第32話
ヅヱノは固い石畳の上を歩いていた。微かに塗された砂がじゃりじゃりと音を立て、ヅヱノの脚を滑らそうとする。だがしっかりと体重をかけて、石畳を踏み締める。万一足を滑らせたとしても、背後の超保護者系鳥人に子猫持ちされるだけだ。安全という面ではンゾジヅに丸投げする方が楽だが、今は自分の足で歩きたかった。何しろ、ここは初めての場所なのだから。
「ホント、広いな」
ヅヱノが現在歩いているのは、街だ。人がより居住しやすいよう改良した、巨大な集落である。雑然と入り組んだ街路や建物は迷路のようで、適当に歩いていると迷ってしまいそうだ。だが周囲には山のように石が積まれた城壁があり、それを目印におおよその方向は判断できる。そう、城壁。ここは城塞都市だ。初めてヴェードを行った場所にあったような、城塞都市の中にヅヱノはいる。
建物は石造りだったり、木製だったりと、様々な種類が入り混じっている。完全に石造りの物は、基礎が街路と繋がっている。建物自体が、城塞都市と共に建てられたように見える。デザインも画一的で、所有者や大工の趣向が感じられないさっぱりとした物だ。
逆に木製の建物は形状が多様で、一階と二階でガラリとつくりが変わっている物もある。住人の趣味が映し出された、住人の人柄を写す鏡となっている。中には藁葺き屋根の建物もあるが、藁を厚く重ねた立派な物ではない。粗末な小屋の天辺に薄く葺かれており、簡便な雨除けといった様子だった。
なお石造りの建物も、よく見れば完全な無個性ではない。花が鉢植えに植えてあったり、目立つ看板が取り付けられていたり、居住する人間の個性が飾られている。建物自体に特徴が無いなら、特徴を用意してやればいいといった様子だ。防衛拠点に住んでいるとは思えない、庶民の生活感溢れる街並みだった。
そんな街並みが、『無人』で存在している。
少し家々を覗いてみても、編み掛けの編み物や、飲みさしのコップが放置されている。ついさっき住人が買出しに向かった、ちょっと用事があって家主が離れている、そんな状態の建物ばかりが集まっている。人どころか、家猫やネズミ一匹いない。
ヅヱノがこの無人の城塞都市を見つけたのは、ヴェードから帰ってきてすぐの事だった。
ンゾジヅの腕の中で目覚めたヅヱノは、血眼になって燃料蔵槽を調べた。蒼蛞蝓絶対燃料の遮断に成功したのか、不安で不安で仕方がなかったからだ。だから普段なら近寄らない二輪怪獣の縄張りや、歩きづらい入り組んだ地形を越えた先まで進んだ。少しでも変化があれば、それは蒼蛞蝓の絶対燃料がもたらした可能性が高いからだ。
そして輝く城壁を見つけた。明確な変化、それは歓迎すべからざる事態だ。蒼蛞蝓の絶対燃料がもたらした変化の可能性があるからだ。だがヅヱノは、そう考えなかった。なぜなら、その変化が『もっと昔』に起きていた可能性に気づいたからだ。
ヅヱノがそう考えたのは、街が見覚えのある姿だったからだ。真っ白く聳える、白金のような城壁。その壁面は漂白したように真っ白なのに、真っ赤――血染めにされた光景が重なる。一度目のヴェードで見た城塞都市と、酷似する街にヅヱノの喉が干上がった。細部は違うが、ヅヱノの記憶が『同じ物』と見做していた。
だが白亜の城壁には、塗りたくられた血肉はない。
吊り下げられた死体もなければ、騒いでいる子鬼もいなかった。
まるであそこにあった城塞都市『だけ』を、そのまま移設したような姿だった。
街の正体として考えられるのは、合成植物の部屋の亜種だった。写真立てがあった合成植物の部屋は、統一感のある品々が集まっていた。誰かの私室をそのまま移設したかのような、住人の気配が感じられる空間だった。だが1Lくらい狭所だった合成植物部屋に対し、この街はキロメートル単位で広がっている。仮に同種の存在だとしても、規模が桁違いだ。
