第26話
『蒐撃機:弾着完了:兵装封止:封止解除:蒐撃開始』
今回ヴェーダーが着弾した場所は、海だった。海といっても、大海のど真ん中に落ちたわけではない。長く続く海岸線がすぐ傍にある、沿岸部の浅瀬だった。その浅瀬にヴェーダーは四肢を沈め、海上に巨体を浮かべていた。
「すっげぇ……綺麗な海」
例の如く意識が飛んでいたヅヱノは、目覚めるとすぐに透き通った海に感嘆した。ヅヱノは思わず、操首桿を動かして辺りを見回す。海は一面エメラルドグリーンに輝き、翠の宝石を溶かしたような海水が揺れている。晴天を浴びた海は一層深みのある翠に輝き、透き通った水質が海底の砂を輝かせていた。
日本近海ではあまり見ないような、南国の海といった感じの浅瀬だ。少なくともヅヱノの住んでいた場所近くでは見たことのない海だ。宝石のように輝く水は、見るものの目を妖しく魅了する。思わず飛び込みたくなるような水面である。
「えーっと、一応調べてみるか……うわ、ここもか」
彼が恒例となりつつある環境チェックをすると、ここも生身で活動するには適していない世界だった。海水浴のためにあるような海だというのに、その海原の空気を吸う事すら許されない。ヅヱノは少し落胆しながらも、『任務』に移る。
「さてと……それじゃあ始めるか」
左旋板を踏んで機体正面を逆三角へと向けつつ、推力桿を押し倒す。ヴェーダーの脚がエメラルドの海を掻き乱し、濁った白波で引き裂く。崖を削るほどの大波を立てながら、ヴェーダーは浅瀬を歩き始めた。
海の中にあっても、ヴェーダーの歩行速度は全く鈍らない。海中を歩けば相応に水の抵抗が生まれ、どうしても移動速度は鈍くなる。だがヴェーダーは、全く水の存在を感じさせない動きで前進する。まるで足下に海面はなく、平地でも歩いているかのような姿だ。
だがヴェーダーの足下には海がある。ヴェーダーが海面に引く白い一文字が、海底で巻き上げる砂が美しい海を台無しにしていく。ヅヱノが副眼画面で背後を見れば、海は酷い有様になっている。浅瀬で透明度が高いからこそ、踏み荒らされ泥水となった見苦しさが判る。
ヅヱノは美しい海に感動したからこそ、申し訳なさを覚えた。だがヴェーダーがこの浅瀬を台無しにしているように、ギエムも人類文明をめちゃくちゃにしている。景観を気にして、二の足は踏んでいられないのだ。とはいえなるべく海を汚さないようにと、ヅヱノは左旋板を踏みヴェーダーを上陸させる。
海の代わりに海岸線を踏み荒らしながら、逆三角の方向へと北上する。荒らされるのを免れた浅瀬が、爽やかな光をヴェーダーへと放つ。エメラルドグリーンの反射光で、ヴェーダーの装甲が薄らと翠に染まる。
ヅヱノは針路を微調整しながらも、再び美しい海岸線に目を奪われる。こんな美しさに浸っていたくなる場所にも、ギエム――忌々しい人類の仇敵が蔓延っている。いっそ陸海空全てが汚らわしく、片っ端から壊しても良心が傷まぬ世界ならばとヅヱノは思う。だがそんな世界でも、ギガムがいるなら人も居る。都合よく破壊していい世界など、結局ありはしないのだ。
ヅヱノは感傷に浸りながら、旋回板を逐一踏む。ヅヱノはヴェーダーの脚を急がせているが、それでも前二回の時よりは落ち着いている。前は早く着こうという、焦りがヅヱノの中にあった。だが今回、物思いに耽る程ヅヱノは冷静だった。彼の心に、諦めの感情が入っていたからだ。どれだけヅヱノがヴェーダーを急がせても、現地人の救助には間に合わない。その結論が、ヅヱノに冷静な操縦をさせていた。
そもそもギエムという存在は、いつ『ギエム』と判定されるのか。いつヴェーダーが始末するに足る標的として、認定されるのか。それは恐らく、『人間を大規模攻撃した時』だとヅヱノは考えた。
ヴェードで向かわされた場所は、そう推定できる材料が揃っていた。一方は襲った人間の都市を乗っ取り、もう片方は過程不明ながら人間の食糧化を完了していた。小鬼と犬頭、どちらも人間へ大規模攻撃をした痕跡が見られた。両者共に、人間を襲う前ではなかった。
更にギエムとしての条件を満たした途端、すぐにヴェーダーが呼ばれる訳ではない。確認されたギエムが討伐されるまで、必ずタイムラグが存在する。何しろ出撃時に選べるほど、ギエムがいるのだ。討伐までに長期間放置されるギエムも必ず出る。ヴェーダーが現場へ精確に着弾しない事も考慮すると、到底救助は間に合わないのだ。
ヴェーダーは警察のように、事件が起きて初めて動く。警察は事件の被害者を、あらかじめ助けることはできない。偶然現場に居合わせたら、現行犯を阻む事もできる。だが軍隊のように、先制攻撃で推定脅威を排除するといった手段は取れない。
ヴェーダーも同じだ。確実に認定されたギエムだけを殺す、徹底した報復装置なのだ。それを理解すれば、焦る気も失せるというもの。何しろヴェーダー――ハリアーであるヅヱノが求められるのは、ギエムの殲滅だ。人間の助命は、はなからヅヱノの役目ではないのだ。
だからヅヱノは急がない。急ごうと急ぐまいと、やる事は変わらない。
彼の『役目』が、目的地が地平線に見え始める。
港だ。
海に突き出た長い埠頭に、枝が伸びるように桟橋が拡がっている。
大小さまざまな船舶を係留させる能力を持った、大規模な港湾施設が確認できる。
港の内陸部には、発展した都市が隣接している。前のヴェード先では、どちらも砦としての機能を持つ拠点だった。そこから考えるに、この港も軍事的な側面――軍港としての役割もあるのではないかと、ヅヱノは推測する。発達した都市も、軍事力を背景にした発展なのだ。都とは人と富が集まる場所であり、軍事的な要衝にもなりやすい。
「一回目が城塞都市、二回目が岩窟城。そして三回目の今回は、港湾都市か。盆地、山脈、海岸と来て、次に来るのは海上要塞か?」
そんな風に嘯きながら、ヅヱノは港へと拡大釦を傾ける。一にも二にも、この世界におけるギエムの確認だ。ギエムは人類の敵という以外、共通する点は少ない。当然ながら、ギエムの形状次第で戦い方は大きく変わる。早期確認は重要だ。
今までのギエムはどちらも人型であり、人間に近しい部分が多かった。小鬼は角を抜いてしまえば人の子供と大差ないし、犬頭にしても異形なのは首から上だけ。双方直立歩行が可能であり、器用に指を動かせる種族だ。能力自体は人とそれほど変わらず、弱点も人に準じていた。
人の弱点とは単純明快、『道具頼み』である事だ。基本的に、『道具を使う生き物』は生身の戦闘には向かない。道具を使えるようになるための条件とは、高い知能以上に繊細な把持能力が必須である。器用な指が無ければ、どれだけ優れた知能があっても道具の制作や使用は出来ない。故に細かい作業ができる手を持つことが、道具を使う上での絶対条件である。
だがそうした細かい作業ができる手というのは、弱点でもある。
不器用でも鋭い爪や、厚い筋肉を持つ猛獣の前脚と違い、道具を使える動物の手は酷く華奢にできている。素手で戦闘できない脆弱な動物だけが、高度な道具を利用する資格を持っている。故に、特化した構造を持つ動物には弱い。人間とて、丸腰なら犬猫にさえ殺されかねない。
だから人間は道具を必要とする。人間が高い戦闘能力を発揮するには、相応に大型化した道具を必要とする。これまでのギエムも人と同じ特性を備えており、だからこそ攻城弩や投石機を排除すればよかった。ギエムが人型に準じる存在ばかりならば、対策はこれ一本で済んでいた。
だが最初の映像で見たギエムは、多種多様な姿をしていた。頭ではなく手足が異形の生物や、人の部位自体を持たぬ純度百%の怪物もいた。明らかに人の形を逸した、人とは身体構造がまるで異なるギエムも多かった。
人あるいは脊椎動物では考えられない、予想外の動きをするギエムもいる筈だ。ギガムではないギエム相手にも、手こずらされる事も増えてくる。そうヅヱノは確信していた。
たとえば膂力のみで兵器並の威力を出したり、強力な特殊能力を行使したりするギエムだ。これまでのように大型兵器を気にしていればいい、という対策では足らなくなる。脅威度の選別を誤り、ギエム相手に大損害を被る事すら起こり得る。
未だ遭遇していない、未知のタイプのギエムへの備えは万全とはいいがたい。故に早々にギエムの確認を済ませて、ヅヱノは今回の対策を考えるつもりでいたのだ。
ついでに街がどんな状態になっているか、現況を確認するという目的もあった。そうしてヅヱノは予想通りというべきか、犠牲者達とギエムの姿を見つける。その構図に怒りと諦念を抱きながらも、彼は攻撃に移行する。
そうなるはずだった。
『今まで』は。
「――――ッ」
街の至る所に、人体が転がっている。五体満足から五体四散まで死体の状態は千差万別。それ自体は、少ない回数ながらもヴェードで慣れた光景だった。そして当然のように、傍にいるギエムが画面に映りこむ。
ヅヱノは拡大釦を押し間違え、画面いっぱいにギエムの姿が映った。
コバルトで染めた硝子細工のように、透き通った蒼の体。
見るだけでその豊かな湿潤を感じられる、瑞々しく滑らかな表皮。
ぱっと見、それは美しい宝石で形作られていると錯覚しそうなほど綺麗だ。
だが、美しいのは『そこまで』だった。
痙攣しているかのように波打つ、両側に醜く突き出たヒレのような襞。
エサか何かを捜し求めて、ひくひくと絶えず動いている頭。
うにうにうねうねと伸び縮みしつつ、アンテナのように傾き回る角。
骨が入っていないと一目でわかる、切り落とした肉片のように垂れ広がる体。
見ているだけで内蔵が持ち上がってきそうな、口から何かが出てきそうな気味悪さ。気持ち悪いという単語通りの現象を引き起こさせる、醜悪極まる外見。背中に渦巻きの殻でも背負っていれば、まだ愛嬌もあっただろう。しかしそこにあるのは、べったりと路面にへばりつく軟体だけだ。
蛞蝓。
ナメクジ。
カツユ。
陸生貝類である蝸牛が、身を守る殻を捨てるという奇怪な方向に進化した生き物だ。貝類としての急所である生身をそのまま野晒しにしている、命知らずな露出狂生物だ。ただでさえ嫌われがちな陸生貝類の中でも、その見た目から特に嫌われている種だ。
普段ならば。ヅヱノは銃郭を選んで、即座に発砲しているところだった。
しかし選熕釦は未だ中心に置かれ、親指は押し上げようともしていない。
ヅヱノは操首桿を力強く握り締めているだけだった。
ヅヱノは蛇に睨まれたカエルのように、じっと蒼蛞蝓を見つめていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます