第21話
「はりあー……だっこ、くるしく、ない?」
「全然大丈夫だぞ、ありがとな」
「うー……よかった」
ヅヱノの自室に、落ち着いた会話が響いていた。ヅヱノの独り言とは違う、しっかりとしたやり取りが交わされている。しかしこの部屋に出入りできるのはヅヱノとンゾジヅだけ。会話できる相手などいない筈だった。
だが現にヅヱノの会話相手はいて、話は成立している。
理由は単純、ンゾジヅが喋れるようになったからだ。
今回のヴェード後に、ンゾジヅは簡単な単語を繋げて話せるようになった。前は適当に発声するだけだったのが、今はたどたどしくも言葉を話せるようになっていた。たった一晩でこの変化、驚きである。
「はりあー。たべる?」
「ああ、一つ貰おうかな?」
「うー……なら、これ」
ンゾジヅはヅヱノを抱きしめたまま、器用に足で料理の実を掴み取る。
その分厚い皮にンゾジヅは指を沈ませ、かぽっと開いて中を見せる。
中ではカラフルな球体が、実の傾きにあわせてころころと転がっている。
一口大に丸められた、カラフルなベーグルボールだった。
「あー……ふわふわ。ふわふわで、いい?」
「ああ。ふわふわは、どのくらいの数があるかな?」
「うー……いち、に、さん……じゅうよん、ある」
「色はどんなのがある?」
「いろは、あお、みどり、きいろ、あか、しろ、あかしろ」
「青と、緑と、黄色と、赤と、白、桃色か」
「そう、もも。それで、どれが、いい?」
「迷うなぁ。ンゾジヅはどれが良いと思う?」
「うー……ンゾジヅは、みどりがすき。ンゾジヅのいろ」
「じゃあみどりを頼もうかな。ンゾジヅのお勧めのヤツ」
「うー……わかった」
ヅヱノはまるで嫌がらせのように、しつこくンゾジヅに訊ねていく。だが彼は意地悪い顔をしておらず、ンゾジヅの一言一言を待ち望むように聞き取っている。まるで、言葉を聞く事そのものを目的としているようだった。
「はい。どうぞ」
「ああ、頂くよ……ん」
ヅヱノの咥内に、爽やかな香りが広がる。
キウイフルーツの味に似ており、ほんのり甘く爽やかな風味が強い。
「……、……、……うん、とっても美味しいよ。ありがとう」
「うー……うれしい」
自分の色の味が喜ばれ、ンゾジヅは嬉しそうに顔を綻ばせる。
「じゃあお返しするね。どれがいい?」
「うー……? うー……はりあーと、おなじの」
「おなじのって、どんな色?」
「みどりの、いろ」
ヅヱノはベーグルボールを摘み上げて、ンゾジヅの目の前に運ぶ。
そしてヅヱノは口をあけながら、ンゾジヅの口へと近づける。
「よし、じゃあ口開けて……あーん……はい、どうぞ」
「……うー♪」
そうして二人は、互いにベーグルボールを食べさせ合う。
その度に一々ヅヱノは問い、ンゾジヅは頑張って答える。
こんなやり取りを一々重ねる必要はない。ヅヱノもンゾジヅも、互いに察しは悪くない。ンゾジヅは言葉こそ通じなかったが、その行動はヅヱノの意思を汲めるだけの知能を伺わせる物だった。言葉を話せるようになったからといって、それを損なう訳もない。
ならなぜヅヱノはしつこく訊いているのか、それはンゾジヅと『会話』がしたかったからだ。彼が目覚めてから何日も経過したが、その間誰とも会話をしていない。ンゾジヅに話しかける事はあっても、意味のある返答は一度もなかった。実質、独り言だった。
ンゾジヅは反応してくれるし、意味が伝わったような事例もある。
だがヅヱノの言葉に会話で応答し、対話をしてくれる事は一度もなかった。
