第12話
ヅヱノの頭上で、パシッと何かを受け止める音が聞こえた。
彼が慌てて見上げると、ンゾジヅが頭上で大きな石を握っていた。
降ってきた落石からヅヱノを守ろうと、ンゾジヅが掴みとったのだ。
「うわ、これが当たってたらイチコロだったな……ありがとうンゾジヅ、助かった」
「うー」
ヅヱノは背筋に寒い物を感じながらも、ンゾジヅに礼を言う。彼女は何でもない事の様に、落ち着き払って首を振る。だがぱたぱたと腰の翼は動いており、彼の力になれて喜んでいるのが丸判りだった。
「しかしこんなデカい石が……いや、石じゃないな? この質感、木の実か!?」
ヅヱノは落石をよく観察し、それが木の実であることに気付いた。だがどんな実かは判らない。見た目自体はライチに似ているが、サイズはココナッツ並みに大きい。当然、中が果実なのか、胚乳なのかの推測は困難だ。
「これ食べられそうだな……しかし実を落とすって事は、一応繁殖してるわけだよな」
実のサイズから考えて、可食部位があるだろうとヅヱノは考える。食べられる実というのは大雑把に分けて二種類ある。種の中に養分を蓄えて、それが結果的に食べられる物となっているケース。もう一つが、種の外に実を成らせて動物に食べさせるケースだ。
前者はヤシの実など、海に浮かんで運ばれたりして、自力で遠くに種を届ける構造を持った植物だ。後者は動物が食べる事で、離れた場所で糞と共に排泄される。動物を媒介として、繁殖する形態を選んだ植物だ。
この実は固く、食べられようという意思がまるで感じられない。ヅヱノはこの実が前者であると考えながらも、自信を持てずにいた。こんな大きな実を、水場のない場所で落としても上手くは育つまい。落下地点であるこの周囲を見回しても、このような実を生らせている木は見つからない。この繁殖方法が成功しているとは、考えがたかった。
なら後者かといえば、それも違う。厚い殻に覆われているというのもあるが、ここは動物どころか虫すら確認できない場所だ。食べる者もいないのに、果肉を作っても意味がない。そもそもの話。この異様な場所で生った実が、ヅヱノの知識通りの進化を辿っているかどうかも不透明なのだ。
繁殖形態の不可解さから、中身について不安が残る。だがサイズの大きい実は、必ず栄養を蓄えた部位を持っている。その筈だと、ヅヱノは判断した。実の中まで毒をためている植物でない限り、この実も食べられる。問題は、食べるまでの道筋だ。
「どうやってこの分厚い殻を破るか、だ……道具なんてないしな」
ヅヱノが木の実を抱えてどうするか考え込んでいると、ひょいと木の実をンゾジヅに奪われた。ヅヱノがどうするのかと見ていると、ンゾジヅは細指を木の実の端に食い込ませた。そして当然の様に、パッカと木の実の端を引き剥がした。
「え゛っ」
「うー!」
ンゾジヅは人間と似た部位を持っているとはいえ、根本的に人とは違う生き物だ。だからオレンジの皮を剥くように、ココナッツばりの皮を素手でバリバリ毟れても不思議ではないのだ。その強靭な指で触られていたと思うと、ヅヱノはいささか恐怖が湧いた。だがンゾジヅの誇らしげに木の実を突き出す姿を見て、とりあえず俺には無害そうだとヅヱノは安堵する。
ヅヱノは木の実を受け取り、どう食べるかを確認する。
飲むか、毟るか、どちらかと考えながら破孔を覗き込んだ。
「――えっ」
ヅヱノの脳が停止した。その中には、小麦色のふわふわな大きい実と、つぶつぶの白い実が無数に詰まっている。通常、果実というのは一定の形状で統一されている。二種類の実が詰まっているというのは珍しい。だがそんな『珍しい程度』で、脳味噌が止まる程ヅヱノのおつむもヤワでもない。彼の脳が止まった理由は、ただ一つ。
「…………カツ丼?」
カツ丼だった。
こんがりジューシーに揚げられたトンカツ。
そしてふっくらむちむちに炊かれ、瑞々しく艶やかなお米様。
香ばしくブレンドされたソースが、空きっ腹を挑発するように両者を飾り立てている。
