第40話
全てを呑みこむ巨大光線が放たれた。
世界を貫く濃い緑が、野太い光の柱が空を横断する。
全てが削り取られ、吸い上げられる。世界の亀裂ともいうべき力だ。
どんな相手であろうと、一度狙われてしまえば終わり。
今までで一番強いギガムであろうと、ひとたまりも無かった。
その、はずだった。
「耐えている……だと?」
緑光の柱に、極彩色の彗星が垂直に交差する。
長く伸びた尻尾は、引き寄せる光柱へつっかい棒のように立っている。
ほうき星の先端には、鋼の人型――単眼天使が翼を広げていた。
翼が爆発しそう程の推進炎を噴かせ、単眼天使は一心不乱に進み続ける。そして少しずつ、前に進んでいた。巨大光線の引力に逆らって進む行為が、どれほど凄まじい物であるか。それは決戦機関を利用してきた、ヅヱノだからこそ解る。
決戦機関は、生存装甲を持つギガムすら葬ってきた力だ。
その力に抗い、逃れる――それは、単純な生存装甲恃みではない。
生存装甲だけの力なら、とっくに巨大光線に引きずり込まれている。
高度な技術で作られた推力装置を持つが故に、これだけの抵抗ができているのだ。
『甲標的:生存装甲:展開率:100』
更に無傷の生存装甲――翼竜百足の姿を重ねると、巨大光線に捕まらぬ秘密がはっきりと判る。翼竜百足の翼は、まるで単眼天使のそれと重なるように炎を噴いている。羽が蝋で出来ているように、激しく燃え盛っているのだ。だが羽は燃え尽きる事無く、推進炎の火力を強めるような炎を出している。二つの炎が混ざり合って、巨大光線の引力から逃れる勢力を生んでいるのだ。
その炎はいよいよ勢いを増し、単眼天使の速度が上がり出す。
いや、違う。ギガムを引き寄せていた巨大光線が、衰え始めていた。
巨大光線は照射時間の限界を迎えたのだ。
「消えるな! もう少し、もう少しだけッ……!」
ヅヱノの懇願に反して、巨大光線は力尽きたように消滅していく。
それと反比例して、単眼天使の速度はどんどん上がっていく。
まるで星の重力圏を逃れるように、単眼天使は勢い良く空に飛び出した。
そして完全に引力を振り切られた巨大光線は、細い光の筋となって消えた。
『決戦機関:デススターブラストZ26:投射終了』
「……嘘、だろ」
真っ向から、破られた。
無敵の決戦機関が、通用しなかった。
これさえ撃てばどうにかなると、ヅヱノは考えていた。
だからこそ凌がれた事で、どうする事もできなくなっていた。
ヴェーダーの前に、影が落ちる。
単眼を不気味に輝かせ、極彩色の炎を背負う鋼の天使。
縄で吊られた機械仕掛けの神のように、単眼天使はゆっくりと降りてくる。
単眼天使は、決戦機関の格納を終えたヴェーダーの前で静止した。
その単眼には怒りは感じられず、ただこう尋ねてきている。
これで終わりか、と。
まるで市販のマジックアイテムに仕込まれたタネを確認するように、単眼天使はヴェーダーの反応を見ている。機体を変形させるでもなく、全てを撃ち尽くして停止するヴェーダーを観察している。
そして単眼天使は、ヴェーダーの底を見抜いた。
これ以上は何も出てこないと悟り、単眼天使は動き始めたのだ。
鎖鋸剣を構えると、刃を回転させてギラギラと光らせる。
『銃郭:デススターブルドッグ:状態:発射:残弾:100……90……80……』
ヅヱノは咄嗟に、引金釦を引いた。奇環砲が旋回し弾をばら撒くが、ギガムは翼から推力炎を出して避ける。奇環砲の砲口が追いかける先を、単眼天使は常に進み続ける。そして奇環砲が弾切れで止まると、砲身に鎖鋸剣を突き入れた。ギャリギャリと競り合う二つの回転機構は、斬り削る鎖鋸剣に軍配が上がる。奇環砲はバラバラに刻まれ、破片が周囲に飛び散った。
『敵襲直撃:銃郭口:武装損傷:デススターブルドッグ:大破』
『銃郭:デススターマインスロア:状態:発射:残弾:09……08……07……』
ヅヱノは次に擲弾砲を発射するが、単眼天使に一発ずつ丁寧に砲弾を切り捨てられる。だが仮に爆発できたとしても、擲弾砲の散弾では傷一つつくまい。子弾地雷であれば、尚更だ。そして擲弾砲の砲身にも、鎖鋸剣が突き入れられた。
