第16話

「へぇ、そうなってるのか……よっと」


 画面を眺めていたヅヱノが、料理の実の殻をゴミ箱へ投じた。ゴミ箱といっても、ダストシュートだ。どこに繋がっているかも判らないような、暗い闇が床にぽっかりと開いている。雑に投げられたゴミが、静かにダストシュートに呑み込まれた。


 このダストシュートは、ヅヱノが見つけた物ではない。二人で初めての晩餐をした次の日。便所問題を解決したヅヱノは、周りに転がるゴミの山に途方にくれた。その姿を見たンゾジヅが突然床に穴を開けて、ゴミをポイポイ捨て始めたのだ。ヅヱノがンゾジヅに倣うと、同じように底も見えない穴が開いた。施設の利用法を本能的に判っているらしいンゾジヅがそうするならばと、ヅヱノもこの穴にゴミを捨てるようにした。


 この穴は基本的にどの部屋にも存在し、どんな場所からでもこの空間へと繋げられる。料理の実を食べる度に利用していたヅヱノだが、この穴がどこに繋がっているかはわからない。穴をのぞいてもただただ暗く、たまに何かが光ったように錯視するだけだ。


 それから暫くヅヱノは、料理の実や甲冑植物から銃をむしる生活をしていた。だがふと、ヅヱノはヴェーダーの出撃時に使った接触画面で、ヲズブヌの全体像を見たりしたのを思い出す。そこからなら艦内の構造――ダストシュートの先も見られるかとヅヱノは考え、格納庫へと向かった。


 ヅヱノの予想は的中。接触画面で、艦内構造の情報を得られた。艦内構造は、大きく別けて三つだ。ヅヱノの自室や格納庫等がある機軸機関、あの不思議な自然が広がる燃料蔵槽【ねんりょうぞうそう】、廃棄物を処理する輪廻転槽【りんかいてんそう】がある。それらを繋ぐように、連絡通路が張り巡らされている。ヴェーダーが集めたエネルギー――絶対燃料は、これらの区画に配分されている。主に配分されているのは機軸機関と燃料蔵槽で、輪廻転槽が一番配分量が少ない。


 機軸機関の役割は艦の運行と、ハリアーを含めたヴェーダーの管理だ。文字通り界宙戦艦の中枢を担っている区画で、配分絶対燃料も多い。この格納庫も機軸機関に含まれている通り、界宙戦艦にとって中核ともいえる施設なのだ。こうして艦内情報にアクセスできるのも、それが理由である。燃料蔵槽は絶対燃料の保管を行っており、名前通り燃料槽に相当する。位置的には、あの奇妙な大自然のあった場所だ。


「アレが燃料タンク? 動態保存……あの奇妙な植生環境の事か? 絶対燃料ってのは、妙な方式で保存するんだな……?」


 そして輪廻転槽だ。ヅヱノが探していたダストシュートの先は、この輪廻転槽に通じていると判明した。施設の説明では、他の施設で生じた廃棄燃料を集積して再利用できるよう処理する云々とある。ここに落とされた廃棄物は、絶対燃料に変換されて再利用される。あの料理の実の殻も、穴の奥で絶対燃料へと処理されているのだ。


 つまり単なるゴミ処理施設ではなく、リサイクル施設なのだ。ちなみに連絡通路にも、絶対燃料は配分されてはいる。だが量は極僅かで、絶対燃料の配分は無いに等しい。実際通路は頻繁に使うものの、目立った変化は見られない。


「それにしても絶対燃料、ねぇ……妙な形で保管されたり、実体は光の塊だったり。それが『燃料』か、よくわからないな……んっ!?」  


 そんな時、警報が鳴り始めた。

 ウシガエルが唸るような、独特な警報である。

 さっさと行けと出撃を急くように、接触画面の枠が赤く点滅している。


 ヅヱノの顔が引き締まる。脳裏には間に合わなかった犠牲者たちの姿と、自室に飾られるようになった三姉妹の写真があった。今度こそギエムに脅かされる人々を守ろうと、三姉妹のような娘達を救おうと意気込む。


