第45話
「ぬー」
ヅヱノが界宙戦艦で、二人目に出会った少女。半身が軟体生物の彼女は、ヌメという名前だった。彼女が来ている服に、謎象形文字でそう書かれていたのだ。外見通りヌメッとした感じの名前だなとヅヱノが思った。なお彼がそう考えると、ぬーっと抗議するように触覚をぺちぺちあててくる。
「ぬぁー」
ヌメは真面目な顔をしている。目の前には、ヅヱノが摘んだ青い飴がある。ヅヱノが左手に握っている、缶の中に入っているものだ。缶の中にはカラフルな飴玉が詰まっているが、ヌメが好きなのは自分と同じ色の青い飴玉だ。ブルーベリーに近い味がするが、原料に関しては不明である。
ヅヱノが摘んだ飴玉を動かす度に、ヌメの目も動く。
まるで飴と糸で繋がっているように、ヌメの瞳も連動する。
ヅヱノが指に力を篭めると、ヌメの目が一層真剣になる。
「ぬっ!」
ヅヱノがぽんっと飴玉を放ると、はむっとヌメは食らいついた。ヌメは咥内で飴玉を右に左に動かし、真面目な顔で飴玉を転がしている。それが、ヌメの早く食べる時にする動きだ。なおゆっくり食べる時は、片頬が飴玉で膨らんだままになる。そして時折、思い出したように逆頬に飴が動くのだ。
急ぐなら噛めば良いとヅヱノは思うのだが、ヌメは決して飴玉を噛もうとしない。まるで噛むという発想すらないというように、ころろろろっと飴玉を咥内で玉転がしをする。そんな風にヌメが一生懸命飴玉を食べているのは、ヅヱノに次の飴玉を投げてもらいたいからだ。
これはヌメにとって、ヅヱノとできる遊びである。同時におやつも食べられるという、ヌメには一石二鳥の時間だ。最初は飴玉とはいえおもちゃ代わりにするのはと、ヅヱノは難色を示した。しかし遊んでくれないのかとヌメの落ち込みようが半端なかったので、ヅヱノは渋々飴玉投げに付き合うようになった。
なお二人がいるのは輪廻転槽ではなく、格納庫だ。格納庫に開いたダストシュートから、ヌメはモグラのように顔を出している。排水溝を這い上がってくる蛞蝓みたいだとヅヱノは思い、たとえが悪すぎると自戒した。ほぼ実態を的確に言い当てた表現である、という可能性からは意図的に目を背けた。
ダストシュートを遡ってくるのは危険じゃないのかと、ヅヱノはンゾジヅに訊いた。急勾配の上に、どんな浄化設備があるかも判らないからだ。何せ輪廻転槽に入るまで、しつこい位に浄化光線を浴びせられたのだ。通るのに適さない装置がある可能性も高い。
ヅヱノが心配するのも当然だったが、ンゾジヅ曰くヌメなら問題ないとの事。ヌメの脚なら滑ったりしないし、途中にある浄化装置も安全なのだとか。なので時折ぴょこっとダストシュートから顔を出すヌメに、日頃のご褒美をあげるのがヅヱノの新習慣となりつつある。
「ぬ~……♪」
飴玉を転がす速度が極端に落ちた。顔がダストシュートの淵で垂れ、もう満足と主張している。ヅヱノがその頭をなでると、むにむにと心地良さそうにヌメは潰れる。ヅヱノもひんやりと冷たく、それでいてゼリーのように心地いい感触を楽しむ。
「ほっぺたもちもちだなー。というか、どこもそうだなー」
「ぬ~……ぬっ! ぬっ!」
ヅヱノがヌメのぷにぷにほっぺを揉むと、彼女は顔を赤くして嬉しそうに表情を緩ませる。ぷにぷになのはほっぺたどころか、ヌメの青い触角や髪など諸々の部分がそうだ。もちもちしている体の部位はどこも心地よく感じるらしく、もっと触ってというようにせがんでくる。
ヌメにせがまれるがまま、ヅヱノは彼女の様々な場所を触っていく。頭や触覚の次は、下半身も撫でていく。人間であれば途端に卑猥な意味になるが、相手は半人半蛞蝓だ。どこからどこまでが腰か脚かもわからない肉体では、何に触れたら卑猥なのかも判らない。
ヅヱノが撫で回しているヌメの下半身は、当然蒼蛞蝓のような身体だ。だが彼は、不思議と嫌悪感が湧かない。初めてヌメを見た時は、その下半身を見て激しい嫌悪感を抱いた。だが『彼』とは違う存在だと自覚したせいでか、そうした悪感情は薄れている。
ヌメの下半身がナメクジというよりも、ウミウシのように見えるせいもある。ヅヱノはヌメのヒラヒラと波打つ側脚に、ドレスのような優雅さえ感じている。間近で見ても、綺麗だなとしか思わないのだ。スキンシップの障害が無くなった事は、ヅヱノのみならずヌメにも幸運だった。
「ぬぅ~♪」
ヅヱノが思わずヒダに触れてしまうと、くすぐったそうにヌメが笑う。にゅるるるるんっと、彼の手を振り払うように激しく波打つ。ドレスの裾を、ぱたぱたとはためかせているようだ。おてんばお嬢様のようで、ヅヱノもくすりと笑いが漏れる。
「ぬ!」
そして、ヌメはここも触ってと胸を突き出した。いつも前かがみ気味だが、身体をそらせると意外にもぼーんと出てくる。蛞蝓がひょいっと触角を伸ばすように、母性の証がぐいーっとヅヱノへ押し出されていた。当然可変式ではなく、単に姿勢で目立っていなかっただけである。
そしてヅヱノは、よしわかったと触れるほど色々振り切れてはいない。
人間ボディの上半身は、下半身と違ってセクハラポイントが明瞭に判別できる。
そこはね、ちょっとダメかなと、曖昧な感じでやんわりと拒否した。
「ぬ゛っ」
ヌメの眉間が富士山になる。
わたしのおっぱいが揉めないってか、そんな風に怒っている。
もめるわけないでしょと、ヅヱノは冷静に宥める。だがヌメは、なにを言ってけつかるというようビッと『指摘』する。
ヌメがぴしーっと指差すのは、傍にいるンゾジヅの大きな胸だ。別にヅヱノは触ったり等はしていないのだが、抱き抱えられた時などにずっしりと頭や肩の上に乗る。なんなら下乳に頭が食われかける事もある。なぜ彼女の南半球は、北半球と同じく羽で包まれなかったのか。彼が顔を赤くしながら、そう思ったことは一度や二度ではない。
どうしてヌメがンゾジヅの胸を指さして抗議しているかといえば、アレには触っているじゃないかと主張しているのだ。『触っている』というより、どちらかと言えば『当たっている』というのが適切だ。だがヌメ的には、『触っている』カウントに入るらしい。
アレは触ってる、ならコレも触るべき。
そう完璧な理屈を唱えたというように、ぬっとヌメはドヤ顔をする。
ヅヱノが完璧じゃないよと手を振ると、ヌメはまた眉間を富士山にした。
だが暫く争っていると、ヌメが引き下がった。聞き分けの無い弟に仕方ないなぁというように、なぜかヅヱノがわがままいった感じになっていた。だがヅヱノはそれで事が収まるならと、甘んじて受け入れる。お姉さん的寛容性を示してご満悦のヌメが、ふと何かを見つける。
「……ぬ? ぬー、ぬっ!」
ヌメが、ぴっぴっと指をさす。その先には、木の実のゴミがあった。前ならダストシュートに捨てていたのだが、今やダストシュートはヌメの出入り口である。彼女の出入り口を、ゴミ箱に使うのはためらわれた。一周回って燃料蔵槽に戻してくればいいのではという考えにも至り、ダストシュートに捨てる事をヅヱノ控えるようになっていた。
だがヌメは、正確にダストシュートへ捨てられるゴミを把握していたらしい。わたしの、おしごと、そう言うようにゴミを指してヅヱノへ訴えている。仕方無しにヅヱノがゴミを渡すと、ぬーと満足げに抱えてダストシュートへと消えた。
「……よし、やるか」
ヌメとの交流を終えると、ヅヱノはシミュレーターの前へと戻る。だが、行き詰ったような顔ではなかった。がむしゃらにデータを入力しては、試行している時とは違う。ヅヱノは前回の映像を流し始めると、様々な視点から単眼天使の動きを見ている。
それは明らかに単眼天使の『何か』を探し出そうという動きだった。じっと単眼天使の姿を見ながら、つぶさにヴェーダーとの位置関係や状況を確認。その度に、情報を手元のメモ帳に鉛筆で記していく。ちなみにメモ帳と鉛筆は、燃料蔵槽の合成植物の森から拝借したものだ。
ちなみにわざわざメモ帳と鉛筆の『現物』を使わずとも、接触画面で似たような事はできる。接触面の摩擦率が変化し、まるで紙に鉛筆で書き込んでいるような感覚でメモできる。だがヅヱノは、敢えて『現物』を用意して作業していた。その方が、妙に『しっくり来た』からだ。
やろうと思えば、紙のメモ帳に書いた内容も全て接触画面に転写できる。スキャナーのように、一瞬で紙面情報を読み取るのだ。その読み込んだ情報を接触画面上で、紙面媒体の様に再現して作業も出来る。逆に記録した情報を、プリンターのように紙面に出力する事も可能だ。
