第41話
ヅヱノは長らく、意識を膝の間に沈めていた。疲労により時折睡魔が訪れるも、すぐに生々しいギエムの最期で体が跳ねる。そんなサイクルを繰り返していたヅヱノが、急に顔を上げた。ヅヱノの瞳に、壊れ切った惨状の戦闘室が映る。
ヅヱノが目を向けたのは壊れたままの隔壁ではなく、その『向こう』だった。隔壁の外からは、電動鋸で鉄骨でも削るような甲高い金属擦過音が聞こえている。音自体は暫く前から聞こえていたが、距離を感じさせる小ささだった。それがかなり手前に迫っていると判る音量になっていた。
ヅヱノはその音によって、膝の間に落としていた意識を引き上げた。装甲を削る音で全身の細胞が震え、体が勝手に音へ意識をむけたのだ。鎖鋸剣を想起させる音だが、単眼天使の攻撃ではない。音自体が鎖鋸剣より大人しい上に、ここは格納庫だ。間違いなく格納庫の工具による作業音だった。
格納庫にある工具は、ヴェーダー用に作られた道具だ。そんな格納庫の機械でさえてこずるヴェーダーの装甲を、あの単眼天使は斬り削ったのだ。正面に開いた小さな穴を見て、鎖鋸剣の威力を実感する。
ヅヱノが斬削痕を見ていると、ようやく変化がおきた。その隔壁画面に開いた穴から、仄かに光が漏れ始めたのだ。既に穴からは格納庫の光が差していたが、新たな光はチカチカと眩しく輝いている。そしてじっと待つこと十数分、やっと輝く先端が現れた。
それは鎖鋸のようだが、回転している刃は眩しい光を放っている。刃が光を反射しているのではなく、そもそも光自体が刃となっているのだ。ビームチェーンソーとでも言うべき工具が、ゆっくりと隔壁を削っている。そうして少しずつ隔壁を進む鎖鋸が、長い時間をかけて一つの輪を完成させた。
鎖鋸が動きを止めて引っ込むと、がぽっと隔壁が引き抜かれた。くり貫かれた穴から、戦闘室内に光が注がれる。ヅヱノが明るさに目を細めていると、突然光を人影が遮った。ヴェーダーの正面に立ち塞がった、単眼天使の影と重なる。思わず身を引かせたヅヱノを追いかけるように、影は戦闘室の奥に飛び込み――抱擁した。
ヅヱノをやさしく包み込む、安心感を覚える柔らかさ。
まるで春風が受肉したような、優しく暖かい腕の中だ。
それは彼が慣れ親しんだ感覚であり、パニックが急速に収まっていく。
「……ンゾジヅ?」
「はい、ンゾジヅです。ハリアー、お帰りなさい」
もう何度も見た、ンゾジヅの慈愛の笑顔。だが今までと違い、慈しみの中にも理知的な落ち着きがある。口調についても、流暢な言葉遣いに変わっている。滑らかな会話文が、ンゾジヅの口から淀みなく紡がれている。
「……うまく喋れるようになったんだな」
「はい。回収した絶対燃料を利用し、ンゾジヅは進歩しました」
最後の回収作業がなくとも絶対燃料を集められるのかと、ヅヱノは少し驚いた。ヴェーダーは対ギエム用兵器であると同時に、絶対燃料の回収装置でもある。その回収作業は、毎回撤退前に仰々しく行なわれる。途中で撤退すれば収集は失敗したと、ヅヱノがそう考えるのも当然だった。
「戦闘しながらでも、絶対燃料は回収されます。緊急離脱の場合でも戦闘でギエムを撃破していれば、一定量の絶対燃料は確保されます」
「そうなの……か」
戦闘と聞いて、ヅヱノの脳裏で記憶が明滅する。様々な感情がぐちゃぐちゃに混ざるヅヱノの心を、ンゾジヅの腕が温かく包み込む。
「……すまない、ンゾジヅ……俺は、俺は……」
「大丈夫です、落ち着いて。余計な事は考えず、身を委ねて……今戦闘室から降ろします」
ンゾジヅは大事な物をそっと抱きしめるように、割れ物を扱うように繊細な手つきで、ヅヱノを熔けた座席から取り上げた。そして彼女は豊満な胸に、彼をしまい込むように抱きかかえる。
そしてンゾジヅは、作業用機械によって拡張された入り口から外に出る。鎖鋸剣で切り刻まれた通路は、装甲板が剣山の用に鋭く捲れている。人ではとても通れない急勾配を、ンゾジヅの異形の脚がしっかりと掴んで直立する。そうして滑落必至の斜面を、ンゾジヅは難なく降りていく。
