第46話
その日、格納庫は静かだった。ここ最近忙しなく響いていた作業音も、完全に止まっている。ヅヱノが作業する音や、ンゾジヅがゲームする音、ヌメの鳴き声さえも聞こえない。
ヅヱノは腕を組んで深く椅子に座っていた。最近の日課であるシミュレーションも行なわず、じっと椅子に体重をかけている。腕を組んで目を瞑っており、まるで眠っているようにも見える。
傍にはンゾジヅがいて、ダストシュートからはヌメが顔を出している。ンゾジヅはいつも通りとしても、ヌメはいつもと違い遊びをせがまない。ヅヱノの沈黙を、じっと心配そうに見ているだけだ。
ヅヱノは目を閉じていたが、寝息は立てていない。夢の中に旅立っているような安らかさは無く、鋭い雰囲気を纏っている。立会いを待つ武術家のように、姿勢を崩さず待機している。今日『何か』が来るのが、判っているかのように。そして『何か』は、ヅヱノの予測通りに来た。
格納庫に、有蹄目が唸るような警報がこだまする。まるで格納庫が叫んでいるような音に、ヌメがびくーと震えた。そしてヅヱノの閉じられていた目が、ゆっくりと開かれる。彼の研ぎ澄まされた刃のような瞳に、白い巨影が写った。
目の無い頭の先端にある、上下に並んだ二つの巨大な口。巨体を支えているとは思えない、先端がすぼまった指のない奇妙な足。体表をくまなく覆っている、朽ちた骨のように白い外殻。なんとも奇妙な風体の、陸を歩くとは思えない怪竜であった。
怪竜の名はシースターフォート。ヴェーダーという超兵器だ。兵器と明言されなければ、そうとは思えない生物的な外見。見る者に巨大な心臓の鼓動と、荒々しい息遣いを幻聴させる生々しさ。そんな見た目通りに、己が意思を持った動物のようにヴェーダーは動き出す。
首を下げたヴェーダーが、ヅヱノへ向かって座席を伸ばす。乗れ、入れ、動かせ。そうヅヱノへ強く訴えるように、巨躯を丸めて搭乗者を待っている。ヅヱノはゆっくりと脚に力を入れて、椅子から腰を上げる。小さい足音を格納庫に響かせ、ヴェーダーの核は肉体へと戻っていく。
ヅヱノは座席の前に立ち、くるりと振り返る。目の前に立っているンゾジヅが、強い視線をヅヱノに向けている。心配等の感情をひた隠し、鋼のように固い信頼を瞳に宿していた。
「行ってきます」
「御武運を祈ります、ハリアー」
少ない言葉にンゾジヅは万感を篭め、ヌメはぬーッと力強く手と頭の触手を振る。ンゾジヅとヌメの強い後押しを受け、ヅヱノは座席に腰掛ける。そしてヴェーダーの食道を一気に遡って、暗い戦闘室に入った。
『ハリアー:認証完了:ヅヱノ』
『蒐撃機:シースターフォート:起動完了:兵装封止:封止状態』
閉じた隔壁が画面に変わり、ヴェーダーが起動する。血液が通っていくように、座席から戦闘室へと緑光が巡った。文明世界を食らう怪物の視界が、ヅヱノの前に形作られていく。その視界には、ンゾジヅとヌメ二人の姿が映っていた。
出撃先を選ぶ前に、ヅヱノは後ろを振り返る。そこには見慣れた大鎧が、記憶主の装具が収まっている。ヅヱノは目を閉じ、自分の中にある『スイッチ』を切り替える。その瞬間ガシャリと音を立てて、ヅヱノの全身が覆われた。目を開けても、視界を覆う闇はない。だが視線を下ろせば、確かに大鎧を纏っていた。背後を振り返ると、そこにあった筈の大鎧はない。
「……借りるぞ、『俺』」
誰かに断わりを入れるように、ヅヱノは大鎧に囁く。持ってけ泥棒と、ヅヱノは誰かに半笑いで言い返されたような気がした。そしてヅヱノは、手甲に覆われた指で操首桿を握り締めた。すばやく照準釦を動かし、引金を引く。選んだ出撃先は、ただ一つ。
『弾着選択:選択完了:第一階級:ハロリヌロパ【超弩級】』
格納庫の床板が動き出し、ヴェーダーは足場ごと上へ昇っていく。見送るンゾジヅとヌメの姿が、降りてくる壁の向こうに消えた。壁に埋められた無数の点滅灯を眺めていると、どこまでも続くトンネルが現れる。
既に四度通ったトンネルが、ヅヱノは新鮮なものに見えた。この先に何をしにいくのか、その意味をはっきりと理解している。ヅヱノという『ハリアー』の、真の意味での『初出撃』といえる。
『射出甲板:揚電開始:推力光線:充填完了:射出用意:10……9……』
前方に紫電が敷かれ、突入路は完成した。
ヅヱノは少し考えてから、息を吸う。
そして小さく、しかしはっきりと口にする。
「シースターフォート、出撃」
『射出甲板:揚電開始:推力光線:充填完了:射出用意:……2……1……0:射出開始』
ヅヱノの言葉を合図に、ヴェーダーは背後に推力光線を受ける。魂さえも置き去りにする速度まで、ヴェーダーが急加速する。そしてある一点を境にして、ヴェーダーは世界の壁を突破した。激しい閃光と、全身の細胞を震わせる轟音がヅヱノを襲う。
『蒐撃機:弾着完了:兵装封止:封止解除:蒐撃開始』
だがヅヱノは大鎧のお陰か、意識を失わずにヴェード先へ到着した。彼は首と操首桿を同時に回し、主眼画面と副眼画面で素早く周囲を確認する。前と同じで、空は分厚い雲に包まれている。だが前と違って海は見えておらず、着弾地点は陸のど真ん中だった。
現在地は、前回ヅヱノが襲った街だ。いや正確には、ヅヱノが襲った街『だった場所』だ。ヴェーダーがいる場所は、地盤ごと抉れて僅かに建材が残る何かの跡地。それだけなら場所を特定しようもないが、目印があった。
それは、巨大なクレーターにある白い巨影だ。まるで強力な爆弾が炸裂したかのように、深く広いクレーターが平原に穿たれている。その中心に、山のように巨大な白い塊が立っていた。
それは雛が孵化した後の、卵殻のように見えなくもない。だが卵にしてはあまりに形が歪で、胎児を守ろうという意図は感じられない。楕円の球体からは遥かに離れ、はっきりとした生き物を模った形をしている。
卵というよりも、抜け殻だ。詳しく表現するならば、より大きく成長するための脱皮だった。昆虫や爬虫類が自らの皮を破いて成長し、その場に残した古い皮。サイズからするとドラゴンの皮か、伝説の七巻き半の大百足か。それがクレーターの中心に置かれているものだった。
それはいうまでも無く、ドラゴンの皮ではない。ヴェーダーの外殻、前回ヴェーダーが纏っていた装甲槽だ。ヴェーダーは撤退する際に装甲槽を投棄し、骨格だけで撤退したのだろう。ヅヱノの記憶主と戦ったヴェーダーは、黒い骨格姿で戦っていた。あの骨格部分こそが、ハリアー同様にヴェーダーの中枢部なのだ。だから『そうでない』外殻は、ここに棄てられた。
残された外殻は、見れば見るほど『ヴェーダーの死骸』に見えてくる。あるいはヴェーダーを模した、犠牲者たちを弔う記念碑か。しかしやはり、ヴェーダーの脱皮殻というのが似合いの外観だ。
あの外殻には、真のハリアーと成る前のヅヱノが残っている。自分を人間だと思い込んでいた、彼の最期が宿っている。ヴェーダーの死骸であると同時に、『ヅヱノ』の骸でもあるのだ。
その死骸を脱ぎさって、新たなヴェーダーはここにいる。新品の外殻に身を包んだヴェーダーには今、本物のハリアーが宿っている。人――高度な知的生命体を殺戮し、収穫する機械の中核。怪物となる覚悟を宿した心臓が、ヴェーダー中枢では拍動しているのだ。
ハリアーはかつての残骸を一瞥し、おもむろに降機釦を押した。そして戦闘室から、ヴェーダーの口部へと滑り降りる。
ひんやりと肌を刺すような冷気を、面頬を外して顔に浴びる。ヅヱノを拒絶するような冷たい空気の中で、彼は深く息を吸い込んだ。鼻がつんと痛くなり、喉がキュッとすぼまり、肺が驚いたように縮む。その空気を肺に閉じ込めて、身体に行き渡らせるように息を止める。
