第13話

 ザクリ。


 異形の森への第一歩は、大して変わり映えのしない足音だった。森の中では静謐な空気が流れ、森の中というよりも神殿のような雰囲気だ。生命の営みよりも、自然を超越した神秘を求めたような空間であった。


 ヅヱノの足下では夥しい数の根が絡み合い、彼の脚を引っ掛けようとするかのようにうねっている。ヅヱノはいつもより大股で、大きく腿を上げて根を避ける。ほぼよじ登るような高さの場所もある。まるで余所者を拒む、大自然の意思が現れたような足場だ。


 そんな人の侵入を拒む聖域のようでありながら、四方を囲んでいるのは人工物を成らせた奇形の木々だ。静謐な森の雰囲気を掻き乱す、騒々しい色使いの道具や建材が紛れ込んでいる。最早森というよりも、不法投棄物が堆積したゴミ山だ。


 そんなゴミだらけの惨状であるのに、どこか人里離れた原生林の空気が流れている。絶対に人の手を必要とするものに囲まれながら、一切人の痕跡を感じられないという矛盾。文明の気配に晒されながら、未開の大自然を歩く異質な感覚。


 チグハグな情報に、ヅヱノは脳がストレスを感じているのが判った。それでもヅヱノは暗い奇形の回廊を、少しずつ前に進んでいく。普段ヅヱノは整地された道を歩いており、山道のような不整地を歩かない。慣れない場所を歩かされ、彼の疲労は加速度的に関節に蓄積されている。矛盾した環境と、馴れない山歩き。その二つが、ヅヱノの脚に限界を齎した。


 ヅヱノが根に足をかけた瞬間――ずるりと靴底を滑らせた。足がすっぽ抜けるような、いやな感覚。それをヅヱノが感じたと同時に、手は反射的に突き出されていた。頭だけでも保護できればいいという、本能的な防御行動だ。


 腕は痛むが、直接頭を打つよりはマシな部類に収まる。無意識に行なわれたダメージコントロールが、ヅヱノの手を犠牲にさせる。しかし、その手は役に立たなかった。正確には、必要なかったというのが正しい。何しろ、ヅヱノは倒れなかったからだ。


「……ありがとう」 

「うー……ぁー」


 ンゾジヅに首根っこを掴まれ、彼はぶら下げられていた。ンゾジヅの顔は心配そうで、手を離したくないと表情が訴えている。だがヅヱノは大丈夫だと手で制して、また歩きはじめた。ヅヱノは先程よりも足元に気を付け、滑らないように注意して進む。その分遅くなったが、注意の甲斐あってトラブルなく進めた。しかしヅヱノが払える注意というのは、足場が確かかどうか程度だ。


 例えば『命の危機』といったモノに対しては、非常に鈍感であったのだ。


 ドゥンッ


「――ッ!」


 足音と呼吸音だけが響く回廊を、引き裂くような炸裂音。

 それは銃撃だ。事実、しっかりと弾痕が刻まれている。

 『ヅヱノの目と鼻の先』に。


 言うまでもなく、ヅヱノは銃撃を回避できるような直感は無い。

 顔にもう一つ穴を作らずに済んだのは、優秀な保護者がいたからだ。


「……助かった。けど、もう離してくれても……いやなんでもない」

「うー!」


 ヅヱノはンゾジヅに引っ張られた上に、しっかりと抱きこまれていた。ンゾジヅはもうばっちり怒っており、抗議するようにグリグリと柔らかいものがヅヱノの頭頂に押し付けられる。ヅヱノは離そうとしないンゾジヅを何とかなだめすかして、地面に降ろしてもらう。それから石ころを拾って、ヅヱノが撃たれた場所に投げる。


 再び銃声が響き、今度は飛翔する石を撃ち抜いた。えらく精確な銃撃だ。ンゾジヅがいなければ、ヅヱノは脳味噌をぶちまけていた。更に二個三個と、投げる度に石ころは撃ち抜かれる。だが五発目の発砲音を最後に、銃撃は止んだ。


 弾切れだ。だがわざと撃つのをやめた可能性もあるので、うかつに頭は出せない。ヅヱノは周囲を見回し、壁にめり込んでいた自動車のドアを見つける。そこからサイドミラーをへし折って、それで角の向こうを覗き込む。