接触画面一つで、あらゆる道具を再現できる。壁の落書きだって、接触画面を介せばそのままキャンバスに写せる。データ化も実体化も思うがまま。アナログデジタル問わず、どんな道具を使っても不自由なく成果を共有できる。まさしく魔法じみた超科学の道具だ。
しかし幾ら発達した科学の道具も、最後は人が使いこなしてこそだ。ヅヱノは使いやすい道具――メモ帳にガリガリと書きこんでいく。単眼天使を殺すための情報が、紙面に呪詛のように刻まれていく。紙面が黒々とした文字で埋め尽くされるとページを捲り、また白い紙面を文字で埋めていく。
そうしてメモ帳を黒ずませていた鉛筆が止まり、ヅヱノは鉛筆をくるくると回しながら一息つく。ヅヱノは甘い物が欲しくなり、懐から缶を取り出す。ヌメに与えていた、青い飴玉の残りだ。
ヅヱノは缶を振って、カラコロと飴玉を手に落とす。出てきたのは、緑の飴玉だ。口に入れると、ずっしりとした高密度の糖分が存在感を主張する。あえていうならキウイのような風味だが、どこか駄菓子的なケミカル臭もする。まずくはないし、妙に癖になる味だ。
ヅヱノは飴をある程度まで舐めると、ヌメと違い顎に力を入れてボリバリと噛み砕く。一気に飴が唾液に溶けて、甘みと濃い香りが口に広がる。舌を強く刺激する糖分と、濃いキウイ風の香りがたまらない。ヅヱノはジャラジャラと飴の破片を舌でかき混ぜて、唾液をキウイシロップへと変えて飲み下した。
また缶を振ると、今度は黒い飴玉が出てきた。この飴は他とは違い、舐めている間に味が変わるのだ。ヅヱノは試しに口に入れて、暫くカラコロと口の中で飴玉を転がす。彼がただ甘いだけの飴を転がしていると、味に変化を感じた。
コーラのように激しく舌をつついたかと思えば、蜂蜜に似た優しい甘みが舌をなでて、ラムネ的な爽やかな甘さが舌を涼ませる。ヅヱノが舌で転がす度に、その飴玉からは様々な味が現れては消える。
ヅヱノは試しに口から取り出してみるが、飴玉はやっぱり黒いままだ。口に入れる前と、何も変わっていないように見える。だが口に含むと、今度はトロピカルな風味が舌を驚かせた。味だけが次々と変化していて、不思議な感覚になる。自然界では絶対にない類の、間違いなく知的生物の手によって生み出された味だ。ヅヱノは舌の上で、くどささえ感じる文明の香りを転がした。
ヌメのように飴玉をまったりと転がすヅヱノの傍で、ンゾジヅは当然のように待機している。いつ呼びつけられても問題ないようにと、ンゾジヅはヅヱノの傍に控えているのだ。だが彼女も、ずっと待機している訳ではない。
「……ンゾジヅ、どこまで行ったんだ?」
ヅヱノがそういって指したのは、ゲーム機だ。大事そうに傍の台に置かれており、電源は入ったままの待機状態だ。ヅヱノが作業している間、ンゾジヅはずっとゲームをしている。そしてヅヱノが休憩に入る気配を察すると、中断して待機姿勢に移るのだ。
「現在、七面のボスを攻略中です」
「七面って……もうラスボスじゃないか、凄いな。もうクリア寸前か」
ンゾジヅは前回の改良後、急激に技量を上げた。ンゾジヅは地中戦車を越えた後、四面の秘密工廠序盤に出てくる空襲部隊に随分苦戦していた。だがンゾジヅが『進歩』してから、攻略速度は大幅に加速した。
ンゾジヅは、早々に四面の雑魚ラッシュを突破。地下水道から侵入した揚陸戦車メアエクサと、基地内に強行着陸した空襲戦車アイスフォーゲルも撃破した。そして四面以上に雑魚ラッシュが酷い、五面の宇宙港に挑戦。破壊工作に勤しむ人型戦車ハイデッガーと、追撃してくる超重人型戦車パンツァナスホルンをも打倒した。そこまでが、ヅヱノが前聞いていた進行状況だった。
「見せてもらっていいかな?」
「解りました……では、再開します」
ンゾジヅはゲーム機を手に取ると、待機状態を解除する。画面は、六面のボス戦中だった。敵は月面軍の決戦兵器、攻撃衛星グロズヌイケラヴナだ。地上軍の秘密兵器を載せた打ち上げ機を撃墜し、ツバイバインの前に立ち塞がる月面軍最終兵器である。射線が読みづらい複数の光線攻撃を使い分け、ツバイバインに襲い掛かる。凄まじい猛攻だが、ツバイバインはひらりひらりと危なげなく避けている。
