。

そして悪くなかった、なんせいつも軽い財布がずっしりと重いんだから。



《――「す、すごいなこれ……」――》



案外使わない生活が続けば物欲も収まるもので、すぐに財布の中には五百円玉が6枚できた。

お年玉なんて貰えなかった為、そんな大金は持っているだけで不安になったっけ。



「……懐かしいな」



そして両親が家に居ない日に……いよいよ計画を決行。

大事に、落とさない様に。いつもは蹴っていた道端の石ころすらも避けながら。

当時の俺はゆっくりと――『ケーキ屋』に入ったんだ。






「このお酒、もっと濃いのありますか?」


「ふふっありますよ。少々お待ちください」


「すいません、どうも」



そう注文した後、グラス底に残った珈琲酒を飲み干した。

ほんのりと喉が熱くなって……また俺は記憶を遡っていく。



《――「にしきおにー様、それなーに?」――》


《――「秘密!絶対開けたらダメだからな!」――》


《――「……気になるよぉ~」――》



両手で持つ白い箱。

ひとまず冷蔵庫に持っていって、付いて来る舞には誤魔化して。

稽古が終わるまで兄さんを待って。


俺は――



《――「……じゃーん!すごいだろ?」――》


《――「な、何だいそれは……?」――》


《――「兄さんの為に買ったんだ!」――》



使用人さんが作ってくれたご飯を食べてから。

その後……俺は、兄さんにソレを持っていき見せた。



白い箱。中には小さなホールのショートケーキ。

俺と舞と兄さんの三人だからという理由で、『三号』サイズにした小さなもの。

イチゴとクリームがたっぷりのった……子供が好きそうなケーキだった。




《――「すごいでしょ!」――》


《――「すごいすごーい!マイこんなの初めてたべる!」――》



花月家であったせいか。

俺達はクリスマスケーキとか誕生日ケーキとか、そういうのを与えられた事が無かったんだ。

でも彼が甘いものが好きなのは知っていたし、たまに通学中ケーキ屋さんを眺めていたのも知っていた。


きっと、あの時の様に嬉しさと驚きが混じった顔をしてくれる。

そう確信していた。




でも――その表情は、俺の予想と違ったモノで。



《――「にしき……何かぼくに隠していると思ったら、こんな……っ」――》


《――「に、兄さん?」――》



目の前には笑うでもなく驚きでもなく。


初めて見る……泣いている彼が居たのだ。



《――「……っ、ありがとう、ニシキ……すごく嬉しい、嬉しいよ……」――》


《――「うん……オレ、も、嬉しい……」――》



ぐちゃぐちゃに涙を流す兄の姿。

泣くことなんて悲しい時だけだと思っていた。

先生に怒られた時とか。

道端で転んだ時とか。

辛い事があって、痛い事があって――そんな時に流れるモノだと。


でも今は違った。

彼は――嬉しくて泣いたんだ。

それを理解した途端……俺も、『嬉しすぎて』泣いた。

心の底からお金を貯めていて良かったと思った。

『憧れ』が、ここまで喜んでくれた事に。


弟である自分が。

兄である彼と――ようやく『兄弟』一緒に涙を流せた。



《――「わーー!!」――》


《――「っ、はは……なんで舞まで泣くんだよ……っ」……》



その後は、舞も何故か号泣して。

何事かと見に来た使用人さんがその場を収めたが。


結局、肝心のケーキの味は……涙のせいで分からなかったんだよな――



「――こちら、お待たせしました。先程の珈琲酒よりも苦味とアルコール濃度が強くなっております」


「どうも。いただきます」



そんな思い出に浸っていると店員の声が聞こえた。

ふんわりと香るアルコールの匂いと、焙煎された強い豆の香り。

それに包まれながら――俺はその珈琲酒を口にした。



「っ!」



口の中、一瞬広がるほのかな甘みと押し寄せる苦味。

まるでそれは『今』に俺を戻すかの様で。



「……うん、苦いな」



グラスを眺める。

アレから俺は兄さんの泣いた顔なんて見ていない。大人になった今、きっと彼を驚かす事なんて出来ない。

当時の『三千円』には――幾ら金を積み上げても辿り着かない。


ああでも……そうだ。

俺が弟子を二人持ってるなんて言ったら驚くかもな。

こんな自分でも――慕ってくれる人が出来たんだって。



「……お、お口に合いませんでしたか?」


「――!いいや、凄く良いですよ。ありがとうございます」



ついついボーッとしてしまった。


急いで出してくれた定員と、店に礼を言う。

あの時、初めて珈琲を飲んだようなソレが。

この強い苦みが……過去を思い出させてくれたんだから。



「それは良かった。ちなみにお勧めのおつまみがありまして。如何でしょう」


「……『ショートケーキ』とか?」


「?ふふ、チョコレートですよ。意外とそういうのがお好みですか」


「……はは、そんな感じかもしれない」


「それじゃ!ストロベリーチョコにしましょう」


「お、良いですね――」



――あの頃と違い夜は長い。

戻ってこない過去を肴に、またグラスを傾ける。


ふと見れば。

どうしてか、それに写る顔が昔の自分に見えた気がした。


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