第14話
ヅヱノの覚悟は空振りに終わった。
入り口をくぐったヅヱノを迎えたのは、十畳ほどの狭い部屋だった。彼が入る前に無駄に意気込んでいたのが、滑稽に思えてしまう小部屋である。ンゾジヅも反応していない以上、この部屋に危険はないとヅヱノは判断した。
ヅヱノは手早く拳銃の輪胴を戻して腰に挿し、改めて小部屋を観察する。落ち着いてから見てみると、気づくことがあった。部屋の調度品や装飾に統一感があるのだ。たとえば樹皮とは違う、暗色に仕上げられた床板。床と同じ木材を加工した、素朴なテーブルと椅子。棚には多くの本が並べられ、可愛らしい小物も目につく。
これまでは、様々な物が雑ざり合った状態の空間しかなかった。まるで相容れないものを、ステンドグラスのように一つの型に収めた物ばかりだった。比較的纏まっている甲冑植物でさえ、武器が薬莢式銃というちぐはぐな物を使っている。
なのにここは誰かの部屋として認識できるほど、室内の調度品が揃っている。今にも住人が帰ってきそうな生活空間。明らかに、これまでとは違う空間だった。
ヅヱノが最初に目を惹かれたのは、本だった。本とは文明の代名詞である。文字を使う知恵と、本を作る技術があって成り立つ物だ。それがどんな本であれ、その存在は必ず文明を写す痕跡となる。故に見るとすればまず本だと思い、ヅヱノは一冊の本を棚から引き出した。
そして表紙を開きぱらぱらと眺めてみて、ぱたりと閉じた。
速読で読み切ったのではない、一文字も読めなかったから閉じたのだ。
「何語だよこれ」
書かれていたのは、アラビア文字と漢字を足して二で割ったような文字だった。ヅヱノには、どこからどこまでが一文字なのかすらもわからない。実は文字じゃなくて迷路だと言われても、ヅヱノは疑いもせず信用できる。自分の頭では千年かけたところで一文さえも解らないと、ヅヱノが自信をもって言える言語だった。
わかるのはこの本の持ち主が文字を読み、個人で本を所有できる文明に属す者だったという事だけだ。だが少なくとも、界宙戦艦の製造元とは違う文明圏で作られている。もし同じ文明圏の品ならば、あの謎象形文字が使われていた筈だ。
ヅヱノは見ていた本を戻し、別の本を手に取り開いてみる。だが書かれている文字は最初に見た本と同じだ。絵か写真でもあればどんな本かも見当がついたが、生憎本は表紙から裏表紙まで文字で埋め尽くされている。
叡智の結晶といわれる本であっても、無筆の輩には知を与えない。ヅヱノは世知辛いとは思いつつも、仕方ないと諦めた。ともあれ、少なくとも本から情報を集めるのは困難だという収穫はあった。
分厚い火口の塊となった本の代わりに、別の情報源となりそうな物を探す。とはいえ本を除いてしまえば、情報になるような物はない。後は住人の物品から、生活の息吹を読み取る事ぐらいだ。
ホームズのような名探偵ならわかったかもしれないが、ヅヱノには無理だ。
簡単なことしかわからない。例えば、飾られている写真だ。
どことなく既視感を覚える写真には、仲の良さそうな三人の女性が写っている。
年頃は違うが全員美人で、顔立ちに共通する特徴があるところをみるに姉妹か母娘だ。一目見て仲の良さが覗えるような距離感で、同じ写真に写れて心底嬉しいという笑みを浮かべている。
年長二人は戦装束を纏っていて、女性らしい格好をしているのは年少の一人だけだ。だが年長組の戦装束は、彼女たちの美しさを損ねていない。無骨な戦いの道具は、豪奢なドレスよりも生まれ持った美貌を際立たせていた。
ヅヱノは写真の女性達を見て、微笑ましい気持ちになっていた。だがすぐに既視感の正体に気付き、冷や水を浴びせられたような心地に変わる。ヅヱノは似たような者達を、ついこの間見ていた。
ヴェード先で見た美しい女騎士と、彼女に守られていた少女。
その組み合わせは、まるで写真の中の姉妹と同じだった。
だが幸せそうな姉妹と違い、あの騎士と少女は殺されていたのだ。
記憶から消し去りたいほど惨たらしく、思い返すことほど厭う姿で。
彼女たちだけではない。近くの街の住人も、筆舌にしがたい惨劇に見舞われていた。
あの街にも、写真の姉妹のような女性たちがいたかもしれない。
そもそもの話。この写真の姉妹が、今も無事に笑っているかはわからないのだ。既に本人達はギエムにより落命していて、思い出だけがこうしてこの空間に取り残されているのかもしれない。
それはむなしくも、喜ばしいことだと思う。彼女たちの人生は、その命が育んできた幸せは、彼女たちしか知らぬものだ。その命を奪われ、幸福を握りつぶされても、彼女達はそれ以上の抵抗はできない。だがこうして思い出だけでもどこかに残せたら、それは精一杯の抵抗を成したといえるのではないか。
