第38話
異次元から侵攻してきた怪竜は、全身に砲火の直撃を受けていた。体表を爆煙で隙間なく包まれ、動き出せるとは思えない状態だ。実際砲撃を境に怪竜は動きを止めたので、攻撃が効いているとみるべきだ。機甲部隊も効果を確信して、最後の一押しにと必死に砲撃を繰り返していた。
だが突然、煙の奥から緑の光が迸る。煙から緑の流星が飛び出し、空を貫いて戦車隊へと堕ちる。そこで膨れ上がった緑の閃光により、鋼鉄で作られた戦車の群れが一瞬にして焼尽。黒色火薬へマッチを投げたように陣地は炸裂し、他の部隊も驚いたように攻撃を止めた。
うずたかく積もった爆煙から、ぬぅっと白い首が頭を出す。二つの口を持つ異形の竜頭は、首を擡げて天を仰ぐ。そして空を覆う雲を呑もうとするように、上の口を開ける。だがその口からは、煌々と燃える炎を噴き出した。攻撃かと身構える軍の前で、炎から複数の火球が飛び出す。否、火球ではない。大翼を持った竜が推進炎を背負い、煙を曳いて飛んでいた。
突然翼竜が現れたことに面食らった戦闘機隊を、翼竜が連装砲で銃撃。雀の群れに鷹が飛び込んだように、翼竜は次々と爆装戦闘機を食い千切っていく。応戦しようとする戦闘機隊だが、翼竜は戦闘機の群れを突破。空戦しようとしていた戦闘機は肩透かしを食らうが、すぐに慌てて後を追う。翼竜の進路上にあるのは、丘陵の向こうから間接射撃を繰り返していた自走砲部隊だ。
噴煙を曳いて飛来する三機の翼竜に、自走砲陣地も気付いた。控えていた対空戦車が、猛烈な対空射撃を翼竜に浴びせる。しかし翼竜は銃撃を受けながらも、対空戦車に機銃掃射しながら急降下した。だが翼竜は途中であえなく撃墜され、大爆発を起こす――否、三機揃っての空中炸裂を行なった。
三機の翼竜が起こす爆風が、自走砲と対空戦車を押し潰す。追いかけていた戦闘機も、爆風に巻き込まれたり、煽られたりして制御を喪う機体が出ていた。自走砲陣地が殲滅された事で、薄くなった爆煙から怪竜が歩み出る。慌てたように弾幕を厚くする戦車隊に、戦闘機部隊も上空から援護しようと怪竜に迫る。
だがその頭上から、影が迫る。操縦席で首を跳ね上げさせた戦闘機乗りを、鉤爪が叩き潰した。影は真っ二つに折れた戦闘機の脇を抜け、別の戦闘機へと襲い掛かる。翼竜と違い、頑丈な両腕を持った機械の龍だ。文字通りの格闘戦を強いてきた機龍に、戦闘機達は距離を取りつつ『戦闘機の格闘戦』を行なおうとする。
だが機龍は骨太の重量級な図体の割に、戦闘機を基本性能で凌駕していた。鵟のように上昇し、燕のように軽く切り返す。そして隼のように急降下し、雀を鷲掴みするように次々と戦闘機を捕殺する。その上、機銃や誘導弾を装備しているのだ。機龍は激しい空戦機動の最中でも、敵に首を向けて射撃する。強力な砲塔を載せ、戦闘機に空戦で勝る、空飛ぶ超重戦車。そうとしか表現しようのない怪物が、たった一機で編隊を引き裂いている。
空は機龍一機によって掻き乱され、戦闘機隊は木の葉のように翻弄されている。翻って地上では、自走砲を排除した怪竜が前進を始めていた。怪竜は黒鳥で捕捉した敵拠点へと針路をとり、それに気付いた戦車隊が砲撃を加えていた。だが奇環砲が応射すると、射線上の戦車隊は鋼の爆竹と化す。戦車は決死の覚悟で怪竜に抗うが、奇環砲が回る度に大地へ溶けていった。
畑は怪竜が歩く度に大きく陥没し、戦車の残骸が地中に捻じ込まれていく。腐葉土に化石燃料の血が染み込み、何を植えるにも不適切な荒地へと還っていく。そんな風に耕作地を破壊して進む怪竜の頭が、地平線へと向いた。
地平線に、黒鳥が見つけた敵拠点が見えた。そこは基地というよりも、街だった。怪竜よりも背の高い高層ビルが、無数に立ち並んでいる。だが普通の街と違って、頭一つ分は大きい防空塔が目に付く。
