第11話
ヅヱノはまどろみの中にいた。意識が目覚めたのは、なんとなく判った。だが右も左も区別がつかず、自分がどこにいるかすらはっきりしない。目を開けても見える灰色の風景に現実味が無く、キョロキョロと周囲を見回す。
「?」
そしてヅヱノが見上げると、緑の視線とぶつかった。
目が覚めるような美貌と、寝起きのにらめっこが始まった。
誰だこの人と、彼が寝惚けた頭でじーっと見つめ合う事数分。
ヅヲノはようやくそれが誰だったか、昨日の激動の一日を思い出す。そして自分がハーピーに抱かれたまま眠ってしまい、現在進行形で抱擁中だという事も思い出した。ヅヱノが寝ている間もずっと抱え続けるハーピーの姿を、彼は容易に想像できた。
「ご、ごめん」
寝る前は萎えていた腕にも、問題なく力が入り無事離れられた。ハーピーは名残惜しそうな顔をする。ヅヱノの心も若干名残惜しいが、しかし理性がこれ以上の接触を許さなかった。
「うぉっ!? ……ああ、そうか。コレで戦ったんだっけ」
ヅヱノは格納庫を見渡し、背後の龍のような巨大兵器に跳び上がった。ヅヱノも、これが兵器とは重々承知だ。それでも今にも勝手に動き出し、捕食されるのではないかという恐れを感じる。見上げるだけで、ヅヱノは押し潰されそうな気持ちになってくる。
その巨体には無数の蛇腹管が繋げられ、その中を光が流れ出している。決戦機関で発射された光や、帰還直前に見た光とも似ていた。ヅヱノはあの光――絶対燃料といった物が、ヴェーダーの力の源なのだと理解する。そして、その光をヴェーダーは抜かれている。ヅヱノはなぜ燃料を抜いているのかと首をかしげ、ふと昨日の光景を思い出す。
「最後にやってたアレ、もしかしてあの絶対燃料とかいうのを集めてたのか? 確かに攻撃っていうよりも、どちらかといえば採集作業みたいな感じだったが」
あの光はヴェーダーを動かすエネルギーであると同時に、ヲズブヌを動かす力でもあるのだ。だからヴェーダーはそれを回収し、今こうしてヲズブヌへと供給している。例えるなら石油採掘装置付きの戦車といったところだろうかと、ヅヱノは流れ出る光を見ながら考える。
「にしても、本当にでかいな」
ヴェーダーに近づいてみると、牙一本でヅヱノの身の丈ほどもあった。この歯で噛まれたらと思うと身が竦む。だがヅヱノは恐怖と共に、頼もしさを感じていた。
敵のギエムは、このような恐怖におびえる事となるのだ。そしてヅヱノは、この恐るべき巨大な装甲の塊に守られながら戦えるのだ。その大きな牙に、ヅヱノは手を載せる。
「これからよろしく頼むぞ、シースターフォート」
ヴェーダーに語りかけるヅヱノの姿をハーピーは、ニコニコと見つめていた。
ヅヱノは少し恥ずかしくなるが、ふと気づいた。
「……そういや、名前聞いてなかったな」
「?」
あれだけ世話になったというのに、ヅヱノはまだハーピーの名前を知らない。名前があるなし以前に、ハーピーという種族なのかもわからない。その容姿から記憶にある半人半鳥の怪物名を当てはめていただけだ。うーんと唸るヅヱノに、ハーピー(仮)も楽しそうに首を傾ける。
「名前は……言える訳ないよなぁ。そもそも声すら出さないし」
「うー……?」
「あー、うん喋れたのね……ッ!? 喋った……訳、じゃないか。でも声を出して無かったって事は、発声もできなかったのか? 確かに一度も声は出していなかったハズだ、なんで今……いや、そうか」
「あー♪」
ヅヱノが記憶している限り、ハーピーは唸り声すら上げなかった。ただただ無言で、行動のみで意志を示していた。それが唸るだけとはいえ、発声できるようになった。その原因は考えるまでもない、ヴェードだ。恐らくヴェーダーから抜かれている絶対燃料には、ハーピーを成長させる効果があるのだ。
「……ん? なんか、前と違うよな」
ヅヱノが違和感に従いハーピーをよく見ると、装身具らしきものが増えている。これもヴェードによって増えたものなのだろうと、ヅヱノは察した。装飾品と羽毛の組み合わせは、まるで豪奢なドレスのようだった。