それがギエムを狩るハリアーの元に届き、その決意を支える柱の一つになるならば。彼女達は死して尚、尊く抗戦を遂げたといえるのではないか。あるいはそのために、この写真は流れ着いたのではないか。ヅヱノはそんな風に、姉妹達の写真に意味を見出していた。
ヅヱノは、慎重に懐へ写真を入れる。ここにおいていても、もう誰も優しい思い出に浸る事はない。ならばせめて自分が持ち帰り大切に守ろう、ヅヱノはそう考え写真立てを懐に収めた。
後は、小物や本などを幾つか拝借した。
彼女たちがそうしていたように、写真を姉妹の私物で飾ってやりたいと考えて。
神妙な顔で小物を集めるヅヱノの姿を、ンゾジヅは不思議そうに眺めていた。
部屋から出る時には大きな布を拝借し、外に積み上げられていた木の実を包んだ。運びやすくなったとはいえ、ヅヱノでは担いだ瞬間に押し潰されるような重量物だ。それをひょいとンゾジヅは担ぎ上げ、物足りなさそうにまだまだ成っている実をチラ見していた。
しかしさすがにこれ以上は駄目だと、ンゾジヅに言い聞かせて帰路に着いた。未知が次から次へと現れた行きと違い、帰りは癖の強い山道が続いているだけだ。ヅヱノが一層疲労がたまっていくのを実感していると、途中からンゾジヅが抱えて運んでくれた。荷物を持っていても、難なくヅヱノを運べるのはさすがのパワーだった。
ヅヱノが気がかりだったのは、ンゾジヅが帰り道でしきりに周囲を気にしていたことだ。だがンゾジヅの警戒とは裏腹に、行きと同じく獣どころか虫一匹さえも見かけなかった。彼は、それを単なる彼女の杞憂とは考えなかった。ンゾジヅの危機察知能力は、非常に鋭敏だ。今回たまたま遭遇しなかっただけで、猛獣か何かが潜んでいた可能性もある。
ともあれ何の障害もなく草原に辿り着き、ぽつんと佇む豪奢な石戸を潜った。
緑の世界から鈍色の通路に戻ると、『生命のない静けさ』を肌で感じた。
だがそれを寂しいと思うと同時に、帰ってきたという安寧も感じていた。
艦内は、ヅヱノとンゾジヅだけの世界だ。食料もなければ、ヅヱノとンゾジヅ以外の生命体もいない。だが得体の知れないものが跋扈する世界よりも、遥かに落ち着ける場所なのは確かだ。その二人だけの城を進み、ヅヱノとンゾジヅは『天守閣』――ヅヱノが目覚めた部屋へと戻った。
ヅヱノが目覚めた部屋は、相変わらず殺風景だった。四方を真っ白な壁に囲まれ、部屋の中心には銀色のエッグスタンドがある。ヅヱノが運び出された時そのままの状態が維持されていた。
部屋に入るとンゾジヅは袋を下ろし、ゴロゴロと実を転がす。形や重さで分別し始めたンゾジヅを横目に、ヅヱノは写真立てを飾る場所を探した。部屋はのっぺりとしていて何もなく、当然棚のような場所もない。どうしようか悩んでいると、ガシャタッと背後で何かが開く音がした。
振り返ると、ンゾジヅが壁から引き出しを開いて小さな実をしまっている。その姿に倣って適当に壁を触ってみると、すぅっとアームレストのような台が出てきた。そこに懐から出した三姉妹の写真を置き、彼女たちの傍に小物を置いてやる。殺風景な部屋の中で、そこだけは人情で温もったようにヅヱノは感じた。
写真を飾り終えると別の戸棚を出し、そこには拳銃を置く。その際、試しに弾を一方の銃に移し変えてみる。機種は明らかに違う筈だが、弾の寸法が似ているのかするりと装填できた。拾える銃の弾が全て同口径薬莢長なのか、たまたま共有できるのかはまだ判らない。
だがもし共用できないとなれば、予備弾倉代わりに予備銃を携帯しなければならなくなる。装填作業要らずというのは利点だが、その分携帯時に重量が嵩むというのは見過ごせない欠点だ。
更に射撃の練習も必要だと考えると、尚の事銃と弾の問題は大きくなる。今回の探索で遭遇した甲冑植物は四体。一体は全弾撃たせてしまい、二体目は一発撃たせたが、残る二体は未使用で回収できた。収穫は十四発。一発試射したので、現在十三発だ。
実用性を考えるならもっと必要だし、練習するとなればもっともっと要る。にもかかわらず、一回の探索でたった十三発。今日の頻度で完全に上手くいったとしても、一度に二十発だ。複列弾倉の自動拳銃ならば、一挺分位の弾数でしかない。より携行弾数の多いものを見つけるか、何か上手い手段を見つけねばと彼は奮起する。
「うー」
決意するヅヱノに、ンゾジヅの呑気な声がかけられた。どうしたと振り返ったヅヱノに、突き出されたのは幾つかの木の実。聞かずとも判る。どれを食べるかという話のはずだ。ンゾジヅの姿勢も前のめりで、涎が垂れるのが見えるようだ。
