第34話

 ンゾジヅはすぐに戻ってきた。

 だがその両手に、首の折れた菓子動物はぶら下がっていない。獲物を見つけられずに手ぶらで戻ってきたンゾジヅは、大層ご不満といった様子だった。彼女が坊主になった理由は、ヅエノだ。ンゾジヅは何かあった場合、即座にヅヱノへ駆けつけられる範囲に限定して捜索した。結果、菓子動物は一匹も見つからなかったのだ。


 仮にお菓子抜きになっても、ンゾジヅは文句を言ったりしない。だが食後に菓子を食べるのは、ンゾジヅの習慣であり彼女の楽しみだ。それを自分のせいで潰させる訳にもいかず、ヅヱノは菓子動物捕獲への同行を申し出た。


 自室や探索済みの場所ならば、ヅヱノは待っていればいい。だがここは、未だ探索が万全ではない領域だ。城塞都市の周囲を探すにしても、何が潜んでいるか判らない。槍型甲冑植物のような、変り種が襲ってくる可能性もある。だがンゾジヅの傍にいれば、ヅヱノは安全だ。彼女も安心して菓子動物の捜索を行なえる。


 そうして二人は城塞都市の外に出ると、がらりと周囲の雰囲気が変わる。人が歩きやすいように舗装された道がなくなり、湿った腐葉土が足を取る。さっぱりと区画整理された石材の荘園から、欝蒼と茂る生木の洞穴に飲みこまれるのだ。まるで文明と自然の境を踏み越えた、といったような変わりようだった。


 森の奥へと歩く事暫く、遠方の茂みに一つの影が見えた。独特の輪郭を持つ、色々混ざった特徴を持つ獣――菓子動物だ。それが遠目に、僅かに見えるだけの距離にいる。まだ菓子動物はこちらに気付いていない。後はこの場でヅヱノが待っていれば、ンゾジヅが捕まえにいく。周囲に二輪怪獣のような存在はなく、ンゾジヅは迷いなく獲物へ向かうだろう。ヅヱノがそう考えていると、ンゾジヅは思わぬ提案をしてきた。


「はりあー。かり、する?」

「狩りって……菓子動物をか?」

「そう。おかし、でるやつ」


 ンゾジヅはまるでゲームを薦めるような気軽さで、菓子動物狩りに誘ってきた。だが狩りは、当然ゲームとは違う。野生動物を殺すために追いかけて、確実に止めを刺すのだ。筋金入りのインドア少年だった彼に、そのような経験があるはずもなかった。ギエムなら既に数え切れないほど殺したが、ヴェーダーに乗ってした事だ。生身では屠殺どころか魚を〆た事すらなく、狩りとは縁遠い男である。


 ましてや、拳銃の狩りだ。確かに自衛用に拳銃訓練もしたが、菓子動物を狙える自信はない。それに技術的問題以外にも、心理的な抵抗もある。菓子の身体をもつとはいえ、意思を持つ動物だ。料理の実で栄養が摂れる以上、美食という『楽しみの為』の殺しになる。娯楽の為に命を奪う事に、ヅヱノは抵抗を抱いていた。


 だが今更かと、考え直す。既にンゾジヅが用意した菓子動物を何度も食べており、ヅヱノは間接的に狩りへ参加している。菓子動物を口にしているなら、自分も狩りに参加するべきだと考えたのだ。それにンゾジヅの要求――提案という形とはいえ、彼女のお願いには応えたいという気持ちもあった。


(……一度は、やってみるか。いつもンゾジヅの『猟菓』を食べるだけだが……あれも菓子『動物』だ。命を持っている、れっきとした生き物。殺して食っているって自覚を持つのは、必要な経験だ)