 見えたのは、西洋甲冑を着た奴だった。

 そいつは輪胴拳銃を片手に構え、鏡越しにヅヱノを狙っている。

 試しに石を投げてみると、甲冑野郎は石を拳銃の銃口で追っていた。

 凄まじい反射神経と、精密な照準能力だった。 


 ヅヱノが試しに手を出してみると、すぐに拳銃が向けられた。

 銃口を突きつけられるのは落ち着かないが、そこからは一向に弾が出ない。

 ンゾジヅも、ヅヱノを止めることなく背後で落ち着いている。


 ヅヱノが身体を晒して甲冑へ近づいていくと、カチッカチッと撃鉄が落ちる音が聞こえる。最初はヅヱノも、繰り返される撃鉄の音に恐怖した。しかし甲冑はヅヱノに対して何度も引金を引いているが、銃口から弾は一向に出てこない。銃は弾切れしているのに、甲冑は再装填する素振りもない。機械的に、引金を引き続けるだけだ。怪訝な顔をしたヅヱノは甲冑に近づき、その正体を見た。


「中身は……蔦、だな。こいつも合成植物か」


 甲冑の中には、植物の蔦が無数に絡まっていた。それらが有機的に動き、甲冑を動かしていたのだ。これもカツ丼の実や、回廊を構成する合成植物の一種だ。敢えて例えるなら、食虫植物といった所か。この甲冑植物は射程内の動きに反応して、機械的に攻撃しているだけ。だから弾が切れても、同じ動作を繰り返していた。


 それが合成植物だとして、特筆すべきはその姿だ。甲冑を纏っていて、手には輪胴拳銃を持っている。見た目だけでいえば、ヅヱノが誤認したように人そのものだ。ヅヱノだって機械的な行動と、甲冑の中を見てようやく人ではないと確信したのだ。遠目に見ているだけでは、まず判別できない。


「精巧にできてんな……これ、刀傷か? 単なるカモフラージュか、実際に使った装備なのか……この銃もすごいな。本物にしか見えない……って、撃ってたから本物なのか」


 拳銃を握って引っ張ってみると、ミシミシと音を立てる。拳銃と甲冑の接合部は案外脆く、大して力も入れずにもぎ取れた。銃把に蔦が繋がっていた痕跡こそあるが、見た目も重みも輪胴拳銃だ。実際発砲できていた以上、見た目だけでなく構造も本物である。


「輪胴固定式か……西部劇とかの時代のリボルバーだっけ?」


 上部が開いたり、輪胴が左右に振り出せたりしない。一発ずつ側面の装填口から弾を出し入れする、初期の薬莢式輪胴拳銃だ。装填口を開くと、雷管が潰れた薬莢が見える。銃を傾けると、薬莢が滑り落ちてきた。当然中は空になっていて、ここに先程までは弾頭と装薬が詰まっていたのだ。


「……ん? 輪胴の薬室は六つ、さっき撃ったのは五発だよな。一発足りないぞ? ……そういや、リボルバーを持ち歩く時は弾一発分抜くんだっけ?」


 ヅヱノはそんな話を聞いた覚えがあった。そうなるとこの甲冑も、銃を持ち運ぶ作法に倣っている事になる。だがそうも扱い馴れした銃を握るのは、板金鎧の騎士甲冑だ。全身鎧を着て拳銃を装備する騎兵も過去にはいたが、それは銃口装填銃の時代だ。銃尾装填銃――それも薬莢式銃が使われる頃には、重装騎兵は化石同然の存在だった。見た目の印象通り、かみ合っていない存在といえる。


「予備の弾丸は……ないか」


 ヅヱノは探索に役立つかと予備の弾を探してみるが、甲冑からは見つからない。実用性を考えるならば、予備弾を携帯しないのはありえない。つまりこの甲冑と銃の組み合わせは、偶然と考えるのが妥当だ。そして弾が無ければ、本物の銃だろうと鉄の塊に過ぎない。しかしヅヱノはお守り代わりにと、輪胴拳銃を腰に挿して先に進む。


 今度は足下だけじゃなく、ンゾジヅにも気を付ける。

 ンゾジヅは甲冑植物の射撃を察知し、撃たれる寸前に守ってくれた。

 つまりンゾジヅを見ていれば、事前に警告してくれるはずなのだ。


 そう考えてしつこくンゾジヅを振り返っているが、当のンゾジヅはニコニコと嬉しそうにしている。ンゾジヅの機嫌がよくなる程に、ヅヱノは大丈夫かこの作戦と自信が無くなっていく。だがヅヱノの懸念は、杞憂だった。


「わぷっ!?」 


 ヅヱノは突然ンゾジヅに抱き込まれ、何事かと思った直後銃声が轟く。どうやら目論み通りに助けてもらえたと、ンゾジヅの谷間でヅヱノは安堵した。だが事前に警告が来ると思っていたヅヱノは、突然の救出ハグに少々困惑する。


