第23話
数日後、ヅヱノはいつものように燃料蔵槽を歩いていた。だがヅヱノが今歩いている場所は、いつもの順路から外れた未探索地域だ。普段の食糧集めに向かう、充分に安全を確認した場所ではない。
既に通いなれた食料の実が生る広場からは大きく離れ、ゲーム機を発見した小部屋を通り過ぎた。そして彼は、一度も足を踏み入れた事がない領域にいた。とはいえ、相変わらず生き物の痕跡が皆無な合成植物地帯だったが。
ヅヱノがいつもと違う行動を取った理由。それは未知への好奇心もあるが、それ以上にゲームが目当てだ。ヅヱノはいつもと違う場所に向かう事で、あのゲーム機を発見した。ならば自分が知っている物でなくとも、他にもゲーム機やゲームソフトを見つける事ができるのではないか。ヅヱノはそう考えた。
あのゲーム機にはツバイバインしか入っておらず、事実上ツバイバイン専用機となっている。ヅヱノには何度やっても飽きない作品だが、さすがにそれだけというのも寂しい。何しろ、ゲームは他にも多種多様――星の数ほど作られているのだ。
そんな他のゲームが見つかる可能性をちらつかされては、ヅヱノとしても手を出さずにはいられない。何よりンゾジヅにも他のゲームをさせて、お気に入りのゲームを見つけさせてやりたいという気持ちもあった。
当のンゾジヅも、食べ物の事でもないのにやる気満々だ。
短い時間ながら、ンゾジヅは初めてやったゲームに心酔している。
暇さえあれば、ヅヱノを抱きしめながらやるといった具合にだ。
だから他ゲームの存在を聞かされ、彼女は興味津々といった様子だった。ンゾジヅはゲームといえばツバイバインしか知らない。なので他のゲームといわれても、想像もつかないのだ。まるでクリスマス前の子供のような、浮き足立った雰囲気だった。出発前までは。
だがいつの間にか、ンゾジヅのフワフワした気配は消えていた。未踏破地域に差し掛かると、鋭く周囲を警戒し始めたのだ。触発されたヅヱノも、輪胴拳銃を構えて行く先々を警戒しながら進んでいく。すると、ンゾジヅがヅヱノの肩をつついた。
「はりあー、よろい」
「すぐ先か」
「そう」
「頼んだ」
「うー」
二人の間で、言葉少なくやり取りが交わされる。TPOを弁えた応答で甲冑植物の存在をヅヱノが確認すると、彼の指示でンゾジヅが離れる。そして道の先で、ミシミシバリッと木材が裂けるような音がした。
ヅヱノが進んでいくと、バラバラになった甲冑植物が転がっている。
そしてンゾジヅは甲冑植物の手から輪胴拳銃を引き千切ると、ヅヱノへと差し出した。
「はりあー。はい」
「ああ、ありがとう」
ンゾジヅに言葉が通じるようになってから、ヅヱノはより銃を確保しやすくなった。自衛目的という理由も、しっかり伝わっている。そのためンゾジヅは甲冑植物に撃たせないよう、先んじて存在を示唆しつつ銃の確保に動くようになった。ンゾジヅの配慮により、ほぼ発砲していない状態で銃を確保できるようになった。
そのおかげで弾薬がどんどん溜まり、練習に使うだけの余裕が生まれた。ヅヱノは増えた弾で射撃訓練をして、十メートル位の静止目標ならあてられるようになっていた。護身用具としては、充分及第点だろう。
尚、それでも銃が活躍できる状況が無いのは前と変わらない。
何しろヅヱノが拳銃の射撃精度を高めた所で、結局ンゾジヅの方が安心安全に危険を処理できる。そもそもヅヱノが拳銃を撃たねばならない状況を、ンゾジヅが先回りして防ぐのだから当然だ。
とはいえヅヱノも手ぶらであるより、手の中に重みがあるほうが安心できる。それが気休めに過ぎなくとも、『保険がある』という心の余裕を持つのは大事だ。只でさえここは、単に歩くだけでも神経を使う環境なのだから。
草原や土のある場所なら、気楽に歩ける。問題は合成植物が入り組んだ、アスレチック迷宮な領域だ。不思議な色の石畳を踏み越え、未知の言語で書かれた看板の階段を登り、うねる配水管を跨ぐ。あるのは人工物でも、それらは自然物のように雑然と折り重なっている。
無秩序に多様な物品が融合した道は、歩くのも一苦労だ。たまに材質が判らないものもあり、力の入れ具合を間違える事もある。それが少し踏み心地が悪い程度ならいいが、中には踏む事自体が危険な物もある。
「ぅおっ!? ……っと、すまんンゾジヅ」
「もんだいない」
まるで氷を踏んだかのように足を滑らせるヅヱノを、ンゾジヅが抱きとめた。ヅヱノが怨めしげに見るのは、何かの合板だ。見た目は光沢もないのに、いざ触れると摩擦というものが存在しないかのように滑る。