 そうヅヱノは決め、ンゾジヅの提案を受け入れる。一緒に狩りの時間を共有できると喜ぶンゾジヅに苦笑しながら、ヅヱノは冷静に考えた。どうやって、あそこにいる菓子動物を仕留めるかを。ンゾジヅのように一瞬で肉迫し、器用に蹴り殺すなんて手段は取れない。腰に下げた、拳銃だけが唯一の望みだ。


 ヅヱノは、そっと拳銃の銃把を握った。そしてできる限り音を立てないよう、慎重に銃嚢から引き抜く。それを菓子動物へと構えて、ヅヱノは照星を睨んで顔を顰めた。静止目標ならいいが、動物のような移動目標となるとまず当たらない。適当にぶっ放して、まぐれ当たりを期待するのが関の山だ。


 とはいえ菓子動物は、常に移動している訳ではない。自由意志を持った動物らしく、食事をし、体を休め、周囲を窺い、敵に備えている。その頭は電探のように動いて、脅威を探り当て、確実に危機を察知する。だが、それも脚を止めての作業だ。常に動き続ける、マグロのような生物とは違う。狙い目はそこだ。


 撃つべき時が判っても、問題となるのは距離だ。拳銃で九百メートルの狙撃記録はあるが、常人には百メートル先を狙うのも難しい。ヅヱノは可能な限り菓子動物へ近づいて、的中精度を上げねばならない。


 いかにして、菓子動物と距離を詰めるか。ヅヱノが呑気に近づいていけば、確実に菓子動物は逃げる。草を踏みしめる音、枝葉の擦過音、ほんの僅かな音でも菓子動物は聞き取る。そしてその広い視角で、木々の間にいるヅヱノを見抜く。


 菓子動物は草食動物の特徴を多く備え、敵を察知する能力に長けている。生存競争で磨きぬかれた、警戒網を潜り抜けるのは至難の業だ。実際彼が少しでも動こうとすると、ピクリと菓子動物は動きを止める。ヅヱノが近づいていると気付けば、菓子動物は一目散に逃げるだろう。そうなると、警戒されていないこの距離で撃つのが最良となる。


 ヅヱノは拳銃を両手でしっかりと掴み、倒木を支えにして構える。

 それでほとんどブレは無くなるが、照門と照星は細かく不規則にすれ違う。

 ヅヱノの心拍で揺れ動いているのだ。こればかりは、どうにもならない。


 ヅヱノの指は引金に掛けられたまま、止まっていた。照準を菓子動物に合わせるだけでも、脈拍に邪魔されて難儀する。菓子動物も不定期に動くので、頻繁に一から再照準させられる。何度も何度も、構え直しては動きを止めてを繰り返す。


 ヅヱノは当たる実感を持てず、漫然と構えるだけだった。

 撃鉄が落ちるのは、彼の緊張の糸が切れた時。

 既にヅヱノの狩りは失敗していた。


 だがこの狩りは、ヅヱノ単独の物ではない。

 ヅヱノの後ろにいた気配が、覆い被さるように寄ってくる。

 耳元で止まった気配は、木立が風に揺れるような小声で囁いた。


「……はりあー。しとめ、られそう?」

「……いや、無理そうだ。もう少し近づきたいが、気付かれるな」

「……なら、てつだう」


 まるで雲に乗ったように、ふわりとヅヱノの体が浮かんだ。いつものように、ンゾジヅに持ち上げられただけだ。だがいつもと違い、静穏性を重視するゆっくりとした手付きだった。


 そしてンゾジヅは、菓子動物へとヅヱノを運び始める。ンゾジヅが進むのは、茂みに包まれた地面ではない。その鉤爪でしっかりと木の幹を掴み、まるで階段でも上るように樹間――文字通りに樹木の間を進んでいく。木には凄まじい荷重がかかっている筈なのに、みしりともいわない。彼女の巧みな体重移動が、幹への負荷を最小限に抑えているのだ。