「えっと、ンゾジヅ? もう少し早めに警告とか……ああ、悪い贅沢言った」

「うー?」


 ンゾジヅはヅヱノが真に危機的な状況になった時にのみ、手を出すようにしているのだ。つまり事前に察知するのは難しい。便利なのか不便なのか、イマイチ良く判らなかった。


「まぁいい。問題は向こうにいるあいつをどうするかだが……ん? ンゾジヅ?」


 ヅヱノが通路の角に張り付いて唸っていると、ふとンゾジヅがいないことに気付いた。ヅヱノが周囲を見回していると、ミシミシメギッと何かを圧し折る音が聞こえた。音がしたのは、甲冑植物のいる方向だった。


 ヅヱノが試しに石ころを投げても、先程のように発砲されない。

 サイドミラーで覗こうとすると、ひょいとンゾジヅの顔が現れた。


「うわ、ンゾジヅ! どっから……って、うぇ」


 思わずンゾジヅの来た道を覗き込むと、ばらばらになった甲冑が転がっていた。バラバラ甲冑を背にして、ふんすとンゾジヅが誇らしげにしている。どうやらンゾジヅは外側から回り込んで、甲冑植物を背後から襲ったのだ。まるでSFホラー映画のモンスターだった。


「そもそもンゾジヅは見た目はモンスターだし……今更か」


 ヅヱノはばらばらになった甲冑に近付き、拳銃が無事なのも確認した。拾って確かめてみると、形状が腰にある銃とは微妙に異なっている。腰に挿した銃と見比べてみると、その違いは明らかだ。鎧の形状も前の物とは微妙に違っている。


「ひょっとすると、個体ごとに違いがあるのか。ってことは、弾を拾っても口径が合うとは限らないか……それにしても、また鎧と銃の組み合わせか」


 まだ二例目とはいえ、また鎧と銃の組み合わせだ。微妙な個体差があろうと、そこだけは踏襲している。つまり甲冑植物が銃を生らせているのは、偶然ではないのだ。


「……種、か? 例えばホウセンカみたいな種子の射出を、銃って形で実行しているとか……それなら予備弾が無いのも、納得できるか。種を飛ばすのに、予備は必要ないからな。実弾を飛ばす植物とか迷惑極まりないが……これが種、か」


 ヅヱノは試しに壁に埋まった銅像の顔に銃を構える。肉付きがよくキリッとした男の胸像だ。その眉間の当たりに照星を合わせ、引金を引いてみる。ドォンッと、激しい閃光と轟音が響く。銃を蹴り飛ばされたような反動で、ヅヱノの手首が大きく振られた。


「うわ、結構反動キッツ……威力もすげぇ」


 的にした銅像の眉間に大穴が開いている。人間なら一撃だ。残り四発になった輪胴拳銃を腰に挿して進む。その際、輪胴は引金を引いても弾が出ない位置に回しておく。こんな場所で、自分の脚をぶち抜くなど洒落にならないからだ。


 ヅヱノが歩いていると、時折ンゾヅジが離れるようになった。そして進行方向でミシミシメガッと破砕音が聞こえ、歩いていくと八つ裂きにされた甲冑植物が転がっている。銃は探すまでもなく、ンゾジヅがニコニコ手渡ししてくれた。銃をヅヱノの玩具と認識し、それを安全に用意してくれているのだ。


 ありがたくはあるが、ヅヱノは複雑な気持ちになった。確かにヅヱノは銃が好きだし、コレクション目的の面も否めない。だが一番は、実用品として『戦うため』に拾得している。銃は無力なヅヱノにとって、唯一の護身用途になり得る武器だ。


 とはいえ、実際に活躍できるかは微妙な所だ。拳銃とは対人用の武器で、その火力は人を殺傷するのに最適化されている。猛獣用に大口径化した拳銃もあるが、それでも大型猛獣には火力不足感が否めない。しかも、扱うのは素人のヅヱノだ。威嚇効果では、爆竹の方がマシまである。


 それでもないよりはマシだと、ヅヱノは拳銃を見つけ次第確保する。威嚇程度の効果しかなくとも、ひるませ撃退できる可能性はあるからだ。だからンゾジヅに『ひっつき虫こっちにあるよー』みたいな感じで甲冑植物へ誘導され、銃を拾う姿でニコニコされても彼は困るのだ。