少なくとも蒼蛞蝓との関連性は見られず、好奇心に誘われたヅヱノは探索を決めた。だがその日は疲れていたので一旦帰り、英気を養ってから今日改めて訪れたのだ。彼の腰と手には、当然の様に集めた輪胴拳銃が数挺ある。二輪怪獣には効果がないし、むしろ誘引する餌になりかねない。だが全くの丸腰よりは、心情的に若干のプラス効果を齎していた。
とりあえず、ヅヱノは大通り方面から進んでいる。入り組んだ路地も確認したいが、遮蔽物だらけで二輪怪獣に襲われやすい場所だ。まずは逃げやすく対応しやすい、幅広な大路から攻める事にした。
ヅヱノが歩いていると、ふと一軒の建物が目に付いた。一階は通り側が開放的なつくりになっており、道へはみ出すように机や椅子が準備されている。その机の上には、幾つもの皿が雑然とおいてあった。スープを入れるタイプの深皿で、現にシチューのような乳白色の液体が入っていた。まるで配膳したばかりのように、湯気を立てている。
ヅヱノは周囲を注意しながら、深皿へと近寄っていく。誰かが隠れている事はなく、ヅヱノを襲おうとする者もいない。それは静かについてくるだけの、ンゾジヅの反応からも明らかだ。ヅヱノは、ゆっくりと深皿へと手を伸ばす。ンゾジヅは無反応のままだ。ならば問題無しかと、彼は皿にあるスプーンを手に取る。
深皿から取ったスプーンは、何の変哲もないスプーンだった。先割れなどの変り種でもなく、先端が溶けていたりすることもない。深皿を軽く叩いてみれば、キンキンと甲高い音色を上げる。材質も、普通の金属と思われた。
ヅヱノは試しに、スプーンで深皿の液体を掬う。
乳白色の液体は無抵抗にスプーンが通るも、皿の底でゴツゴツとしたモノにぶつかった。ヅヱノが思い切って底を攫うようにスプーンを上げると、沈んでいる具材が顔を出した。ザク切りの根菜や菜っ葉、一口大に切り分けられた肉。それらがスプーンの上で、身を寄せ合っていた。ヅヱノがスプーンを傾けると、たーっと乳白色のソースが零れ落ち。転がった具材が、とぽとぽと液面で波を立てる。
僅かにスープが残ったスプーンに、ヅヱノは鼻を近付けてみる。乳製品の香りはするが、腐敗等の嫌なにおいはしない。
後ろの保護者が止めない所をみると、スープは毒物でもない。ヅヱノは、試しにスプーンのスープを舐めてみる。露天放置されていた推定シチューを口にするのは勇気が要ったが、液面には虫どころか埃が浮いた様子もなかった。つまりは料理の実や、菓子動物と同じ。何らかの力で可食状態が保たれているのではと、ヅヱノは予想したのだ。
「ンッ!?」
「はりあー?」
「いや、なんでもない。臭いからミルク系というか、シチューみたいな感じを想定していたが……乳脂肪的な濃厚さはないな。どちらかと言えば、さっぱりしたハーブ系だ。この臭いは、牛乳じゃなくてそういう臭いのハーブなのか?」
更に、具材も食べてみる。
根菜はほろほろと砕け、よく火が通っていて柔らかい。肉も煮込み料理の筈なのに、焼いた肉をそのまま入れたようにジューシーで香ばしい。スープの中に沈んでいたとは考えられない味わいだ。恐らく別々に作った料理を、食前に組み合わせるといった工夫をしている。それでいて肉とスープの味付けは喧嘩せず、一つの料理として成立する絶妙な調味が施されている。要するに、美味だった。
ヅヱノは深皿を引き寄せようとしたが、深皿は抵抗するように動かなかった。ヅヱノは身をかがめて、皿と机の隙間を覗いてみる。
「ぅわっ!? なんだこれ……根っこ? 植物なのか、これ」
ヅヱノが驚いたのは、皿の底に『根』が見えたからだ。まるで植物が根を下ろしているように、皿の底から机に根が伸びている。確かにこれほど立派な根が生えていたら、ヅヱノが力を入れた所でびくともしない。皿どころか机も地面に根を張っており、動かすには根を切断する必要があった。
だがこれでヅヱノも理解した。一見すると汁物が入った深皿だが、間違いなく料理の実と同じ存在――出来合いの食料を生み出す合成植物の一種なのだと。こうして道端にスープが放置されているのも、料理の実の亜種なら納得がいく。
「……もしかして、花の蜜とかそういう感じなのか? んー……汁物を蓄える花か……何が受粉しに来るんだ? そういやラフレシアって蝿とかで受粉すんだよな……いや、考えるのはよそう」
ヅヱノが考え込んでいると、ンゾジヅもスプーンを手にとってスープを口に含む。こくこくと飲むと、今度は深めにスプーンを潜らせて根菜類を一口。もここここと口が動いて、更にスプーンをガッツリ深皿に挿す。そして大粒の肉を口に含むと、もっちもっちと味わうように大きく顎を動かしていた。
あっという間に深皿は空となり、底には僅かなスープが残るのみだ。
ンゾジヅはすぐに席を変えて、別の深皿からも謎シチューを食べ始めた。
「けっこう食べるね、ンゾジヅ」
「これ、おいしい」
「まぁ美味しいけどさ」
ヅヱノも席について、ンゾジヅと一緒に深皿の謎シチューをつつき始める。ずっと歩き通しだったので、休憩もかねての昼食に入った。
野晒しの机に放置されていた汁物に手を出すなど、昔であれば考えられなかった。ヅヱノとしても衛生的にどうかと思うが、腐敗するかも不明な空間だ。いよいよなれば、浄化光線でどうにかすればいい。料理が野晒しで放置される空間に齟齬を感じつつも、美味しいからいっかと思考停止して食事を続けた。
「んー、スープ以外になにかないかな」
さすがにスープだけというのも物足りない。傍の建物は店であるため、奥に何かないだろうかとヅヱノは席を立つ。ンゾジヅも、すかさずヅヱノの後ろにぴったりとついた。
店の中は木造で、年季の入った内装だった。悪く言えば、使い古された小汚い店だ。だが不思議と、不衛生といった印象は受けない。掃除や手入れが行き届いており、古めかしいが清潔だったからだ。そんなテーブルやカウンターの皿には、バゲットやハムエッグが載っている。焼き立てでカリカリ、ほのかに湯気も見られる。そしてやはり皿は取れず、底には謎シチューの深皿にもある根っこが見えた。
店の奥に進むと、できたての様々な料理が皿によそわれていた。当然のようにそれらの皿も動かない。その場で食べるしかないか――そうヅヱノが考えていると、重なる空皿に目が行った。試しに手に取ってみると、何の抵抗もなく取れた。軽く叩いてみると、料理が載っていた皿と大体同じ音がする。
元から料理の載った皿とは別なのか、はたまたこの皿が根を張り料理を生み出すのかは判らない。だが間違いなく、皿としては機能する。ヅヱノは空皿を手に、片っ端から料理を拾っていく。そうしていると、ヅヱノは厨房から聞こえる音に気付いた。ジューッと何かを焼いているかのような、油が跳ねるような音だった。
「……ん? うわ、すごいな。なんだこれ、料理中なのか?」
ヅヱノが音源に近づいていくと、フライパンの上で鳥のステーキが焼かれていた。肉汁が泡立ち、濃い湯気を放っている。かがんでみればフライパンを炙る火も見えていて、ガスコンロのようにはっきりとした炎だ。手を近づけても、しっかりとした熱気が感じられる。
