第30話

 決戦機関を構えたヴェーダーに、金字塔が気づいた様子を見せる。不恰好に滑走を始めた金字塔を見ながら、ヅヱノは赤い発光釦を三度押し込む。そうして緑光を宿した決戦桿を強く握り、力一杯引金を引いた。


『決戦機関:デススターブラストZ26:投射開始』


 八本の緑光線が咥内から流れ出し、海よりも濃いエメラルドの光が集束する。

 集められた光が、球体へと急激に成長を遂げる。

 全てを消し去る光の成長に、ガンガゼモドキが激しく蠢く。


 逃げられないと悟った金字塔が無理矢理回頭し、ヴェーダーへと無事な面を向ける。そして流れるように、烏賊巻貝に斉射させた。ガンガゼモドキの針が、全てヴェーダーの咥内へと向けられていた。少しでも発射を妨げられたら、叶うならば誘爆を狙った必死の反撃だった。


 だが弾幕が届く前に、咥内の緑光球が前方へと崩壊した。

 無数の砲弾が奔る空を、一本の巨大光線が貫いた。

 ガンガゼモドキの針全てが、バラバラに砕け散る。


 巨大光線がガンガゼモドキの針を砕くと同時に、世界が歪み始める。ヴェーダーへと向かっていた弾幕が、螺旋を描きながら巨大光線へと集束していく。海面から水が吸い上げられ、海を割ったように海底が露出する。


 ガンガゼモドキが海水ごと巨大光線に絡めとられて、破滅の光に引きこまれていく。バキバキと金字塔がひび割れ、端からバリバリと千切れて緑光に溶けていく。光線砲すら凌いだ装甲が、蒼蛞蝓をヴェーダーの攻撃から守り続けてきた海の城が、海水や青蛞蝓と共に光の柱へと流れ落ちていく。生物でないせいか、前のギガムたちのような怨恨は一切感じられない。自分が今消滅しつつあると、自覚しているかも怪しい。


 金字塔は何も語らぬ、ただそこで機能を全うし続ける蒼蛞蝓の巣だ。

 それだけでしかないのに、なぜかヅヱノには意思のような物を感じた。

 無念、と。消え去る瓦礫が、そう呻いたように錯覚した。

 そうして金字塔最後の欠片は、光柱へと消えた。


『報告:甲標的:撃破完了』


 その字列を見て、ヅヱノは座席に深く身を沈めた。

 ずっと我慢していたが、遂に緊張の糸が切れたのだ。

 勝つためにと蠢く蛞蝓どもの姿を凝視し続け、彼は吐く一歩手前だった。


 ヅヱノは荒れる海面を見ながら、深く息を吸った。

 体に酸素をいきわたらせるように、空気を肺に送り込む。

 息を止め、せき止める。肺の酸素が、少しずつ体に染みこんでいく。

 バクバクと高鳴る心臓が、急激に肺の空気を浪費する。


 息苦しくなってから、ぷはっと息を噴き出す。

 そしてまた、すぅーっと可能な限り肺に空気を押し込む。

 吸っては吐いてを繰り返す内、ヅヱノの精神は段々と落ち着いていく。


 巨大光線で掻き乱されていた海が、落ち着きを取り戻す。

 何事も無かったかのように凪ぐ海原を、ヅヱノは空虚な眼で眺めていた。


「……疲れた」


 漸く、忌々しい蛞蝓の怪物どもを一掃できた。

 だがヅヱノに達成感は微塵もない。

 ただぽっかりと、燃え滓のような感情がかすかに残っていた。


 これまでで一番手ごわい相手である以上に、単純な強さを超えた難敵。

 精神を著しく害するという、別方向からの奇襲はヅヱノをほとほと疲れさせた。


 敢えてトラウマの原因と接触させて、克服するという荒療治がある。確かにそうした心理的障害とぶつかる事で、強引に乗り越える事も可能だ。だがそれは、上手くいったときの話だ。


 時には、無茶なトラウマとの接触で更に悪化する事もある。ヅヱノの状態は、まさにそれだ。戦っている最中、無理矢理トラウマと向き合わされた。何とか抑え込んでいたが、ギエム――蒼蛞蝓を照準する度、重いストレスに苛まれた。ヴェーダーの鼻先で潰した時など、限界ギリギリだった。


 そして海を自走する、蛞蝓の巣で限界を迎えた。

 戦意で何とか蓋をしていた感情が、一気に流れ出している。

 粘っこい負の感情は、酸のようにヅヱノの意気を溶かしていく。


 空っぽな頭で、ぼうっと空を眺める。すると、帰投前の恒例作業が始まった。ヴェーダがー勝手に動き出し、爪先が決戦機関を撃つ時のように変形する。だが決戦機関の発射姿勢と異なり、機体中心部に顎板機関が開く。


『絶対燃料:燃料集束:集束開始』


 燃え盛る街と周囲の海原から光の粒子が湧き、顎板機関の直上へと集まり始める。ガラス玉のようなヅヱノの目に、無数の流れ星が写る。落ちていった流れ星はぶつかり、団子のように纏まって、緑光球のように膨らみを増していく。


『絶対燃料:燃料集束:集束終了:燃料圧縮:圧縮開始』


 湧いてくる光の粒子が無くなり、光球が膨らみ終わる。すると顎板機関が蠢き、光球が段々と圧縮されていく。光は色づいていき、緑の光球へと濃縮されていく。


 これがヴェーダーはじめ、ヲズブヌのありとあらゆる施設で使われる動力源。ヴェーダーの装甲槽から、蜂蜜まで生み出す万能エネルギー『絶対燃料』だ。ヅヱノが与り知らぬ未知のエネルギーであり、判るのは『ギエムより生み出される』という事だけだ。


『絶対燃料:燃料集束:集束終了:燃料圧縮:圧縮終了:燃料回収:回収完了』


 ヅヱノの戦勝を飾る、祝福の花火のような物だ。危険性など何もない。

 だが濃くなっていく緑光を見ていたヅヱノの目が、だんだんと丸くなっていく。


『撤退開始:母艦状況:収容態勢:準備完了:収容開始』


 ヅヱノの体がこわばり、喉が緊張で一気に干上がった。手足などは、小刻みに震えてさえいる。明らかに脅威を視認したような、そんな異常な反応だった。まかり間違っても、勝利した人間のする反応ではない。


『推力光線:充填完了:諸元入力:照射開始』


「……嘘だろ」


 世界の終わりを見たような泣き言と共に、ヅヱノは元の世界へ弾き出された。



 §



 いつものように格納庫に戻ってきたヅヱノは、ボンヤリと壁を眺めていた。またしても帰還時の衝撃で、軽く意識が飛んでいたのだ。行き来する鉄蜂や、作業を始める機械腕等をヅヱノは目で追いかける。目的を伴わない、生理的な反射行動だ。


 ヴェーダーに蛇腹管がつなげられ、回収した緑光が流れ出す。

 その流れる緑光を目に留めた途端、ヅヱノの意識ははっきりした。


「っ! そうだ、寝惚けてる場合じゃねぇッ!!」


 ヅヱノは降機のボタンを殴るように叩き、降りる準備をする。

 いつもならさほど遅く感じない正面隔壁の開放も、酷く悠長に感じる。

 蛞蝓が渡るほどトロく思えた隔壁も開き、願いどおりの速度で口腔通路を滑り降りる。

 舌先に到着したヅヱノを、待機していたンゾジヅが抱え上げた。


「おかえり、はりあー」

「ああ、ただいま。それよりも、ンゾジヅ! 早く接触画面を出してくれ!」

「うー? わかった」


 ヅヱノの要請で、彼女は床を蹴って接触画面を浮かべる。

 彼は降りたばかりで体が動かないため、操作をンゾジヅに頼む。


「ンゾジヅ、俺の手を動かしてくれ。統合項目ってとこを、押すんだ」

「うー……ここ?」

「よし、いいぞ。それじゃあ次は、三番目の機軸機関を押してくれ」


 ヅヱノは口頭で指示を出しながら、ンゾジヅの補助で接触画面を弄る。そうして淀みなく項目を選んでいき、開いたのは絶対燃料割り当ての調整を行なう画面だった。配線図のような画面に、ヅヱノは素早く視線を往復させる。そして三つの緑色の線が伸び始めている場所を見つけ、ンゾジヅに声をかける。


「ここ、この部分の、遮断って項目を押してくれるか?」

「しゃだん……これでいいの?」

「うん、そこを押してくれ……よし。いいよ、ありがとう」

「うー」


 なでででっと頭頂を南半球で擦られながら、ヅヱノは安堵の溜め息を吐いた。

 ヅヱノが気づいて、慌てて中断させたもの。それは採取してきた絶対燃料の供給だ。ヴェーダーが帰投すると、集めた絶対燃料は界宙戦艦側が自動的に回収する。ヅヱノが妨げたのは、それだ。


 なぜヅヱノは、作業を止めさせたのか。それは『絶対燃料の回収工程を一度操作してみたかった』というような、バカな話ではない。ヅヱノとしても、自動的に回収してくれる事自体は便利に考えている。このように、必死に止める必要性を感じていない。問題は、ヴェーダーが『今蓄えている絶対燃料』だ。


 今現在ヴェーダーの中にある絶対燃料は、蒼蛞蝓から採取したものなのだ。ヅヱノを精神的に追い詰め、今尚心臓を緊張状態にしているギエムから生まれた物だ。それが蛇腹管を通して、界宙戦艦の各施設へ流れようとしていた。だからヅヱノは止めたのだ。


 現状、ヅヱノの全ては界宙戦艦によって賄われている。そしてその界宙戦艦は、集めた絶対燃料によって動いているのだ。集められた絶対燃料は全ての区画へと配られ、そして様々な機能へと変換される。蒼蛞蝓の絶対燃料が、そうなるのだ。ヅヱノが吸う空気にも、飲む水にも、食べる食料にも、戦う武器にさえ、蒼蛞蝓が雑ざるのだ。


 二人で初めて食べて、おいしいおいしいと舌鼓を打ったカツ丼も。

 蕩けてしまいそうな、豊潤な甘さにくらくらした蜂蜜が滴る菓子も。

 ギエムや異界の摂理から守ってくれる、ハリアーの切り札ヴェーダーも。


 その全てに、蒼蛞蝓の一部が入り込んでいく。川を腐らす重金属のように、野山を枯らす劇毒のように侵していく。ヅヱノの目を、髪を、皮膚を、筋肉を、骨を、血を、細胞の一つ一つに、蒼蛞蝓が入り込むのだ。いつの間にか、雨の日に湧いて出たように。ありとあらゆる場所を、蒼蛞蝓が這い回るのだ。


 そんな未来を、ヅヱノは集められていく絶対燃料を見ていて幻視した。寒気と嫌悪感が際限なく湧き、叫び出したいほどの恐怖に駆られた。もしも供給を調整できると気づいていなければ、ヅヱノは正気でいられなかったかもしれない。


 過剰反応であるのは間違いない。蒼蛞蝓よりも前に、『ヅヱノが受け入れがたい物』が絶対燃料になっていた可能性は大いにある。気のせい、考え過ぎだ、そう切って捨てる事もできる。所詮ギエムから抽出したものにすぎず、ヅヱノが嫌悪するものは全て分解されている。故に安全だと、無視する事も合理的な判断だ。だがヅヱノの嫌悪感が、非合理的な判断を選ばせる。


 コチニール、銅葉緑素というものがある。どちらも食品添加物であり、食べ物に色を付ける着色料だ。食品表示のみでしかその単語を見た事が無ければ、原料についてもピンと来ない。


 だがその原料が『コチニールカイガラムシ』に『蚕沙』といわれたら、大半の人間は察する。カイガラムシとカイコの抜け殻や糞、それが件の着色料の正体だ。


 虫や糞だからといって、必ずしも危険なわけではない。コチニールカイガラムシに毒性はなく、蚕沙は有名な漢方薬だ。しかも成分だけが抽出されているので、抽出元とは殆ど別物といってもいい。


 このように、加工によって元の悪印象が薄められるケースは多々ある。だがいざそれが『どんな姿だったか』と明かされると、意識せずにはいられない。抽出された成分ですら、それそのものを口に含んでいるかのような嫌悪感を抱く。


 人は嫌いな物に対しては、想像力を働かせて可能な限り嫌忌しようとする。無害な物に対しても、感情によって激しく拒絶する。それが、食べ物、空気、水、道具、武器、自分を含め、あらゆるものに混ざってしまうとしたら。


 尿を浄化して生活用水にする事すら、難色を示す者もいるのだ。それが見る事すら嫌う、触るなどもってのほかという生物から抽出した物ならば。トラウマ持ちが、それを受け入れられるはずがないのだ。それがほんの僅か前に、新鮮なトラウマを提供した相手ともなれば尚更だ。


 しかしそうした『危機』は、過去のものとなった。

 ヅヱノは、蒼蛞蝓絶対燃料の流入阻止に成功したのだから。


 ヅヱノは落ち着きを取り戻し、建設的な思考に移る。いつまでも蒼蛞蝓の絶対燃料を隔離したまま、放置するという訳にもいかないからだ。


 界宙戦艦が即座に絶対燃料の回収作業を行なうのは、その必要があるからだ。問題がヴェーダー側と界宙戦艦側のどちらにあるのかは不明だが、長時間そのままにしておける物でない。界宙戦艦のどこかに、この蒼蛞蝓から集めた絶対燃料を使わなくてはならない。


 ヅヱノはどこに使うかと視線を彷徨わせ、一点に止まる。

 輪廻転槽だ。


 使用した絶対燃料の処理施設という場所で、ヅヱノが一度も行ったことがない場所だ。少なくとも、機軸機関、燃料蔵槽、普段ヅヱノがよく利用する施設と比べると優先度は下がる。唯一、ダストシュート越しに生ゴミを投棄する程度。それに元々廃棄物を集積し、処理する施設だ。それ自体の衛生環境は、それほど高くない。


 それぞれの施設は、独立して稼働している。ヅヱノが直接赴く等しなければ、関わる事自体が無い。触れたくも無い絶対燃料の用途としては、理想的な場所だ。


「よし……ンゾジヅ。また動かしてくれるかな?」

「わかった。どこ?」

「輪廻転槽ってとこの、その隣のパイプみたいなところ……そう、そこ」


 輪廻転槽に続く配管を開放すると、ぐんっと一本緑の線が延び始める。

 連動して、蛇腹管に絶対燃料が流れ始めた。まるで汚水か何かの処理風景だが、ヅヱノ的には間違いじゃない。緑光が他のどの施設にも向かわず、まっすぐ輪廻転槽へと向かうのを確認して、ヅヱノは漸く安堵する。


 これでもう、安心して休める。ヅヱノはそう肩の力を抜いた。

 目覚めた時に迎えられるのは、蒼蛞蝓の影響がない艦内だ。

 逆に輪廻転槽には濃密に蓄積されたが、立ち入らなければ問題ない。


 輪廻転槽は今まで一度もいったことはないが、施設説明から察するに碌な場所ではない。ダストシュートで直通になっているというのも、ゴミ溜めという印象しか持てない。少なくともヅヱノが、進んで近寄りたい場所ではなかった。今回蒼蛞蝓の絶対燃料を押し付けた事で、一層その考えが強くなった。


「ふぅー……」

「はりあー、疲れて、る?」


 自然にンゾジヅへ身を預ける姿勢へと、ヅヱノは誘導される。背面に感じる柔らかい体が、ヅヱノの逆立った神経を慰めてくれる。まるで心地よく揺れる安楽椅子か、人をダメにするソファーにでも身を委ねているようだった。なお絵面的には『女性にもたれかかってリラックスしている』という、あからさまにいかがわしいモノである。いつもの事だが。


 しかしそれでもいいやと、ヅヱノは開き直る。

 今日はトラウマを穿り返され、新たな心的外傷を増やしたのだ。

 これぐらいの報酬はあってもいいのではないかと、暖かさに意識をまどろませる。


「……すぅ……すぅ」

「うー……♪ ぅー……♪」


 ンゾジヅは寝かしつけるように、ヅヱノを優しく撫でる。

 ヅヱノはンゾジヅの手で、静かに夢の世界へと送り出された。

 ヅヱノが寝息を零し始めてからも、ンゾジヅの手が止まることはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る