ンゾジヅはヅヱノの面倒を見る事を最優先事項としているが、それに次いでの関心の強さである。余程味覚の刺激が強かったのだろう、『どっちが食べたい?』ではなく『どっちを食べようか?』をたずねているように見えた。
とりあえずヅヱノも食べたいので、大きめの木の実を選ぶ。ンゾジヅは肯くと、銀のエッグスタンドを蹴って円卓に変形させた。それも変形するのかと驚愕するヅヱノの前で、バリバリと皮を引き剥がす。すると部屋に、香ばしい香りが広がった。何が入っているかは、臭いだけでわかった。
(焼鳥だコレ。しかも焼鳥丼だ)
鶏肉を炭火でじっくりと香ばしく焼き上げ、醤油ベースの照り焼きタレをふんだんに塗布した香りだ。運動で疲れた体には殺人的といっても良い、食欲を挑発する嗅覚の暴力だ。
ンゾジヅの姿勢はより前へ傾き、頭を突っ込んで貪りそうな状態だ。しかしそこは流石のンゾジヅ。お先にどうぞというように、木の実をヅヱノへと差し出してくる。すすめられるまま、ヅヱノは一口含んだ。
火が通された鶏肉が、咥内でコロコロと転がる。トロリとしたタレが、噛み解される鶏肉の繊維と絡まる。焼き鳥の中から溢れる肉汁とタレが混ざり合い、最高のソースとなって口一杯に広がる。そこに焼き鳥の味をより繊細に舌に伝えてくれる白米がまざり、強烈なソースの味から肉の旨みへと味わいを切り換えさせる。
焼かれた長ネギも、トロリとした葱鉄砲となっていて格別だ。生では辛くビリビリとした痛みをもたらす香味野菜が、ほんのり甘い葛湯のように溶け出していく。葱の風味でタレの残る舌を洗い、また最高の一口への準備を整えてくれる。
ヅヱノは焼き鳥丼を堪能しながらも、ンゾジヅに一口差し出す。雛鳥のように待っていたンゾジヅが口に含むと、頬に手を当てもむもむと口を動かす。ンゾジヅは声にならない声を上げ、口の中の味わいに溺れていた。散々咀嚼した後、ゆっくりと飲み込み――はたとンゾジヅは目を開いて困惑する。口の中の焼き鳥丼はどこ、そういいたそうですらあった。
ヅヱノは苦笑しながら、ンゾジヅにあーんしてやる。
ここまでおいしそうに食べられると、自分よりも優先してあげたくなる。
きりっとした顔でヅヱノが先と主張するが、あーんとジェスチャーをしながら差し出すと、観念したようにぱくっと食いついた。もむもむ、ぺかー、もむもむ、そんな楽しく可愛らしいサイクルが目の前で繰り返される。
ふとヅヱノは、ンゾジヅに焼き鳥丼を食べさせて良かったのかと悩んだ。何しろ焼き鳥、鶏肉だ。ンゾジヅは人の部位を持つと同時に、鳥の部位も持っている。共食いみたいな事になってしまっているのでは、そんな懸念が生じたのだ。
だが幸せそうにぱくぱく食べるンゾジヅを見ていると、どうでも良くなった。確かに鳥という区分で見ればそうだが、人間だって猿の肉を食べたりする。猿を食べるということに驚きはすれど、それで人非人のような扱いを受ける訳もない。猿は人間に構造は似ているが、所詮は猿でしかないのだ。鷲だって、大きな括りでは同じ種族である鳥を捕食している。そう考えれば、別に危惧するほどのことでもなかった。
その日は戦利品の木の実を次々と開封しては、舌鼓を打つ。そんな晩餐が、二人が満腹になるまで続けられた。ヅヱノがこの晩餐で判ったことは、二つだ。一つは、木の実は基本的に外見で内容物をある程度予想できるということだ。
大き目のものは丼物などの主食系が多く、小さいものは手軽に食べられるおかずなどだ。要するに、実の大きさで大体入っている料理の傾向がわかる。さらに実の形状や模様等でも、一定の判別は可能だ。ただし、ほとんど同じように見える実でも中身が違うことがあり、正確に料理を選んで食べるというのは難しい。
もう一つ判ったのは、ンゾジヅの胃が底なしだということだ。ヅヱノが食べられなくなってからも、ンゾジヅは食べ続けた。ヅヱノもひたすらンゾジヅの口に料理を運び続ける人間給餌機となり、彼女が満足するまで一時間近く付き合った。
ンゾジヅは元々人間部分も非常に大柄な部類に入るし、それに鳥類の下半身も非常にがっしりとしている。この身体を維持するには必要量かとヅヱノも思うが、おなかは膨らんでおらずどこに入っているかは予想できなかった。
ヅヱノはそんな風に総括し、ンゾジヅのおなかがゴロゴロ動くのを背中に感じながら眠りについた。言うまでもなく、満腹になったンゾジヅに捕まった末の強制休息姿勢であった。
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