 ンゾジヅは全身を防音素材で包んだように、その巨体を静かに森の奥へと沈ませていく。静けさは抱えられたヅヱノにすら及び、自分の心拍音がはっきりと聞こえるほどだ。ヅヱノはンゾジヅの腕の中で、完全に森へ溶け込んでいた。


 視覚に関しても、巧みに菓子動物の視界を逃れている。まるで青空を横切る雲のように、ンゾジヅは菓子動物の頭上へと近づいていく。生物の不変的な弱点として、垂直方向への警戒不足がある。目も首も左右には動かしやすいが、上下には動かしづらい。地上の獲物を狙う猛禽類のように、ンゾジヅは菓子動物の頭上へと位置取りする。


 そこでンゾジヅは、進むのをやめる。無言のンゾジヅから、ヅヱノは『これ以上は近づけない』というメッセージを受け取る。ヅヱノは音を出さないように、輪胴拳銃を構える。いつものように、撃鉄を親指で起こさない。輪胴を包み込むように左手を拳銃に被せ、母指球で撃鉄を押さえる。そしてゆっくりと、少しずつ力を入れて撃鉄を起こす。


 ガチリと音を立てないよう、時間をかけつつキリキリと撃鉄を傾けていく。

 バネの引っかかりを感じながらも、可能な限り静かに撃鉄を起こしきる。

 手中でカチと僅かに音が鳴るも、菓子動物は気づいていない。


 撃鉄を起こした輪胴拳銃を、菓子動物へ向けて構える。必死に照星を合わせていたのが、馬鹿らしくなる大きさの的だ。外す方が難しい距離である。どう狙うかではなく、どこに当てるかの問題に変わった。


 最良は急所だ。脳、心臓、肺、頸椎、背骨のどれかだ。急所であると同時に、主要な可食部位から外れている。そのため多少傷つけても問題ないのだが、菓子動物は骨なども食べられる。脳味噌も、イチゴアイスになっているかもしれない。どこを撃てばいいか、ヅヱノは非常に迷う。


(……よし。脳味噌は美味しくないと考えて、頭撃ってみるか)


 そうヅヱノは決めて、照準を菓子動物の頭に合わせる。犀のような顔付きに、猪のように突き出た牙、レイヨウのように捩れた角、鬣が生えている頭。ヅヱノは、照星で菓子動物の頭をなぞる。そして大体脳味噌があると思われる位置で、ヅヱノは銃口を止めた。


 菓子動物は足元の草を貪っているだけだが、ヅヱノは奇妙な迫力を感じていた。いつもはンゾジヅが獲ってきて、ぐでっと脱力している姿しか見ていない。生きた菓子動物を、こんな距離でヅヱノは見た事がなかった。自分の人差し指に菓子動物の命が掛かっているのだと、今それを奪おうとしているのだとヅヱノは実感して緊張する。ギエムを何度も殺した指が、酷く重く感じた。


 だがゆっくりと、引き金は押し込まれていく。

 かり、かりり、と。指先に、引金の根元で軋むバネを感じる。

 そして撃鉄が落ちる寸前、いきなり菓子動物はばっとヅヱノへ振り向いた。


「ッ!!」


 目が合う――と同時に、ヅヱノは気圧された。生きる意志が宿った瞳、菓子動物の生存欲求がヅヱノの迷いを貫いたのだ。その一瞬の邂逅は、菓子動物のロケットスタートによって終わる。ヅヱノは慌てて引金を引き、逃げる菓子動物を鉛玉に追わせる。


 だが放たれた弾丸は菓子動物を外し、傍の樹根に着弾した。菓子動物が動いた上に、動揺で射線もずれたのだ。至近距離とはいえ、当たる訳がなかった。ンゾジヅは『ちょっと、まってて』とヅヱノをそっと降ろすと、目にも止まらぬ速さで菓子動物を追いかけていった。


