第34話 ハニー、甘いよ

 一応車は運転できる。レンタカーを借りて遠出したよ。


「あ」


 猫ではない動物で猫ぐらいの大きさだからタヌキだってわかった。カラスが一羽、猫よりは硬いだろうタヌキのお腹あたりを嘴で突いていた。


 神聖な場所に向かう途中で動物の死骸に出遭うのは吉なのか凶なのか意見の分かれるところだろうね。人によっては雨が降っただけでお前の前世の行いが悪いからだって言い切ったりして。


 タヌキをこうしてカタカナでタヌキと言うべきか狸って漢字で言った方がよいのかも意見の分かれるところだろうね。どっちの方が喪に服す感覚が強いとかふざけてるとか色々とあるだろうからさ。


「パトカーだ」


 わたしは登坂車線を登り、パトカーは対向車線を下って行った。


 レンタカーは明け方に借りて、そうしてわたしがその神聖な場所に着いたのは明け方から朝という時間帯に移った後だったよ。

 駐車場に接続した入口もあったけれどわたしは正面に回って、そうして鳥居をくぐったんだ。


「ああ。正解だったな」


 正面からじゃなかったら遭えなかったところだったよ。鳥居のすぐのところにお不動さまがおられたんだ。

 大きな石に彫られたお不動さまは右手に剣を持って左手に縄を下げてさ、背中には炎を背負っておられるんだよね。

 わたしは手を合わせてそうして奥へと進んで行ったよ。


 敷地があって敷地でない、参道があって参道でない、鳥居があって鳥居でない、って感じでさ、2本並んだのがどうしたらこんなに幹が太くなるんだろうってぐらいに樹齢が想像できないぐらいの杉の木がまるで鳥居みたいに並んでるんだよね。


 そして高さも高し、なんだけどわたしがわからないのはね。


 その真っ直ぐなフォルム。


 見上げれば遠近法によって反るぐらい真っ直ぐに見えるその真っ直ぐさがさ、到底自然物だって思えなくって、人工物としか思えないんだよね。


 でも考えてみれば当たり前の話かもね。


 だって、大樹一本、草一本にしたって、好き勝手に生えてるものはないんだろうって思うから。

 もちろん、自生はしてるよ、でもこの真っ直ぐ伸びるさがみたいなものは決して木自身の自由意志なんてものでそうなってるわけじゃ無いんだろうね。


 もし木自身の自由意志があるとしたら、それは木そのものに何か意志を持つべき存在が住んでおられるってことじゃないのかな。


 多分その答えがこの社殿の中にあるよ。


 誰もいない本殿の木の階段を昇って引き戸をそうっと開けたらね、紅の敷布がお賽銭を入れる木箱の前に敷かれてあってね、わたしはこの日のためにお昼のアンパンをグレードひとつ下げて貯めておいた千円札を、ふわっ、と入れてね。当然途中で引っかかるから奥まで押し込むための棒が置いてあって、それでもってツンツン突いて箱の中に紙幣を押し込んだんだ。


 そうして正座して二礼は敷布に手をついて、それから柏手を打ってね、そうしたらこういう概念が突然脳に浮かんじゃった。


『習わぬ経を読む』


「国家安泰、世界平和

 国家安泰、世界平和

 国家安泰、世界平和」


 こんな言葉がわたしの内面から滲み出てくるはずがないよ。だから習わぬ経を読むってことなんだろうね。


 そのまましばらく正座して手を合わせたままでこの神社の御本尊に向き合った。


 でもわかるような気がするな。


 あの木を見たら、わたしのあれこれ願いたいことがいきなり消えてしまったもん。

 すごい色々あったんだよね。ちょっと列挙してみようか?


 ・美人になりたい

 ・ちやほやされたい

 ・おカネ欲しい

 ・いじめを無かったことにしたい

 ・幸せになりたい

 ・自己実現したい

 ・もう二度とあんな病気になりたくない

 ・甘いもの食べたい


「あっ」


 突然我欲が出ちゃったよ。

 世の安寧を三度お願いしたから大丈夫だよね?わたしは正座したまま一礼して駐車場に戻ったよ。


 帰り道は快適だけど怖い。ずうっと登った分ずうっと下りだから。

 それにこんなスピードであのタヌキの死骸のポイントまで来たら、避けたりすることも一瞬できずに、ぐしょ、って更に轢いて内臓をまた破裂させてしまうかもしれない。


「いない」


 もうタヌキもカラスもいなくて、現場にはタヌキの大きさより少し小さな血か体液でできたシミが残ってるだけだった。


「警察官殿、職務ご苦労様です」


 人間だけじゃなくタヌキのむくろまで。

 尊い仕事だよね。


 わたしはシミの上を躊躇なく通過した。


「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」

「ホットケーキセットを」

「メイプルシロップと蜂蜜のどちらかお選びいただけます」

「蜂蜜を」


 わたしは中腹まで下ったところにある昔ながらのドライブインに車を停めて、その一角で営業している古い喫茶店に入ったんだ。

 さっき注文を訊いてくれた男の子ちゃんがホットケーキを皮張りの椅子に座るわたしのテーブルにサーブしてくれた。


 その男の子ちゃんは多分地元の高校生アルバイトなんだけど、まるで自分がこの店のオーナーみたいに自信たっぷりに解説したんだよね。


「お客様、この蜂蜜は桜の花の蜜です。どうぞ香りを楽しんでくださいね」


 ふうん。

 桜の花、ね。


 ちょっとお行儀が悪いけどハニーポットをくんくんしてみた。


「わかんない」


 更にお行儀が悪いけどわたしはハニーポットを持ち上げて少し傾け、蜂蜜をナイフの上にしたたらせた。


 滴らせた以上、当然舐めるよ、もちろんわたしのピンクの舌でね。


「お客さま」

「あっ」


 男の子ちゃんに見られた。

 男の子ちゃんはまるで女の子ちゃんみたいにくすくす笑ってわたしに訊いてきたよ。


「松田優作さんの真似ですか?」

「違うよ」


 あれ?松田優作さんって映画の中でナイフ舐めるシーンってあったっけ?

 いかにもありそうだけど。


 それよりどうしてキミの歳で優作さんが出てくるんだよ。

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