『敵襲直撃:銃郭口:武装損傷:デススターマインスロア:大破』
『砲郭:デススタービーム:状態:発射:残弾:01……00』
最後に光線砲を吐き出させて撃つが、こちらはもっと軽く避けられた。右に機体一つ分ずれるだけ、それだけで単眼天使に掠りもしない。単眼天使は放熱帯を出した光線砲を側方から刺し貫いて、ヴェーダーの咥内で爆破させた。
『敵襲直撃:砲郭口:武装損傷:デススタービーム:大破』
『緊急:蒐撃機:攻撃能力:完全喪失』
単眼天使は、ヴェーダーが搭載する全ての装備を破壊した。ヴェーダーを完全に無力化した事を悟った単眼天使は、鎖鋸剣を振りかぶってヴェーダーの頭を切りつける。そして振り切った剣を翻して、今度は上方向へと切り上げた。
『警報:敵襲:甲標的:遷文速攻撃:第七文明速度:Cs7703』
『敵襲直撃:中央基部:機体損傷:装甲槽数:179……172……165』
加速して斬りつけた時よりも弱い。だがそれでも、装甲槽は削れる。しかも最早ヴェーダーに抗う術はない。俎板の鯉、そのことわざそのままの状態だった。次第に、戦闘室に斬撃の衝撃が伝わってくる。鎖鋸剣を振り下ろす度、切り上げる度、振動は大きくなる。その切っ先が刻む場所は、少しずつ深くなっていく。
『警報:敵襲:甲標的:遷文速攻撃:第七文明速度:Cs7703』
『敵襲直撃:中央基部:機体損傷:装甲槽数:109……102……95』
戦闘室――ヅヱノのいる空間へと、迫っている。
鎖鋸剣の回転する刃の群れが、硬く分厚い殻を切り削っている。
ほんの僅かにある柔らかいヴェーダーの血肉を求めて、その刃は着々と近づいている。
ヅヱノがンゾジヅの元へ還る道を、単眼天使の鎖鋸剣が削り落とす。ンゾジヅの為に生きて帰らねば、そんなヅヱノの未練を単眼天使は切り裂いて進む。巨大光線を打ち破った単眼天使に、ヅヱノは生還の希望すらも切り刻まれていく。
「……報い、か。怪物の真似事をした雑魚には、竜になったつもりの鯉には……釣り合った最期、か」
ヅヱノが抱く、ンゾジヅへの未練。
それを果たせないのも、彼は当然の事だと思った。
本来ヅヱノは、十把一絡げに抹殺されていた『ギエム』の一人だ。
まかり間違っても、ギガムのような存在ではない。それが何の間違いか、ハリアーとなりギガムのように戦ってきた。
『敵襲直撃:一番頭部:機体損傷:装甲槽数:53……46……39』
ようやくあるべき場所に戻ったのではないか。
相応の末路を迎えるのではないか。
そんな気すらしていた。
『敵襲直撃:一番頭部:機体損傷:装甲槽数:32……25……18』
「……悪い、ンゾジヅ……約束も守れないハリアーで、すまない」
ンゾジヅを悲しませないという、最低限の務めすら果たさない。
そんなハリアーである事を、ヅヱノは心の底から詫びる。
彼の瞳に、生きようという意志は最早なかった。
終わりは、刻一刻と近づいて来ている。
『敵襲直撃:中央基部:機体損傷:装甲槽数:11……04……00……装甲喪失』
ヅヱノがそう諦めている間にも、単眼天使は鎖鋸剣を振い続けている。先程までは、戦闘室が揺れるぐらいだった。それが今は、戦闘室が壊れそうな激震に変わっている。ヅヱノの全身の細胞も、打楽器のように震えていた。
ヅヱノの肌に、死の感覚が伝わってくる。自分を殺す者の接近に、ヅヱノの本能が悲鳴をあげる。たとえ生き死にから遠い世界に住んでいても、この死の気配は察知できる。ヅヱノの肉体が悲鳴を上げるが、一足先に死につつあるヅヱノの精神は動かない。ただボンヤリと、破壊されていく隔壁画面を眺めるだけだ。
『緊急警告:艤核装甲:破損確認:危険:危険:危険』
呆けているヅヱノは、字列画面を文字が高速で流れていくのにも気づかない。まるで焦り急ぐような字列が、次々と画面に表示されていく。ヅヱノの背後でギチリと何かがきしむ音がするも、正面からの轟音でかき消される。
『緊急警告:火力撤退:爆縮準備:燃料活性:燃料領域:展開確認』