 そもそもの話、ンゾジヅがいれば銃要らない説もある。何しろ、銃を持っていた甲冑植物をバラバラにしたのだ。ンゾジヅは射線を迂回し直接戦っていないが、逆に言えばそうした状況でも臨機応変に動けるという事だ。仮にンゾジヅが銃に弱くとも、素手で甲冑植物をバラバラにできる膂力がある。下手な獣など相手にならないはずだ。


「……ますます、単なるコレクションアイテム貰ってはしゃいでるアホなんだよなぁ」

「うー?」

「いや、なんでもないぞ。ありがとう、ンゾジヅ」

「うー!」


 ヅヱノは腕の中でむぎゅむぎゅされながら、『もういっそ銃捨ててくか?』と遠い眼をしていた。だがほとんど効果がないからといって、まったくの無力になるのは違う。彼は意味があるのだと自分に言い聞かせ、増えていく腰の重みに耐えて奥に向かう。


 ヅヱノは申し訳程度に輪胴拳銃を構え、保護者を背にして進む。幾ら警戒したところでンゾジヅの何十分の一も役に立ってないが、鉄の意志で続行する。まるでハイハイを応援する母親のような視線を感じていても、ヅヱノは断固無視する。


 そんな風にしっかり警戒していたはずなのに、突如としてベリベリミシミシと前方から音が聞こえたり。ハッとヅヱノが背後を振り返ると、圧迫感があるほど至近距離にいたンゾジヅがいなかったり。恐る恐る音源を覗いてみると、ンゾジヅが甲冑植物の残骸上でニコニコしていたりした。


 やっぱり銃捨ててもいいんじゃね的状況でも、ヅヱノは銃不要説を無視し続けた。半ばやけくそで、ヅヱノは銃を構え続けた。そんな風に進んでいくと、開けた空間に出た。


「……お? おお! 沢山生ってるじゃないか!」


 そこはまるで、巨大な木の籠を被せたような場所だった。大小さまざまな木々の枝が、網の目のように張り巡らされている。その枝には先程ヅヱノの頭上に落ちてきた物とは違うが、恐らく料理の入った実が大量に実っていた。


 他にも背の低い枝などには、手のひらサイズの実もある。捥いでみると、大体野球ボールサイズだが非常にずっしりしている。開けようとすると、ンゾジヅにひょいと手から実を抜かれた。そしてミシッという音の後に、開口状態で渡される。ヅヱノはンゾジヅに礼を言って、中を覗いた。


「うわぁ、ミートボールの実かぁ」


 香ばしく甘い臭いが、ヅヱノの鼻孔をくすぐる。彼は道中に見つけた箸で、その一部を掬って食べた。甘く塩気もあるソースが舌に広がり、味わい深い肉がほろほろと崩れる。たった一口だというのに、口の中がミートボール一色に塗り替えられた。その味の強さが、動いて疲れた体にガツンと効く。


「うー?」

「ああ、ごめんごめん。食べてみて」


 美味しいかと尋ねるように首をかしげるンゾジヅに、ミートボールの実を渡す。ンゾジヅはパクリと口に含むと、もむもむもむと口を動かし――ぺかーっと目を緑色ストロボライトに変えた。


 そして相当気に入ったのか、ンゾジヅは似た種類の実を探しもぎもぎと集め始めた。ヅヱノもいくつか実を確保しておこうと考えるも、その量と種類に圧倒される。


 ヅヱノがいる空間には、至る所に様々な実がなっているのだ。知っている果物風の物から、まったく見た事がない形状の実まで千差万別。そもそもカツ丼の実すら区別できない程、多種多様な実が入り混じっている。


 どれにしようかと迷っていたところ、ふと別の出入り口が見える。入ってきた場所とは別の、大体反対方向側にある穴だ。奥へと長い通路が続いているかもしれない。また甲冑植物が待ち構えている可能性や、見た事もない怪物がいる危険性もある。


 思い付きでふらっと入って行けるような場所ではないと、これまでの移動で重々承知している。故に入るかどうか迷って背後を見ると、いつの間にかンゾジヅが待機していた。ヅヱノの移動を察して、駆けつけたのだ。その背後には、実がこんもり山を作っている。


 ヅヱノは、おもむろに腰から輪胴拳銃を抜いた。撃鉄を装填位置にまで起こし、輪胴を回して薬室を銃筒に合わせる。それから更に撃鉄を射撃位置にまで引き起こし、銃把をしっかり握って構えた。


 しっかり援護体制をとられては、踏み入らない訳にはいかない。

 ヅヱノはいるかもしれない敵に銃を構えて、慎重に部屋へ踏み込んだ。

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