巨大なコンクリートの柱をつきたてたような姿で、先端には巨大な高射砲が何門も備わっていた。それらが続々と怪竜の方へ向き、水平射撃を始めた。はるか高空を狙える砲弾は、殆ど重力の影響も受けずに怪竜へと到達する。
派手に炸裂する砲弾を浴びながら、怪竜はぐばりと下の口を大きく開いた。めりめりと光線砲が喉奥からせり出し、街へと向けられる。そして砲撃のお返しにと、緑の流星が防空塔に落ちる。
その瞬間、コンクリートの柱はマグネシウムリボンのように燃え尽きた。そして留まりきらなかったエネルギーが、爆轟となって溢れ出る。それにより防空塔周囲の建物が、中間構造を抉られた。手近な防空塔を破壊した怪竜は、悠々と街に侵入した。
怪竜の足元では、多数の人間が慌しく逃げ惑っている。軍人らしき武装した人間から、普段着を着ているだけの市民まで。けたたましく鳴り響くサイレンに右往左往し、迫り来る怪竜の白い巨影に腰を抜かす。
そんな人々の頭上に、見慣れた街並みが降り注ぐ。怪竜が何かする度、ただ一歩前に進むだけで街は壊れる。光線砲等を撃てば、防空砲周辺の建物も、雨粒のように頭上から落ちてくるのだ。
手の平大の石ころですら、人間を殺すのに充分な威力が出る。それが人間の頭や、人間以上の大きさで降って来るのだ。そんなものが当たれば、下敷きにされてしまえば、一巻の終わりだ。建材の豪雨は、たちまち群集の悲鳴を押し流していく。
暴れ回っていた怪竜の横っ面を、爆風が引っ叩いた。建物の間を通り過ぎる、複数の巨影が見える。人型に見えるが移動速度は速く、足下を噴煙で濁らせている。人型重滑走戦車、そう表現するしかない五つの存在がビルの間を走り抜ける。
人型戦車は、ただ走っているだけではない。左腕に搭載した大砲で、建物の間から怪竜を射撃。いや、建物ごと怪竜を撃っている。味方への誤射も発生しているが、人型戦車はお構いなしだ。味方への危害よりも、怪竜への攻撃を優先している。進路上の味方車輌も撥ね飛ばし、更には守るべき避難民の轢殺も辞さずに強攻する。
人型戦車の攻撃は、怪竜の敵意を煽る程度の火力がある。怪竜は鬱陶しそうに撃ち返そうとするが、頸を動かす度に建物にぶつかる。怪竜の馬力があれば、そのまま粉砕する事は余裕だ。だが人型戦車を狙うには、射線が遅れる障害となる。そうして怪竜の反撃を遅らせながら、人型戦車は一方的に攻撃していく。
こうして怪竜の攻撃を建物で阻害する為、人型戦車は怪竜が街に侵入するまで攻撃を待ったのだ。確かに効果的だが、それは建物と人を犠牲にする作戦だ。現に友軍兵士や避難民が、人型戦車の攻撃による犠牲となっている。だが人型戦車隊は、犠牲を一顧だにせず戦い続ける。
人型戦車隊はいかなる犠牲を払ってでも敵を葬る、人情より非情な勝利を優先した集団なのだ。単なる人命軽視か、それに拘泥する余裕がない程追い詰められたのか。確かなのは、人型戦車隊が凄烈な覚悟を決めている事だ。味方の血を浴びてでも勝つという、強い目的意識が戦いぶりに表れている。
一方的に攻撃されていた怪竜だったが、突然尻尾を高く持ち上げた。周りのビルと競うように立った尾の先から、噴炎と共に翼竜が十機放たれる。小さく機動性に富んだ翼竜は、入り組んだコンクリートジャングルへと突入。ひらりひらりとガラス張りの幹を通り抜け、人型戦車へと迫る。
ビル群を噴煙で縫いながら迫る翼竜に、人型戦車も気付いた。ぐるりと反転すると、右手の奇環砲や各部の噴進弾を次々と掃射。翼竜に対空弾幕を浴びせるが、翼竜も連装砲で機銃掃射をかける。両者の撃ち合いは、互いの装甲や武装を削り取っていく。
軍配が上がったのは、人型戦車の方だった。翼竜は人型戦車に到達する前に、空中で大爆発を起こした。爆風は周りのガラス窓を粉砕し、背の低い建物を圧し折った。それでも重装甲の人型戦車には、掠り傷程度の損害しかない。重量強化点の装備が幾つかもがれた、それが精々だった。競り合いに勝った人型戦車だが、すぐに空を覆う煙へと対空砲火を再開する。