「うー……」


 ンゾジヅは心配そうにしている。彼女は艦内ならばすぐに手を伸ばし、ヅヱノが遭遇する危険を先回りして防げる。足場が悪くてもすぐに助けられるし、甲冑植物も襲撃前に察知して駆逐できる。彼女はヅヱノの傍にいる限り、彼の転ばぬ先の杖となれる。


 だがヴェーダーに乗ったヅヱノは、一人で敵と対峙しなければならない。ギエム達は軽度とはいえ装甲槽を傷付け、ギガムに至ってはヴェーダーすら撃破しかねない難敵だ。そうした命の脅威からヅヱノを守れない事を、ンゾジヅは酷く気にしていた。


 しかしンゾジヅの心配は、少々過ぎた物だ。確かにギエムとギガムは、ヴェーダーに危害を与えられる。だがヴェーダーの牙と皮膚は、早々敗れたりはしない。ギエムに対してはほぼ無敵であり、ギガムに対しても真正面から決戦を挑める力がある。


 いざとなれば、撤退釦で戻ってくる事も可能だ。前回は使わなかったが、そういう物もあるとヅヱノの頭に転写されている。戦いに没頭するなど余程の事態がない限り、問題なく帰ってこられる。確かにヅヱノはギエムを討つと心に決めたものの、命が危ぶまれても戦えるほど肝は据わっていない。


 ヅヱノは、あくまでも小市民だ。見合わぬ過剰な力を与えられただけで、その根底にあるのは脆弱な性根だ。いざとなれば、迷いなく撤退のボタンを叩く。正義の味方を代行できるのは、自分の命が担保されている間のみだ。人を救いたいとは思っても、『自分の命をなげうってまで』ではない。卑劣であるが、そうであるが故にヴェードという戦いに順応できている。


 故にンゾジヅが直接守れなくなろうと、ヅヱノの心配は不要である。危険になれば、ヅヱノは勝手に逃げ帰ってくる。自分の性根を自覚するヅヱノは、過剰な心配に苦笑しつつンゾジヅを宥めた。少し時間は掛かったが、彼女は渋々といった様子でヅヱノを送り出した。


 ヅヱノは彼女に感謝しながら座席に腰を下ろし、彼は再び絶叫マシンに振り回される。長いトンネルを一瞬で駆け抜け、ヅヱノは戦闘室に到着。入り口が隔壁で塞がれると、ヅヱノを各種画面や操縦機器が取り囲み、隔壁画面の光が彼の顔を照らし出す。


『ハリアー:認証完了:ヅヱノ』

『蒐撃機:シースターフォート:起動完了:兵装封止:封止状態』

『弾着選択:選択完了:第一階級:カイノケイナ』


 ヅヱノは出撃の準備を手早く整えると、隔壁画面越しに見上げるンゾジヅにいってきますと呟く。機体が昇降機で上昇し、射出甲板へと運ばれる。次はどんな世界で、いかなるギエムが現れるのか。出撃先に思いを馳せるヅヱノの前で、紫電が迸る。


『射出甲板:揚電開始:推力光線:充填完了:射出開始』


 ヅヱノは人々の窮地に間に合うことを願いながら、紫電のトンネルを駆け抜けた。

 直後、ヴェーダーは世界の壁を突き破り――ヅヱノは意識が暗転した。



§



『蒐撃機:弾着完了:兵装封止:封止解除:蒐撃開始』


 ヅヱノは再び、軽く意識が飛んでいた。

 出撃の衝撃にもなれないとなと、ヅヱノは頭を振りかぶる。


 画面の向こうに広がっている世界は、荒野だった。人を呑むほどの巨大な砂丘も見られ、砂漠といい換えてもいい枯れた大地だ。歩いているだけで喉が渇き、全身の水分が蒸発しそうな風景だ。