ヅヱノは別に、話すことが好きではない。お喋りなヤツとは距離を取っていたし、口を動かすのは必要最小限にしていたくらいだ。だが最低限であっても、日常生活を送る上で会話する機会はある。全く人と話をしないという生活に比べ、それなりに喋る日常を彼は送っていた。
そんなヅヱノが突然良く判らない空間に放り込まれ、強制的に閉鎖空間で独居を強いられた。ンゾジヅという同居人もいる。だがンゾジヅは人間部分こそ絶世の美女であるが、下半身は完全に恐鳥だ。知能は高いが意思疎通が難しく、同居人というより賢いペットという方が適切だ。会話相手としては、不十分だ。
そんなこんなで、ヅヱノは一人暮らしの宿命である独り言を発症していた。ひたすら思った事を口から漏らし、ンゾジヅに帰ってこないボールを投げ続ける日々だった。
それが前回のヴェードの翌日、朝目が覚めるとおはよーと声をかけてきてくれた。耳にンゾジヅの意味のある言葉が聞こえた途端、ヅヱノの口から堰を切って言葉が流れ出した。それからもう何日も経っているというのに、興奮は未だ冷めやらない。
「おいしい?」
「うー……おいしい、あまい。ふかふか、みどり」
「あまくてふかふかだぞ、緑色で美味しいぞ~」
IQか年齢が大幅に減退したかのような会話だった。
こんな馬鹿なやり取りも、ヅヱノは完全に素面でやっているのだ。
まるで好きな娘の気を惹こうとするように、次から次へと言葉が紡がれた。ヅヱノ自身思い返せばドン引きするレベルの必死さだったが、ンゾジヅは嬉しそうに聞き手を務めてくれている。なので彼は、自分の気持ち悪さを自覚せずに済んでいた。
ヅヱノは自分が思っていた以上に、他人との会話に餓えていたのだ。
ンゾジヅと噛み合う会話内容に充足感を得ながら、ヅヱノはそう自覚した。
「空になっちゃったなぁ」
「うー……から? おかわり?」
「そうだぞ、おかわりだ。次のにいこうか」
「うー。つぎの、あける」
ンゾジヅに掴まれた木の実が、流れるように皮を毟られる。すると木の実から、香ばしくも芳醇な香りが広がった。パイの実だ。商標の方ではなく、文字通りパイが入った実だ。既に切れ目が入っているあたり、相変わらず気の効いた構造をしている。
なお、中身は塩気のある肉が詰められたミートパイだ。料理の実はなぜか菓子系が無く、甘いものもミートボールなどの甘い味付けの主菜や、先ほどのベーグルボールのように素材の甘みを生かした料理しかない。脳内麻薬が出るほど糖分たっぷりなお菓子は、ここに来てからヅヱノはまだ一度も口にした事がなかった。
「ミートパイもうまいが、アップルパイ食べたくなってきたな」
「うー……アップルパイ?」
「林檎が入ったパイだ。甘いお菓子だな」
「おかし、あまいもの? みーとぼーる?」
「甘いぞー。ミートボールより甘くて、さくさくで、トロトロだ」
「あまあまー? さくさく、とろとろ?」
「そうだぞ。サクサクとろとろだぞー」
「さくさく……とろとろ……うー」
甘いもの好きのンゾジヅには、甘いというだけで涎が零れる。アップルパイに思いを馳せるンゾジヅに苦笑しつつ、ヅヱノはミートパイを手に取る。香ばしい臭いを漂わせ、一切れ持ち上げるだけでぎっしり詰まった肉が手首に負荷をかけてくる。黄金色の層に優しく包まれた、力強い肉質の断面が見える。
それをンゾジヅの端正な顔に近づけてやると、口をぱくぱく動かしてパイを削っていく。さくさくさくさくさくと、彼女は軽快な咀嚼音を響かせて口に含んでいく。先程までアップルパイを欲しそうにしていたが、今は幸せそうに咀嚼している。
そして咥内が一杯になると、もっしゃもっしゃと磨り潰し運動に入る。
ンゾジヅはほっぺたを一杯に膨らませて、口の中全体でミートパイを楽しむ。