煙からも弾丸が飛び出し、弾丸に続いて無傷の翼竜――二機目が現れる。一機目の攻撃で武装を消耗していた人型戦車は、二機目の翼竜を止めきれない。そのまま翼竜の急降下自爆に、人型戦車は巻き込まれた。
他の場所でも一機目の翼竜は空中で爆発しているが、ニ機目の翼竜は地表で爆発を起こしている。人型戦車は水平射撃だけでなく、優れた防空能力も持っていた。だが翼竜の、二段構えの攻撃には耐えられなかった。しかし『彼ら』の攻撃は、終わりではなかった。
突然、怪竜の至近距離で噴煙が上がる。瓦礫の影から現れたのは、姿が他の機体と異なる人型戦車だった。巨大な削岩機のような物を構え、背中には噴進機関が眩い噴炎を出している。ドラッグスターのような急加速で、異形の人型戦車は怪竜に迫る。翼竜に撃破された五機も、この機体の為の囮だったのだ。
人型戦車の決死の攻撃は、怪竜の頭で抑えられた。武装を呑み込んだ怪竜の口が、人型戦車の上部装甲を噛んで猛進を止めたのだ。怪竜の巨体で人型戦車の突進は止まったが、未だ推進炎は噴出している。怪竜の馬力と、人型戦車の推力。強力な力の衝突は、膠着状態を生んだ。そうなったかに、見えた。
怪竜は咥えた装甲を噛み潰し、一層強く人型戦車を押さえつけた。そして『左前脚』を持ち上げて先端から奇環砲を出し、『右前脚』で押さえていた人型戦車に銃口を向ける。人型戦車を押さえていた『頭』を『右前脚』に換え、自由な『左前脚』を『頭』に変えたのだ。頭を突き合わせた力比べは、獲物を前脚で抑えた猛獣の処刑風景に変わる。
怪竜は奇環砲を人型戦車に近づけると、銃撃を行なった。重装甲の人型戦車は頑丈だが、至近距離での怪竜の奇環砲を受け止められるほどではない。雨粒で泥が流れ落ちるように、人型戦車の装甲が剥がれていく。
突然、人型戦車の後部から何かが飛び出す。怪竜は撃っていた奇環砲を呑み込みながら、飛翔体を口で捕獲する。小型の噴進弾に見えるが、攻撃用の物ではない。『脱出用』の物だ。作戦失敗を悟った人型戦車兵が、脱出を図ったのだ。
必死に噴炎を出して暴れる脱出装置を、怪竜はみしりと噛み潰した。怪竜の咥内で小さな、弾けるような爆発が起きる。ただ、それだけだった。そうして街からは、怪竜に対抗できる戦力は消滅した。後は、ひたすらなる蹂躙だった。
怪竜は人型戦車の攻撃を援護していた、防空塔や銃座への攻撃に移る。怪竜は左方にある、至近距離でも砲撃を続ける防空塔へと首を伸ばす。必死に俯角を取って撃ってくる高射砲を無視して、防空塔の中ほどをがっちりと咥えた。そして焼き菓子のように根元を圧し折り、右側へと思いっきり振り投げる。コンクリートの塊は世界最大最重量の投槍となり、別の健在な防空塔を貫いた。
怪竜が防空塔を武器に使っていると、市街地に潜む戦車から攻撃を受ける。更に兵士達が持つ、対戦車火器なども怪竜へ放たれる。だが彼らが搭載している火器は、怪竜の敵意を煽る事すらできない。怪竜は首を振ったり、歩くだけでよかった。それだけで瓦礫が生じて、戦車や兵士を押し潰した。
自分の構造を理解し、利用の仕方を承知した動きだ。怪竜――ヴェーダーのそれは今まで『ハリアー』がしていたような、良くも悪くも『兵器らしい』機械的な動作ではない。ヴェーダーの動きは有機的で、生々しい生き物のそれだ。元々ヴェーダーは生物の様な見た目をしていたが、外観通りの動きをしている。まるで火炎袋や毒腺の代わりに、奇環砲や光線砲を喉に生やすドラゴンだった。
シースターフォートという怪竜が、ハリアーという中枢神経を介して全身を動かす。自分を攻撃する不遜な虫けら達に、捕食者の鉄槌を下さんと蹂躙している。