ヅヱノはンゾジヅの胸の中で、彼女の真剣な顔を見上げながら運ばれる。こんな扱いを受けられる権利なんてないのに、そう思いながらンゾジヅの胸と共に揺れる。何があっても落とさないという、鋼の注意に抱きしめられながら彼は床へと運ばれた。
ヴェーダーから降ろして貰ったヅヱノは、ンゾジヅに頼んで接触画面を浮かべて貰う。蒼蛞蝓の絶対燃料配分を変えた時のように、ンゾジヅの助けを借りて接触画面を操作する。
ヅヱノが接触画面でしているのは、前回のような絶対燃料の配分変更ではない。ヅヱノがしているのは調べ物だ。あるかどうか判らない情報を求めて、接触画面を弄る。だがあっけないほど、簡単に目的の情報は見つかった。
『ギオヌブラギ:カイノケイナ:スラギリキス:ハロリヌロパ』
「……ッ! これ……は」
ヅヱノが声を上げたのは、出撃先に関する画面だった。戦闘室で出撃時に選ぶ項目欄に似ているが、この画面は接触画面で閲覧している。しかも項目の数が四つと少ない上、その内一つは灰色にくすんでいる。
「ヴェードを終えた世界に関する項目、か」
前からあったのかは判らない。仮にヅヱノが気付いたとしても、それほど念入りに調べなかっただろう。ヅヱノにとって滅ぼした後のギエムなど、改めて確認する物ではなかったからだ。ギエムは人を助け損ねた象徴であり、蒼蛞蝓に至ってはトラウマ同然の姿だ。詳しく確認する気には、ならなかったに違いない。
その項目を、ヅヱノは選択する。忌避感から確認しなかったであろう項目を、現在は別の意味で『確認したくない』項目を選ぶ。そうして画面内に広げられた情報を閲覧する。表示された字列をヅヱノが眼で追い、彼の視線を追ってンゾジヅが大きく身を屈める。
「……やっぱり、そうか」
ヅヱノの目が字列を追う程に、彼の瞳は暗く淀んでいく。情報にはヅヱノがこれまでヴェードを行なった世界について、詳細が書かれていた。閲覧しているのは、小鬼のギエムがいた世界だ。
「ギオヌブラギ。第三文明速度……文明速度ってのは、技術レベルなのか。平地に居住巣を作るのを好む。バリスタ等の機械装置を利用し、甲冑を纏う……あぁ、あのボロいのは元からそうなのか。原住生物との生存競争あり……原住生物? ……ぁあ、こいつが……アレ、人間じゃなかったんだ」
そこには小鬼が小手先の器用な獣ではなく、文明を持つ知的生命体である証が記してあった。そしてヅヱノが人間だと判断した、死骸の群れ。人間のような姿をしたそれらこそ、知性を持たぬ害獣であったと記されていた。
いたいけな少女の服装も、女騎士が纏っていた甲冑も、蝸牛の殻のようなものであると書いてある。幼生体が子供が着るような服を生み出し、成長すると大人服や甲冑等に変わる。ヅヱノが最初に見た小鬼二匹は、そんな害獣から生き延びた直後だった。彼らは誰の助けも借りず、自分の力で窮地を脱したのだ。
「……そんな勇気ある人を、俺は勘違いして殺したと」
街で惨たらしく晒し者にしていたのも、死骸を辱める為ではない。小鬼達は輪廻転生を信じており、害獣達も死後は別の生き物に産まれると考えていた。だからこそ害獣達の魂が、野蛮な邪気に囚われないようにと弔っていたのだ。
「……そして害獣を必死に撃退した人々を、見当違いの怒りで皆殺しにしたと。手厚く弔う為の宗教儀式に憤り、手前勝手な倫理感でぶん殴ったって訳か……あぁ、人って訳じゃないんだっけ」
そう、彼らは人間ではない。だが人と同様に、知性と文明を持っている。人とは異なる起源と過程を持った、文明種族なのだ。彼らは間違いなく、人と同じく尊重されるべき存在である。
「……他のも、似たような感じなんだろうな」
ヅヱノは次に、犬頭の項目を開いた。
「カイノケイナ。こっちも第三文明速度か。岩山等の自然物を刳り貫いて、居住巣を作る。投石機などの機械装置を……妙に高く飛ぶと思ったら、アレ魔法で加速させてんのか。すげーな、魔法あったのかよ。あの干し肉は……あぁ、家畜なんだ。気持ち悪ぃ見た目」
犬頭は、なんと魔法を使う種族であることがわかった。魔法と言っても唱えて終わりの便利な力ではなく、科学のように研究を重ねた技術だ。そしてヅヱノが目撃した人肉は、彼らが飼育する家畜の手足だった。
家畜の全体像も添付されていた。センザンコウにも似た胴体に、人間の手足がくっついている奇怪な生き物だ。過食部位は手足に集中しており、他は珍味として使われる。一番食べやすい部位を切り落として保存した場所が、ヅヱノが見た『人肉貯蔵庫』だった。
牛の脚一本から、全体の姿を推測するのは不可能だ。ヅヱノはギエムが人間を襲う存在だと、そう思い込んでいた。だから犬頭が齧っていた腕の『元』に、『人の体』を幻視したのだ。
「彼らは単に、自分達が育てた家畜を食っていただけだ。それなのに怒り狂った怪物に殺されたと……とんだ悲劇だ」
そしてヅヱノは、蒼蛞蝓の項目へと移る。
暫く項目の上で、ンゾジヅに支えられた指が震える。
だが意を決し、ヅヱノは蒼蛞蝓の項目を開いた。
「……スラギリキス。第五文明速度……そんなに技術力凄いのか。元々は湿地に居住巣を作ったが、沿岸部に棲息圏を広げた。工業生物技術により、技術革新を成功……工業生物? ……品種改良した生き物を、道具として使っているのか。あの烏賊巻貝とかもそうなのか」
蒼蛞蝓は特定の能力を持った生き物を、品種改良によって特徴を大きく強化する技術を持っていた。そうして銃から船舶の推進装置まで、蒼蛞蝓の文明は使役生物によって成り立っていたのだ。
「渡洋能力のある、運搬巣や攻撃巣を持ち……渡洋能力の運搬巣に、攻撃巣? あぁ、輸送船と、戦艦の事か。あのでかい金字塔も戦艦で、攻撃巣と。あぁ、ここも害獣がいるのか。見た目は人間だが……泳ぎが得意で、陸じゃ這うしかできないのか。体の構造も違う、と……食い方グロいな」
ヅヱノは蒼蛞蝓の姿に神経を消耗させながらも、やはり青蛞蝓も文明を持つ存在だったのだと理解した。そしてその世界にいる害獣も、見た目は小鬼世界と同じく完全に人間だった。だがその生態は海獣に近く、食事の際はクリオネのように頭が裂けるオマケつきだ。見た目以外、人間とは程遠い。
港で座礁していた軍艦らしき物も、この害獣の巣だった。この害獣は海底で巣作りすると、海面に浮上する。そうして害獣は複数の巣で陸に向かい、上陸して狩りをするのだと書いてある。
「あの金字塔は、洋上の害獣を迎撃しに行ったんだな……それで害獣を駆逐してきたら、どこからともなくバケモノのおかわりが来たと。酷い話だ……ッ!」
ヅヱノは蒼蛞蝓の日常映像を眺め、動きを止める。映像には成体の蒼蛞蝓が、幼生体の蒼蛞蝓を引き連れている姿があった。それは保母が園児を連れている姿に似ていて、微笑ましい喧噪が聞こえてきそうだった。
それを見たヅヱノが思い出したのは、あの大きな建物だ。ヴェーダーの下顎で天井を剥がした建物にいた、無数に蠢く幼生蛞蝓と威嚇してきた成体蛞蝓。情報通りならば、蠢いていたのは怯える園児達。威嚇してきた生体蛞蝓は、子供を護ろうとした保母で――そこで、ヅヱノは考えを打ち切った。
「……次だ」
気遣わしげなンゾジヅの温もりで、ヅヱノは何とか次の項目に移る。灰色にくすんでいるその項目は、ヅヱノが行ってきたばかりの出撃先だ。人間の身体を持つ、ヅヱノとよく似たギエムの項目を閲覧する。
「……ハロリヌロパ、第六文明速度。元は森林地帯で生活していたが、様々な地域に進出。科学系統の、機械文明を成立。星間航行に先んじて、異次元観測に成功。干渉技術の獲得が目前となっていた……が、逆に異次元の珪素生物に観測され、異次元からの侵略を受けていた、か」
ヅヱノは前回のヴェードを思い返し、ギエムの対応が妙に早かった事に気付いた。これまではヴェーダーが拠点に近づくまで、ギエムが迎撃に出向いてくる事はなかった。だが前回のギエムは、ヴェーダーがいる位置へ的確に部隊を展開してきた。まるでヴェーダーの出現自体を、察知したかのように。
その理由は、経験があったからだ。彼らは元から次元間侵略に晒されており、故に次元移動を検知する機械で警備網を敷いていた。だから突然現れたヴェーダーに対して、素早く部隊を差し向けられたのだ。
珪素生物の姿が添付されているが、どこが頭かもわからない現代アートが映っていた。ヴェーダーの方が遥かに生き物らしく見える、異質な生物だった。そんな珪素生物を、ヅヱノはヴェード中に死骸すらも見ていない。理由は、珪素生物は死滅すると木っ端微塵に爆発するからだ。
「道中にあった穴は、死んだ珪素生物の墓穴だったのかもな……そうして多くの同胞を失いつつ、世界規模で統一した軍隊を創設した、と。そこで高度な攻撃巣を建造して、反攻作戦を実施……大幅に戦況は改善され、現在は生存圏を奪還しつつある、か。その主戦力が、あの人型戦車か。単眼天使は……最終兵器って所か」
ヴェーダーは珪素生物よりも、『生き物らしさ』がある。だからこそ彼らは即座に攻撃せず、ヴェーダーの様子を観察していたのだ。しかし戦闘機の撃墜により、彼らはヴェーダーも侵略者と認定。珪素生物と同じく、排除すべき物として攻撃を始めた。
だが彼らはヴェーダーを虎の子の人型戦車でも撃破できず、最終手段である単眼天使を投入した。戦うだけで周辺被害で街が滅びる兵器を、彼らは迷わず投入した。軽率にも見える即断は、それだけ苛酷な戦いを乗り越えてきた証なのだ。
そうしてヴェーダーは、現地人の断固たる決断によって撃退された。次元間侵略という人類史に残る危機を、団結して乗り越えた人々の力で。ヴェーダーの強大な力でさえも、種族の窮地を乗り越えた人類を挫く事はできなかったのだ。
撃退されたヴェーダーを、ヅヱノは見上げる。
作業機械達が群がり修理作業をしているが、酷い有様だ。
装甲が全て破壊されており、内部の骨組みが剥き出しになっている。
装甲槽に覆われた姿は白骨のようだったが、こちらは文字通り骨だ。
それも焼け焦げた、消し炭のように黒い燃え残りの骨。
劫火に焼かれた亡者達の、怨恨と未練がこびり付いたような骨だ。
触れただけで祟られて、見ているだけで呪われるような錯覚に襲われる。
だがヅヱノが感じたものは、あながち間違いでもなかった。ヴェーダーとは絶対燃料で建造された物だ。その絶対燃料とは、ギエムを殺して確保するエネルギーだ。それは抽象的に、『ギエムの命』と表現してもいい。
ギエムが殺された後に生ずるエネルギーを、物質化させてうずたかく積み上げられた骸の動力機関。その冒涜的な機械こそが、ヴェーダーなのだ。仮に恐るべき怨念が宿っていたとしても、なんら不思議な話ではない。
「……報復装置どころか、とんだ報復製造装置だったってわけだ」
ヅヱノは人類の復讐者として、人の報復として投射される力だと思っていた。だが誰の報復にもならず、むしろ報復されるべき存在であったと痛感した。ヅヱノが戦おうと思い至った、その切欠を砕く事実であった。
ヅヱノが思うに、最初に見た『ギエムの映像』は恣意的に編集されたものだったのだ。ヅヱノが人間であるからこそ、ギエムを『人を攻撃するモノ』であると錯覚させた。そしてギエムを滅ぼすべき存在であると、ヅヱノの考えを誘導させた。その悪辣な仕掛けを施した存在は、確かにいるのだ。
「……だが、それは言い訳にはならない」
確かにヅヱノを騙し、ギエムを殺させたものはいる。だがヅヱノが界宙戦艦で生きる限り、絶対燃料は必要不可欠の資源だ。仮にそれが文明生物を燃料にすると明示されていても、追い詰められたヅヱノは手を出していたかもしれない。
あるいはヅヱノがギエムの殺傷を拒み、餓死した可能性もある。だがあくまで可能性だ。現実は騙されたとはいえギエムを殺し、その犠牲でヅヱノは生きている。事実は、ただそれだけだった。
ヅヱノは目を瞑り、動けるようになるのを待った。
ンゾジヅは力強く、しかしヅヱノが安らぐ塩梅で抱きしめる。
格納庫で静かな時が流れる事は無く、騒々しくヴェーダーの再建が続けられた。
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