ヅヱノは思わず撫でてやりたい衝動に駆られるが、手を伸ばすとンゾジヅに避けられる。そして逆に、ンゾジヅの手がヅヱノの頭を撫でてくる。いいこいいこする役目だけは、ンゾジヅは頑なにヅヱノへ渡さなかった。
しかしンゾジヅがヅヱノの保護者だというのは事実であるし、彼を世話する役というのも間違いない。ヴェーダー降機後はンゾジヅの体温で暖めて貰わねば体が動かないし、普通に生活する上でも彼女の厄介にならねば生きられない。例えば燃料蔵槽の一人歩きなど、ヅヱノの命が幾つあっても足りない。
なお、ただ生きていくだけなら自室で充分だ。あの空間には衣食住全てが揃っている。不思議金属製の可変式万能ベッドもあるし、不思議棚には携行食料が常備され、輪廻転槽へのダストシュートもある。目覚めたベッドで寝起きし、携行食糧を食べて、トイレ風呂は浄化室で済ませばいい。
生きていくには自室にある設備で充分事足りる。
しかしそれでは、ヅヱノは満足できなくなっていた。
例えば携行食糧は、腹こそ膨らむが無味無臭な直方体の塊だ。
固形でありながら水分すら補給されるので、飲み物さえ要らない。ただ食べるだけで餓えも乾きも満たされる、完璧な携行食料だ。問題は味も臭いもしないことだが、下手に常食しがたい味付けがされているよりマシだ。ヅヱノが先にこれを見つけていれば、喜んで主食にしていただろう。
だがそれは、燃料蔵槽を知らなかった場合にしていた食生活だ。
燃料蔵槽には、美味しい食料が幾らでもある。風変わりな形で実ってはいるが、その味や出来栄えは間違いなく一級品だ。ヅヱノは地球で暮らしていた頃よりも、遥かにいい物を食べている自覚がある。
高くて手が出せなかったものでも、木の実を毟って皮を剥けば幾らでも食べられる。分厚いステーキも、新鮮な寿司も、映像の中でしか見た事がなかった高級料理も、思うがままだ。そんな幾らでもおいしいものを食べられる状況なのに、あえてほぼ無味無臭の携行食生活を送るつもりはない。
そのためには燃料蔵槽に潜らねばならず、甲冑植物の脅威や道なき道を超えねばならない。ンゾジヅがいなければ行き来すらままならないため、贅沢をするなら彼女に頼らざるを得ないのだ。
ヅヱノが無理をしてでも、燃料蔵槽に通いたい理由は他にもある。
何しろ燃料蔵槽で見つかるのは、美味しい食料だけではない。
正確には、『食料だけではなくなった』のだ。
「それじゃあ、またやるか?」
「やるー」
ヅヱノはダストシュートに空の料理の実を投げ込んで処分し、不思議棚からとある装置を取り出す。その装置は大体片手で把持できる大きさで、全然重くない。その側面にある端子にコードを挿し、反対側の端子を不思議棚へと伸ばす。
そして不思議棚の適当な穴に端子を差し込んで、装置を起動する。
すると壁の一部が丸々隔壁画面のようになり、鮮明な映像が映った。
ヴオーンと懐かしい起動画面が流れ、アルファベットを崩したロゴが映る。
そして始まったのは、3DのCG映像だ。脚の生えた異形の戦闘機が街中を飛び回り、敵戦闘機を次々撃墜していく。そして飛来する大型敵機と撃ち合い、そしてぶつかり合うように両者が迫り――眩く発光した後、画面が暗転する。
そして『タイトル画面』が映された。
ゲームでよく見かけるタイプの、プッシュスタートが表示された画面だ。
画面に映っているのは『ゲームのタイトル画面』であり、この装置とは電子ゲーム機だ。ある有名な企業が作った携帯用の筐体で、大画面で性能が高い不朽の名機である。古臭くはあるが、ここは娯楽が何もない空間だ。世代が多少古くても、文字通りの宝物だ。