「……、……」
その中枢神経、ハリアーは機械的に動いていた。敵を見つけ次第、的確に攻撃手段を選んで実行する。誰かの助言を受けているかのように、ヴェーダーの構造に即した挙動をとらせていく。ハリアーは『ヴェーダーの部品』として、その役割を完全に果たしていた。
街路に広がる緑光線が、逃げ惑う群衆を一瞬で蒸発させる。
奇環砲弾が建物に撃たれ、反対の窓からバラバラの人体が飛び出す。
擲弾砲の散弾に軍人が溶け、避難民が次々と子弾地雷の餌食となる。
まるで蟻塚を舌で穿るアリクイのように、ヴェーダーは人間を貪り食らっていた。
そうして市街地を破壊していると、ヴェーダーは街の外延部に到達していた。ヴェーダーは街の中心に引き返そうとするが、街の傍にある施設に気付いた。施設というには余りに粗末で、無数のテントが雑然と並んでいるだけだ。そこにも、人間がいる。薄汚れた、粗末な服を着ている人々だ。突然のヴェーダーの襲撃で、どこに逃げたらいいかも判らないといった様子だ。
ここは、難民キャンプだ。戦火から逃れてきた、無力な人々の住処。住人達は怯えながら、ヴェーダーを見上げていた。だが一人の男性が、意を決して両手を上げた。ヴェーダーに意味が通じるのかわからずとも、しないよりはマシだと。そう考えた彼らは、続々と手を上げた。手の平をみせ、何も持っていないと主張する。戦う気はない、そう言うように。
「……、……」
彼らは銃後も銃後、到底戦力にもならない人々だ。だが敵の銃後は、所詮敵軍の後詰でしかない。そう吐き捨てるように、ヴェーダーは緑の流星を吐いた。難民達の恐怖の顔が、キャンプ地と共に燃えた。敷地一帯が炎に包まれる中、奇跡的な生き残りがいた。
『緊急規定:艤核増速:増速限界:減速開始』
「……、……?」
少年だ。小柄な男の子が、一人で立ち尽くしている。
涙を流し、肩を震わせ、泣き叫んでいた。命乞いか、誰かを呼んでいるのか。
びくりと、ヅヱノは動きを止めた。段々と、その瞳に光が戻ってくる。
『緊急規定:艤核増速:増速限界:減速完了』
「……、……ぁ? ……オレ、は。なに、を……ぁっ! ぁあああ!」
ヅヱノは周囲を見回し、惨状を見た。
人類と文明を焼いた記憶を、ヅヱノは鮮明に想起する。
自分が操縦桿を動かし、的確に入力する手ごたえが生々しく手のひらに残留していた。
「なんて、なんて事をッ! オレは、オレはッ!! 畜生ッ! 俺が、俺が全部ッ!」
ヅヱノは錯乱寸前の脳味噌で、必死にどうするかと考える。そして、撤退が頭に浮かんだ。戦わなければ、これ以上彼らを殺す事はない。少なくとも、これ以上罪を重ねる事はないのだ。撤退釦へと、ヅヱノの指がよろよろと進んでいく。
「……逃げるな」
だが、ヅヱノは手を握りしめた。弱気を押し潰すように。泣き言を握り潰す様に。撤退を押そうとする指を丸め込んで、手の平に押し込んだ。そうして作った鉄拳を、太腿に振り下ろした。
「……前から、こうだったんだ……俺がしてきたのは、コレだったんだ」
ヅヱノは血を吐くように、真実を口にする。
小鬼、犬頭、蒼蛞蝓、ギエムの死に様が周りの血肉と重なる。
周囲の痛ましい人の悲鳴が、聞き苦しい怪物の鳴き声と重なる。
ヅヱノが殺してきた怪物の姿が、か弱い人々の姿へと塗り替えられていった。
今更、なのだ。ヅヱノは最早、かつてのヅヱノではない。短い間とはいえ、ヅヱノはハリアーとして生きてきたのだ。ギエムの正体を知り、やめたとしても。今まで踏み躙ってきたギエム達の、夥しい数の血肉は消えない。ヅヱノの記憶に、その過去に、生々しく沈着している。
だが、これが、いつも通りのヴェードなのだ。何もかもが『普通のヴェード』であり、違うのはギエムの見た目とヅヱノの感情だけ。この世界では、たったそれだけの違いしか存在していないのだ。