常に素材の摩擦力にバラつきがあるので、思いのほか歩きづらいのだ。統一された素材の道しか歩いた事がないヅヱノには、このモザイク硝子のような道はかなりストレスが溜まる。今歩いている場所が安全でも、次踏み出す場所はまるっきり危険地帯――そんな事が頻繁に起こる。
ヅヱノが自覚するほど、疲労の蓄積が早い。疲れた体は注意力散漫に陥り、惰性で足を動かすようになる。普通の道ならそれでも問題が起こらないが、常に気をはっていなければならない合成植物の道では命取りになる。
「助かった、ンゾジヅ……ンゾジヅ? 降ろしてくれていいんだが」
「はりあー、もうあぶない。ンゾジヅが、はこぶ。ンゾジヅのうで、あんぜん」
「いや、まぁ、そうなんだけど……わかった、頼む」
ヅヱノが自覚していない疲労度合いまで、ンゾジヅは見抜いたのだ。ンゾジヅはヅヱノを持ち上げたまま離さず、そのまま自らの腹部に合体させた。ンゾジヅは誇らしげに顔をぺっぺか輝かせ、ヅヱノをぶら下げたまま歩きはじめた。
確かにンゾジヅは危なげなく歩いていた。何しろその脚は人間の構造を逸した、恐鳥のような脚だ。鍵爪が生えた指は、地面をがっしりと掴んで歩ける。足場に多少問題があろうと、足を取られる事なく進んでいく。
ンゾジヅがヅヱノを抱きかかえてからは、一切トラブルなく進んだ。ンゾジヅからすれば、そちらの方がやりやすい事は間違いない。ヅヱノとしても安全かつ楽に移動できるのだから、本来であれば歓迎するところだ。だがヅヱノは、釈然としない顔をしている。
もうヅヱノは何度も抱えられており、段々と南半球等にも慣れてきている。実際は頭の南半球から意識を逸らし、無心で身を委ねているだけなのだが『慣れ』といっても相違ない。とはいえそれを『慣れ』というべきか、『調教』というべきかは際どい所だ。だがヅヱノは、『慣れ』だと思うようにしている。少なくともそっちの方が聞こえはいいと、彼は自分を納得させた。
そうして『慣れ』たお陰で、最近ではンゾジヅの抱き枕役もこなせている。彼女のハグを受け入れているのは、当然下心ではない。彼女の一番の楽しみは、ヅヱノとのスキンシップである。ならば恥ずかしくとも、これに応じるのが迷惑を掛ける者の務めと彼は考えたのだ。だが同時に、純真な彼女の善意に付け込んでいる気持ちにもなる。故にハグ以外の楽しみを、彼女が見つけられるように誘導するつもりでもある。今探しているゲームは、その最有力候補だ。理想は緊急時を除いたハグゼロの生活である。
ヴェード後以外のハグゼロとしないのは、ンゾジヅの迷惑になるからだ。今抱えられているのも、ひとえにヅヱノの脚が能力不足だからだ。ハリアーの守護という役目を全うしようとする彼女に対し、妙な意地を張ってはならない。その一心で、ヅヱノはンゾジヅの腕にぶら下がる。南半球と、腹部の間に挟まる。ぬいぐるみの感情も複雑なのである。
ンゾジヅは、そんなヅヱノの葛藤なぞお構い無しだ。肌同士を癒着させるのが目的と思えるほど、しっかりと南半球と腹にハリアーを押し付けている。まるで大好きな宝物を守ろうとするドラゴンか何かだ。だがその視点は、間違っていない。ンゾジヅにとってヅヱノは何よりも大事であり、あらゆる危害から守ろうとしているのだから。
だが突然ンゾジヅが歩みを遅くし、遂には止まった。
何度も南半球に踏まれながら、ぬいぐるみをやっていたヅヱノも異変を感じ取る。
「どうした、ンゾジヅ」
「うー……なにか、ある」
「何かって、なんだ?」
珍しく、ンゾジヅは要領を得ない答えを返した。それを言いたくないというより、表現する語彙がない――あるいは、本当に良く判らないという感じだ。ヅヱノはンゾジヅの腕を叩いて降ろしてもらい、拳銃を抜いて撃鉄を起こす。撃鉄に刻まれた照門越しに、前をを睨みながらゆっくりと歩いていく。
「……なんじゃこりゃ」
ヅヱノが進んでいくと、開けた空間に大木があった。
木自体は何の変哲もない物だったが、問題は枝にあった。
その枝には何かの生物が突き刺され、だらりとぶら下がっていた。
その生き物は馬ともブタともつかぬ、様々な動物が混ざり合ったような姿をしていた。ヅヱノは足元に転がっていた電池を拾い、軽く投げつけてみる。ンゾジヅの注意がない以上問題ない筈だが、かといって推定死骸へ不用心に近づく気にはなれなかった。
死骸は電池がぶつかっても、ボスッと音を立てるだけだ。声を上げるどころか、身動ぎすらもしない。完全な死骸だ。どうやら襲ってくるような物でもなさそうだと、ヅヱノは近づいていく。死骸とはいえ、初めて見る生き物だ。料理の実とは違う、生の肉らしい肉がとれるのではないか。そう考えつつ、ヅヱノは試しにナイフで死骸を裂いてみた。