「……お。ここは降りられるのか」


 前回と違い、降機釦が押せるようになっている。今回は出られる環境なのかと、ヅヱノは軽い気持ちで降機釦を押す。戦闘室を満たしていた光が消え、正面の隔壁が開いた。


「ぐぉおっ!?」


 その瞬間、どっとヅヱノの身体が重くなった。

 まるで全身の細胞に、重りをつけられたかのような感覚。酷く身体が疲れた時も、身体が重いという感覚に襲われる。だがこれは、そうした現象とは一線を画す、明らかに何かの法則が変わったかのような異常だった。


「ぐっ、くっ――……よしっ! ふぅ、はぁッ! やばかった!」


 ヅヱノは座席が滑り降りる前に、必死に座席脇の閉鎖釦を叩く。隔壁が閉じられ戦闘室の光が灯されると同時に、ヅヱノの全身の『重み』が嘘のように消えた。白昼夢であった可能性も、短い間に滲み出た脂汗が否定する。


「何だ今の……重力が違うのか? もしそうだとしたら……空調だけじゃなく重力その他諸々も俺に最適化されてるのか。正しく生命維持装置ってワケか」


 ヅヱノはヴェーダーを生命維持装置や防護服に譬えたが、正しくその通りなのだ。ヴェーダーはありとあらゆる危害を遮断し、ヅヱノの能力を損ねず維持してくれている。でなければこの世界に来たと同時に、今のようになっていた。


「それにしても……大気が安全域だからといって油断はできないのか、難儀だな」


 ヴェーダーが大丈夫だと判断した範疇でさえ、ヅヱノはつぶれたカエルのようになりかけた。安全とされていても、『直ちに危険ではない』という意味合いだった可能性もある。


 ヴェーダーが危険と表現しているのは、生命維持を解除した段階で死につながる場合なのだ。前回の世界は大気に問題があった。あの世界も外気に触れると全身が溶け出すといった、隔壁が開くとヅヱノが即死するような環境だったのだ。ヅヱノの背筋が、ゾクリと冷えた。


 『安全』であっても、軽々しく戦闘室を開放しないようにしよう。

 ヅヱノはそう自戒すると推力桿を握り、ゆっくりと前に倒した。静々とヴェーダーが一歩前に踏み出し、その脚が推力桿に連動して速くなっていく。推力桿を最大まで入れると、競歩ぐらいの速度で脚が動く。しかもヴェーダーの巨体は歩幅が非常に大きく、競歩だけでも数百キロは優に超える。


 これを超えるとなると、噴進桿を握りこんでの噴進滑走しかない。だが噴進滑走は、ヅヱノにすら加重力がかかる。重力すら管理するヴェーダーの生命維持機能に影響するほど、機体に無理をかける機能なのだ。


 元々そういう仕様なら問題ないが、万一極度に機体を消耗する装備ならば洒落にならない。急いでいても、滅多なことでは使うべき機能ではなかった。戦闘室の高性能さが明らかになるにつれ、ヅヱノはその考えを強くしていった。


 現状、最速といえる動きでヴェーダーを進めている。だが風景はほとんど変わらず、ヴェーダーが進んでいるかすらもわからない。間違いなく移動しているのは確かだが、どこを見ても地平線は平らなままだ。方向が違っているのではないか、そんな不安がヅヱノの中で鎌首を擡げる。


 だが逆三角が探知画面正面にある以上、針路はずれていない。ヅヱノは針路が間違っていないことを信じて、背後へと流れていく荒涼たる大地を眺める。そして、漸く地平線に影――山が見えた。その山は小さいが、たしかにギエムが潜む場所の筈だ。


「漸く到着か……気を引き締めていこう」


 ヅヱノは顔を引き締め、身構える。近付くにつれて山はどんどん背丈を伸ばしていき、その麓は深くなっていく。遠目からでも天辺が見えるほど、恐ろしく標高の高い山なのだ。言い知れない存在感に、ヅヱノの操首桿を握る力は強くなっていった。

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