この世界の空気が一呼吸分、ヅヱノの身体に溶けていく。この世界を育む空気が、この世界を殺す怪物に取り込まれていく。ヅヱノが前回の戦いで残した力すらも、取り戻すように。そうして空気を身体に巡らせると、ぷはっと肺の空気を全て吐き出した。
ヅヱノの濃く白い呼気が、空気中に溶けていく。この世界における、どんな物質よりも敵対的な息。それがこの世界の澄んだ空気を、静かに着実に侵し始めた。ヅヱノは深呼吸を終えると、座席を急上昇させて戦闘室へと戻った。面頬を取り付け、鋭い眼光で探知画面を睨む。探知画面には、逆三角が急激に増え始めていた。
ヴェーダーの到来を察し、出迎えに来たギエム達の軍隊だ。この世界のギエムは次元間侵入を観測する手段があり、既にヴェーダーの到着を察知しているのだ。想定通りの反応であり、ヅヱノは戦闘を開始する。
『局地戦爆:ブラックスターバード:三番機:偵察:出撃中:充填率:100』
ヅヱノは真っ先に、黒鳥を打ち出した。そして進行方向を確認すると左旋板を踏み込み、推力桿を最大まで倒して移動を始める。黒鳥の航路を変更しつつ、黒鳥からの情報が空撮画面に表示されていく。
黒鳥が眼下に航空機の大編隊を発見した。前回よりも遥かに多い数だが、しかし機種はバラバラで統一性はない。足並み揃えて編隊を作る方が、難儀するという状態だ。前回のヴェードによる損害が大きく、作戦機の数を揃えるのでやっとという様子だった。
「空軍の面子に賭けて揃えたって感じか」
前回航空機隊の成果はゼロに等しく、ヴェーダーに損害を与えたのは人型戦車だった。失態を挽回しようと躍起になっているのだろうと、ヅヱノは推測する。しかし彼らに成果は渡せないと、大編隊に向け投射釦を押す。
『局地戦爆:デススターファイター:一番機:要撃:出撃中:充填率:100』
『局地戦爆:デススターファイター:二番機:要撃:出撃中:充填率:100』
射出された機龍が、大編隊へと向かう。大編隊は寄せ集めとはいえ、最低でも第四世代らしき機種だ。そんな現代戦闘機の群れが、機龍によって切り裂かれていく。機銃や誘導弾を使うまでもなく、鉤爪を構えて編隊を横断すればいい。それだけで、避けきれない機体が引き裂かれる。
そうした『格闘』攻撃に、機銃や誘導弾が加わるのだ。常に機龍は敵機の爆炎を浴び、敵は編隊を維持できなくなっていた。何とか生き延びた敵機は、ヴェーダーから見える距離に近づいていた。一斉に速度を上げる敵機へと、ヅヱノは操首桿を引き起こす。そして城塔釦を押し上げ、引金を引いた。
『銃郭:デススターマインスロア:発射:残弾:09……08……07……』
擲弾砲が発射され、戦闘機隊手前の空中で炸裂する。戦闘機は次々とよろめき、ヴェーダーの遥か手前へ落ちていく。子弾地雷と共に飛散する散弾が、風防や軽装甲の機体を貫き乗員を殺傷したのだ。
突破は困難だと気付いた筈だが、敵航空隊は攻撃を続行してくる。無駄な犠牲を払っているように見えるが、ヅヱノは我武者羅な姿勢に意図を感じた。何を狙っているのか、概ね察しがついた。前回の人型戦車に倣い、囮作戦をしているのだ。攻撃でヴェーダーの気を引き、必殺の一撃を叩き込もうとしている。
だが敢えて、ヅヱノは罠に踏み込む。彼等が知っているヴェーダーは、罠に引っ掛かっても真正面から蹂躙する姿だ。先制攻撃し『中身の違い』を、悟られる訳には行かない。ヴェーダーが『前回と違う』と気付かれたら、恐らく情報は単眼天使にも届く。相手は怪物ではない、知性を持った人間だ。用心され、ヅヱノの策が失敗する可能性もある。