攻略済みという事もあり、ンゾジヅは攻撃衛星の射撃パターンも把握しているのだ。ヅヱノは部位破壊されていく攻撃衛星を見て、既視感に襲われた。そしてすぐに、ヅヱノは理由に思い至る。まるで単眼天使と、ヴェーダーのような構図だと。
ヅヱノが、かつて切って捨てた可能性。ツバイバインこそ、ギガムの立場という思いつき。それは、全くの事実であった。そして単眼天使がヴェーダーを倒した時のように、攻撃衛星は丸裸にされた上で止めを刺された。そうして攻撃衛星を撃破するとムービーが始まり、地表から白い巨影が昇ってくる。その巨影は、白い竜。機械でできた、白い巨竜だった。
ツバイバインのストーリーは、大きく三つに別けられる。序盤は一大攻勢をかける月面軍の迎撃に尽力し、中盤からは地上軍の秘密兵器を護衛する話に変わる。そして終盤にはツバイバイン側は囮であり、地上軍は秘密兵器の打ち上げに成功していた事が明かされる。
その秘密兵器が、ムービーで現れた白い機械の巨竜『絶対衛星ヴァイスヴォルム』だ。この絶対衛星は、あらゆる兵器を超越した力を持つ。単なる、対月面軍用の殲滅兵器ではない。地上軍が戦後に敷く、地球圏絶対支配体制の要となる『新世紀兵器』なのだ。
故に、並び立つモノは許されない。絶対衛星の技術が使われたツバイバインは、最初の標的として狙われた。ツバイバインは撃墜されるも、地上軍の反絶対衛星派の協力で機体を改修。それから月面都市へと向かい、空襲中の絶対衛星に最後の決戦を挑む。その月面都市上空戦が、最終面の内容だ。
絶対衛星は月面上空を縦横無尽に飛び回る。画面外にも移動領域があり、自機は画面を覆うような敵の猛攻を何とか逃げ回らねばならない。そして絶対衛星戦では、時間制限がある。時間内に倒せなければ、回避不能な弾幕を放ってくるのだ。それを食らって、ツバイバインは撃墜された。ンゾジヅは慣れたようにリトライし、ヅヱノは彼女の奮闘を見ながら物思いにふける。
ツバイバインは終盤味方に裏切られるという、大どんでん返しがある。ヅヱノがギエムの正体を伝えられていなかったように、ツバイバインは絶対衛星による地球圏支配――その最初の標的にされる事を、秘されていた。命令で仕向けられたツバイバインと、映像から勝手に思い込んだヅヱノでは境遇が違う。だがどうにも、ヅヱノは親近感のような物を感じてしまっていた。
「……じゃあ俺は作業に戻るけど、また見せてくれるか」
「はい。また見てください、ハリアー」
ヅヱノは席に戻る。味方の野望に反逆したツバイバインと違い、ヅヱノは味方の思惑に従属する選択をした。前者は正道を歩もうとし、後者は非道を進もうとしている。だがどちらも、強大な敵に挑もうとしているのは確かだ。
一致するのは敵の強さだけではない。単眼天使も絶対衛星も、『急所』がある。単眼天使には絶対衛星のコアのような、物理的な脆弱性があるわけではない。単眼天使の弱点とは、パイロットだ。
いくら単眼天使が桁違いの力を持っていようとも、必ず操縦する人間の志向や感情が絡む。ヅヱノがギエムの真実に気付いて、操縦不能になったように。ヴェーダーという超兵器を、単なる案山子に貶めたように。あの単眼天使の長所を損ねる何かを、パイロットは持っている筈なのだ。
人間が作り、人間が乗り、人間が戦う兵器。その全てに人が関わっていて、一点の瑕疵もないというのはありえない。絶対衛星のコアのように、突かれては困る弱点が単眼天使にも必ず存在する。その観点から、今一度映像を精査する。
ガリガリと、ヅヱノは情報をメモ帳に書きこんでいく。紙面が文字で塗り潰されていくと、次第に単眼天使の弱点が浮び上がってくる。ヅヱノが狙いやすいような、はっきりとした形へと可視化されていく。そうして黒いメモ帳の上に、単眼天使の急所は彫り出されていった。
黙々と作業するヅヱノを、ヴェーダーが見つめている。
その体は白い外殻で満遍なく埋められ、再建はもう間も無くであった。
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