人類の復讐であると、ヅヱノは義憤に駆られて惨たらしく殺してきた。そうしてヅヱノは無辜の人々を殺し、彼らの復讐者であるギガムをも無慈悲に打ち砕いた。その邪悪な怪物の頭脳こそヅヱノ――否、ヅヱノこそが怪物なのだ。
「……お前は、ハリアーだ。お前は、ハリアーだ」
ヅヱノは、おもむろに操首桿を握った。
ぶるぶると手が震えて、がちがちと歯が鳴る。
だがヅヱノは歯を食いしばって、少年に向かって操首桿を倒した。
画面が真っ暗になり、何も見えなくなる。
ヅヱノがゆっくりと操首桿を引き起こすと、赤黒い染みが見えた。
少年の姿はどこにもなく、ヴェーダーの鼻先から『少年』は滴っていた。
身体の震えはますます酷くなり、熱病のようにヅヱノを揺らした。胃の内容物を、臓物ごと口から吐き出したくなる。だが猛烈な吐き気は口から出ようとせず、ひたすら腹の中で暴れている。そして著しく不安定となったヅヱノの精神が、一つの答えを出した。
「……なら……戦え、ハリアー……『いつも』と、同じように」
戦え。
そのまま戦え、と。
自分が『やってきた事』を『なぞって』直視するべきだ、と。
ヅヱノは自分に『怪物』を続けさせ、その罪業を自らに突きつけた。
ヅヱノは旋回板を踏み、機体をぐるりと旋回させる。そこら中で火の手が上がり、黒煙が街を覆うように立ち上っている。だがギエムの反応は、まだ幾つも残っている。そこへ、ヅヱノは推力桿を倒す。瓦礫を踏み潰しながら、ヴェーダーは進んでいく。焼け焦げた死体が、足元を流れていく。
人がいた。女兵士が、戦友の身体を必死に引っ張っている。女兵士は、戦友の男を助けようとしている。だが体半分がなくなっている戦友は、どう頑張っても助かるまい。女兵士はパニックを起こしており、そんな簡単なことにも気づけていなかった。
彼女の寸前で、ヅヱノは推力桿を起こした。画面越しに、女兵士を見下ろす。女兵士は暫く意味のない行動を繰り返していたが、ふと頭を上げてヴェーダーに気づいた。目を丸くし、引き攣ったような悲鳴をあげ。逃げ出すかと思えば、また戦友の身体を引っ張った。早く連れて行かないと、殺されてしまうというように。とっくに死んでいる戦友を、必死に引き摺っている。
ヅヱノは震える指で、引金釦を押した。奇環砲が高速回転し、戦友を庇う女兵士の背中が爆煙に呑まれる。暫く待つと煙は晴れたが、剥がれたアスファルトには血肉の痕跡も残っていなかった。ヅヱノはその着弾痕に、必死に戦友を護る女兵士を幻視する。
『警報:敵襲:乙標的:攻撃開始:亜文速攻撃:第五文明速度:Cs5112』
『敵襲直撃:一番頭部:機体損傷:装甲槽数:241』
ヅヱノが警報に気づいた時には、副眼画面で爆発が起きた。ヅヱノが被弾方向へ操首桿を傾けると、生き残った兵士達がいた。兵士達は血塗れの砲座に取り付いて、ヴェーダーへの砲撃を繰り返している。
彼らはヴェーダーが頭を向けても、一向に逃げ出さない。もう逃げる事を諦めているのだ。少しでも手傷を与えて、一糸報いてやろうと。そんな決死の覚悟で、攻撃を敢行したのだ。兵士達の目には、憎悪の炎が燃え盛っていた。
ヅヱノが最初にギエムの映像を見させられた時。小鬼が人間と思しきものを無残に殺していた時。ヅヱノの中で燃え上がった物と、同じ炎が兵士達の瞳で燃えている。だがその炎は怨敵を燃やすことなく、火花の様に散っていく。ヅヱノの人指し指で、無数の憎悪が燃え尽きる。
悲鳴も、怒りも、恐怖も、絶望も、引金一つで消えてしまう。
そうしてヅヱノは、土気色の顔で一つ一つ消し去っていった。
『ヴェード』の真の姿を、その瞳と魂に焼き付けながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます