第24話

 それは、一見するとバイカーだった。バイクスーツの人型が跨っているのは、自動二輪という鋼鉄で作られた現代の汗血馬である。車体を操る力さえあれば、誰だって背中に乗せる。燃料さえあれば、どこだろうと走破する。疲れ知らずの、鋼の名馬だ。


 それも四桁に届くのではないかという排気量の、モンスターエンジンを積んだ大型二輪だ。むき出しになっているエンジンが、重々しく唸りをあげている。そんな鋼鉄の巨獣に跨って、ライダーがじっとこちらを見つめている――と、ヅヱノは感じていた。


 何しろライダーはフルフェイスヘルメットを被り、目元はバイザーで隠されている。頭の向きで、辛うじてヅヱノ達を見ていると判断できる程度だ。判らないのは人相だけではない。体形も厳ついライダースーツで覆われている。体の凹凸が曖昧で、男か女かすらもわからない。


 しかしその装備を見るに、おおよその素性は推測できる。禍々しくスパイクが突き出た肩当てや、おどろおどろしい模様が書き殴られたボディーアーマー。その上にはボロ布や弾倉嚢、ナイフシースや弾薬帯などが巻きついている。荒れ果てた世界で武器を持てるだけ持ちました、といった様子だった。


 それは世紀末映画で見かける類の、略奪を生業とする無法者のような姿だ。そんなライダーに合わせたように、愛車は合理性より攻撃性を重んじた改造が施されている。いわゆる、サバイバルバイクだ。見た目の上では、完全な人馬一体を体現していた。


 そんな世紀末ライダーが、じっとヅヱノを見詰めている。

 目はバイザーに隠れているが、彼は射抜くような視線を感じた。


 その視線は鋭く、ヅヱノは心臓を掴まれたような感覚に襲われる。最近ではもう見慣れたンゾジヅの巨躯が、視線からすら守ろうとヅヱノの前に出る。それだけでヅヱノは、要塞に守られているかのような安心感を得る。


「あ、ありがとう、ンゾジヅ」

「うー……かくれて、て」


 ライダーはドォンッとエンジンを吹かせ、その場で車輪を回し始めた。まるでドラッグレースでタイヤを暖めたり、少しでも早く走り出そうと勢い付けたりするように。ヅヱノはその場で激しく回転する前輪を見て、両輪駆動方式なのかと呑気な感想を抱いた。そうしてギュオンギュオンと擦過音を響かせる前輪が、一瞬ぶれた。


 次の瞬間、ズギュンッと衝撃音が響いた。

 鋼の板を貫いたかのような、重々しい擦過音だった。


「ッ!?」


 ヅヱノは尻餅をついた。なにしろ音源は目と鼻の先。

 発生源は、いつの間にか持ち上げられていたンゾジヅの足だった。

 ンゾジヅの太く強靭な足指は、がっしりと何かを固く掴んでいた。


 それは、黒く長細い何かだった。

 槍のように真っ直ぐ、管のように長く延びている。

 その根元は、大型二輪のフロントフォークから生えていた。


「な、なんだこれ、口?」


 ンゾジヅに掴まれた先端には裂けた口があり、ガパガパと激しく開閉している。口の隙間からは鎖鋸のような歯が見え、ギャリギャリと激しく滑り動いていた。そこまで観察して、ヅヱノは気付いた。ンゾジヅが掴まなければ、これがヅヱノの体に到達していたのだと。


 ンゾジヅの人間離れした反射神経と力がなければ、この口は銃弾のようにヅヱノを貫いていた。ヅヱノは何が起こったかも判らぬまま、即死していたに違いない。ヅヱノは自分の喉に固唾が通るのを、いやにはっきりと感じた。


「……蛇? いや、違うな……バイクと繋がってる……? いや、これは……」


 ヅヱノは気付いた。自動二輪の前輪にあったのはタイヤではなく、『口吻』だと。

 蝶がゼンマイのような口吻を持つように、あの自動二輪は前輪部分が口になっているのだ。だがタイヤとして移動に利用できていた通り、あの口吻は前輪でもある。だから前輪を回し、口吻を加速させて射出するなんて事もできた。


 随分ややこしい構造をしていると、ヅヱノは感じた。そして一箇所に気付いてしまえば、他にも気付く。ライダーは地面に両脚をつけているが、不自然に長く伸び、節くれ立っている。その形状は脚は脚でも、獣か何かの『前脚』だ。その『前脚』で車体を支え、ンゾジヅの足から口吻を引き抜こうと踏ん張っている。


「……よく見たら、ライダーの下半身がシートに繋がってるな……人と単車だと思ってたが、見た目だけだな。実態は半身がバイクの化物……バイクケンタウロスって所か。いや、口が下にあるなら……厳密には違うのか?」


 ンゾジヅの足から口吻が抜けないと見るや否や、二輪怪獣は非常に大型の拳銃を取り出した。拳銃というよりも、長銃を切り詰めた騎兵銃のような形状だ。それを構えて、二輪怪獣はンゾジヅへと発砲する。だがンゾジヅは口吻を掴んだ脚を振り回して、銃弾を払い落とした。


 爪で弾いているのか、脚力でけり落としているのか。

 いずれにせよ銃弾は、一発もンゾジヅに届かない。


「ンゾジヅって銃弾も蹴り落とせんのか……それにしても、あの二輪の化け物。科学技術全開な見た目と機能を持ってる癖に、中身はファンタジー複合生物か。銃使ってるが……アレも、身体の一部なんだろうな。詐欺だろ、これ」


 ヅヱノが二輪怪獣の無節操な構造に呆れていると、突然ンゾジヅの足からブヂッという切断音がした。二輪怪獣は口吻を巻き取ったが、ンゾジヅの足でもまだ口吻がビクビクと動いている。ンゾジヅの掴んでいる口吻は途中で切れており、ヅヱノは乱暴に扱われて口吻が千切れたのかと考えた。


 だがすぐに、口吻の第二撃が飛んできた。しかしそれも素早くンゾジヅが捕獲する。地面でのたうつ口吻の傍で、ンゾジヅに掴まれた新品の口吻が暴れていた。その口吻には傷一つなく、千切れた事実など無かったかのようだった。


「蜥蜴の尻尾みたいに、自切もできるってか……いや、自切とも違うか。攻撃のために自切するなんて、聞いた事もない。それに自切は切れやすい構造とはいえ、れっきとした負傷だ。だがあの口吻には、断面すらない。同じ先端が連なった、ロケットエンピツのような構造になっているのか?」


 観察していたヅヱノは、二輪怪獣が弾倉交換しているのを確認。彼は素早く拳銃を取り出すと、狙いをつけて発砲する。鍛えていたお陰で、次々とライダースーツに的中して火花が散る。だが苛立たせる以上の効果はなく、二輪怪獣は荒々しく弾倉の底を引っぱたいた。ヅヱノも悪態をつきながら、空になった拳銃を投げ捨てた。すると二輪怪獣は、ヅヱノが捨てた拳銃にも口吻攻撃し――二人への攻撃を止めた。


「……なんだ? アイツ、いきなり攻撃やめたぞ……?」

「はりあー。あいつ、じゅう、たべてる」

「は? 銃を? ……確かに、前輪を伸ばしもせずに空転させ続けてるが……食ってる、のか。もしかして、ヤツは銃を食うのか? だとしたらそもそも俺達を狙っていたんじゃなく、最初から拳銃が目当てか?」


 ヅヱノは仮説に従い、持っていた拳銃を投げていく。すると、即座に口吻が拳銃へと伸ばされる。そして二輪怪獣は全ての拳銃を平らげると、ブオンブオンとエンジンを唸らせて走り出した。でこぼことした歩く事すら難儀する道だというのに、舗装路を走るような速度で二輪怪獣は去って行った。


「……何だったんだ、あのバイクのバケモノ」


 二輪怪獣が去った方向を、ヅヱノは唖然と眺めていた。だがヅヱノははっとして、辺りを探し始める。そして、自切された口吻を見つけた。まだ生きているように動いているそれに、ヅヱノは慎重に近付いて切断面を覗く。


「……なんだこれ、機械部品ばっかりだ。金属のものもあるが、木製の歯車もある。潤滑油――じゃない、血が流れ出してるな……ガソリンっぽい臭いもするが、絶対血の臭いだ。なんなんだ、この生き物は」


 千切れた口吻の断面には、様々な人工物が詰まっていた。木製部品は人の手で彫られた形跡があり、金属部品には製造番号のようなものが打たれている。それでいて、部品の潤滑油には血が使われている。血を滴らせる機械部品の塊で、主食は銃。奇妙奇天烈な存在だ。


 だがそう考えると、疑問は消える。二輪怪獣は、機械部品を捕食して生きている。だからヅヱノが持っていた銃を狙った。そして銃を投げ捨てた今、二輪怪獣に襲われる理由もなくなったのだ。だが銃が襲われる原因と考えると、いよいよヅヱノは護身能力を喪失する事になる。護身目的で銃を拾えば拾うほど、二輪怪獣に襲われる危険性が高まるからだ。


「……ん? なら、どうしてあの動物を襲ったんだ?」


 だがそうだと考えると、別の疑問が生じる。どうして菓子動物を襲い、早贄にしたかだ。吊り下げられている菓子動物を改めて調べると、二輪怪獣に攻撃された痕跡があった。下手人が二輪怪獣なのは間違いない。そして餌として捕まえたならば、ヅヱノ達から菓子動物を奪い返そうとする筈である。しかし二輪怪獣はヅヱノの銃は全て捕食したが、自分が仕留めた菓子動物は一顧だにしなかった。


 どういう理由かとヅヱノは思案し、『遊び』かと結論した。動物の中にも、食べもしないのに格下の動物を嬲ったり殺したりする個体がいる。人間特有の残虐性として語られる『無駄な殺し』だが、自然界の動物もよくやる事だ。あの二輪怪獣も、そうした鬱憤晴らしにあの菓子動物を襲ったのだ。


 それが事実ならば、丸腰になったとしても安全とはいえない。二輪怪獣が面白半分に、ヅヱノを襲う可能性もあるからだ。そこに気付いているのかいないのか、ンゾジヅはいつも以上に警戒を払っている。具体的に言えば再びヅヱノは腕の中の人となり、ぬいぐるみスタイルでンゾジヅに運搬される破目になった。

 

 ヅヱノも明確に襲ってくる存在が現れた以上、文句はなかった。

 ンゾジヅの快適な腕の中で、ヅヱノは考えに耽る。


 この燃料蔵槽で、捕食活動を行なう存在は今まで見た事がなかった。明らかな変化は、ヴェードによって誘発されたものだ。犬頭から回収した絶対燃料が生み出したのか、あるいは一定の収穫量に達した事でアップデートが行われたのか。


 ヴェードにより便利となっていくのは間違いないが、同時に二輪怪獣のような危険も増える事になる。ヅヱノはもっと気を引き締めねばと思い直すも、すぐに覚悟は雲散霧消した。幾らヅヱノが頑張ろうと考えたところで、二輪怪獣の対処なぞできる訳もない。結局ンゾジヅ頼みなのは、これから危険が増えたところで変わりそうもなかった。


「……いつもありがとうな、ンゾジヅ」

「うー……? ……ッ! あー……♪ ンゾジヅ、まんぞく。しあわせ」

「ああ、おれも滅茶苦茶嬉しいし幸せだぞ」


 ヅヱノは取り急ぎ何をするかと考え、思いついたのは日頃の感謝を口にしておくことだった。少しでもンゾジヅの心証を良くしようという、涙ぐましく姑息な手だ。しかしンゾジヅが大喜びしている辺り、ヅヱノの判断は間違いでもない。興奮したンゾジヅの南半球に捕食されたのは、間違いなく判断ミスといえたが。


 ヅヱノがなんとか南半球から吐き出してもらうと、ンゾジヅの動きが止まった。ヅヱノがンゾジヅの視線を追いかけると、それはいた。すらりとした猪というか、スマートになった犀というべきか。なんとも形容しがたい生き物――菓子動物だ。


 何も知らなければ、その姿にヅヱノは生肉を期待した。だがあの中には舌がとろけるような甘い物が詰まっていると、ヅヱノもンゾジヅも知っている。こういうときに銃があればンゾジヅを動かさずに捕まえられたかもしれないが、生憎と持ってきた銃は全て二輪怪獣の腹の中だ。しかし見逃すのももったいない。


 ずしりと、ヅヱノの頭に乗っかる重みが増す。ンゾジヅは舌を焼いた甘味の暴力を思い出し、前傾姿勢になっていた。ヅヱノは腕をペチペチと叩いて、意識を自分に向けさせる。


「俺を置いて、取りに行っていいぞ」

「でも。またきたら、あぶない」

「遠くからでも反応してたろ? 今、周りにいるか?」

「……いま、いない」

「じゃあ行けるだろ? 捕まえて戻ってくるまでの時間で、さっきの奴が俺を襲えるか?」

「むり。だんげんする」


 じゃあ行ってきていいぞとヅヱノが言うと、ンゾジヅは肯いて彼を丁寧に置いた。

 そして軽く前に傾いたかと思うと、砲弾のように跳び出した。

 ヅヱノはぎょっとした。菓子動物もぎょっとして、土煙を上げ逃げ出した。

 なかなかの俊足だが、足下を爆砕しながら走るンゾジヅからは逃げきれまい。


 ンゾジヅは放たれた矢のように、木立の間を抜けて菓子動物を貫いた。まるでドラッグスターのように加速しつつ、そのまま轢き殺すように足元へ菓子動物を巻き込んだ。だがンゾジヅはそのまま行き過ぎることなく、ぴたりと停止する。


 そしてグイッと片足を持ち上げると、首が明後日の方向に向いた菓子植物がぶら下がっていた。あれほどの速度で突っ込んだのに、急所を砕いた以外に余計な損傷がない。力、速度、精度、彼女の全てが人間離れしている事をうかがわせる。


 先ほどの二輪怪獣にしても、ヅヱノがいなければたやすく始末していた筈だ。二輪怪獣の最速と見られる口吻の攻撃も軽々と掴み取り、自切させる以外の選択肢を奪ったのだ。


 常にンゾジヅはヅヱノの傍にいて離れない。だからヅヱノも気付かなかったが、今の活躍を見るに身体能力はあの二輪怪獣にも劣らない。そもそも力量差を推定する程の観察眼もないヅヱノには、ンゾジヅが桁外れに強いという事しかわからない。


 改めて、凄まじい存在に守られているとヅヱノは思う。

 そう彼が呑気に考察をしている間に、ンゾジヅは戻ってきた。

 ヅヱノが何か言おうとすると、ンゾジヅの握りしめた菓子動物と目が合う。


 恨みがましく見つめられているような気がして、ヅヱノはそっと視線をそらした。ヅヱノがンゾジヅの顔を見ると、ネズミを捕まえてきた猫のような雰囲気を出していた。


 端的に言えば、何かを期待しているように見える。

 暫く考えた後。ヅヱノは無言で体を傾け、頭を差し出した。

 ンゾジヅは嬉しそうに、なででででっと彼の頭を撫でた。


「うー♪ うー♪」

「ああ、よかったな。うん。ちょっと頭熱いかな、摩擦感じてるからね?」


 普通こういう状況だと逆なのではないかと、ヅヱノは黙考する。ンゾジヅとヅヱノは、立ち位置的に猟犬とハンターだ。であるならば手柄を立てた猟犬を、ハンターが労うような構図になるのではなかろうか、と。もしその図式に現況を当てはめるなら、散々働いた猟犬があまり動いていない狩人を労っている、となる。摩訶不思議である。


 しかしンゾジヅにとってそれが何よりのご褒美になるのだから、ヅヱノは甘んじて受け入れる。自分が労っているのだと考えながらも、どうにも『よく一人で待ってられたね』的な幻聴が聞こえてくる。なぜか遠い昔に葬られた、留守番を褒められた記憶が、唐突にヅヱノの海馬から掘り起こされた。


 実際彼女は母親に等しい保護者の立場を担っているのだから、ヅヱノは否定することも難しい。燃料蔵槽でヅヱノは幼児並にか弱い生き物であるし、ヴェード後では完全に赤ん坊である。考えれば考えるほど、この扱いが適切に思えてヅエノは赤面する。


 勝手に恥ずかしがるヅヱノをよそに、ンゾジヅは無邪気にハリアーを愛で倒した。そうして楽しんだ後、ンゾジヅはぐいーと腕を開いた。豊満な胸元を見せ付けるような仕草は、戻って来いの合図である。


 ヅヱノは無心で歩み寄った。

 そしてまた、当然のように腕の中に戻された。

 最近落ち着きを感じ始めていた腕の中だが、今回は同乗者がいる。


 菓子動物(死体)だ。


 ンゾジヅの一撃で首が据わらなくなったので、ひょうきんに首をぶらぶらと揺らしている。目は変な方向を向いているし、舌がべろんべろん揺れ動いている。奇妙な迫力から、ヅヱノはそっと目をそらす。


 そんな首が忙しない同乗者と共に、ヅヱノは燃料蔵槽の入り口へと運ばれていった。

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