凄まじい音を響かせ、ヴェーダーを切断していく鎖鋸剣。その切っ先が、ヅヱノのいる戦闘室を掠った。ギャリギャリギャリと、鎖鋸が隔壁を削る音が聞こえる。そして隔壁画面から光が消えると、その中心から火花が散り始めた。火花の中からゆっくりと、高速で蠢く光刃の群れが現れた。
『緊急警告:艤核遮断:遮断確認:爆縮開始:火力撤退:撤退開始』
その瞬間、ヅヱノは背後から何かに全身を覆われた。世界から暗闇で切り離されたように、前後左右がわからなくなる。そこに世界が爆発したかのような衝撃と轟音が加わり、ヅヱノの意識は闇に散った。
§
「……?」
闇の中で、ヅヱノは目を覚ました。ここはどこかと考え、何をしていたのだろうかと振り返る。そして自分が死に掛けていたことを思い出し、鎖鋸剣も到達して――爆発のような何かがあったと思い出す。
「……俺は、死んだのか?」
ヅヱノが身体を動かそうと力を入れると、闇が縦に割れて光がもたらされた。扉が開くように視界は晴れ、身体を覆っていた闇は消えた。そして開放感のある冷たい空気と、見慣れた戦闘室に迎えられる。いや、正確に表現するならば『戦闘室だったもの』というのが正しい。
正面の隔壁画面には鎖鋸剣が作った細長い穿孔があり、それを中心に太い亀裂が走っていた。副眼画面や投射戦力画面等、画面という画面が消えている。更に樹脂らしき物から金属部品まで、至る所が熔けてガラス化していた。隔壁画面の穿孔からは、微かに格納庫の壁が見えている。
「戻って……きた、のか。酷い状態、だな」
操縦桿を握っても、焼きついていてピクリとも動かない。制御盤も溶けており、トグルスイッチなども根元が固まり動かなくなっている。無理に動かそうとすると、パキャリと取れてしまった。断面はチョコレートキャンディーのようで、内部構造が完全に溶けているのがわかった。原因は明白。戻る寸前に起きた、爆発だ。
「あの爆発で撤退したんだろうな……緊急時に作動する最終手段、か。相当機体に負荷を掛けたんだな」
ヅヱノは労わるように、溶けた制御盤を撫でる。まるで高熱を伴う、巨大な爆発でも起こったような跡だった。滅茶苦茶に熔けている戦闘室を見回していて、背後を振り返ってヅヱノは驚いた。そこには、無傷の大鎧が鎮座していた。
「何で、これだけ無事なんだ……?」
いつも戦闘室の後ろにあり、ただの大仰な調度品だとヅヱノが認識していた大鎧。そんな大鎧だけが、戦闘室で唯一無事だった。どこもかしこも溶けた形跡があるのに、この鎧兜だけは無傷だ。この壊れきった戦闘室の中で、これだけ新調したかのように。
ヅヱノは、改めて大鎧を観察してみる。いかにも日本の鎧といった感じの、立派な分厚いクワガタを額に乗せた甲冑だ。だが眉庇から喉元までを覆う、滑らかな曲線を描いた面頬は、西洋甲冑に見られる特徴だ。
ゲームなどでも滅多に見ない、言葉通り和洋折衷の鎧だ。しかも武器に関しては、薬莢式の大型輪胴拳銃だ。この種の銃が現れた頃には、このような重装甲冑はとっくに死に絶えている。立派な甲冑に対し、得物が進みすぎていた。
「何から何まで、キメラの鎧だな……ん? キメラ? まさか、甲冑植物とかと関係があるのか?」
ヅヱノはキメラ鎧という表現に、引っ掛かりを感じる。異物を混在させている、奇妙な取り合わせの存在に覚えがある。それは燃料蔵槽で見られる、合成植物――甲冑植物だ。最初に見た時や、燃料蔵槽で甲冑植物と遭遇した時には気付かなかった。だが改めてみてみれば、大鎧が甲冑植物の一種に思える。
だが甲冑植物と違って、中は蔦等では出来ていない。完全なる『がらんどう』だが、妙に『何か入っている』ような存在感がある。何か他に特徴はないかとためつすがめつ見ていると、ふと気づいた事があった。爆発の時にヅヱノは、後ろから全身を暗闇に覆われた。そして暗闇から解放された時は、逆に後ろへと『それ』は消えていった。以上の事実を考慮した上で、この戦闘室内で無事に機能しそうな代物は一つしかない。
「ひょっとして、コイツが俺を護ったのか?」