「うわっ……なんだこれ、腐って……? いや、この臭いは」
傷口から現れたのは、粘り気のある琥珀色の汁だった。ヅヱノは腐っていたのかと思うが、それにしては腐敗臭が一切しない。それどころか、脳を麻痺させるような芳醇な香り。ヅヱノは思わず、手についたそれを口に運んだ。
「……蜂蜜だコレ」
甘い。なんだこれ。はちみつ。蜂蜜。蜂の、蜜。脳内で、ぐるぐると思考が空転した。気づけば、ぺろりぺろりとヅヱノは蜂蜜を掬って舐めていた。ヅヱノも料理の実で甘い味付けの食べ物は口にしていたが、ド直球の糖分は久しぶりだった。
糖分とはこんなに味わい深かったのかと、ヅヱノの脳が必死に分析している。料理の実で食べられる類の、主菜系の物とは甘みの質が桁違いだ。明らかに、彼の脳細胞は稼働速度を急激に上げている。ヅヱノも昔から蜂蜜を美味しいと思っていたが、ありがたみを感じるのは初めてだった。
更に死骸の皮を開いてみると、蜂蜜に包まれて様々な甘味が詰まっている。ヅヱノは思わずガワを見て、中身を見てと、一致していない外観と内容物に視線が何度も往復する。ヅヱノは既に店屋物が生る木の実という代物を見ていたが、さすがに体組織がお菓子の動物というのは度肝を抜かれた。
ヅヱノが考えている間も、彼の手は菓子動物と口を往復し、思考能力が甘ったるくとけていく。不思議そうにヅヱノを見ていたンゾジヅも、蜂蜜を指で掬って一口含んだ。すると瞳中で緑の星がぴっぴか輝き、五指で削ぐ様にはちみつ漬けを毟り始めた。ンゾジヅは照り焼き風ミートボール等が好きだった通り、甘い物が大好きなのだ。そんな彼女に、ストレートな甘味は余りにも効いた。
ンゾジヅは、産まれて初めての甘味に夢中になった。
ヅヱノは久しぶりの、ヲズブヌでは初めての甘味を楽しんだ。
そうして二人は時間も忘れて、菓子動物の甘い肉を貪った。
二人がひとしきり甘いものを口にし、漸く気持ちが落ち着いた頃。
菓子動物の腹部が大きく抉れ、内蔵を貪られたような状態になっていた。
だがぽっかりと晒しているのは、甘い香りを漂わす飴細工である。
惨さを感じるどころか、更に食指が動いてしまうというもの。
「それにしても木の実を割れば調理済みの主食が出て、動物の死体を裂けば調理済みの甘味が出るか……これもあの植物の一種なのか? というかこいつ、動くのか? 置物……じゃないよな?」
菓子動物にはしっかりとした脚がついており、蹄に土がついているなど使った形跡がある。見た目どおりの機能を有し、自律行動した存在だったのだ。故に枝から動物の形に育った料理の実の一種だと、ヅヱノは考えなかった。
ならばこいつは、どうしてこんなところにぶら下がっていたのか。それも、首が枝につき刺さった状態で。ヅヱノは今更ながらに、冷静に状況を観察した。そしてヅヱノの顔が、段々とこわばっていく。
「……あれ、これ結構まずくないか」
この光景には見覚えがある。百舌鳥の早贄とか、そういう類のものだ。つまりこれを食べようとしている捕食者がいて、その生き物の手によって作られた物なのだ。
早贄という行為は、食料が少ない状態での蓄えだ。消費されるまでに数カ月かかる事もある。時には食べられずに、忘れられる事もある。だが確かなのは、百舌鳥は縁もゆかりもない遠い場所に早贄を作らない。自分が用意した早贄を奪われず、好きな時に食べられる場所で早贄を作る。それができるのは、支配領域としている『縄張り』内に限る。
つまり今、ヅヱノは縄張りの中にいるという事だ。ヅヱノは寒気がした。この広場自体が、巨大なネズミ捕りのように思えた。ヅヱノがここから離れた方がいいと考えた矢先、急にンゾジヅが彼の前に出た。そして唸るように、ヅヱノへ警戒を促す。
「うー……きけん、くる」
「……危険が来る、か」
ヅヱノに緊張が走った。明らかに、これまでとンゾジヅの反応が違う。甲冑植物を先回りして攻撃する事はあったが、ヅヱノを守る様に立ち塞がった事はない。ヅヱノを背に、何かへ『ここは通さない』という意思を見せている。
もし危険が甲冑植物のようなモノなら、すでに動いているはずだ。待ち受けるような恰好を取っているのは、『くる』と言った通り危険が『迫って』いるからだ。つまり相手は自分で移動する能力を持ち、かつヅヱノに危害を加えられるモノだ。
ゆっくりと、地平線から日が昇るように影が現れる。
自分の姿を見せつけるように、その全身を物陰から露出していく。
そうして、『それ』は現れた。
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