それが、木の実に詰まっていた全てだった。
殻の代わりにどんぶりに入っていれば、完全無欠の店屋物だ。
「いやいやいやいやいや、おかしいだろ、なんだこれ? え、なにこれ? どうなってんの?」
丼ものが入った木の実なんぞ聞いたことがない。いや、ヅヱノも創作上では見た事がある。某青狸ロボットが出した、店屋物を実らせる不思議な道具を彼は思い出した。先程のどこにでも開いてそうなドアといい、某青狸と類似性が多すぎる。一瞬ヅヱノは、ここは青狸ロボットがいる世界かと考えた。だが、さすがに殺伐とし過ぎていると首を振る。
いたずらという線も考えられない。わざわざ何かよくわからない果物をくりぬいて、出来立てのカツ丼を仕込んで、彼の頭上に落とす酔狂な奴はいない。そもそも、『出来立て』だ。出来立てほやほやのカツ丼をヅヱノが来るのに合わせて用意し、綺麗に詰めて封をしなければならないのだ。
しかも『カツ丼の実』は、高所よりヅヱノの頭上へと落とされていた。どんなに気を付けても、実に詰めて封をした時点で天地など解らない。それを高くから落とせば、中身はぐしゃぐしゃになってしかるべきだ。だが下手な店で出てくるカツ丼よりも、上品に盛られている。
意味が解らなかった。冒険家が必死に古代遺跡を突破したら、孔雀ドレスの貴婦人にヴェルサイユ宮殿で出迎えられたような状況だ。なぜ、どうしてと考える暇すらない。視覚とシュールレアリスムの暴力だ。
意味不明でヅヱノは頭がパンクしそうだった。しかし脳が混乱しても、空腹はごまかせない。ヅヱノは腹が減っていたから、このよくわからない空間に繰り出したのだ。
ヅヱノはそこらへんの小枝をへし折り、箸代わりにしてカツ丼を食べる。もはや毒とかそんな事を気にする余裕もなかった。腹が減っているのもそうだが、もう色々訳が分からな過ぎてヅヱノは考える事を放棄したのだ。
ヅヱノがカツ丼を一口含むと、カリカリ衣とふわふわお米の両極端な感触が咥内で暴れる。ハッキリと立ったパン粉がざくざくと音を立て、中からはコクのある肉汁が溢れる。それが濃い味のソースで引きたてられ、銀シャリが全てを美味く着地させる。
カツ丼だ。
クッソ美味いカツ丼だった。
ヅヱノは、死んだ目でうまいうまいと咀嚼した。
一通りカツ丼の咥内調味を堪能した後、彼はごくりと呑み込んだ。
「……カツ丼だコレ」
判り切っていた事を、噛んで含めるように独りごちる。
じーっと見ているンゾジヅに、一口掬って差し出してみる。
ンゾジヅはパクッと口に含み、しばらくもごもごと口を動かす。
そして瞳をキラキラと緑色に光らせた。
彼女も、カツ丼をお気に召したのだ。
ヅヱノがまた一口食べると、ンゾジヅは二口目の箸をじっと見てくる。
ンゾジヅに差し出してみると、またぱくりと口に含みもむもむと咀嚼する。
ヅヱノが更に一口食べると、やはり彼女は二口目をせがんでくる。
全部あげたい所だが、ヅヱノだって腹が減って堪らない。
箸が交互にヅヱノとンゾジヅを往復して暫く、カツ丼は底をついた。
元々木の実は一抱えほどの大きさがあったが、中身自体は並盛り一杯ぐらいだ。ンゾジヅが育ち盛りかどうかはわからないが、二人で分けて食べるにはいささか量が足りない。
となるとお代わりといきたいところだが、頼んで来るようなものでもない。
たまたま木の実が落ちてくる状況に出くわし、それをンゾジヅが掴み取ったのだ。
ヅヱノは実が落ちてきた元を探し、空を見上げた。樹冠の隙間からは、より高所に纏まった枝葉があるのが見えた。見えやすい位置の枝に木の実はなく、もっと上の枝葉から落ちてきたのだ。
ヅヱノが見づらそうに首を伸ばしていると、ひょいとンゾジヅが彼を抱きかかえる。ヅヱノが今度はなんだと言う間も無く、ンゾジヅはガッシガッシと手近な幹を強靭な足で掴む。そして散歩道でも歩くように、幹を垂直に歩行し始めた。
ヅヱノの後頭部には『大きなクッション』があるせいか、揺れはなく非常に快適に彼は運ばれた。ンゾジヅは枝葉を掻き分けて、ぴょこんと二人の上半身が木の天辺に出た。