だから彼等にはヴェーダーを、知性に欠ける『怪物』――珪素生物と思わせる。珪素生物の中には人間の武器を模した個体もいるので、機械兵器で攻撃するヴェーダーでも珪素生物を装える。更に珪素生物には階級が存在し、同じ姿の珪素生物が複数体存在する。だから前回と全く同じ姿のヴェーダーが現れても、再生ではなく別個体だと認識する。
前回の二の轍を踏む事で、彼等に対処法が有効だと誤認させる。これまで倒してきた珪素生物と同じく、知恵と経験と技術で乗り越えられる敵だと認識させるのだ。そうすれば彼等はヴェーダーが本世界の予備知識を持ち、単眼天使用の秘策を講じてきたとは考えなくなる。
『警報:敵襲:乙標的:攻撃態勢』
ヅヱノの読み通り、飛来する敵編隊とは別の襲撃者をヴェーダーが察知する。だがヅヱノは反応せず、操首桿で機首を敵戦闘機隊へと向ける。ヅヱノは同時に空撮画面を弄り、敵のいる場所を拡大する。
「砲台?」
標高のある山の頂上で、巨大な砲台が頭を出していた。ビリビリと紫電を漏らして、今にも撃つ寸前といった様子だ。実際警報が出ている以上、発射寸前までエネルギーを蓄えている。ヴェーダーからも、地平線に砲台の輝きが見えた。
『警報:敵襲:乙標的:攻撃開始:亜文速攻撃:第六文明速度:Cs6878』
『敵襲直撃:ニ番頸部:中央基部:機体損傷:装甲槽数:225』
その光が膨れ上がり、ヴェーダーを包んだ。ヴェーダー全体を包み込む程の、凄まじい巨大光線だった。次いで生じる、天地を揺るがす大爆発。前後が判らなくなるほどの、凄まじい火力だった。
機龍の主観映像には、超巨大きのこ雲が天に伸びているのが見える。ヴェーダーの足下は焼けており、溶岩の様に赤熱している。大地が沸騰させたお湯の様に、ぶくぶくと泡立っていた。決戦機関を撃った時ほどではないが、周辺被害としては決戦機関に次ぐ規模だ。
「装甲槽を30枚近くやられただと? ギガムレベルの攻撃って事か、凄まじいな。生存装甲は……ない、な。まさか技術だけで、この火力を出したのか」
ヅヱノが濾光釦を押しても、生存装甲は表示されない。彼はギガムでもないギエムの兵器が、これまでで最大の被害を出した事に戦慄する。ギガムは生存装甲という反則な力で、威力の底上げを行なう。だからヴェーダーの装甲槽を、一度に十以上貫けるのだ。
そんな生存装甲を持つギガムの攻撃を、ただの人間の兵器が上回ったのだ。単眼天使ではなく、ギエムに負ける。そんな可能性がヅヱノの頭を過ぎるも、口角はつり上がっていた。
「……すげぇな、人間。そうだよな、やられるばっかじゃないよな」
恐怖と、賞賛と、憧憬と、ヅヱノの中で様々な感情が入り混じる。知的生命体の気概、文明種族の底意地、そういった物をビリビリと肌に感じた。
だが、次弾が放たれる予兆はない。
砲台が光り輝き、衝撃波がヴェーダーを襲った。
すわ攻撃かと身構えるも、装甲槽は減っていない。警報も鳴っていない。
「自爆……いや、暴発か。安定性を度外視する無茶してまで、あの光線をぶっ放したのか。そりゃすげぇ筈だ」
なんとしてもヴェーダーを撃破するために、想定出力の限界を超えた砲撃を行なったのだ。結果、暴走し山の天辺を吹き飛ばす爆発を起こした。あるいは、最初から一基使い捨てる覚悟で撃った可能性もある。普通に使っても充分ヴェーダーには効果的だっただろう砲台を、目的のために使い潰したのだ。それを確実に当てるため、飛行隊を丸ごと一つ犠牲にして。
人間が空を飛び宇宙に行った時のように、目的の為に犠牲を顧みず無茶と道理を押し通す覚悟――人間が叡智と科学を下地に、気持ち一つで種族の壁を突き抜けていく挑戦精神。その一端を、ヅヱノは垣間見た気がした。
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