弱肉強食②
(これは、余裕そうだ――)
暗殺者の彼は、その影を見つけた瞬間そう思った。
特段警戒もせず、呑気に荷車を押しているプレイヤー。
《商人 level20》
その表示を見た瞬間、彼には笑みが浮かぶ。
『商人』――その文字だけで、『勝利』は手にしたようなモノ。
知っていたとはいえ、いざそれを見たら実感する。
例えレベルが自身と同じであろうと、その職業というだけで――『格下』と成り下がるモノ。
(マジで商人一人でやってるよ、自殺行為だっての)
見た所、レア装備も着用している感じでもない。
一般プレイヤーの一般装備。
そんな、片手斧に鎧を着たその姿が――
「――ッ!?」
不意に、彼に向いた。
(――な、何だよ――相手は商人じゃねえか)
そのままこちらに向かって歩いてくるその影。
こんな事は、今まで無かった。
商人という職業が、PK職に向かってくるという事態が。
ドクン、と。
絶対優位である暗殺者の彼が、焦っていた。
そしてその焦りが――『ミス』を生む。
(クソが、真正面からやってやるよ!)
その商人に、正面から向かう彼。
林のオブジェクトを抜けて、その荷車の方へ。
お互いがお互いの方向へ進んでいく。
商人は暗殺者へ。暗殺者は商人の元へ。
やがて――対峙。
(な、何なんだよ、コイツ――)
距離にして、十メートルを切る。
彼は、その姿をハッキリと見た。
珍しくもない装備に、だらんと垂らした片手斧。
真っ直ぐと自分を見る目。
まるで『恐れ』を感じない、むしろそれは――待っているかのような。
「……」
(気持ち悪いんだよ……)
睨む訳でもなく、ただジッとこちらを見る目。
自分の身体をぬるりと見定められている様な、そんな感覚。
それに堪らず――彼はあるスキルを発動する。
(『ハイド』!)
「――!」
次の瞬間――商人の目から、彼は『消える』。
暗殺者、固有スキル――『ハイド』。
一定時間、自身の姿を隠す事が出来るスキルだ。
発動中の攻撃は不可能で、そういった行動をとった瞬間解除される。
が――実際それはあまりデメリットでなく、ほぼ確実に初撃を与えられる暗殺者の最も有用なスキルであった。
姿を消し、対象の背後に回って不意打ち。それが暗殺者の十八番だ。
本来はプレイヤーに視認されないよう立ち回り、ハイドを使って更に接近、不意打ち――その流れが基本であったが、彼は急いで、それをしなかった。
敵が『商人』だという油断。
『商人』がこちらに向かってくるという異常。
そして――その不安を一早く終わらせたいという焦り。
その全てが、彼の未来を変えていく。
(見えねえだろ。ひひ、焦ってろ――ッ!?)
ふと。彼は気付いてしまった。
見えていないはずの自分の身体。
その方向に、確かに商人の目が向いていた事に。
(……な、何なんだよ!!見えてないはずだろ!?)
彼は走った。
自身の真正面から向かった間違いを否定する様に。
その目を忘れる様に、商人の背後に向けて。
(……背、取った――大丈夫だ。さっきのは勘違いだ――)
握る小剣が、いつの間にか震えていた。
もう何時でも手は出せる距離。
背を向けるその男は、全く気付いていないのに。
(何で、この俺が商人何かにビビッてんだよ――!?)
「――――やらないのか?」
その台詞が、目の前の男が発した台詞だと気付くのに一秒掛かった。
背を向けたまま、静かに。
その商人は、淡々と。
逆に自分に、鋭利な刃を向けている気がして。
僅かに眠った恐怖が、どんどんと増幅していく。
得体の知れないモノが、目の前に居る。
「ら、らああああ!!!」
ハイドを解いて、小剣を振り下ろす。
『不安』。『焦り』。『恐怖』。
その全てが、容赦なく彼を蝕んでいく今。
もはや――落ち着きは全くない攻撃だった。
絶対優位の立場が逆転した今、もはや精神の安定は無い。
そして。
「――ひっ!!」
小剣が振り下ろされた直後、目の前の男は確かに反応する。
余裕の回避。
まるで――ずっとこちらが見えていたかの様に。
「……来ないんだな……」
「う、うるせえ!!」
避けてからの追撃――すると思いきや、距離をとる商人。
訳が分からない。その苛立ちから叫び――それへ突っ込んでいく。
「――『アサルト・ブレード』!!」
そして、暗殺者固有の小剣武技を発動。
出が早く、対人でボーナスダメージが得られる暗殺者の優秀な攻撃スキル。
AGIに振る事が多い暗殺者は、その攻撃スピードはトップクラスだ。
彼も例外ではない。
黒色の軌跡が刃を伝い、凄まじいスピードで商人の首目がけて向かっていく。
「『スラッシュ』」
そしてほぼ『同時』に――商人も、武技を発動した。
(――カウンターか?相打ちにするつもりか、俺の速さに間に合うわけないだろうが――!)
彼は心の内で笑う。
事実、その小剣の先端がもう届く。
ブレた刃が、その首へ。
一方商人の斧は、未だモーションに入ったばかり。
攻撃が入った瞬間彼が避ければ、余裕で間に合う。
「――!?」
しかし。
その斧が向かっていく先は、自分の方向では無かった。
(こ、このままじゃぶつかる……!)
それは、ほぼ商人の『首元』へ。
斧は――彼の小剣を持つ手へ。
何の躊躇いも感じない、もし失敗すれば大ダメージを負う事になる。
それは未来を見ていた様に。まるで攻撃される場所を予知した様だった。
一寸のズレも無い、青色の軌跡が――
「ぐっ――!」
衝突。
(ふ、ふざけんな……!)
暗殺者の武器である小剣。
それは、呆気なく横へ弾き飛ばされた。
無理もない――片手武器とはいえ、決して低くない攻撃力の片手斧の武技をまともに受けたのだから。
「――『スラッシュ』」
「くっ――クソッ!!」
そのまま、商人は斧を振りかぶる。
武器を失った彼は、それを避けようとするが――
「ぐっ――!?」
容赦なく動きを読まれ、その武技を食らってしまう。
「はあ、はあ――」
「……」
そのまま衝撃で地面に這う暗殺者。
それを見下ろす商人。
きっと――RLの世界では、本来逆であった光景。
勝負はもう、ついたようなモノだった。
☆
あれから、長くない時間が経っていた。
暗殺者が逃げようとすればそれを読み攻撃。
武器を拾おうとするものの敵わず追撃。
追撃に追撃を重ね、暗殺者はもう精神的にも、体力的にも限界だった。
醜く地面に転がり――それを見下ろす商人。
「何なんだよ、お前――!!」
手ぶらで彼は叫ぶ。いや――叫ぶしかなかったというのが正しい。
反撃しようにも武器がない。
例え武器があろうとも、さっきの様に弾かれるかもしれない。
そんな思考がずっと彼の中でグルグルと回る。
『勝利』のイメージは、もう不可能。
「……」
こちらのゲージはもう一割。
黙ったまま、最後の一撃を振り下ろそうとする商人。
きっと――これを食らえば死ぬ。
彼は避ける意思などもう消えて、目を瞑った。
「――」
暗闇の中、風を切る音と共に。
「――『商人だ』――」
それは低い、落ち着いた声。
幾度となく殺してきたその職業が、次のアナウンスと同時に耳へ響く。
《貴方は死亡しました》
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