 ヅヱノが菓子動物のいた方へ向かうと、地面に弾痕を見つけた。

 弾痕の傍には、飛び散った菓子動物の血――透明な滴がついていた。

 それで一応は、菓子動物のどこかに当たったらしいと判った。

 ヅヱノは滴を指で掬い取って、口に含んでみる。


 甘い。

 そして、苦い。しかもザラつく。

 苔生した岩肌についていた上に、菓子動物の皮膚片と交ざったからだ。


 菓子動物は、一皮剥けば菓子の詰め合わせに変わる。だが皮自体は針金のような体毛に覆われ、獣臭くゴムのような物体だ。料理の実の皮と同じく、『見た目相応』だ。可食部位じゃないし、普段もダストシュート行きである。ヅヱノは口に含んだ皮膚片を、唾液に絡めて吐き出した。


「……あの距離で外すかよ、ド下手糞が」


 すぐに森の奥から、軽快な足音が戻ってくる。

 ンゾジヅだ。手には、ヅヱノが仕損じた菓子動物がぶら下がっている。

 プランプランと揺れている首に、僅かな弾痕があった。そこを、ンゾジヅは指差す。


「はりあー。ここ、あたった。おしかった」

「あぁ……まぁ、この距離じゃあてても自慢にもならないけどな。その距離で外したんだから、それ以前の問題だが」

「うー……」


 ンゾジヅは慰めるように、なでー……っと感情を手の平で伝えてくる。

 ヅヱノは頭頂部にンゾジヅの慰めを受けながら、仕留め損ねた部分を確認する。


 弾丸は首根っこをかすめたといった感じだ。もう少し着弾箇所が下なら、頚椎を破壊していたかもしれない。惜しくはあるものの、ンゾジヅに『絶対に外さない距離』まで運んでもらったのだ。絶対にあてられると、確信した上で演じた大ポカだ。お世辞にも、惜しかったと悔やめるミスではなかった。


 ンゾジヅはいつものようにテキパキと解体し、ヅヱノに配膳する。気を効かせてか、ヅヱノに頭を用意した。頭である。死んだばかりの、新鮮な菓子動物のお頭が皿に載っていた。


(見た目やべぇな……皮剥いだ鹿の頭だぞこれ。まぁ折角取ってくれたんだし……お? 意外と、柔らかいな。筋肉みたいな部分も、しっかり柔らかい。スポンジか? 骨の部分は、アイシングってか……マジパンっぽいな)


 食べ始めてみれば、やはり美味い。爽やかな柑橘系の風味と、ただ甘いだけじゃない繊細な味わい。舌の根を、常夏の香りが爽やかに刺激する。ンゾジヅが自信を持って、丸々出してくれた通りの美味さだ。


 ふと、千切られた皮に目が行った。

 普段なら触れなかったが、手に取って調べてみる。

 皮の内側は、薄らと白い膜が覆っていた。感触は滑らかだが、指によく絡む。


「皮下脂肪……じゃないな。いや、脂肪ではあるが……クリームか」


 甘いクリームをこそぎ取ると、生皮が現れる。当然、甘くも無ければ柔らかくもない。ぐにぐにと、ゴムのような感触がする。こんがりと火を通せば美味しく食べられるかもしれない。かといって、食べようとも思わないが。


 ンゾジヅは、念願の甘味に顔をほころばせる。だが、いつもよりその顔は嬉しそうに見えた。ヅヱノは、大して彼女の役に立たなかった。むしろ足を引っ張っただけだ。しかしンゾジヅとしては、共に狩りができた事実だけで嬉しいのだ。


(これからも、手伝ってみるかな……役に立つかは別として)


 ヅヱノは菓子を口に含み、モゴモゴと咀嚼しながらそんな検討をした。菓子動物狩りでヅヱノは戦力外であり、役立たずである事は承知の上だ。だがそれで、ンゾジヅの喜ぶ顔が見られるのだ。それでもいいかと、ヅヱノはプライドを獣皮と共に投げ捨てた。

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