その中で、一つだけ気になる物がある。金属板に、模様が描かれている。それは規則正しく並べられた図形であるが、よくよく見れば謎象形文字の一種だとわかった。その不可解な文字の羅列は、ヅヱノの脳裏に意味を伴って入ってくる。
「ンゾジヅ……? うわっ!?」
「うー! うーあー♪」
ハーピーは機嫌良さそうに、ヅヱノをなでくりなでくりする。ヅヱノが音読したンゾジヅというのが、ハーピーの名前であった。少なくともハーピーは自己に名前が存在し、それを呼ばれたとわかる程度の知能は備えているのだ。
まるで大型犬だ。人懐こ過ぎてトラウマを植え付ける類の、自分の図体を自覚していない無邪気な猛獣だ。ヅヱノはその手の図体が大きい愛玩動物は苦手だったが、その半身が美しい女性なら恐怖より恥ずかしさが勝る。はしゃぐ度に、ゆれるし弾むのだ。重量感たっぷりに。
「ンゾジヅ! ストップ! ンゾジヅ! 待て! 落ち着け!」
「うー♪ うーうー♪」
ハーピーのスキンシップは、止むどころかぐるぐりと激しさを増している。
どうやら言葉の意味は理解していないが、自分の名前だけは認識しているようだった。現にヅヱノが名前を呼ぶたびに、嬉しそうに抱擁を強くしている。なまなかな反応が逆効果だと察したヅヱノは、じっと嵐が去るのを待った。
一時間くらいして、ようやく桃色の嵐は去った。
ンゾジヅはつやつやしているが、ヅヱノはぐったり青色吐息である。ヅヱノは寝起きだというのになぜこんなに疲れているのかとげんなりしつつ、とりあえずはヴェードの警報もなく何をするかと考えた。
その段になって、ヅヱノは空腹を感じた。そして昨日目覚めてから何も食べていなかったと、今更ながらにヅヱノは気付いた。ヴェーダーに乗っている最中は、興奮していてそれ所ではなく。降りた後は、空腹を感じる間も無く夢の中だ。
当然、腹が減れば満たしたくなる。ぐぅと腹も不満の声を上げ、ヅヱノは何か食べ物はないか探そうとする。すると、グイッとヅヱノの首根っこが持ち上げられた。そしてンゾジヅの腕の中に収められると、ガツンガツンと彼女は歩き始めた。
「お、おい……どうしたんだンゾジヅ?」
ヅヱノが何を言っても、ンゾジヅは反応しない。むしろンゾジヅは、一刻を争うという風に急いているように見える。ヴェードでもないのに、急ぐようなことがあるのかとヅヱノは戸惑う。
ヅヱノが柔らかい重みで頭を何度も踏まれつつ、運ばれること数分後。ンゾジヅの早歩きを南半球直下から見ていたヅヱノは、ある部屋の前に到着した。ヅヱノが手でもういいだろうと意思表示すると、ンゾジヅは問題なく降ろしてくれた。だがどこか不満そうなンゾジヅを無視して、ヅヱノは扉を観察する。
これまた仰々しい装飾が施された扉だった。だが機械的だった格納庫とは、毛色が違う。宗教施設にあるようなやけに凝った彫刻で、縁や扉自体にも装飾が施されている。重厚な機械施設であるヲズブヌの中で、明らかに趣きの異なる扉だった。
一体中には何が待ち受けているのか。
ヅヱノはごくりと喉を鳴らし、扉に近づく。
こちらも自動ドアなのか、触れてもいないのに勝手に扉が開いた。
レーザーでチェックされる事もなく、拍子抜けするほど簡単に。
だがその隙間からは、凄まじい臭気の風が吹き出してきた。
鼻を衝く臭いの濃さに、ヅヱノは思わず顔をしかめた。だがその臭さは、悪臭に部類される物ではなかった。ある意味人によってはそう感じるだろうが、少なくともヅヱノには肯定的に感じられる臭いだ。そんな快さの理由は、視覚で理解できる。
幹をのびのびと太く成長させ、天に緑の屋根をかけた大樹。
色とりどりの花が咲き乱れ、数えるのも億劫な程の花びらが揺れる。
絨毯のように敷き詰められた草原は、見渡す限り広がっていた。
扉の向こうは、一面緑の楽園だった。強烈な臭いは、生命が営む自然の香り。
無機質極まる人工物漬けで、『清浄な空気』に慣れた鼻には刺激的な青臭さ。
ヅヱノは後ろからンゾジヅにちょっかいをかけられながら、呆然と立ちすくんだ。
ヅヱノは一歩踏み出す。
人工物では作り出せない、多種の植物が活動する複雑な臭い。
本能的にわかる、屋外特有の開放感だ。思わず深呼吸したくなる。