作業中に料理人が離れた、といった状況だ。ヅヱノが試しにフライパンの取っ手を握ってみると、やはりフライパンは動かない。これも料理の載った深皿の亜種なのだ。実際よく見てみると、五徳らしき金具との間に根が見えた。
火のすぐ傍だといういのに、根に燃え移ったりしていない。そもそもあれほど火に近い金属であれば、根を張れるような温度ではないのだ。恐らく炎自体も、コンロやフライパンの一部なのだ。常時火に包まれている、金属以上の耐火性を誇る植物。一体何があったらそんな植物が生まれるのかと、ヅヱノは顔の中心にパーツが寄った。
「はりあー、おもしろいかお」
「だろ。俺も今鏡は見たくない」
わかった事もある。現在肉は調理されているが、実際に調理は行なわれていない。禅問答のようだが、これが事実だ。もしこの肉が普通に調理されているならば、ヅヱノが来る前から焼かれた肉は焦げていなければおかしい。つまりは料理の実や、周りの皿にある料理と同じ。延々と最高の焼き加減を保ったまま、この肉は熱され続けているのだ。
そしてその奇妙な肉は、特殊な薬剤や合成した化合物で作られた特別品ではない。食べたら出来立てで肉汁たっぷりの、ただの美味しいステーキでしかないのだ。あくまでも異常なのは『状態』であり、素材ではないのだから。試しにフォークを手に取って肉に当てると、先端がさっくりと肉に沈む。
更に肉を持ち上げてみると、何の抵抗もなくフライパンから取れた。
フライパンでは未だ肉汁が泡立っていて、肉の表面もパチパチと油が跳ねている。その肉を皿に載せると、急にフライパンから熱が引いていった。肉汁の泡が消えて行き、フライパンの下を覗いてみれば火もなくなっていた。
「焼けている肉がなくなったから、肉を焼いているフライパンもただのフライパンになったのか……? ホント原理がよくわからんな、どうなってんだ」
熱され続けて火事になるよりはマシだ。だが延々と肉を焼き続けるフライパンなら、そもそも空焼きし続けた所で火事にはなるまい。もしそれで火事になるなら、フライパンにはとっくの昔に焦げ肉が転がっている。
そうなっていない以上、仮にフライパンが火達磨になっていようと火事にはならない。木の上に落っこちたとしても、炎は延焼せずにフローリングの上で燃え続ける。ここは、そういう場所なのだ。
「このぐらいでいいか……って、取りすぎたか。ぅお」
「はりあー。ンゾジヅ、もつ」
ヅヱノが考え事をしながらあれもこれもと料理を集めた結果、料理皿はかなりの量になっていた。ヅヱノが別けて運び出そうとすると、ひょいと重そうな皿が奪われた。ンゾジヅは自分の役目だと言うように、全ての料理皿を大きなお盆に乗せて運び始めた。いや、お盆ではない。脚から引っこ抜いた、小さな卓だった。脚の無残な残骸が、部屋の隅に転がっている。
「あ、ああ……ありがとう」
「ふんす」
ヅヱノはどこか誇らしげなンゾジヅに礼を言いつつ、店を出る。
店内の暗さに慣れた目を、明るい陽光につつかれる。
「っ……日差しが強いな、食料漁ってた間に日が高くなったのか? ……どこか、屋内で食べるか。流石にこの日差しの下で食べるのはちょっとな」
折角外に料理皿を運び出したのに、店内に戻るのは気が進まなかった。ならばとヅヱノは周囲を見回して、大き目の建物が目に入った。大きさとしては屋敷のようだが、角ばっていて住居とは思えない。篭城に使えそうな、砦じみた建物だった。
「ンゾジヅ、あそこで食べよう」
「わかった、はりあー」
ンゾジヅを引き連れて、ヅヱノは建物へと歩いていった。
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