「うわ……すっご」
まさしく、一面緑の世界。
いたるところが林冠で埋め尽くされている。
そして木の実の元は、探すまでもなく見つかった。
「あれ、だよな?」
切り立った断崖絶壁に、巨大な緑の傘が被せられている。崖自体にもちらほらと緑の集まりが生えているが、その天辺を覆う緑の積乱雲の威圧感は段違いだった。その枝葉は一部がヅヱノのいる方まで伸びていて、そこから木の実が落ちたのだ。
「とりあえず、あそこにいこう。ンゾジヅ、いいかな?」
「うー」
ヅヱノは行き先を緑の傘に決め、身振り手振りで指示する。ンゾジヅは肯いて、木を降りて歩き始めた。ヴェード前のンゾジヅは本能的に行動し、それが結果としてヅヱノの役に立っていたという様子だった。だがヴェード後は理性のようなものがあり、僅かながらも気持ちが通じ合っているようにヅヱノは感じた。
ヴェードを重ねるたびにンゾジヅの能力が上がるなら、その内会話が出来るようになるかもしれないと、ヅヱノは推測する。だがまだまだ遠い先の話であり、現状の意思疎通能力は不十分だ。
ぺちぺちぺちぺちと何度もンゾジヅの二の腕に主張し、漸く下ろしてもらえた。木の天辺に連れて行かれたときから、ずっとぬいぐるみのように運ばれていたのだ。ンゾジヅはヅヱノを降ろすのも渋々で、非常に不満そうな顔をしていがヅヱノは無視する。そしてヅヱノは柔らかい腐葉土の上を進み、森を抜けて崖の下にでた。
「……なんだこれ」
積み上げられた赤い煉瓦塀や、精緻な彫刻が施された石柱、並べられた瓦屋根、その辺はまだマシだ。デカい奇形のピエロの頭が乗ったテント、よくわからない文字が書きなぐられた赤い看板、用途不明なゴリラとマンドリルとイノシシを掛け合わせたような生物の像、この辺はもう単なる雑然とした不法投棄物だ。
それら様々な由来不明物がぐじゃぐじゃに入り混じって、樹木のような構造を形成している。人工物は時間が経って植物に取り込まれたのではなく、元々そういう形に成長したのだ。
というのも、植物部分と人工物部分の境目は完全に癒着している。幹にコブができるように、枝から葉が生えるように一体化しているのだ。しかし双方は、明らかに違う材質で構成されている。そもそも植物の幹から、鉄やプラスチック製品が生える筈がないのだ。
そんな奇怪な植物らしき物が、非常に緊密に集まっている。敢えて表現するなら森と呼ぶのが適切なそれが、密集していたせいで遠目には崖のように見えたのだ。上にある緑の積乱雲含めて、一つの森なのだ。
「わっかんねぇ、どうなってんだこれ」
『森』をためつすがめつ眺めていて、ヅヱノはふと思いつく。恐らくこれと同じ理屈でできたのが、あのカツ丼の実なのだろうと。あれは木の実という自然物に、調理という人工的な過程を経た物が入っていた。これと同じような物と考えれば、理屈は通る。カツ丼をできたての状態で封入したのではなく、できたての状態で『実った』のだ。
実際、あのカツ丼は最後まで冷めなかった。普通多少なりとも冷えるものだが、最後の一口まで温かいままだった。あの実はできたてのカツ丼が生った物であり、そもそも『温かく香ばしい果肉』なのだ。
「キメラの木……合成植物、か? 人工物とのキメラなんて聞いたこともないけどな。いや、人工物ならサイボーグか……サイボーグ、なのか?」
人工物との融合といえば、それはもはやサイボーグの領域だ。しかしサイボーグだって独自機能を持った機械であって、煉瓦塀や鉄筋コンクリートのサイボーグなんて冗談にもならない。ましてやカツ丼と合体した木の実など、何と呼べばいいのか。カツドボーグとかいうクソみたいな名前が思い浮かび、すぐにヅヱノは頭を振って消した。
ヅヱノがこれから侵入しようとしている場所には、そんな奇天烈な組み合わせの物が山ほど待っているのだろう。ヅヱノの胸には、不安と共に期待が湧きあがっていた。
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