第10話 やめたい人、集合しよ?

 やめるって実は自由になること。

 何者にも囚われることなく籠の中の小鳥がどっかあさっての方角に向かって飛んでっちゃうみたいに。


「辞めます」

「そうですか」


 わたしが引っ越そうと思って入った駅前の不動産屋さんでいきなりそういう場面に出くわしてびっくり。


 結構大きな不動産屋さんで、多分社長のデスクの前で立って『辞めます』って宣言した彼は中堅社員なんじゃないかな。


 だって彼の一声で一瞬お店の中の全員が社長じゃなくて彼の方を振り返ったもん。


 それでその彼が言ったんだよね。


「みんな、仕事続けて。お客様優先で」


 わたしがいくら世間知らずでも職を得ることに関しては色々と苦労があったから、辞めるって言った瞬間にいきなり辞められる訳じゃないって知ってるよ。普通は自己都合退職ならば1ヶ月前に言わなきゃいけないから彼はこれから残務整理をしたり・・・後は残ってる有給休暇を消化したりして次の動きを考えるんだろう。


「やっぱいいです」


 わたしがそう言って窓口で物件の相談をしてた女社員をほったらかしにして店を出たらさ、彼が声を掛けてきたんだよね。


「お客様、大変申し訳ございません。私があんなお見苦しい所をお見せしたからご気分を害されたんでしょう?」

「別に」


 多分わたしの態度が年齢不相応に見えたんだろうね。彼はでも冷静にこう訊いてきたよ。


「内覧をご希望だったのでは?」

「そっちは内乱だったね」


 笑ってくれた。


 チャーミングな笑顔だね。


 彼は笑った後でさ、とっておきの部屋を紹介しましょうって言った。


「でも、もう辞めるんでしょ?会社に貢献する必要なんて無いじゃない?」

「いえ・・・不動産の条件としては割と最低なんですけれども、私のお気に入りの物件ですので是非最後のお客様としてご案内させてください。お家賃もとても安いので仲介手数料も安くて会社にはメリットないですし」


 さすが営業時間中に『辞める』って言っただけあって、とても柔らかな振る舞いに反してファンキーな精神の持ち主だと見たよ。


「歩きますよ。平気ですか?」

「平気」


 でも、ほんとに歩いた。


 この街には中心部に峠があって、その峠のてっぺんに向かって彼は歩いて行く。


「お客様、お名前を伺っても?」

捨無シャム

「いいお名前ですね。私は後藤ごとうです」


 止まる気配が無いのでさすがに目的地を訊いた。


「峠を越えます」

「うわ」


 けれどもこの峠を越えないと中心部と郊外を行き来する幹線道路が無いので、仕方ない話だった。峠の一番上からひたすら下って歩いて行くと、チェーンのハンバーガー屋やら喫茶店やら回転寿司の店なんかが並ぶエリアだったけど、その隙間から見えるまるでバックヤードみたいな場所にそのアパートは建ってた。


「えっ。木造?」

「はい。築80年です」


 でも、不思議な造りだった。

 間違いなく集合住宅ではあるんだけど、外観は二階建てで豪農の一軒家みたいな立派な造りで中へ入ってもそうだった。


「わっ。はりが」

「太いでしょう。海沿いの街にある峠がふたつ連なった山をご存知ですか?」

「うん。知ってるよ」

「そこから伐採した木材で建てたそうです。オーナーさんのお爺さまが大工の棟梁で、馬にソリを引かせて運んだそうです」

「えっ。でもすごく遠いよ?」

「そうですよね。馬は大したものですよね」


 中を見せてもらった。


「広い!」

「はい。16畳一間ですから」


 これは今で言えばワンルームなんだろう。畳敷の、土壁と木戸で仕切られた部屋が一階に四部屋、二階に四部屋。


「空いてるのはこの部屋だけなのですが」


 建物は古いけど、二階のやっぱり木製の出窓からの日の光がじゅうぶんで、部屋はとても明るい。


「いかがですか?」

「庭が素敵だね」


 幹線道路沿いの建物ではあるけれども、様々な商業店舗の並びとの間には更に空間をお大尽さまみたいに豪勢に使った日本庭園になってて。


 緑と、椿の赤が、ほんとに綺麗。


「ここに決めたよ」


 わたしがわざとかわいらしく手の指を背中の後ろで組んで肘をピンと伸ばすようなお決まりの少女漫画ポーズをすると、真面目な後藤さんが、ふっ、て笑ってくれてこう言ったんだ。


「シャムさん。他の部屋の店子たなこさんたち、クセがありますよ」

「クセ?」

「みんな、やめたいひとたちなんです」


 なんのことだろ。

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