大鎧がヅヱノの身体を覆うように装着され、だから彼は激しい爆発の中でも無事だったのだ。つまりこの鎧は、鎧型の防爆壕なのだ。危機的状況で機能する、最終手段の生命維持装置。だからこそヅヱノは、惨憺たる有様の戦闘室で生還できたのだ。
「へぇ、凄いな……ありがたい、感謝しとかないとな……はは」
そんな現実逃避に近い『新たな謎への考察』を終えると、ヅヱノの身体に現実がのしかかる。この溶解した戦闘室の中で、ヅヱノがやってきた事を思い出す。この壊れた操縦席の上で、ヅヱノが指示してきた事を顧みる。隔壁画面は、熔けて穴まで開いている。完全に壊れていて、周りの世界を映さない。だがその暗い壁面に、鮮明な光景をヅヱノは見る。
仲間達を殺された怒りに燃え、身一つで切り掛かった大鬼の姿を。
群れを守るために、遠く離れた山中から射撃戦を演じた老狼の姿を。
同胞の救援に駆けつけた、無数の蒼蛞蝓達を乗せた金字塔を。
侵攻して来た未知の怪物を滅ぼす為、降り立った単眼天使の姿を。
勇敢に、果断に、『敵』に立ち向かう彼らの姿が見える。
彼らは全員が全員、同じ侵略者と立ち向かった。次元を超えて現れ、無差別に殺しまわる異質な怪物。彼らが敢闘した敵は、正しく邪知暴虐たる怪物だった。
その怪物は単眼天使によって、討伐される寸前だった。だが怪物は、逃げた。弱者を貪り食らって育てた巨躯で、卑小な溝鼠のように逃げ帰った。そして怪物は瀕死の身体が癒えるのを、再び襲えるようになる時をじっと待っているのだ。
もしヅヱノが神の視点から見ていたならば、腹立たしさを覚えただろう。好き放題に虐殺を楽しんだケダモノが、報いを受ける事もなく逃げ延びた。討たれておけよと、不満で唸っただろう。だがそれは、ハリアーの視点から見ているヅヱノも同じだった。
ンゾジヅの願いの為とはいえ、生きるべきだったか。死にたくないから、ンゾジヅを言い訳にして逃げ出しただけではないか。ンゾジヅを理由に、後生大事に持ちかえった命は温いか。命を奪う資格もない卑怯者め、命と向かい合う勇気もない腰抜けが。ヅヱノの中で羞悪の言葉が、自分への呪詛が滾々と湧き出してくる。燃えるような怒りも含んだ感情の湧き水は、留まることなく溢れていく。
だが、そんな悔恨に浸る事さえ贅沢である。
そう言いたげに、ヅヱノは硬く拳を握り締めた。
拳はどこかへ振るわれることもなく、ひたすらに膝の上で震え続ける。
ヅヱノが帰還を決めた理由、ンゾジヅは間違いなく外で待っている。ンゾジヅはいつものように待機し、いつも以上に心配している。彼女を理由に帰投したヅヱノは、早く顔を見せて安心させるべきだ。だがヅヱノは、未だ戦闘室に留まっている。
戦闘室が完全に壊れていて、隔壁の外に出られないからだ。部品がことごとく融解しており、機械的な動作をしない。僅かに隔壁画面に開いた割れ目も、体が通り抜けられる大きさではない。それに戦闘室から出られても、降りる手段がない。
普段はヴェーダーの口腔を、座席コースターで戦闘室に昇降している。だが単眼天使に口腔を破壊されつくした今、普段の通路は使えない。だが仮に戦闘室が無事でも、ヅヱノは動けなかっただろう。
理由は心理的なもの、つまりはヅヱノの身勝手だ。彼女に合わせる顔がないという、後ろめたさ。忌まわしい自分に真っ直ぐな感情を向ける、ンゾジヅの純粋な好意が辛い。そんな権利のある人間でないと、声を大にして主張したい。ヅヱノの卑怯な釈明も、ンゾジヅの愛情は抱擁してしまう。ただただ汚いヅヱノの自慰で、ンゾジヅの愛を辱める結果にしかならない。
何もかもがいやになる。
呼吸することさえ、止めてやりたい。
しかしそんな『贅沢』を選ぶ権利は、ヅヱノにはない。
勝手に荒い息は昂り、血潮は激しく巡り往く。自責の深淵に、身を沈める。
ヅヱノは、溶けた座席に深く座り込んだ。
両腕で曲げた膝を抱えて、膝の間に頭を沈める。
ヅヱノは腕に作った一抱えの闇に浸ると、そのままじっと動かなくなった。
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