踏んだ雑草はしゃくりと力強く靴底に反発し、強い日差しで肌がチクチクする。
「……ここは、『外』なのか? ……ッ! ……これは、どうなってんだ?」
ヅヱノが振り返ると、草原のど真ん中に扉だけがあった。扉の後ろに回りこんでみるが、裏側は扉と同じ材質の壁で埋められている。少なくとも、界宙戦艦に繋がる構造にはなっていない。某青狸ロボットの、空間と空間を繋ぐ秘密道具のような構造になっていた。
ヅヱノは試しに艦内に戻り、通路の分厚い窓を探して覗き込む。窓の向こうは前に見た時と変わらず、異常な雲海と黒雷の世界しかない。木々が生えるどころか、生物が存在するかも怪しい空間だ。
じゃああの空間は何なのか、ンゾジヅの足音を引き摺りながらヅヱノは部屋に戻る。外があの状態のままと考えるに、この空間は『艦内』という事になる。
本来なら、あの雲海空間の方が偽物に思える。だがあの空間は、通路にある窓のどこからでも見られる光景だ。それに場所ごとに見える風景が微妙に違うので、同じ風景を表示している訳でもない。逆にどうみても屋外としか思えないこの空間は、扉一つしか艦内と繋がっていない。どちらが偽物らしいかといえば、この空間の方だ。
ヴェード時のように、別次元へ繋がっている可能性もある。だがヴェードの際はヴェーダーに乗り、推力光線で加速されねばならない。それに対して、この空間には扉一つ跨げば行ける。ここが温室のような施設であり、空などは投影された物だと考えれば合点がいく。
まるで、ヅヱノのために誂えたような空間だ。緑溢れる世界であっても、ヴェード先では大気が有害だからと外にすら出られなかった。だがここでは清涼な空気が吸えて、郷愁を感じるほど胸いっぱいに自然を堪能できる。ヅヱノが深呼吸をしていると、ふと同行者がいることを思い出した。
振り返ると、ンゾジヅも同じように息を吸って吐いてを繰り返していた。自然の空気を楽しんでいるというより、ヅヱノの真似をする事が目的だとすぐに彼は気付いた。ヅヱノは少し恥ずかしくなった。
「……うー?」
首をかしげるンゾジヅに、ヅヱノはごまかすように笑いかける。ヅヱノのごまかし笑いに、ンゾジヅはぺかっと会心の笑みを返した。いよいよ恥ずかしさを抑えきれなくなったヅヱノは、逃げるように森へと足を踏み出した。
何であるにせよ、これだけ立派な森なら食べ物があるに違いないと。これだけ高性能な施設を用意してくれるなら、食糧ぐらいはあるだろうとヅヱノは考える。
ザクリザクリと雑草を踏み鳴らし、ヅヱノは山道を歩いていく。
人の手が一切入っていない、完全というに等しい『自然』だ。
だがその自然な環境に、ヅヱノは違和感があった。
なぜか、何かが違う。この森は、何かがおかしい。大して自然に詳しくないヅヱノだが、ボタンを掛け違えたような釈然としない気持ちがしている。目に付く草木を観察して歩いて、ようやくその正体に気が付いた。
「……動物が一匹もいないのか?」
小動物はおろか、虫一匹すらみつからない。見ないというのは『いない』という証明にはならないが、そうだとしても生物の気配がなさすぎる。そもそも、この森は『綺麗すぎる』のだ。
直接動物が見つからなくとも、動物が活動した痕跡は必ずある。深い森の中は、人気こそないが動物の楽園なのだ。そこらじゅうに獣道があり、樹皮には噛み跡や爪痕のマーキングが行われている。葉っぱにだって、必ずどれかには虫が食い荒らした痕跡がある。
なのに、木々や葉っぱには一切の傷跡がない。
どれもこれも、標本の様に完全な状態に育っている。
豊かな緑が溢れているのに、そこにいるはずの住人が一匹もいない。
雑草だって、新雪のようにまんべんなく生い茂っている。
踏み潰された霜柱の様に、はっきりとヅヱノの足跡が残るくらいだ。
ヅヱノは見落としがないかと、目を皿のようにして足元を見る。
何かが見つかるのではないかと、ヅヱノは注意深く探して回る。
必然的に周りや、自分の足下を注視する形となる。
その後頭部に、黒い影が迫っていた。
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