これは元々自室にあったのではなく、燃料蔵槽で見つけたものだ。その日ヅヱノは、いつものようにンゾジヅと料理の実を集めていた。大体同じ場所で収穫できるので、同じルートを使っていた。甲冑植物のような危険物がある事も考え、不用意に未探査地区には踏み込まないようにしていたのだ。
だが料理の実を毟っていたヅヱノは、ふと何かに呼び寄せられるように奥の道へと向かった。道の先にあったのは、三姉妹の写真があったような小部屋だ。だがその部屋は物置のようであり、用途不明の道具が積み上げられているだけ。使えそうな物はなさそうだと、部屋から出ようとした時だ。ヅヱノは視線を吸い寄せられるように、見覚えのあるものを見つけた。見間違いかと手に取ってみると、正しく記憶通りのゲーム機だった。
ついでに筐体だけじゃなく、専用接続ケーブルまであった。テレビに繋げば、大画面で遊べる周辺機器だ。これについては使いみちが無いと、ヅヱノは考えていた。だがまさか壁に端子が生えて、隔壁画面のようになるとは思わなかった。
鋼鉄の鳥足だけが映されたタイトル画面を押すと、三つの機体選択画面が現れる。現れた戦闘機は、どれも鳥の脚が生えたような戦闘機だった。ンゾジヅは迷いなく一番目の機体を選択し、ゲームが始まった。
空襲を受ける暗いネオン街を、超低空飛行する鳥脚戦闘機。混乱の悲鳴と迎撃命令の通信が飛び交う中、鳥脚戦闘機は要撃を開始する。夜空からは敵の攻撃艇が流星のように降下し、次々と鳥脚戦闘機に撃墜されていく。
「うー……うぁ」
集中したンゾジヅの指にあわせて、画面の中で軽快に鳥脚戦闘機が飛び回る。鳥脚戦闘機は敵を撃破すると、敵機が搭載していた武器を鳥脚で掴んで撃ち始めた。敵から奪った重火器を派手に乱射して、鳥脚戦闘機は降り注ぐ敵軍の中を進む。そうして敵降下部隊を撃破して進むと、一際大きな影が現れる。
ボスだ。大型の車体に、巨大な重火器を持った人型砲塔。大型の降下艇に、機械の上半身を生やしたような機体だ。火力もタフさも普通の攻撃艇と段違いであり、機関銃と散弾銃を手に鳥脚戦闘機を襲撃する。
最初のボスといえども、油断はできない。挙動が独特で、適当に避けると先読みしたように当ててくる。両手に持った重火器を交互に撃ちながら、鳥脚戦闘機を追い詰めていく。そして至近距離からの散弾銃攻撃に、あっけなく鳥脚戦闘機は撃墜された。
「うー……」
「大丈夫、まだまだはじめたばかりなんだ。これから上手くなるさ」
そもそもンゾジヅはゲーム自体ロクにやったことがない。戦闘能力こそ長けているが、それは元来持っていたものだ。本能的にヅヱノを守り、戦っていたに過ぎない。故にできないことを鍛える――力をつけるということは、このゲームが初めての事になるのだ。
ンゾジヅは悔しそうにしていたが、すぐに再戦を押した。それはこれがゲームであり、楽しいからだ。ンゾジヅの様子は、ヅヱノが初めてゲームに触れた時と同じだった。ヅヱノが忘れていた童心と興奮を、ンゾジヅの挑戦は思い起こさせてくれる。
だが遂に再戦回数が切れて、タイトル画面へと戻された。
ヅヱノがンゾジヅの再挑戦を待っていると、目の前に筐体が突き出された。
「はりあーも、やる?」
「えっと……いいのか?」
「はりあーも、やりたそうだった」
「……うん、そうだな。一回やらせてもらっていいか?」
「うん。これ、はりあーのだから」
ヅヱノはンゾジヅから筐体を受け取る。
手に馴染んだ重さを、指に使い慣れたボタンの触り心地を感じる。
ヅヱノはタイトル画面を見ながら、スタートボタンを押し込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます